言語聴覚士(ST)のつぶやき

言語聴覚士(ST)のつぶやき

小児のST(言語聴覚士)をしています。
訓練方法などはあまり書く予定はなく、訓練室での出来事を書いています
※個人情報がわからない様に書いています。

ブログの内容は個人的な見解として述べています。
また、個人が特定できない様に、状況を詳細に記述する事ができません。ご了承下さい。

私の最初のブログです。↓
https://ameblo.jp/yazzuu/entry-12823570487.html

発達がゆっくりなお子さんの言語訓練をしている言語聴覚士です。

いわゆる小児STと呼ばれています。

現在、クリニックで外来勤務して十数年が経ちます。



こんなニュースがありました。

https://www.yomiuri.co.jp/national/20260409-GYT1T00253/#


要約

2026年4月から、作業療法士・理学療法士・言語聴覚士などが「みなし保育士」として保育園に配置できるようになりました。



「え?」


  専門職を“数”に入れる違和感


言語聴覚士は、発達評価や言語訓練を行う専門職です。

一人ひとりをしっかり見立てて、個別に支援していく仕事です。

それを、「保育士の代わりとしてカウントできます」と言われた時の違和感。



   保育士の専門性も軽く見ている


保育士は、集団を見て、生活を回して、子ども同士の関係を調整していくプロです。

これは、訓練職とは全く別のスキルです。

それを「専門職を入れればなんとかなる」という発想。

そんなに簡単な話ではありません。

  そもそも人がいない


そして一番現実的な問題。

小児をしっかり見られるSTは、そもそも多くありません。

しかも今は、

・児童発達支援
・放課後等デイサービス
・医療分野

こういった現場でも必要とされています。

つまり、「取り合い」です。

その中で、「保育にも来てください」と言われても、

無理です。

   きれいごとでは回らない現場


インクルーシブ保育が進み、支援が必要な子どもが増えているのは事実です。

だからこそ、現場はすでにギリギリで回っています。

そこに「新しい制度」が入る。

でも中身が伴っていなければ、

・役割が曖昧になる
・連携が崩れる
・結局、誰かにしわ寄せがいく

こういうことが普通に起きます。

   本当に必要なのは“チーム”


もしこの制度を活かすなら、

専門職は「保育士の代わり」ではなく、

評価・助言・個別支援に特化すること。

そして保育士と対等に連携すること。

いわば「チーム」として機能する形です。

でもそれは、

ただ人を配置すれば実現するものではありません。


現場にいると、どうしても思ってしまいます。

「また制度だけ先に作ったな」と。


発達がゆっくりなお子さんの言語訓練をしている言語聴覚士です。
いわゆる小児STと呼ばれています。

現在はクリニック外来で常勤勤務し、十数年が経ちました。



  ある日届いたメッセージ

数年前の話です。


当時もコメント欄は閉じていましたが、メッセージはオープンにしていて、時々読者の方とやり取りをしていました。

現在は、コメント欄もメッセージも閉じています。

※メッセージを閉じた理由はここから↓



ある日、こんなメッセージが届きました。

「STさんに、うちの○歳の子が“凸凹はあるかもしれない”と言われたんですが、発達障害があるという意味ですか?」



  短い文章でも伝わる“焦り”

正直なところ、この一文だけでは何とも言えません。
お子さんを直接見ていない以上、軽々しく判断はできません。

ただ——
文章から、お母さんがかなり動揺されていることは、はっきり伝わってきました。

ここで
「それだけでは分かりません」
と返してしまうのは簡単です。

でも、それはこのお母さんを突き放すことになる。


それだけは避けたいと思いました。




  ブログから見えてきた“全体像”

