李承晩TVの日本語字幕を転載します。

動画は日本語字幕があるので、動画が良い方はそちらをご覧ください。

 

「強制連行」「強制徴用」され「ろくに賃金ももらえなかった」と主張されている朝鮮人の炭鉱夫の給料の実態が、決して差別的なものではなかったことを資料と数字を挙げて具体的に論証しています。圧巻は動画の16分頃。朝鮮人炭坑夫の給料は、一般の朝鮮人の5倍、日本の大卒の2.2倍もあったということです。そんな人たちが今、賠償しろと言ってきているんですね。

 

今朝(8月26日)のMBCラジオでは独島(竹島)上陸軍事訓練に日本が領有権を主張して非難してきたというニュースを聞いていました。「日本の態度はまったくふてぶてしい」と非難していましたが、なんだか、嬉しそうでした。ヒーロー気取りなんだな。

 


<反日種族主義を打破しようシリーズ> 第9回目

2019.6.25 이승만TV

 

 

<画像>自由大韓民国 建国の指導者 李承晩 1875.3.26~1965.7.19 「建国精神の学び場」

李宇衍 (落星大経済研究所研究委員)

 

李宇衍です。 今日は果たして奴隷労働だったのか、特に賃金問題に対してお話ししようと思います。

 

高校の必須科目である韓国史教科書では、この問題について次のように書いています。

『賃金もまともに払わず酷使した』

『賃金は日本人労働者の半分くらいであり、そのうちのほとんどが控除され実際に手にしたお金はどれ程にもならなかった』

簡単に言ってこういう内容です。

しかしこれは事実に反しています。

もう一つの歴史歪曲といえます。

 

日本人だろうが朝鮮人だろうが、分け隔てなく賃金は正常に支払われました。賃金の平均を計算してみると、日本人より朝鮮人が低い場合が多々あります。とはいえ、日本人よりずっと多くの賃金をもらっていた朝鮮人もまたとても多くいます。

 

ではこの差はどうして生じたのでしょうか?

 

当時賃金は基本的に”歩合給”でした。例えば石炭1トンを掘ればいくら、1トンを運搬すればいくら、このように計算されました。しかし1トンを掘ったらいくら、運搬したらいくらという単価は、日本人と朝鮮人の間でなんら差はありませんでした。従って民族を問わず、各労働者は働いただけ、作業しただけの賃金を会社からもらい、朝鮮人もきちんと受け取っていました。

 

戦争中の経済を戦時経済といいます。戦時経済下では、どの国においても市中に現金が溢れました。これは日本だけではなく、第2次大戦に参戦したすべての国家が同様でした。なぜならば、戦争をするために政府が莫大な規模の現金を市中経済にばらまくためです。

 

従って企業、特に炭鉱や飛行機会社のような軍需企業には現金が非常に豊富でした。問題は現金ではなく、現物でした。戦争で物資が不足していたためです。企業の立場から最も重要なことは、政府の要求に従って生産量を増やすことでした。日本の青壮年はみな軍人として動員されました。産業現場では労働力が不足し、政府の要求する生産量をみたしていくのがとても大変でした。従って、企業の立場では人力がすなわち、金となり、利潤となったわけです。

 

会社が保有した労働力を効率的に利用し、生産量を増価させればそれだけ利潤が上がりました。このような状況で朝鮮人に公然と賃金を渡さなかったとか、日本人と賃金を差別したとしたら、それは企業にとって愚かな行動にならざるを得ません。なぜならそのようなことは、朝鮮人の労働意欲をおとしめ、生産を減退させおのずと損害を招くだけだからです。

 

このような戦時経済という状況を念頭に置けば、賃金や勤労環境など朝鮮人を取りまく様々な問題に対して理解しやすいと思います。賃金は無いも同然だった、もしあったとしても朝鮮人を大きく差別し、日本人よりよほど低い賃金を与えた。このような主張は、日本の朝鮮総連系の朴慶植や、いわゆる「良心的」な日本の知識人によって1960年から始められました。

