「暦のしずく」(3)第三章「夜講」作:沢木耕太郎 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

日々接した情報の保管場所として・・・・基本ネタバレです(陳謝)

「暦のしずく」(3)第三章 「夜講」28(4/22)~34(6/10)
朝日新聞be(土曜版)
作 沢木耕太郎 画 茂本ヒデキチ
過去レビュー           


感想
深川芸者お六の、怪動に捕まった妹分 小糸を助けて欲しいとの願いを受け、俵屋に頭を下げて引き受けてもらった文耕。
引き受けるにあたって、小糸を売り出すための講釈をやって欲しいと頼んだ俵屋。
講釈の当日、絞り出すように話を作り上げた文耕。
それは、溺れた子供を助けたおかげで掛け取り金を奪われた手代を救おうとした小糸を描いたもの。

それを文耕は「義」だと語ったが、講釈のあとに会った里見樹一郎は「慈」ではないかと言った。
登場人物の輪郭はハッキリして来たが、大きな流れとしてどういう方向に行くのか、まだ判然としない。
次の章題は「世話物」

超あらすじ
第三章 夜講 一 ~ 七

「いよいよ今夜ですね」朝餉を持って来たお清まで知っている。
鳥屋で一両する鳥を、籠に入れておくのはふさわしくないと言って逃し、金を渡すことになった逸話は他で使ってしまっていた。
お清が話す、信太の友達が堀に落ちた話。


お清が去ったあとで「そうか」と思いついた。

掛け取りで金を集めた手代。川に落ちた子供・・・
墨を磨り、題を書いて箇条書きであらすじを書き進む。

この十七行で半刻あまりも話が続けられるのか・・・
暮れ六つの講釈に合わせその場所「井筒屋」に入った文耕。
客は大入りで、胃の腑からこみ上げるものがあった。


百人あまりの客を前に語り始める文耕。
日本橋の薬種問屋で働く手代 浩吉が暮れに集めた売掛金三十二両を持って川にさしかかった時、子供が川に落ちたとの騒ぎ。
泳ぎには慣れている浩吉は大金が心配だったが、見張っているという男を信じて何とかその子供を助け上げた。


だが着物を頼んだ男はおらず、胴巻きはなくなっていた。助けた子供も命乞いをしていた老婆もいない。騙りに遭った・・・
死んでお詫びするしかないと思った時、一度だけ深川へ連れて行かれて聞いた唄を最後に聞きたい・・・との思い。
飲み過ぎた自分の介抱もしてくれた「小糸」
件の店に行き頼み込むと、その時の小糸が会ってくれた。
事情を聞き、唄をうたった小糸は頭を下げる。
「唄わせていただき、ありがとうございました」


去ろうとする浩吉に、必ず戻るから待っていて欲しいと言って出て行った小糸。それから二刻あまり経って小糸が戻って来た。
八幡宮でおみくじを引き、それを頼りに探したら見つかったと言って胴巻きを差し出す。中にはきっちり三十二両。違う胴巻きだが、盗人が差し替えたのだろうと言うのを信じる浩吉。
翌日、浩吉を伴って薬種問屋の主人が訪ねて来る。小糸が工面した事を見通していた。主人が戻したのは三十五両。
辞退したものの素直に受け取った小糸。
その後小糸は吉原の妓楼「俵屋」に向かった。


小糸は俵屋に工面してもらった金を返す。吉原勤めの前金として借りたもの。中を改めた俵屋は余分の三両を小糸に戻した。
全ての事情を聞き、心意気に感じて証文も取らず貸した俵屋。
四月からはぜひここでお勤めしたいと言う小糸に応えた俵屋、
そこまで語った文耕は、小糸が「むら咲」と名を変え、この三月から俵屋に居ることを告げた。
講釈を終え俵屋と話す文耕。いつもの疲労とは異なるが心地よい。俵屋から謝礼をもらう。三両ほどか。


