C線上のアリア(5) 作:湊かなえ | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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朝日 新聞小説「C線上のアリア」(5)作:湊かなえ
レビュー一覧        
第五章 チェンジ 119(8/1)~148(8/31)
      他ブログでのレビュー紹介「羊と猫と私
感想
前章では邦彦所有の丸太小屋(キャビン)での不倫未遂から逃れた(?)美佐。菜穂が怒鳴り込む訳でもなく、やや肩すかし。
そして帰る早々、例の「命の水」の水道水報道。
この方面の話が続くと思いきや(挿絵にも描いてあるし)その件は打ち捨てられ中盤以降は、見つけた弥生さんの日記の記述が延々と続く。「菊枝さんが危険な人」だとの言葉に引っ張られて読み進むものの、一向にその話が出て来ない。
せっせと伏線作りをしているのか?ちょっと冗長・・・
読むうちに、美佐が3回妊娠したものの、流産で子作りを諦めた事が判明。そして若き菊枝さんと弥生さんは、姑に対する不満話から、次第に距離を縮めて行く。
そして菊枝さんが提案したのは、互いの家庭での家事代行。
ここで何か起きるのは確実なんだろうな・・・
次章は「クライム」 犯罪か?登山か?(前者だろうな)

あらすじ
第五章 チェンジ
119 8/1
車内では一睡も出来ず、日の出と共に起き上がって自販機のスポーツ飲料を1本飲み干し、みどり屋敷に戻った。
毛布は畳んでポリ袋に入れ、邦彦の車のフロントに置いて来た。
シュラフに毛布でも、眠気を誘う温かさは生じなかった。
眠れぬ車内で淡い疑念が思い浮かんだ。邦彦が小屋で過ごす幻影は私じゃないのでは?根拠はないが、ふと感じた。
ではあの本に挟んであった写真のメッセージは?オムちらしの用意をしてくれた事は?小屋の中へと誘われた事は?
打ち消してみたが、一度生じた疑念は頭から消えなかった。それどころか夜が更けるにつれ、思考は疑念を裏付ける方向へ進む。

120 8/2
そもそも私たちは好き合ったまま仕方なく別れたのか?
邦彦は親に強制された訳ではなく、私も戻る場所はあった。
どちらも自分の意思で進路を決めた。その後互いが振り返らなかったのは、既に気持ちが交わっていなかったから。
邦彦が私を森に誘ったのも、私が応じたのも単に現状への不満からであり、いっとき楽しかった過去に戻りたかっただけ。
今、邦彦が小屋で思い描くのは、ここで震える私ではなく小屋を選んだ幻の私。彼はいつも、一人称視点の自分の中に居る。
やはり、誰もいないのだ。森の小屋には彼一人。幻影すらない。
男に母親の下の世話は出来ないと言う邦彦。

では、妻の下の世話は出来るのだろうか。

121 8/3
みどり屋敷に着き、シャワーを浴びてベッドに潜り込み熟睡。
目覚めたのは11時過ぎ。4時間ほどの睡眠だがすっきりした。
キッチンに下り、冷蔵庫から「命の水」を出してグラスと共にリビングに持って行く。テレビを点けると「命の水」の映像。
その水がただの水道水だという報道。聖なる場所の湧き水どころか、井戸水ですらなく、体内浄化を謳えるものではない。
顧客はほぼ高齢者で、詐欺事件の第一報の扱いか。
解約した時の事を思い出した。断った後の連絡はなし。
解錠士の松田君の祖父も、飲んでいると言っていた。
画面は製造会社の一室らしい。壁に「命」と大きく書いた書が金色の額縁に収まっていた。胡散臭さが増して来た。

122 8/4
その会見場で、マスコミ記者の前に関係者が二名登場した。
深緑色のスーツの男性と、若草色の着物の女性。白髪が美しい。
両方とも70歳前後か。二人が着席し、男性が話そうとすると
「2ℓで1万円もする水が、ただの水道水なんですか!」と記者。
水道水だが、満月の夜に妻が24時間飲まず食わずで祈祷し「命の素」を封じ込めた水だと言った男性。今回調べられた成分には特別なものはなかった、と言う女性記者。
科学の力で分析出来る成分は入っていないが、それもお客様に説明の上て購入頂いていると言う男性は「田中一郎」のテロップ。
女性の名は「田中さくら」イキった別名がないのは好ましい。