 

それを引き継いで、韓国の研究者たちも今に至るまで、同じ主張を単純に繰り返しています。廬武鉉政府のもとで「日帝占下強制動員被害真相究明委員会」委員長をしていた全キホ教授をはじめ、植民地期労務動員を研究するという研究者たちは今まで53年間同じ言葉を繰り返し、この問題に対し、ただの一度も真摯な姿勢で検討したことがありませんでした。これは見方によれば不可解で奇怪な話というしかありません。

 

1960年以来、前に話した朝総聯系朝鮮人、日本の左派知識人たち、つまり「強制徴用」「強制連行」と「奴隷労働」を主張してきた多くの人々が、それに関連した資料を収集し、それを自分たちの名前で編纂しました。しかし、彼らが果たして、自分の名で出したその資料集の中の資料を慎重に検討してみたのか、私は深刻な疑問を持っています。こちらのような資料のためです。

 

年度  控除額 (食費 貯金 その他 小計) 送金  残額 計

 

1940年から1945年まで何度か調査がありました。これらの調査を見ると、月給から食事代と貯金、税金などいくつかの項目を控除しても、月給の45%以上が現金で朝鮮人に支給されました。ご覧になっている図がそうです。

 

朝鮮の人々はまさにこのお金でお酒を飲んだり、朝鮮の女性たちのいる「特別慰安所」に出入りしたり、朝鮮にいる家族に送金しました。これらの事実は私が新しく探し出した資料の中から発見したものではないことを強調したいと思います。「強制徴用」または「強制連行」と「奴隷労働」を主張するその研究者たちが発掘し、編集し、出版した資料の中に、見ての通りの資料がみな入っています。

 

鉱山名   坑内部(朝鮮人 日本人 賃金格差)    坑外部 (朝鮮人 日本人 賃金格差)

 

今ご覧のこの表は、全キホ教授が発掘した「日本鉱業株式会社」の資料をもとに彼が作ったものです。1943年の資料ですが日本人の賃金が朝鮮人より30%高いところもある一方、逆に朝鮮人が日本人より30%高い鉱山もあります。このように賃金の実態は多様でしたが、全キホ教授はそのことに関し、詳しい説明なしに「民族的賃金差別」を強調するに留まっています。

 

このような詳しい資料をみながらも「民族的賃金差別」だけを一方的に主張するようになったのは研究者の思考が基本的に反日という政治的理念に片寄っているためです。それで今は、賃金面に於いてもやはり朝鮮人を差別したという認識が韓国人にとって一つの「常識」となってしまいました。このような歴史認識の土台になっているものは、やはり朴慶植の主張です。

 

 

今見ている表がそれです。今の研究者たちも53年前と同一に、この表をそのまま反映して使っています。また朴慶植の解釈もそのまま何の問題意識も持たずに受け入れています。ただ変化があったといえば、賃金の民族的差別という結論を予め決めておいて、それに見合った数字を探し、追加する水準に過ぎません。

 

この資料は北海道のある炭鉱です。資料には「D炭鉱」と記録されています。賃金は30円未満から20円感覚で130円まで6段階に分け、朝鮮人と日本人が各々どのように分布しているのかを見せている資料です。朴慶植はこの資料によって、日本人の中の82%が50円以上の月給をもらっているが、朝鮮人は75%が50円未満だ、という点に注目しました。そしてそれを根拠にして「民族的賃金差別」を主張しました。もちろんこの資料は彼が編纂した資料集の中に入っています。

 

しかし私はこの主張を受け入れるわけにはいきません。朴慶植が利用した資料のわずか2ページ前を見ると今、ご覧になっている資料が掲載されています。上と同一の炭鉱で、5年以上の長期間勤続した日本人は全日本人の31%でした。しかし朝鮮人は皆無です。朝鮮人の場合、どんなに長くても勤続期間は3年未満でした。なぜなら、朝鮮人の契約期間が2年だったからです。

