C線上のアリア(1) 作:湊かなえ | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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朝日 新聞小説「C線上のアリア」(1)作:湊かなえ
第一章 カントリー 1(4/1)~29(4/30)
      他ブログでのレビュー紹介「羊と猫と私」
感想
前回までの「人よ、花よ、」は3月末で終わり、新しい小説が始まった。作者のコメントは以下


物語は、五十路を越えた主人公 美佐が、高校の3年間養ってくれた叔母 弥生を訪ねるところから始まる。事故で両親を失った美佐を引き取ってくれた弥生は、美佐が卒業した後は一人暮らし。
今は認知症を疑われ、ごみ屋敷に暮らしていた・・・

まず、挿絵がないのに驚いた。弊ブログ左上「INDEX」の「読書・国内」にもある様に、新聞小説レビューは15年近く前からやってるが、挿絵なしなどという作品は記憶がない。
以前いろいろケチを付けた事もあるが、新聞小説は文と絵が一体となって形作られるもの。
旧くは司馬遼太郎「坂の上の雲」 挿絵作家:下高原健二とのコラボは特に絶品。リアルタイムで体験出来なかったのが残念。
松山市にある「坂の上の雲ミュージアム」には全1296回の新聞掲載版が展示してあるという。

一例

だから新聞社としては多分挿絵を望んだ筈(決してコストダウンではなく)よぼど「絵は要らない」という自負があるのか、挿絵作家がボイコットしたか(笑)真相は分からないが・・・
ただ、全く絵がないことで全て自分の想像力に委ねられているという体験は、普通の本を読む感覚と同じであり、慣れればそれほど違和感はないか。何事も先入観を持ってはいかん、のだ。

読み進むのにストレスはない。さすがベテラン作家。
訪れた弥生さんの「みどり屋敷」での、ごみとの格闘の合い間に、美佐自身の嫁ぎ先での事情が差し込まれる。会いに行こうにも「実の親でもないのに、何で正月会いに・・・」などと言われたら行きようがない。姑の、食べ物に関する小言も。

しかし電話ぐらいは出来ただろうに。

こんな美佐にちょっと違和感はあるナ・・・
事情はともあれ、その束縛から抜け出て弥生の元にやって来た美佐。本章ではごみ屋敷そうじと、弥生さんを民間の特養ホームに入れるまでが描かれる。

しかしこの美佐、自分の子供に関する表記がないが、居ないのだろうか。いないからこそ義母が美佐に辛くあたるのか・・・

作者のコメントにある様に、介護が「サスペンス・ミステリー」になるとしたら興味津々だが、さてどうなるのか?
考察
題名となっている「C線上のアリア」はもちろんバッハの「G線上のアリア」のモジりだろう。
この曲は、バイオリン弦の最低音であるG線だけで演奏が出来る事から付けられた副題で、正式には『管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068』の第2曲「エール (Air)」を編曲したもの。
エヴァンゲリオン」の作中曲で良く使われていた。

そこで弦の話
バイオリン:1弦 E線、2弦 A線、3弦 D線、4弦 G線
これがビオラ、チェロでは
1弦 A線、2弦 D線、3弦 G線、4弦 C線となる。

ビオラ、チェロで弾くとG線がC線になって弾くことになる。
一段低い音でのアリア・・・
で、どうなの?と言われると辛いが、答えはおいおい分かるだろう(と逃げる)
オマケ
1.読んでいて弥生さんが乗っていたというセリカに注目(14話)

我らの頃のセリカと言えば「セリカリフトバック」

これが1970年代。

弥生さんのはこんなやつかな?(1990年代:紫だし)