その方は、ご自身のブログを日記のように書かれていました。

・どこに行って

・何をして

・誰に何を言われたか


感情をあまり入れず、淡々と事実が綴られていました。

だからこそ、読み進めるうちに、
直接お子さんを見ていなくても、少しずつ全体像が見えてきました。



  私なりの判断と返答

詳しくは書けませんが、この日記から

「言葉はゆっくりだけど、この子は大丈夫そうだな」

そう感じられる要素がいくつもありました。

そこで、その根拠をできるだけ丁寧にお伝えしました。

そして、あの“凸凹”という言葉については、


・直接お子さんにお会いしていない

・ブログからの私の推測


との前提とした上で、


「言語理解はできているけれど、言語表出(お話)がゆっくり」
という意味で使われた可能性が高く、
発達障害という意味ではない
と思われることをお伝えしました。


  その後の変化

しばらくして、丁寧なお返事をいただきました。

そしてさらに時間が経つと——

お子さんがたくさんお話をするようになり、
発達の悩みも落ち着いていったようでした。

本当によかった、と思った出来事です。



  “言葉”の重み

「凸凹(デコボコ)」

受け取る側にとっては、とても大きな意味を持つことがあります。

特に、初めて指摘を受けた親御さんにとっては、
それが「診断」に近い重さで響くことも少なくありません。



  おわりに

私たちが何気なく使っている言葉が、
誰かの不安を大きくしてしまうこともある。

だからこそ、
「どう伝えるか」
そして
「どう受け止められるか」

その両方を、これからも大切にしていきたいと思っています。

ちなみに——
「凸凹」と言われたとき、
それが何を指しているのか、遠慮せずに聞いて大丈夫です。

その一言で、救われる不安は意外と多いので。

発達がゆっくりなお子さんの言語訓練をしている言語聴覚士です。
いわゆる小児STと言われています。
現在はクリニック外来に常勤勤務して、十数年になります。


  「話していたのに消えた」子どもたち


ASDのお子さんに関わっていると、

「まぁまぁ話していたのに、ある日突然発語が消えた」

というケースに出会うことがあります。

いわゆる「折れ線現象」と呼ばれるものです。

この現象、保護者の方にとってはかなり衝撃的ですし、
支援者側でも「予後が悪いのでは」と言われることが少なくありません。



  現場で感じていた“ちょっとした違和感”


ただ、現場で長く関わっていると、少し違う印象もありました。

確かに一度発語は消えるのですが、

・また言葉が出てくる
・しかも、ゼロからのやり直しではない
・むしろ以前の段階までは比較的スムーズに戻る

というケースが多いのです。

そしてその後の発達も、

「折れ線がなかった子と比べて大きな差があるか?」

と言われると、正直そこまで差を感じない。

でもこれって、あくまで現場の感覚。
「自分の思い込みかもしれない」と、どこかで思っていました。



  信州大学の研究が示したこと(要約)