 

その結果、勤続期間が2年以下の炭坑夫は朝鮮人中89%にも及びますが、日本人は43%に過ぎません。お話ししたように賃金は歩合給であり、朝鮮人は大部分炭を掘る採炭部でした。採炭は誰もができるという仕事では決してありません。技術がいります。その技術、すなわち熟練するには経験が要ります。朝鮮人はそのほとんどが農村出身であり、彼らにとって炭鉱労働は非常に目新しく怖く辛い仕事でした。従って2年という契約が終了すると朝鮮人の大部分が契約を延長せずに即座に帰国しました。結局先に見られた朝鮮人と日本人労働者の賃金の差は、このような勤続期間の差、経験と熟練度の差によって発生した者に他なりません。決して作為的な差別の結果だとはいえません。

 

朴慶植は賃金差別を主張するために<賃金分布表>を利用し、彼の主張とは合わない<勤続期間分布表>からは目を背けました。彼がこの表を見落としたとすれば、彼は研究者として、研究に対し非常に怠慢だったと言えます。しかし<勤続期間分布表>の位置、そして<民族差別という問題の重要性を考えるなら、彼の目にこの<勤続期間分布表>が映らなかったことは、とても納得しかねることです。彼は確かにこの表を見ました。ただ自身の主張を裏付けできない資料、自身の主張をむしろ毀損する資料だったため、彼は自身の著書でそれを公開しなかったのだと思います。

 

勿論このような行為は、研究者として絶対あってはならない、研究倫理から見るとき、一種の”詐欺”であり歴史歪曲、更に悪意的扇動になります。結局韓国人は’賃金の民族的差別’というもう一つの歪曲された歴史認識を持つようになり、反日種族主義はそれだけ深化しました。研究者の偏向した歴史認識がどのように一国の国民すべてを、それも公教育を通して体系的かつ持続的に深刻に訴えられるのか、彼の見せてくれた、とても恥ずかしく心痛い事例です。

 

最近私が発掘した重要な資料を紹介します。日本の長崎の近くにある、当時日本窒素という財閥に属した江迎炭鉱の1944年5月<賃金台帳>です。もちろん会社内文書です。

 

 

 

この資料は石炭を運搬する運炭夫94名、朝鮮人51名と日本人43名に関するものです。その94名の労働と報酬に対する一か月の記録がみな載せられています。坑夫一人につき一枚ずつ作成されています。このような文書は今まで発見されていません。とても細かく情報が詰め込まれた貴重な文書です。10時間労働の基本給は朝鮮人は平均1円72銭、日本人は1円70銭でした。朝鮮人がむしろ若干高かったです。しかし大きな差ではありません。しかし月給は朝鮮人が平均100円、日本人は116円で大きな差がついています。このような差が生じた理由は超過勤労時間が日本人が朝鮮人よりずっと多かったためです。言い換えればより多い時間仕事をしたためです。このため8円の差ができ、あとの7円ほどは家族手当のため生じたものです。

 

縦:朝鮮人% 日本人% 民族間格差円(日本人-日本人) 民族間格差%(日本人-日本人) 割合(%)

横:賃金 賃金外諸手当(勤労手当 健良送炭賞与 付日役 法廷賃金差額 家族手当) 月収入

 

朝鮮人はほとんどが単身で一人で寄宿舎で生活しました。家族がいませんでした。しかし日本人たちは大部分家族がおりました。その家族に対して家族手当が支給されました。それによって7円ほどの差が出ました。控除の金額は朝鮮人が58円で、日本人より26円ほど多いです。朝鮮人と日本人の間で一番大きな差がこの控除でした。

 

横:積立金保険料 税金 貯金 料食費 その他 計

縦:朝鮮人 日本人 民族間格差 (%) 割合(%)