2.湊かなえって、北斗晶に似ている・・・
 

次章は「コード

あらすじ
第一章 カントリー
1
生きるという言葉を自分の未来に重ね、石を磨いて積むような日々を送っていたのはいつから、いつ頃までだっただろう。
寝ながら乗り物に乗る事がご褒美なのか?別の人の世話をするための長い移動時間が?いや、そう捉えよう。
恩のある人の所に向かっているのだから。あの頃、あの町に。
高校の三年間だけを過ごした家、その町を故郷と呼べるのか。
中三の夏に両親を交通事故で亡くした私は、高校進学を前に母の二つ下の妹である叔母 弥生さんと暮らす事になった。
弥生さんは私が生まれた頃くらいに旦那さんを亡くし、以来旦那さんの生家で一人暮らしていた。みどり屋敷、と呼ばれる家で。

2
両親の通夜での親族会議で、厄介者としての私の保護者に立候補してくれたのは、私が弥生さんそっくりだったから、らしい。
そこまで似ているとは思わなかったが、親族の評も同じ。
弥生さんは穏やかに見えたが、母の印象は「さつき」の名にも関わらず冷たかった。それを確認する様に棺桶を覗いて驚いた。
弥生さんかと思うほどの安らかな顔。祖父母の世話からやっと解放され、ご褒美の旅行だった筈なのに。本来はこんな顔だった。
私が忘れていただけ。クッキーを焼いたり、刺繍を教えてもらったり。大好きだった、あの頃の母さん。

3
母の棺桶にすがり泣く私を撫でてくれた弥生さん。大丈夫よ、という声が、記憶の果てから戻って来た母の声と同じだった。
旅先の北海道で、父の隣に座って歌っていたのかも知れない。
父はたくさんのレコードを買い集めていた。今までは断られていたが、旅行の直前にカセットへのダビングを頼まれた。
音楽に合わせて母が歌う日を待っていた、と気付いた時には遅かった。弥生さんに話し、出棺の時に二人が好きだった音楽を流してもらった。親族の中には怒る人もいた。
頭の中にビートルズが流れ出すのは、何年ぶりだろう。

4
こんな田舎に住む事になってごめんなさいね、と言った弥生さん。心安らかに暮らせる家だったら、都会も田舎も関係ない。
そんな大切なことを、何故数年で忘れてしまっていたのか。
弥生さんからの注意は「おばさん」でなく「弥生さん」と呼ぶことぐらいだった。規律ある生活は、焼き立てのパンのおかげ。
バターとはちみつを塗り頬張る。そして紅茶。
通学はバス。映画館には電車が必要だったが、不便は感じず。
結婚して以来、約20年振りの訪問。あの町、家、そして弥生さんは・・・私を迎え入れてくれるだろうか。

5
脳内再生のビートルズは、訪問理由を思い出した途端、消えた。
駅前は賑やかになっていた。帰郷を感じさせないコンビニ風景。
焼きたてパンを売る店があった。手土産にはちみつセットを持って来たので、その店に入った。素朴なものばかり。
──私も隆司ちゃんも、味覚には人一倍敏感なのよ。
不快な台詞から映像を思い出す前に、いくつかのパンを選んだ。
バターはバスを降りた所のササキ商店で買うことにした。
バスの中でも、パンの香りに心が和んだ。訪問理由は楽しいものではないが、想像より酷くはない筈。

6
バスを降り、思わず停留所の名を確認した。まずササキ商店が見当たらず、更地になった場所に温泉施設や牧場の看板があった。
見覚えのある民家はぽつぽつとあるが、人の気配は感じない。
町が寂れたことは一目瞭然。一つ目の角を曲がると、電気店がなくなっていた。カセットテープをよく買いに行っていた。
好みがビートルズだと言った私に、ボン・ジョヴィのポスターをくれた店のおばさん。寂しくはなったが、建物自体はあった。
ガラス張りだった店舗は、タイル壁でリフォームされていた。

7
かつて、弥生さんが出前を取った寿司屋もなくなっていた。
──あったかいちらし寿司ってうまいよな。
突然蘇った声にぎゅっと目を閉じ、再びしっかりと前を見る。
そこには新しい二階建ての家があった。玄関先の三輪車。当時寿司屋にいた小学生の息子は、結婚して同居しているのだろうか。
──不衛生な服装での外出や、家の異臭などの連絡もあり、様子を見に来て欲しい、と役場から電話を受けたのが三ケ月前。
子のいない弥生さんにとって、一番近い親族は私。近いうちに行きますと言ったものの、催促電話の頻度は高まった。
認知症の症状も見られると言われ、日付まで問われて、翌週である今日を告げた。