123 8/5
ざわつく会場で、二人とも品良く微笑んでいる。
高齢者を集めた集会で他にも健康器具を売りつけている、とか補償はどう考えるか等の怒声が記者席から上がる。
当の二人はまるで、金婚式祝いの席でもある様な雰囲気。
自分たちが扱っているのは「命の水」だけだと言う男性。

 

先の大戦を生き延びた感謝で、水を通じて「命の素」をお裾分けしていたが妻も95歳、本日限りでやめると言った。
男性がマイクを置くと二人立ち上がり、深々と頭を下げた。
画面はCMへと切り替わる。折しもミネラルウォーターの宣伝。
グラスに水を注いで飲む。水道水と知れば、そんな味がする。
みどり屋敷にはまだ「命の水」が大量に残っている。

124 8/6
カップラーメンで昼食を済ませ「やすらぎの里」を訪れた。
弥生さんに会いたくなった。命の水」の代表夫婦の事も覚えていたら訊きたい。日曜でもあり、いつもより多い面会者。
談話室を覗くと弥生さんの好きなアップルパイが。
金庫のことを訊いた際は大変なことになり、談話室はそれきり。
「命の水」のことなら世間話として穏やかに話せるかも。
高齢者本人は気持ちよく飲んでいるのに、家族が解約目的で成分分析してマスコミにリークしたのだろう。
弥生さんは、来てほしかったのよと言って中に招き入れた。
話さなきゃいけないことがあると言う。談話室に行く?と誘うと
「他人に聞かれていいような話じゃないのよ」

125 8/7
弥生さんがまっすぐ私を見つめる。前回の時は、楽しそうにリース作りの話ばかりしていたのに。「とりあえず、奥に行こうか」
弥生さんの背に手を添え、部屋の中央のソファに座らせた。
「お茶を淹れるね」冷蔵庫から「命の水」を出し電気ポットに注ぐ。水は6本入れていたが3本に減っていた。
ティーバッグで淹れた紅茶を持って、弥生さんの所まで行く。
「いい香り」表情が和らぐ。話はお茶のあとでいいだろう。
私の方は、飲むうちにうとうとして来た。「美佐ちゃん」
弥生さんの声がくぐもって聞こえる。返事したかも分からない。
「私、思い出したの」と弥生さん。「山本菊枝さんの事」
うん?と脳が反応する。「彼女は、とても危険な人」

126 8/8
菊枝さんの気性は荒らそうだが「危険」とは違う気がする。
「何かあったの?」目を瞑って考えた後、家のものをいろいろと盗まれたと言った。例えばこの紅茶。この、とは何の事?

ウェッジウッドのマグカップと、フォートナム&メイソンのティーバッグで淹れたダージリンティー。

「菊枝さんはみどり屋敷に来た事あるの?」
弥生さんは再び目を閉じる。旧い記憶の再生?
「デイジーさんと私は、メアリー先生の教室で知り合ったの」
待て、待て。「デイジーさんは菊枝さん?」「そうよ」
メアリー先生が教室の初日に、8人の生徒皆に英語名をつけた。だから山本菊枝の名が思い出せなかったという。
「じゃあ弥生さんはマーチ?」弥生さんが噴き出した。
ローズという名をつけてもらって嬉しかった、と言う弥生さん。

127 8/9
みどり屋敷の数種類のバラには、そんな意味があったのか。
弥生さんの表情は、柔らかく落ち着いたものになった。
メアリー先生の教室について語り始める弥生さん。今の音楽ホールが町民会館と呼ばれていた頃、週に一度二時間ほど開かれた。
二十代の既婚女性を対象にした、ボランティア活動の一環。
「菊枝さんが危険人物」の話からは逸れるが、怖くて遮れない。
会社のお客様の奥さんが始めるという事で、公雄さんに勧められたが、行く前は憂鬱だったという。だが参加したら楽しかった。
テーブルマナーの回では、コロッケでナイフとフォークの練習をしたらしい(一番盛り上がった)
買ったのは邦彦の、あの店かも。

