発達がゆっくりなお子さんの言語訓練をしている言語聴覚士です。
いわゆる「小児ST」と呼ばれています。
クリニック外来に常勤勤務して、十数年が経ちました。
以前、児童精神科のうちやまときお先生がXで、こんな内容の投稿をされていました。
愛の言葉が「呪い」になるとき
子育ての場面で、よく聞く言葉があります。
・愛情かけてあげてください
・いつも笑顔で接してあげてください
・伸ばしてあげて!(協調性、社会性、遊び、学力…)
・抱きしめてあげてください・手をかけてあげてください
どれも、一見やさしそうな言葉。
でも発達に心配のあるお子さんの親にとっては、
これが励ましではなく、責める言葉に聞こえることがあります。
「もう十分やっている」のに
外来で出会う親御さんたちは、本当に頑張っています。
眠れない日も
周囲の視線に耐える日も
「私のせいかもしれない」と自分を責める日も
それでも毎日、子どものために動いています。
だから「もっと〇〇して!」と言われると
愛が足りない人だと宣告されたように感じてしまうのです。
「逃げたい」「もう要らない」と口にするほど
言語室で、こんな言葉を聞いたことがあります。
「この状況から逃げられるなら逃げたい」
「この子、もう要らない…」
でもこれは、愛情がない言葉ではなく、
限界まで追い詰められた心の悲鳴です。
特にASDのお子さんを育てるお母さんたちに多い。
そして実は、私自身もその一人です。
私の子どもが3~4歳頃、ふと思ったことがあります
「犬や猫の方が賢いんじゃないか?」
犬は「お手」と言えばお手をする。
「おいで!」といえばこっちに来る。
でも私の子は「おいで!」と言っても無反応。犬猫の方が賢くて可愛いのでは?と。
そんな比較に意味がないことは分かっているけれど。。。
でも、心が限界のとき、人はそんなことまで考えてしまうのです。
優しい言葉が、つらいこともある
世間の目は冷たい。
でも、優しそうな言葉をかけられても、悲しくなることがあります。
頑張っているのに
もう限界なのに
「これ以上どうしろと言うのだろう」と感じてしまう。
本当に必要なのは「もっと」ではない
必要なのは
・具体的な支援
・具体的な関わり方
・親の休息
・「あなたは悪くない」というメッセージ
「頑張って」より
「一緒に考えましょう」
この違いは、とても大きいのです。
支援者として、親として思うこと
私たち支援職も、
無意識に“正しそうな言葉”を言ってしまうことがあります。
でもそれが、
親御さんを追い詰める刃になることもある。
そっと見守ること
ただ話を聞くこと
そして専門職なら、具体的な道筋を示すこと。
それが、本当の支援なのだと思っています。