俵屋の接待のあと外を歩く文耕に、あの里見樹一郎がすっと近づいて来た。講釈を聞いたという。小糸の優しさに感じ入ったと言う一方で、彼らの行いは義ではなく慈だと言った里見。
そんな話をするうちに十蔵長屋に着き別れた文耕だが、なお見送っている里見。護衛についていてくれたのだと分かった。
それにしても、なぜ護ろうとしてくれたのだろう。




あらすじ
第三章 夜講 一 ~ 七 

一 28  4/22
朝、隣のお清が朝餉の支度を持って入って来た。
「いよいよ今夜ですね」席料が要らないと聞いて、この長屋からも何人か行くらしいが、お清は吉の字屋の仕事で行けない。
この日は、俵屋と約束していた夜講をする事になっていた。
文耕が小糸の事を頼んでから十日あまり経つと、俵屋が来て下げ渡し出来たこと、小間物屋で夜講を催す手筈を整えたことを伝えに来た。日にちは三月五日。諸費用は全て自分が持ち、席料は取らず大勢に聞いてもらうつもりだと言う俵屋。
その日以後、読物を筆写しながら小糸の事を考えていた。小糸の源氏名はむら咲(さき)にしたという。文耕は彼女に一度だけ会った。宴席にお六と一緒に来た。お六と違い柔らかな印象。

だがお六の話では、思い切った事をする妓だとのこと。
ある時鳥屋の店先で、一両だと店主から聞いた鳥を籠の扉を開けて逃してしまった。あの鳥にこの籠はふさわしくないと言い、鳥屋にはあとで金を渡す事になったという。小糸を語るにはこの話が外せないが、既に他で使ってしまっていた。
どんな話をすればいいかと思うまま、当日を迎えた。
お清は、すぐには引き返さずぐずぐずしている。信太の相談。

一緒に手習所に通う辰が堀に落ちて数日風邪を引いて休み、釣られて休む様になった。だがそれは口実だという気がした。
文耕がそれまで教えて「太平記」の一文まで筆写出来る信太には、物足りないのだろう。
行くように言ってもらいたいお清に、様子を見ようと言う文耕。


 29  5/6
お清が引き上げていき、いつもの様に朝餉を食べ始める文耕。
小糸の事を思い出して時々箸が止まる。
膳を片付けながら、そうか、と思いついた。
ふと思ったのは小糸が、金を失った商家の奉公人を助けるもの。
その商家を、かつて俵屋が丁稚に入った薬種問屋にする。
それであの時掛取りのことを訊ねた。
だが掛取りした金を、手代がなぜ失ったかの訳が作れない。
その時お清との話を思い出した。川に落ちた子供を見れば、誰しも助けたいと思うだろう。それを使えば・・・
手早く墨を磨り「深川吉原つなぐ糸は紫」と題を書く。
そして順に、あらすじの肝となる言葉を箇条書きして行った。
最後の行に「一、小糸、吉原大門をくぐるの事」この十七行で半刻あまりも話が続けられるのか、文耕にも分からない。

暮れ六つの講釈開始に合わせ、長屋を出た文耕。いつもなら講釈に使う書物を持っているのだが、半紙一枚で心もとない。
仮の講釈場となっている小間物屋の井筒屋は、江戸橋を渡った先の榑正町にあった。軒下に「講釈」と大書した提灯が灯る。出迎えた俵屋が「ひょっとしたらお逃げになったかと」と言う。


片付けられた板間と座敷を合わせて、かなりの広さ。客が既に入っている。二階に案内され井筒屋主人と関係の者らに挨拶。
俵屋に出入りの小間物屋であり、店主 文蔵よりも手代 源吉の差配で決まった様なものか。母親のおちかは仏頂面。
俵屋の話では、入りきれないほど集まるかも、とのこと。
胃の腑から酸っぱいものが込み上げる。仕事を始めた頃の感覚。


 30  5/13
暮れ六つの鐘が鳴った。俵屋に促されて階下に降りる。狭いところに百人あまりの客。文耕としてもこんな大人数相手は初めて。
急ごしらえの机の前に座ると、懐から四つ折りの紙を出して開き、ゆっくり語り始めた。