そんな中で見つけたのが、信州大学の研究です。


https://www.shinshu-u.ac.jp/faculty/medicine/medic/topics/2025/11/post-191.html


この研究では、

・折れ線現象を経験したASDの子どもたちを
・成人期まで長期的に追跡

した結果、

折れ線現象があったからといって、長期的な発達や社会適応に大きな悪影響があるとは限らない

ということが示されました。

さらに、

・言語や知的発達の最終的な到達点は大きく変わらないケースも多い
・一時的な後退があっても、回復・再獲得が可能


といった点が明らかになっています。



  「やり直し」ではなかった


この研究を見て、

「あ、やっぱりそうだったんだ」

と思いました。

発語が消えると、

どうしても「振り出しに戻った」と捉えがちですが、

実際には

完全なリセットではなく、一時的な揺らぎ

なのかもしれません。

現場で感じていた

「前の段階までは意外とすぐ戻る」

という感覚とも一致します。



  現場感覚も、捨てたものじゃない


エビデンスはもちろん大切です。

でも同時に、

日々の臨床の中で感じている違和感や実感も、
ちゃんと意味があるのかもしれません。

今回、

自分の中でなんとなく感じていたことが
研究で裏付けられたことで、

少し安心しましたし、ちょっと嬉しくもありました。



  まとめ


・折れ線現象=予後不良とは限らない
・発語は「やり直し」ではなく「再開」に近い
・長期的には大きな差が出ないケースもある


発達がゆっくりなお子さんの言語訓練をしている言語聴覚士です。
いわゆる「小児ST」と呼ばれています。

現在、クリニック外来に常勤勤務して十数年が経ちます。



放課後等デイサービス(通称:放デイ)という制度が始まって、もう十数年が経ちました。


  制度開始当初は「預かり型」が多かった


制度が始まった当初、放デイはものすごい勢いで増えました。


その頃よく言われていたのが「預かり型放デイ」です。

学校が終わったあとに子どもを預かり、遊んで過ごす。

いわば学童に近いような形の事業所です。


放課後に安心して過ごせる場所があること自体はとても大事です。



  療育なのか預かりなのか


ただ当時は


「療育をしているのか、ただ預かっているのか」


その線引きがかなりあいまいな事業所も多かったと言われていました。



  制度見直しで事業所は一度整理された


そのため数年前、制度の見直しが行われました。


個別支援計画や支援内容が厳しく求められるようになり、


「療育をしていない放デイ」はかなり整理されました。


当時、うちに通っていたお子さん達も、放デイが急に閉鎖されることになり、

新たな事業所を探さなければならなくなった、とお母さんが嘆いていました。



  最近、また増えている?


ところが最近、保護者の方から話を聞いていると


「また放デイが増えていませんか?」


という話を耳にすることがあります。


預かり型なのか療育型なのか、そこまでは分かりませんが、

少なくとも事業所の数は、かなり増えているような印象です。




  福祉制度は同じ流れを繰り返す


ただ、福祉の制度というのは、だいたい同じ流れをたどることが多いです。

事業所が増える

いろいろ問題が出てくる

制度が見直される

事業所が整理される

放デイも、この流れを一度経験しています。



  現場にいると少し不安になる


なので現場にいると、つい思ってしまいます。

「また制度変わるんじゃない?」

もちろん、発達支援を必要とする子どもたちは確実に増えています。

この制度自体が無くなることはないと思います。

ただ、最近は、不動産会社や建設業などの異業種からの参入が増えていると聞きました。


一方で、放デイのノウハウを異業種に提供する企業もあるみたいです。
※いわゆるフランチャイズ形式

異業種が増えるということは、今は「美味しいビジネス」なのかもしれません。

なので、ちょっと嫌な予感。。。


また急に制度が変わって、親御さんたちが血眼(ちまなこ)になって放デイを探す姿はもう見たくないんですけど。。。。


発達がゆっくりなお子さんの言語訓練をしている言語聴覚士です。
いわゆる小児STと呼ばれています。

クリニック外来に常勤勤務して、気づけば十数年が経ちました。



時々ですが、地域の特別支援学級の先生方の集まりに顔を出すことがあります。
そこで最近、少し衝撃的な話を聞きました。

それは、
**「特別支援学級の学級崩壊」**です。

正直、最初は耳を疑いました。



  情緒クラスで起きている問題


特に問題が起きているのは、情緒クラスだそうです。

色々なケースがあると思いますが、


一つ例えると、


・ADHDの診断はある
・でも知的な遅れはない

というお子さん。


お話を聞く限りでは、
「通常学級でも十分やっていけるのでは?」

と思うケースも少なくないようでした。


もちろん多少の配慮は必要です。
でも、いわゆる「支援学級でないと無理」というタイプではないお子さんも多いそうです。

  「とりあえず支援学級へ」


先生方から出ていた言葉で、印象に残ったものがあります。

それは、

「最近は、すぐ支援学級を勧められる」

という話でした。

少し落ち着きがない
授業に集中できない
トラブルがある

そうすると、
「支援学級のほうが…」という話になりやすいそうです。

支援のハードルが下がること自体は、決して悪いことではありません。
むしろ、必要な子が支援を受けられるのは良いことです。

ただ…


  支援学級の中で広がる「差」


支援学級では、

・学力に合わせた学習
・通常学級との交流

などが行われています。

本来はとても良い仕組みです。

しかし実際には、

・知的な差
・特性の差
・感覚過敏などの差

がかなり大きくなり、

クラス運営そのものが難しくなるケース
も出てきているそうです。

  先生1人で8人


支援学級の先生の負担は、かなり大きいようでした。

生徒8人に対して、先生1人。

※補助の先生が1人付きますが、、、


しかも8人それぞれ特性が違う。

冷静に考えてみると、

これでうまく回るほうが奇跡では?