 
その気になれば来られる・・・と言われた気がした。
歩くとけっこう時間がかかる。高校の時はバス停まで自転車。
実は、弥生さんが私をあの家から連れ出すための芝居だったのかも、との思いもあった。しかし、かつて夕食がなにか予想できた辺りまで来てもバターの香りはせず。
所詮、空想。だが無臭ではなかった。・・・生ごみ臭だ。
私は知っている。人が生きるためには、汚いものや臭いものと切り離せないことを。誰かが担わなくてはならない。
抗う前に目の前のものを片付け、それを終えると気力も失せる。

9
みどり屋敷と呼ばれていた懐かしい家。ハンカチで口と鼻を押さえながらアーチ門をくぐった。ようやくたどり着いた玄関ドアにはバリケードが出来ていた。素材は新聞か。毎日積み重ねられ、風雨によって固められた。一番近い所に今日の新聞があった。
玄関から入るのは諦めて庭に回った。そこにもポリ袋の山。
と、そこに弥生さんが立っていた。もっとみすぼらしい姿を想像していたが、髪をおだんごにまとめ、化粧もしている。
駆け寄りたがったが、障害物がまだまだ続く。
感傷ではなく、刺す様な臭気に涙が込み上げる。
異臭を放つレジ袋の山を漁る弥生さんが、こちらを見た。

10
「あら、美佐ちゃん、おかえりなさい」と笑顔で言う弥生さん。
あっけにとられる。役場の人の言う認知症の疑いどころか、20年会っていない私を覚えていた。胸が熱くなる。
「テストどうだった?」耳を疑った。「何のこと?」
「期末テストよ。今日は数学と英語だったでしょう?・・・」
それは高2の時の一学期 期末テスト二日目の会話。
「数学は赤点、英語は満点に近い・・」当時の返事をしてみた。
「充分じゃない。美佐ちゃんはスチュワーデス志望だから・・」
同じ台詞が返ってきたが、それに本人が違和感を覚えた。
それより、と私は続けた。

11
問題は、目の前にある異臭を放つものたち。
「生ごみ放置はダメじゃない。捨ててこようか」「ダメよ!」
突然の金切り声に驚いた。記憶に刻まれた、母さつきと同じ声。
でも居るのは、痩せて相貌は変わったが、間違いなく弥生さん。
「堆肥にするんだから」すぐに穏やかになり、笑みも浮かべる。
「そうだった、ね」話を合わせた訳ではなく、その当時弥生さんは、生ゴミにバイオチップを混ぜて堆肥を作っていた。毎日のケアが必要だったが、その堆肥を使うと見事な花が咲いた。

12
だが、みどり屋敷と呼ばれた美しい庭には雑草が生い茂る。
生ごみは、その日のうちに処理していた。
「この世にごみなんてないのよ」という精神。
板チョコの包装紙で作ったメッセージカードは学校でも好評・・
いけない、私の方が過去に引きずり込まれている。
「そういえば、さっき何か探してなかった?」と問う。
「ええと・・そうそう、バイオチップを探してたの」
もしやと、手前の生ごみ袋を開ける。おがくずの様なものがかけてあった。これは堆肥だ!と役場の人に叫ぶ姿が目に浮かんだ。
チップの残りを探す。ガラス戸の前にシートが掛けてある。

13
シートを取り払うと、未開封のままのダンボール箱が20個ほど。
一つ開けると、バイオチップのボトルが6本入っていた。
「弥生さんこれは?」との問いに、婦人会の共同購入だったのが、突然ケアがなくなり取扱会社に電話して今の状態だとの事。
電話で写真も撮れる時代になった、と話す弥生さん。