 

まず3度の食事が重要でした。朝鮮人は大部分寄宿舎生活をし、日本人は家族と共に社宅か個人住宅で暮らしました。それで寄宿舎食事代として支払った金額が日本人より13円、控除金として高くなりました。控除金の次に重要なのが貯金でした。しかしそれほど大きな差ではありませんでした。朝鮮人は平均26円、日本人は18円を貯蓄しました。日本政府は戦争のため市中に流れて入り込んでいる大量の貨幣のため、インフレが発生することを心配しました。これは第二次大戦に参戦した国々ならばみな同じ問題を抱えていました。日本は貯蓄を強制することでインフレを予防しようとしました。方法は違いますが、他の参戦国家もみな同様でした。それで日本では当時も”強制貯蓄”という言葉を実際に使っていました。それは朝鮮人や日本人を問わない日本政府の”国策事業”でした。

 

強制貯蓄がありましたが、日本人労働者に貯蓄を強要するのには限界がありました。家族がいるため家族の整形に現金が必要であり、貯蓄できる余力に限界があったからです。それで貯蓄が朝鮮人より低くなりました。収入額と控除金で朝鮮人と日本人の間には結構な差がありました。それによって現金で渡される金額が、朝鮮人42円、日本人84円でした。

 

横:支払賃金早計 控除額総計 引き渡し金額

縦:朝鮮人 日本人 格差(円) 格差(%) 割合(%)

 

日本人は超過労働が多く大部分家族がいたため月の収入が高かった点、朝鮮人は寄宿舎生活をしたため食費が引かれ、貯蓄をする余力が大きかった点、これらの理由から引き渡し金額に大きな差ができました。

 

それであっても朝鮮人は賃金の8割以上を受け取り、そのお金で消費をしたり送金をしたりすることができる状態でした。朝鮮にいる家族たちが送金してきたお金で借金を返したり、田畑を買ったという証言が多いのもこのような事情のためです。

 

当時の朝鮮人炭坑夫たちの賃金はどの程度の水準だったのでしょうか?

 

横:年度  比較職種 月収入 比率a 比率b

縦:ソウル紡績(綿加工)男行

ソウル 男性 教員

ソウル 男性銀行員

日本 巡査初任給

日本 事務職 大卒 初任給

 

 

朝鮮の他の職種や日本の他の職種に比べてみれば一目瞭然です。その結果は驚くべきです。

まず1940年を基準にソウルの男子の月給と比較すると、炭坑夫の平均賃金は紡績職の5.2倍、教師の4.6倍、会社員の3.5倍、銀行員の2.4倍でした。日本にいる他の日本人の職種の賃金と比べても非常に高い水準でした。1944年朝鮮人炭坑夫の賃金は日本人大卒者事務職初任給の2.2倍、巡査初任給の3.7倍にもなりました。

 

炭坑夫の賃金がこのように高かったのは今日でいう3D業種に該当する点、さらに重要なことは戦争により炭鉱で必要とする健常な青壮年層がひどく不足していたという点、最後に戦争のため石炭の増産が切実であったところにその原因を見つけることができます。

 

最後に戦争による一つの歴史的アイロニーについてお話ししたいと思います。朝鮮人が日本の炭鉱で働いたのは1910年代にもあったことです。1920年代になるとその数がぐっと増えていきます。しかしこのときの朝鮮人の賃金は日本人の半分程度に過ぎませんでした。このように大きかった賃金の差が戦争と共に、朝鮮人が日本に動員されることでその格差が大きく減少しました。

”同じ仕事をしたのに朝鮮人の方がもっとたくさんもらっている”とか”朝鮮人は仕事も満足にできないのに賃金はむしろ日本人より高く貰っている”という不満が日本人の中で広がりました。以上に述べてきたような背景があったためです。

 

今日はこれで終わりにします。ありがとうございます。