とさえ思ってしまいました。

  自治体によっては違う対応


知的に遅れのないADHDのお子さんについては、

「支援学級の対象にしない」

という自治体もあるそうです。


今回の集まりでも、

「この地域でも、そういう整理が必要では?」

という話になっていました。

  支援学級の先生の望みとは?


支援学級は本来、

ケアの必要なお子さんが

その子に合った学び方を支える場所のはず。


でも、今はその要求に応えられない。

キャパオーバー。


支援級の先生方の本音としては、


・通常学級の先生の支援スキル

・コーディネーターの支援体制


この辺りが、もう少し充実してほしいと希望されているようです。



今回の話を聞いて、
とても勉強になったと同時に、

いろいろ考えさせられる時間でした。



発達がゆっくりなお子さんの言語訓練をしている言語聴覚士です。

いわゆる「小児ST」と呼ばれています。


現在、クリニックの外来に常勤勤務して十数年が経ちます。


  叩かないと出ないんだよ


幼児の吃音を見ていると、
まれにですが、随伴症状が出ているお子さんに出会います。

腿を叩く。
顔をぎゅっとしかめる。
体を揺らす。

ある日、その子が言いました。

「これやらないと、出ないんだよ。」

私は少し考えさせられました。

「随伴症状は無意識に出るもの」と理解していたからです。

※完全に私に勘違いでした。


でも、その子にとっては
“出すために必要な行動”になっていたのです。



  随伴症状は悪いこと?