古来、五常八徳との言葉がある。五常は仁、義、礼、智、信。更に忠、孝、停、悌を加えたものが八徳。世を正しく成り立たせているのは義。義は侍、男だけのものではなく、市井のどこにも義の心を持った者が居る・・客らは固唾を飲んで文耕を見つめる。

日本橋の薬種問屋で働く浩吉二十二歳の手代。真面目でいずれは番頭になると思われていた。
昨年の暮れ、その浩吉が得意先を回って売掛金を集めて回った。
盆暮れの恒例であり、三人の手代が分担して数日かけて行う。
その日は五軒を回り三十二両を受け取っていた。金は胴巻に。
掛取りを無事に終え、西横川沿いに来た時、女の悲鳴がした。
老婆が川端で叫ぶ。孫が川に落ちて溺れているという。七、八歳の男児が川でもがいている。周りの者は、騒ぐだけで動かない。
浩吉は築地育ちで泳ぎは慣れている。自分がやらなくては、と帯を解き始めてはっとした。大金を持っている。手が止まった。
早くしねぇと助からねぇ、という男の声にせかされて着物を脱ぎ、胴巻きを着物でくるんで草履の上に置いた。
しっかり見ていてくれとの頼みに誰にも渡さねえと請け合う男。
岸から飛び込んで抜き手で進み、何とか男児の手を引いた。

腕を掴むと、浮き身の姿勢をしてくれて引きやすい。一瞬この子は泳げるのでは、と思ったが、岸に上げる事に夢中でそれは考えず。何とか岸にいた男に子供を託し、救出に成功した。
安心と共に刺すような冷たさ。階段のある岸まで泳いで行き、震える躰で河岸にのぼった。


 31  5/20
大勢の客を前に語り続ける文耕。
岸に上がった浩吉に、見物人が押しかけて称賛した。暖をとろうとした瞬間、胴巻きの事を思い出し、衣類を置いた場所に走った。
帯を解いて広げたが、そこに胴巻きはなかった。「ああーッ!」
これを見てくれていた男は立ち去ったという。いつの間にか助けを求めた老婆も、助けた子供もいなくなっていた。
文耕がそこまで話すと、職人風の男が「騙りだったんだ・・・」
周囲の者も頷く。皆が身を入れて聞いてくれている驚き。

浩吉は狂ったようにその三人を探し回ったが、無駄だった。
今になれば騙されたと分かる。店に戻って話しても信じてもらえそうにない。死んでお詫びするしかないと思った時、最後にやっておきたい事を考えた。一人の女の顔が浮かぶ。
一度だけ深川の料理茶屋へ店の主人に連れて行かれた時「狐会(こんかい)」という唄をうたってくれた芸者。唄は子供と離れた母狐をうたったものだが、自分の境遇と重なった。
その晩飲み過ぎて介抱された時、付き添ってくれたのがその唄を唄ってくれた「小糸」だった。その日以来忘れられなくなった。
浩吉はその店に行き、小糸を呼んでもらいたいと頼んだ。
必死さにほだされた女将が座敷の小糸に事情を伝えた。とりあえず会ってみると部屋に入り、あの時の手代だと思い出した小糸。
このあいだの唄をもう一度聞かせて欲しいとの願い。酒も飲まずに待っていた浩吉に少し飲ませ「それで、どうなさいました」
今までの一部始終を話した浩吉。死んでお詫びするつもりだが、その前にどうしてもあの唄を聞きたかった。
話を聞き終わった小糸は、三味線の用意をすると唄い始めた。
 痛はしやな母上は 花の装ひ引き変へて
 萎るる露の床の内 知恵の鏡もかき曇る・・・・