128 8/10
練習だけではなく、コース料理を先生宅でよばれた事もあった。
おしゃれする様言われ、スカーフを巻いて出掛けた。
材料は近所の店のものでも専属シェフが素晴らしく、皆が作り方を訊いた。私が好きなたまごコロッケもそうして教わった。
指導は多岐に亘り、手芸やパッチワークも教えてもらった。
中でも好きだったのが音楽鑑賞。ビートルズや洋楽のレコードを聴きながら先生が黒板に歌詞を書き、空白を設けてクイズを出した。唯一四大卒の、デイジーさんの独壇場。
そのうちに高卒の私でも聞き取れる様になり、先生から発音も褒められる様になったと言う弥生さん。それを聞いた公雄さんが、外国の詩集をプレゼントしてくれたという。

129 8/11
弥生さんが訳し、公雄さんがチェックするという共同作業があったから、いろんな事に耐えられたと言う弥生さん。
当時みどり屋敷は他に誰が住んでいたのだろう。不幸な事故で身内を続けて亡くしたとしか聞かされていない。
その翻訳詩集は、正規の翻訳版より何倍も素敵だったという。
言い終えると弥生さんは辺りを見回す。ティッシュ箱を渡したが、それでは足らずタオルを渡した。顔に押し当てる弥生さん。
紅茶が冷めたので淹れ直そうかと言うと「お水を入れてくれない?」と言う。冷蔵庫の命の水をコップに注ぎ渡す。テレビの事は今言うべきではない。ごくごくと飲み干した弥生さん。
この水を飲むと頭がすっきりする、と言う弥生さん。

130 8/12
ペットボトルの水を注ぎ足した私。英和辞典の紙の手触りまで思い出したと言う弥生さんは、指先をこすり合わせる。
命の水が水道水とは言えない。それとも弥生さんは知っている?
お願いがあると言われた。訳した詩を、赤い革表紙の日記帳に書き写していた。それが和室の本棚にあるから持って来て欲しい。
私が引き受けると、話し過ぎて眠くなったと言う弥生さんは水を飲み干した。もう話は聞けそうにない。
もう一つ頼みたいと言って紙袋を持って来た弥生さん。
以前私が弥生さんの服を持って来たもの。なぜこんな色の服を買ったか分からない、持って帰ってと言う。代わりに着てとも。
菊枝さんの所の、スカーフ結び方教室にでも着て行こうか。

131 8/13
和室の床に高く積まれた荷物を割るように、本棚に辿り着いた。
箱に入った全集ばかり。赤い革表紙の本はない。
ということは箱の中か。本棚の手前にステレオ用スピーカーの箱。その上の、宅配会社の段ボール箱のガムテープを剥がすと編みかけのセーターと、同色の毛糸玉が。鮮やかな緑色。
しっかり封がされているから、強い意思で中止したか。編む途中で、着せたい人が亡くなったのか。それは多分公雄さん。
今は日記帳を探すのが先だ。次のスピーカーの箱のガムテープを剥がした。と、鮮やかな赤色が目に飛び込む。ランドセルの様な「これぞ赤」といった色。
表紙に「Diary」という筆記体の金文字。
広げてみる。詩、ではない・・・

132 8/14
5月17日

今日から日記をつけることにした・・・
さつき姉さんへの誕生日プレゼントのスカーフを公雄さんと買いに行き、その折りにこの日記帳を買ってもらった。
私の自叙伝、今日から私の物語が始まる・・・
   **
弥生さんのプライベートな日記だ。
一日分を読んでしまった。詩が書かれた別の日記帳も探さず、次をめくってしまった。山本菊枝さん、の字に頭から文字を追う。メアリーさんの教室初日に、8人の生徒が英語名をつけてもらったとの記述。弥生さんの話と一致している。