吃音の世界では、随伴症状は

・回避行動
・逃避行動
・強化されやすい習慣

と説明されることが多いです。

確かに、外から見えやすく、
からかいやいじめの対象になりやすい。

そして何より、

「こうしないと出ない」

という成功体験が積み重なると、
どんどん手放しにくくなります。

だから臨床的には
“減らす方向”で考えられることが多いのも事実です。



  でも、本当に必要なのは


私は幼児さんを担当しています。

幼児期はまだ、

・行動が固定化していない

・不安が層になっていない


そんな時期です。

だから私はまず、環境を整えます。

話し終わるまで待つ。

急かさない。


そして、伝えます。

「いつまでも待つよ。」




  やめられるなら、やめてみようか


本音では、随伴症状をすぐにでもやめてほしいのですが、

実際には、随伴症状を無理に止めることはしません。


でも、

「やめられるなら、やめてみようか」


と声をかけることはあります。


その代わり、必ずセットで伝えます。

「出るまで待つよ。」


随伴症状を消すことが目的ではありません。

随伴症状が“必要ない状態”を作ることが目的です。



  吃音は「話せない」ではない


吃音は、話せないのではありません。

スラスラ出にくいだけ。

ハードルが高くなっているだけ。

そのハードルを下げるのは、
「待ってもらえた経験」なのだと思います。

幼児期だからこそできるのかもしれません。

スラスラ話せなくてもいい。

あなたの言葉は、ちゃんと待ってもらえる。

その感覚が育てば、
随伴症状はそっと手放せることが多いと感じています

発達がゆっくりなお子さんの言語訓練をしている言語聴覚士、いわゆる小児STです。
クリニック外来に勤務して十数年になります。

仕事をしていると、園ごとの“色”が見えてきます。

今日は、近所の幼稚園のお話です。



  「普通」の子が送られてきた時期


その園からは、これまで何人もご紹介をいただいてきました。


けれど正直なところ、以前はこう思うことがありました。



「この子、どこが困っているんだろう?」

検査をしても、大きな偏りは出ない。
むしろ、よくできる子。

一般的な園なら、たくさんいるタイプ。
集団の中で特別目立つわけでもない。

でも、その園では“気になる子”になるらしい。

基準が高いのか。
求められるものが多いのか。
こちらが戸惑うことも正直ありました。

私たちの中で、ひそかに「要注意の園」という認識があったのも事実です。



  最近、紹介の質が変わった


ところが最近、様子が違います。

紹介されてくるお子さんが、絶妙なのです。

ぱっと見は困っていない。
でも丁寧に見ると、確かに気になる。
集団の中でじわじわと困り感が出そうなタイプ。

いわゆる“グレーゾーン”。

検査でも、ほんの少しだけ特徴が見える。

そう思えるケースが増えました。



  先生たち、勉強されたのだと思う


その園は私立で、入園テストに行動観察のようなチェックがあるそうです。


なので、ASDの子や極端に落ち着きのない子はそもそも入園しない。


入園後、

以前は「ちょっと心配だから念のため」だった紹介が、


今は「必要だから今つなぐ」という紹介に変わっている。

正直に言えば、驚いています

先生たち、相当勉強されたのだと思います。

子どもを見る目が、明らかに変わったから。



  表面ではなく「質」を見ている


例えば、言葉が遅い子はわかりやすい。


でも、最近紹介されるお子さんは、

 言葉は出ている。

 指示は通る。

 トラブルも少ない。


それでも、

「この子、何かが少し違う。」


そこに気づいている。


先生たちの間で、発達支援に対する理解が高まった結果だと思います。

勉強会にかなり参加して、勉強されたのだとわかります。


もう、「要注意の園」ではありません。

発達がゆっくりなお子さんの言語訓練をしている言語聴覚士です。
いわゆる「小児ST」と呼ばれています。

現在はクリニック外来に常勤勤務して、十数年が経ちました。


  母校での講演会


先日、言語聴覚士を養成する出身校で講演会がありました。

卒業生は無料。
年に1回開催されるのですが、これまでは成人分野のみだったので参加していませんでした。

でも今回は、成人と小児の両方があるとのこと。
「それなら行ってみようかな」とエントリーしました。

当日のプログラムは、
まず成人分野、その後に小児分野。

司会の先生がこんなことをおっしゃっていました。



最初に小児を持ってくると、成人目的の方が帰っちゃうんですよねぇ〜。だから成人を最初にしました。


なるほどなぁ…と思いながら聞いていました。



  ごっそり帰っていった


そして――

成人の講演が終わった瞬間、
本当に“ごっそり”帰っていきました。

ああ、やっぱり。

言語聴覚士といえば
失語症、嚥下、ディサースリアなどの成人分野。

それが王道なんですよね。



  小児STという立ち位置


言語聴覚士の有資格者は4万2千人超。


そのうち小児分野に関わっているのは約4,500人ほどと言われています。

(令和3年ST協会より)

約1割。

数字で見ると、やっぱりニッチな世界です。

医療制度的にも、小児は収益になりにくい。
だから医療機関としても積極的に取り組みにくい現実があります。

でも。

少しだけ、寂しかった。



  それでも私は小児をやる


小児分野は地味です。
成果もすぐには見えません。
時間もかかります。

でも、
子どもが成長していくあの雰囲気。
保護者の方のほっとした顔。

あれを知ってしまったら、やめられません。

ニッチでもいい、
少数派でもいいと。

改めて思った一日でした。

発達がゆっくりなお子さんの言語訓練をしている言語聴覚士です。
いわゆる「小児ST」と呼ばれています。
クリニック外来に常勤勤務して、十数年が経ちました。

以前、児童精神科のうちやまときお先生がXで、こんな内容の投稿をされていました。




  愛の言葉が「呪い」になるとき


子育ての場面で、よく聞く言葉があります。

・愛情かけてあげてください
・いつも笑顔で接してあげてください

・伸ばしてあげて!(協調性、社会性、遊び、学力…)