彼女が携帯電話を持ったという話は聞いたことがない。
「美佐ちゃんの結婚式の時にあればアルバムを・・・」と言いかけて固まる弥生さん。スイッチが入った様にハッとした。
そしてこのゴミの状況について、タクシーでは運んでくれず、ごみ捨て場までは行けるがリサイクルセンターまでは、徒歩では無理だと話した。

14
弥生さんは今、自分の現実を認識できている。「車は?」
当時弥生さんは紫色のセリカに乗っていた。雨の日は高校まで送迎してくれて、クラスメイトにも認識されていた。
三年前に事故を起こしたが、その件は義母に話したという。
聞いてない。込み上がる怒りを呑み込む。「ごめんなさいね」
「いいのよ・・これはもう、神からの警告だと思って・・・」
弥生さんは、時々過去に戻るものの、普段は今の意識で暮らしているのではないか。だが体力が追い付かない・
「弥生さん、施設に入ろう。尊厳を持って生きられるように」
金切り声の反論はなかった。それどころかシクシク泣き出す。
「情けないわ、お屋敷を守り続けて来たはずなのに」

15
弥生さんは家を見上げた。その上の風見鶏。この家の目印。
「私がちゃんと片付ける。整えたら迎えに行くよ」
そう言って弥生さんを抱き寄せた。
これから役場に行かなくてはならない。予約は午後三時。
連れて行くには準備が大変なので、とりあえず私一人で行く。

介護保険課の窓口では、担当者だけでなく皆が親切だった。
訪問を先延ばしにしていた事を責める人もいない。
私は逃げていたのだ。だがそうしなければ心が壊れていた。
伝わらない人には伝わらない。数学のテストと一緒だ。わかる問題から解いて行き、結果赤点を取ったら補習に追試。免れたとしても、あとは問題さえ忘れる。

16
いっそ赤点の方が良かったか。教えを乞えば、どこで躓いたかはわかる。小波を躱すうちに大波が襲って来た。
連絡をもらった時点で、行けないなら遠隔でもやれる手続きや、訪問時の準備などを訊いておくべきだった。イメージだけで判断せず、せめて翌日役場を訪れ、地域介護の申請をすべきだった。
それが出来ていれば住民からのクレームもなかっただろうし、家のゴミ類の回収もしてもらえただろう。
そんな私に、役場の担当者は要介護認定に関わる事について丁寧に教えてくれた。認定までに1ケ月ほどかかることに驚く。
遅れを取り戻すため、同時進行で出来る事も相談した。
介護施設入居には役場の人も賛成。目標期限は冬を迎える前に。

17
人の少ない町と楽観視していたが、公共の介護施設は満員状態。
民間の老人ホームなら即入居出来そうな所がある。ただし高額。
実のところ弥生さんの経済状況を知らない。同居してた頃も。
弥生さんは勤め人ではなく、自宅で海外の詩や短編小説の翻訳をしていたが、それは内輪の同好会のためのもの。
親から引き継いだ不動産があり、投資家だった旦那さんが残したものも充分ある、と教えられたのは私の大学進学の時。
親の遺産を進学費用に充てて欲しいと頼んだ時に、お嫁に行くまで手を付けなくていいと言われた。
翻訳をし、パンを焼き、バイオチップで堆肥作り・・・それらは経済活動に結びついていない。お金はまだあるのだろうか。

18
おそらくバイオチップや新聞も、銀行口座からの引き落としが滞っていないから届くのだろう。ただ、あの家から通帳、印鑑、保険証など、諸手続きに必要なものが見つけられるのか。
夕方、役場を去る前に環境課でごみ処理について訊き、指定のごみ袋を購入した。戸別配布ではなく、決まった拠点での購入。
多分弥生さんはこの袋が買えず、家の中がごみの山状態だろう。
弥生さんを背負っている、という感覚。頼れる人などいない。
──実の親でもないのに、何で正月会いに行かなきゃならないんだ・・
ギュッと目を閉じてから開く。思い出してはならない。目の前の問題だけに向き合う。そう言い聞かせておいてよかった。