これを読めば菊枝さんの「危険な人」の理由も分かるかも。
自叙伝、との記述もあると勝手に理屈をつけた。
長い夜に備え、コーヒーを淹れる。

133 8/15
内容は教室のことと、それを公雄さんに披露した事が大半。
山本菊枝さんについては、あくまでも8人の中の一人。
日記の内容はほぼ、弥生さんの成長記録。語学、読書、料理、裁縫、みな弥生さんは苦手で、それが教室で好きになって行く。
罪悪感が湧かないのは「聞いて、聞いて」という弥生さんの気配からかも知れない。むしろ弥生さんは話す相手が居なかった。
いや、それは弥生さんに限らない。学生時代は友人同士で自由に恋愛話ができた。だが徐々に、自らの幸せエピソードに蓋をする様になったのは、背負うべき荷物が増えたから。
自分が持てていると思っていた荷物は、実は社会や家族がかなり引き受けてくれていたのだ。

134 8/16
それでも経験を積めば徐々に慣れ、結婚して家庭を持つ。
子供が欲しかった。なかなか出来ず、授かったと思ったら流産。
三回流産して諦めた。子供という宝物を持つ人が羨ましかった。
その箱が見せる景色。だがそんな宝物でも、一人で背負うには重すぎる。なぜ周囲は助けてくれないのか。
ましてや介護など、宝物と思えない物をなぜ一人に背負わせる?
私の旦那は、家族は、と自慢し合えたらどんなにいいか。
離れている今なら、義母のいいところに目を向けられる?
思い直してページをめくる。

詩が書いてある筈の日記帳に日記が書かれていた謎が解けた。
   **
9月2日

公雄さんからのプレゼント。記念日以外では初めて。

135 8/17
なんと、メアリー先生の教室に三ケ月通ったご褒美にと、赤いシルクのスカーフをくれたのだ。
それは、先生宅で食事会があると聞いての気遣い。
だが地味な私が身に着けたら、森野家に恥をかかせる。
それを笑い飛ばした公雄さんは、他にもプレゼントを用意していた。それは二冊の赤い革表紙の日記帳。気に入って買い占めようとしたが、この二冊だけで追加生産もないとのこと。
二人の記念になるものに使おうという事で、二人で訳した詩を書いていこう、と言った公雄さん。
私の英語の勉強用にとくれた詩集の一篇を訳し、それを公雄さんが添削して、二人で美しい文章に書き直す。

136 8/18
完成したら私たちの最高の宝物になる。
子供が生まれたら毎晩一篇ずつ読み聞かせよう、と公雄さん。
ちくりとバラの棘が刺す様な痛み。結婚して二年。望む日はまだ訪れない。詩集をその希望にしよう。日記はそれからでいい。
    **
その宣言通り、日記はかなり簡素になった。
それでも食事会のことは少し長めに書かれていた。
先生にスカーフを褒められた事を報告すると公雄さんに「やはり君は僕の赤いバラだ」と喜ばれた。
読みながらむず痒い気持ち。弥生さんが羨ましい。だがこんな素敵な思い出を、弥生さんは一度も話してくれなかった
そう思いながら後半ページを繰ると、再びびっしりと書き込み。
その最初からデイジーさんの登場だ。

137 8/20
10月6日

デイジーさんと友達になった。8人のグループでも仲良し組に分かれるようで、三人で寄り道する組も出来ている。
混ぜて欲しいと思いつつも言えない。せっかく許された外出なのに、一人で飲食店にも入れない。そんな時、デイジーさんに声を掛けられ喫茶店「モンロッシュ」に行った。
デイジーさんは、他の人には英語名で呼ぶのに私には「弥生さん」と本名で呼んでいたので、好かれていないと思っていた。
もしかすると勉強不足で説教されるかも、と思っていたら正反対だった。メアリー先生という本場の先生から英語を教えてもらっているのに、皆料理や手芸ばかりに張り切って、と不満を言う。

138 8/21
デイジーさんの不満は分かるが、不十分な私には料理や手芸も有難い。ただ、おいしいコーヒーを飲んで頷く。
英語が上達している弥生さんは偉いと言ってくれた。
今日出たtake careの使い方を褒めてくれた。
どんな勉強を始めたの?、と訊かれた。
英語の詩を訳して、夫に添削してもらっていると答えた。
それ以上は踏み込まず、前向きな姿勢が気に入ったから、友達になりましょうと言われた。相手は5歳上。どう呼び合うかで多少やりとりし、結局デイジーさん、弥生さんに決まった。
公雄さんにも報告したいが、一昨日からメアリー先生のご主人と二ケ月間のイギリス出張。そうだ、英語を上達させて、帰った公雄さんをびっくりさせてやろう!