・抱きしめてあげてください
・手をかけてあげてください

どれも、一見やさしそうな言葉。
でも発達に心配のあるお子さんの親にとっては、

これが励ましではなく、責める言葉に聞こえることがあります。




  「もう十分やっている」のに


外来で出会う親御さんたちは、本当に頑張っています。

眠れない日も
周囲の視線に耐える日も
「私のせいかもしれない」と自分を責める日も

それでも毎日、子どものために動いています。

だから「もっと〇〇して!」と言われると

愛が足りない人だと宣告されたように感じてしまうのです。




  「逃げたい」「もう要らない」と口にするほど


言語室で、こんな言葉を聞いたことがあります。

「この状況から逃げられるなら逃げたい」
「この子、もう要らない…」

でもこれは、愛情がない言葉ではなく、

限界まで追い詰められた心の悲鳴です。


特にASDのお子さんを育てるお母さんたちに多い。
そして実は、私自身もその一人です。

私の子どもが3~4歳頃、ふと思ったことがあります


「犬や猫の方が賢いんじゃないか?」

犬は「お手」と言えばお手をする。

「おいで!」といえばこっちに来る。


でも私の子は「おいで!」と言っても無反応。犬猫の方が賢くて可愛いのでは?と。


そんな比較に意味がないことは分かっているけれど。。。


でも、心が限界のとき、人はそんなことまで考えてしまうのです。



  優しい言葉が、つらいこともある


世間の目は冷たい。
でも、優しそうな言葉をかけられても、悲しくなることがあります。

頑張っているのに
もう限界なのに
「これ以上どうしろと言うのだろう」と感じてしまう。



  本当に必要なのは「もっと」ではない


必要なのは

・具体的な支援
・具体的な関わり方
・親の休息
・「あなたは悪くない」というメッセージ

「頑張って」より
「一緒に考えましょう」

この違いは、とても大きいのです。



  支援者として、親として思うこと


私たち支援職も、
無意識に“正しそうな言葉”を言ってしまうことがあります。

でもそれが、
親御さんを追い詰める刃になることもある。

そっと見守ること
ただ話を聞くこと
そして専門職なら、具体的な道筋を示すこと。

それが、本当の支援なのだと思っています。

発達がゆっくりなお子さんの言語訓練をしている言語聴覚士です。


いわゆる「小児ST」と呼ばれています。
クリニック外来に常勤勤務して、はや十数年が経ちました。



  「お土産って何か説明してみて」


今から10年以上前の話です。

小学校の普通級に通う、ASDの女の子Aちゃんがいました。

「お土産(おみやげ)ってなにか説明してみて!」


私がそう聞くと、Aちゃんはこう答えました。

「朝、〇〇さんが学校に来て、おまんじゅうを先生の机の上に置いて、先生が『これは〇〇さんのお土産です』って箱から出して、どうぞって渡す。」

とても具体的で、情景も浮かびます。
実際にあった出来事なのでしょう。

そこで私は続けました。

「そうだね、お土産ってそうやって配るよね。じゃあ、“お土産ってどういうもの?”」

するとAちゃんは――

「朝、〇〇さんが学校に来て、おまんじゅうを先生の机の上に置いて、先生が『これは〇〇さんからの……」

さっきと同じ説明を、もう一度繰り返しました。
※このやり取りが数回続きました。


  エピソードは言える。でも“意味”が言えない


私は質問を変えました。

「じゃあ、〇〇さんは、このお土産をどこで買って来たの?」


Aちゃんは答えました。


「お店」

……そうなんですけど、聞きたいのはそこじゃない。

お土産って、

「どこかへ行ってきました」
「そこでこれを買ってきました」
「皆さんもどうぞ」

という“行動の意味”を含んだ文化的なやりとり。

でもAちゃんの中には、
“体験した1つの場面”はあるけれど、そこから共通点を取り出した“概念”がない。



  ASDの子がつまずきやすい「一般化」「概念化」


ASDのお子さんは、

✔ 経験した出来事は細かく覚えている
✔ 具体的な場面の説明はできる
✔ でも、そこから共通点を抜き出して「意味」としてまとめるのが難しい

ということがよくあります。

「お土産とは何か?」
は答えられなくても、
「〇〇さんがおまんじゅうを配った話」は完璧に語れる。



  この体験が教えてくれたこと


Aちゃんは、間違っていません。
むしろ、とても正確でした。

ただ、求められていたのは
「出来事の再現」ではなく
「意味の抽出」だったのです。

小児の言語訓練では、

🟡 ことばを覚える

だけでなく、

🔵 「つまりどういうことか」

を一緒に考える支援がとても大切だと、この時教えてもらいました。