19
家に帰ると、弥生さんは沓脱石に座り、ぼんやりしていた。
私を見ても反応はなく、黙って家の中に入って行った。
ふと見ると沓脱石の下に駅前のパンの袋。数口かじられた上にバイオチップがかけられている。
お腹が鳴っても泣く様な事ではない。前回泣いたのはいつか?
あの人たちから喜怒哀楽の、喜と楽を奪われ、哀は自分で捨てた。怒しか残っていないが、呪う事はない。手がかからぬ様、彼らの健康を祈っている。その日はビジネスホテルで一泊した。

ひと月後、弥生さんは無事すすきケ原高原の「やすらぎの森」に入居出来た。園芸療法が取り入れられており、その関係でバイオチップも引き取ってもらえた。花の名を答えて喜ぶ弥生さん。

20
弥生さんの部屋は個室で、上品な造りだった。「ここへ置いておくからね」と引き出しの奥に入れたのは、弥生さんの還暦祝いに私が贈ったビロード地のポシェット。
役場を訪れた翌日の、みどり屋敷を思い出す。
中に入ると文字通りのゴミ屋敷。黒いポリ袋が幾重にも積み重なる。ベッド代わりのソファにだけは何もない。
定期購入されていたのは他にも米や缶入りスープ、美容液まで。
この中からどうやって通帳や印鑑を見つけるか。とりあえず弥生さんに訊いてみると、スッとあのポシェットを出してくれた。
中には通帳と印鑑、健康保険証、年金手帳、携帯電話に札束。
250万ほどもあるが平然としている。全財産ではないのだろう。

21
必要なものがあればここから取ってね、と言う弥生さん。認知症が進むと「お金を盗んだ」とかいう猜疑心が起きるそうだが、弥生さんに症状は出ていない。要介護度は低く、入居手続きもすぐ済んだ。ラッキー以上にぴったりな言葉があるだろうか。
家のリビングの半分にも満たない部屋だが、これで充分だという。主人と二人でくらしたかったとも。一旦施設を後にした私。
もしホームシックになったら、その時に考えればいい。
次にやるべきことは家の片付け。さて、と気合いを入れる。
服は人気の作業服店で買った上下を三組に、運動靴と軍手。

22
もう一つ。今回は自動車で来た。乗り慣れた自分用の軽だが、高速道路を走るのは独身の時以来。だが慣れるうちに、鼻歌が出るまでになった。そこでスマホを繋いでビートルズを聴いた。
──あなたが聴く音楽は、私の耳にはうるさくて。
──母さんは人一倍耳が敏感なんだよ。

頭にこびり付いた鬱陶しい言葉はゴミと共にS・Aのゴミ箱へ。
前回の訪問から戻った後、ごみ屋敷の掃除について検索した。
様々な状況に合わせて対応出来る業者が多数ある。
遠方への出張サービスもあると知り、依頼しかけたがやめた。
片付いた部屋を見た依頼者がみな言うのが
「──頭の中のごみも片付き、人生をやり直せそうな気がする」

23
頭の中のごみ・・私の頭の中にも詰まっているのではないか。
業者に片付けてもらっても、すっきりしたと思えないだろう。
ならば自分でやろう。あの家に帰らなくてもいいし。
着替えてまず新聞をチラシと分けてビニル紐で結ぶ。それを軽自動車の、座席を倒した荷台に積む。なぜ新聞とチラシを分けるかは不明。ゲームだと思おう。目標、今日中に玄関前を片付ける。
スマホで聴くのはビートルズよりボン・ジョヴィが似合う。
作業中、新聞紙の二年前の日付が目に入る。弥生さんが動けなくなった事など想像もせず放置していた。別の表現もある。
──母さんはきれい好きで、使った食器を放置なんてしない。なのに母さんのせいにするなんて。