139 8/22
10月13日

今日は、町内会館の調理室でスイートポテト作り。
二つ持ち帰れたのに公雄さんはいない。寒くはないだろうか。
編み物も得意なメアリー先生。公雄さんへのセーターを、教えてもらいながら編んでみようか。
デイジーさんに知られたら笑われそうだが、彼女が何でも出来るから不満なのだと、同じ班になってよく分かった。それでもお菓子作りは楽しいらしい。家では作らせてもらえないから。
教室の帰りに、いつもの喫茶店でデイジーさんとミルクセーキを注文して飲んだ。これが自宅で作れると言うデイジーさん。だが家で贅沢なものを作ると、姑の小言と昔話が始まると言った。
デイジーさんが家で気を遣うのは、食べ物だけではなかった。

140 8/23
おしゃれをしたいのに、着物をほどいてもんぺにした話をされると言う。その流れで食事会の時に巻いて行ったスカーフの話に。
あの時はおしゃれするよう先生に言われて、と答えると私なら毎日だって巻きたいと言ったデイジーさん。
デイジーさんのご主人はプレゼントをくれないのか訊きたかったが、夫自慢と取られたくなくて、姑のことを話した。
お義母さんは空襲の際に足を痛めており、補助するために身軽な服装にしていると言った。だが本当は嫌味も言われていた。
それ以上話が続かないよう、そんな事情があるから教室のある水曜が楽しみで、英語の勉強もデイジーさんに追い付けるようがんばります、とまとめた。

141 8/24
店で流れる映画音楽を「ひまわり」と教えてくれたデイジーさん。彼女の一番好きな映画は「風と共に去りぬ」だという。
実は本がうちにあるが、デイジーさんに言えずじまい。
あの立派な本を公雄さんや姑は読んでいる?ガンバレ、弥生!
    **
10月20日

今日は音楽鑑賞の日。

カーペンターズの曲での質問には、デイジーさんより多く答えた。だが興味が持てないと言うデイジーさん。
女性よりも男性の歌の方が好きだと言い「モンロッシュ」でコーヒーを待つ間、プレスリーの一節を披露してくれた。
なのにその後の話は重かった。きっかけは、キャサリンさんが妊娠し、今日で教室をやめたこと。

自動車での往復をご主人に止められたという。
   
142 8/25
幸せに満ちたキャサリンさんの表情。「羨ましい」が顔に出た。
同様だったデイジーさん。訊かれて結婚二年目と答える。私は三年、とデイジーさん。勝気な売れ残り女を迎え入れたのは、立派な跡取りを産んでもらうためと、昨日も姑に言われたという。
メアリー先生は、日本での女性の地位が低いと言うけど、少なくとも山本家では姑が一番。なんせ跡取りを産んだ。
それで今の生きがいは嫁いびり。例え男児を授かっても、そんな人生はまっぴらだと言ったデイジーさん。
デイジーさんは、もやもやと感じていた事を明確にしてくれた。

143 8/26
不満を詰めた、私の箱の蓋が開いた。
今年に入り、お義母さんからコーヒーと紅茶を禁止された。

だからここでコーヒーを飲めるのが幸せと言うと、デイジーさんは祟りかもと、あぶらげを持ってお稲荷さんに連れて行かれた事もあったと話した。滑稽さに、互いにプッと噴き出した。
涙を拭こうとして、キャサリンさんから貰ったハンカチを出したデイジーさんだが、新品なので吸ってくれない。
映画のセリフになりそうだと考える彼女は、元気を取り戻した。
   **
日記を開いたままため息をついた。胸が苦しい。
弥生さんも菊枝さんも、檻の中の様な日々を過ごしている。
今の自分に重ねて読んでしまったが、二人がまだ20代という事は、私は姑の年齢と同等ということ?