24
黴のはえた団子のパックが、ある朝突然 冷蔵庫の中にあった。
それをやんわりと正しても受け入れられない夫。母親の状態を何歳で止めているのか。不都合な事は脳が拒絶し妻に被せる。
後方確認出来るギリギリまで新聞を詰め込んで、リサイクルセンターに向かった。戸惑いなからも車を止め後部ドアを開けると、男性職員が3人ほど来てくれた「こりゃまた、溜め込んだね」
片付けに必要なのは羞恥心を捨てること。
あと四往復ぐらいしますと言って、閉館時刻を確認した。
汚れがひどい新聞紙は引き取ってもらえず。ただし焼却場に直接持ち込めば捨てられると、地図のコピーをくれた。

25
日が落ちかけた頃、漸く玄関ドアが開けられるまで片付いた。

鍵を差し込む。この家に居た頃から使っていた。
ずっと付けていたのに、この家を思い出さなかった。
違う。帰らせてもらえないから、忘れる努力をして来たのだ。
ドアを開けるが、中のもので入れない。また閉じた。

三日後──。どうにか家の外回りとリビングのごみは処分した。
固定電話も出て来た。しかし片付いたわけではない。定期購読の婦人雑誌が、封筒のまま積まれている。紐で縛りリサイクルセンターに持って行った。だが付録は捨てられない。中には自分で使いたいものもある。リサイクルショップ行きもありか。

26
通販で買ったらしい服も、箱ごと未開封のものまである。
だがこういったものは後回しにして、ポリ袋の中味の仕分けが適正かの確認に着手。袋のごみを出し、別の袋に入れて行く。
不燃物はなかったが、銀行の封筒から30万円が出て来る。
こうなっては全部を確認するしかない。リビングだけで30個超。
眠かったが一晩中、仕分け作業に没頭した。当初は、かつての自室を片付けて寝場所としたかったが、二階へはごみで上がれず。
仕方なく翌朝ホームセンターでシュラフを買い、ソファで寝た。

27
風呂は使う気になれず、隣町の日帰り温泉施設に行くことにした。途中にコインランドリーもある。
家の洗濯機は、荷物を下ろして蓋を開けるとカビた衣類が。
問題はトイレ。粗相の上からバスタオルや段ボールが山積み。
マスクもゴム手袋も二重にして挑み、何とか使える様にした
結局、ごみ袋からは先の30万以外に10万が入った袋が3つ出た。
現金はそれ以外にも、様々なものを入れた缶の山から小銭と、バラで17枚の万札が出て来た。それらは全て、弥生さんから預かった通帳とキャッシュカードで銀行口座に振り込んだ。
作業中に定期購入らしきものが出て来ると、その場で電話して解約した。「命の水」だけは解約に手間取った。

28
主に階段を塞いでいたのはこの「命の水」が入った段ボール箱。
賞味期限内であり私が飲んだ。心なしか浄化した気がする。
片付け続けてようやく出て来たペルシャ絨毯も焼却場行き。

高価だったかも知れないが汚れ、臭いがひどく迷わず運んだ。
やっと二階に上がれる。半分は水が占める階段を上がった。
廊下には掃除機や扇風機などの家電が並ぶものの、ごみはない。
一番手前が私の部屋だ。この家に鍵のかかる部屋はない。ノブを回すと、カランと懐かしいドアベルが鳴る。入ると少し黴臭い。壁の電気スイッチを入れる。そこは記憶にあるままの私の部屋。

29
埃は積もっているが、ごみはない。自分の居場所が残されていたことに幸福感を抱いた。ふと、隣の弥生さんの部屋が気になる。
中に入ってみるだけ。そう決めてドアを開けた。ごみはない。
書き物机の上にはノートパソコンがあった。私の部屋はほぼ高校卒業時で止まっていたが、この部屋はそれほど遠くない時まで使われていた様だ。記憶と変わったところがないか探す。
こんなものがあっただろうか。以前はクロスがかかっていたが、今はそれの手前に落ちている。当時全く気にかけていなかった。
まさか・・・金庫だったとは。一度中を確認した方がいいかも。
弥生さんのために。