144 8/27
女性の寿命はどんどん延びて行く。20代で結婚し、抑圧された日々の末に介護に突入。いったい何のための人生か。
仮に跡取りを産んでもそれは当然とされ、育児に疲れても家業を休めない。祖母が話していた、昔の苦労。
母親の苦労を認識していても、それを思い出さなかったのは、聞かなかったことにしたいと記憶に蓋をして鍵をかけたから。
──美佐が男の子だったらよかったのに。
ああ、出てきてしまった。褒められたあとに必ず付いた言葉。
男なんかに負けない、と生きて来た。努力を性別と無関係に評価されて来たら、どんな生き方だっただろう。
苦労すると分かっていて何故結婚したのか。

困難の克服こそ人生だと思っていた。喜びはその先にあると。

145 8/28
邦彦と、人生が重ならなかった理由が分かった。菊枝さんが産んだ跡取り息子。それより・・男児を産んだ菜穂さん。

いや、仮に子を産まなかったとしても、何故菜穂さんに優しく出来なかったのか。悪循環を断ち切れていない。
そして弥生さんは・・・落ち着くため冷蔵庫の命の水を飲んだ。
菊枝さんと悩みを共有した弥生さんに、不満の吐露が増える。
   **
10月24日

公雄さんの従姉 茂子さん夫妻から、二人目の出産内祝の砂糖が届いた。茂子さんは結婚の翌年出産し、更に先月出産。

「秀樹」という名が装飾されている。
「かわいいですね」と言った精一杯の言葉に姑は、同じ年に結婚したのに、と二人目は男児を産んだ茂子さんを褒めながらも、喜んでいる風ではない。

146 8/29
溶けてなくなるものに名なんかいれて、と物置に仕舞うよう言われる。贈るのはは好きなくせに、貰い物に手をつけない姑。
   **
弥生さんの日記なのに、自分が書いたように息を吐いた。
出産の内祝いを笑って受け取れていたのは、いつまでだったか。
だが私も、結婚の内祝いを未婚の友人にも贈っていた。
ページをめくると、また菊枝さんが登場した。
   **
10月27日

今日は教室で英語の手紙を書いた。
私は公雄さんに書くことにしたが、皆は実家の母親、姉妹、友人宛てだった。離れた人に宛てて書くもの、だと言われ納得。
教室では普通の事を書いたが、日本語で報告しなければならないことが出来た。

147 8/30
教室のあとデイジーさんから「モンロッシュ」にはしばらく行けないと言われた。二人でいた所を近所の人に見られており、義母から怒られたとのこと。私はドライブを提案した。
私は車だが、デイジーさんは徒歩で通っていた。まだ土地勘のない私がいい場所を、と訊くと、すすきケ原高原を提案された。
そこは素敵なところで、互いにあのスイートポテトをここで食べたら、と想像した。デイジーさんは続ける。
せっかく外で楽しくても、家に帰れば苦しさに変わる。話したことも、話を合わせてくれただけかと疑ってしまう・・・
彼女は義母から、家事を放っての贅沢教室なんてやめてしまえと言われたそうだ。

148 8/31
元々デイジーさんは教室のことを回覧板で知り、ご主人に許しを得たのに義母に反対され、負い目を持って通っている。
私は公雄さんの勧めで始めたので、姑からは多少の嫌味を言われ
る程度。そんな私にとんでもない提案をしたデイジーさん。
互いの家の家事を時々交換してやってみるということ。
勢いに負けて了承してしまった。具体的には月と金の10時から16時まで。昼食は作るが夕飯の支度はしなくていい。
家族への説明は、教室の課題だと言えばいい、とデイジーさん。
このことに、公雄さんは何と返信をくれるだろう。
   **
家事交換。家事代行を装い菊枝さんに挨拶した時を思い出した。
──あんたたち、おかしな事を企んでるなら、やめときな。
菜穂さんと私が、かつての自分たちと重なった?
やめときな、と後悔するほどの出来事が、この先弥生さんと菊枝さんとの間で起きる。