最後の一節で涙を流す浩吉。

唄い終えた小糸が静かに頭を下げた。
「唄わせていただき、ありがとうございました」


 32  5/27
お礼を言うのはちらだと返す浩吉に、今生の別れとまで仰る唄を歌えたのが身に余ることだと言う小糸。
店の払いは奉公先から給金の残りを受け取って欲しい、と言って立ち去ろうとする浩吉に「お待ちください」と小糸。
子供を救ったのは間違いではなく、それで死ぬことはない。
必ず戻るから待っていて欲しいと言い、出て行った小糸。
一刻が過ぎ、二刻になろうかという頃、小糸が戻って来た。
浩吉が参ったという富岡八幡宮に自分も行き、失せ物訊ねのおみくじを頼りに本殿周りを探して胴巻きを見つけたという。
この胴巻きは自分のものではないと言う浩吉に、用心のため移し替えたのがアダになったと言う。中にはきっちり三十二両が。


助かった、と富岡八幡宮の方角に手を合わせる浩吉。
八幡様は有難いという呟きに、その程度の距離に二刻も掛かからねぇ、黙って聞いてろ!の返し。仕込んだ細工の受け止め。

すぐ店に戻りなさいと促され、問屋に戻って行った浩吉。
翌朝、小糸がお六と暮らしている家に、浩吉を伴って薬種問屋の主人が訪ねて来た。そして小糸に頭を下げた。
大切な奉公人を失わずに済んだのはあなたのおかげ・・・・
浩吉を問い質して、事の顛末とあなたに救われた事を知った。
それはあなたが工面してくれた三十二両。否定しかける小糸。
仲町から八幡宮の往復に二刻もかかる筈はなく、工面するのに手間が掛かったに違いない。そして袱紗に包んだ金を差し出した。
そこには三十五両があった。高利の金を借りたかも知れず、また店への支払いも未完・・・素直に受け取ることにした小糸。
二人が帰ると、小糸は身なりを整えて舟と駕籠を乗り継いで吉原に向かった。大門手前の吉原会所で通行切手を受け取る。
女はこれがないと再び出られない。吉原の掟。
向った先は妓楼の俵屋。


 33  6/3
小糸は俵屋に着き内所に上げられると、楼主の小三郎に包んだ金を差し出した。「有難いことに、このお金は不要になりました」
よかったと言って俵屋は金をあらためると、多い三両を返した。

実は前の晩、他に思いつく人がおらず小糸はすぐに俵屋を訪れ、全ての事情を話した。そして来年深川の年季明けでの、吉原勤めの前金として、三十二両を貸し与えて下さいと願い出た。
小糸の心意気に感じ入り、証文も取らずに用立てた俵屋。
義を見てせざるは勇なきなり、と言う俵屋に、四月からはぜひここでお勤めをしたいと申し出た小糸。むら咲という源氏名を与え、一年だけ廓芸者として見世に出てもらう事にした俵屋。

そこまで話した後口上を終えた文耕は、小糸が先だっての怪動で捕まり、それを俵屋が八十両で下げ渡しを受けた、と話した。
そしてむら咲と名を変えた小糸は、この三月から俵屋に居る・・

講釈を終えて二階に上がる文耕。客たちの興奮した様子を見る。
店主母親のおちかが、最前と全く違う態度で茶を出し、講釈の感想を話した。いつもの講釈とは異なる疲労だが、心地よい。
俵屋が上がって来て、上気した顔つき。客たちは小糸の話でもちきりだという。だが小糸の年期が一年では短か過ぎるとボヤく。
忘八の倅だと言いながら、講釈の善行に感じ入っている。
俵屋の本質には細やかな気配りがあるのだろう。
思い出して「今夜のお礼です」と包みを出す俵屋。


重さからいって三両ほどか。「こんなに貰っていいのかな」
「もちろんですとも。この一年、しっかりと儲けさせて頂きますから」


 34 6/10
その夜文耕は俵屋の用意した酒肴でいくらか腹と喉を満たし、別れて歩き始めた。すると隣家との間から黒い影がすっと近づいた。それは里見樹一郎。自分を待っていたことは確か。

講釈を聞いたという。


あの講釈で一言伝えたいことがあるという。
小糸の心根の優しさに感じ入ったとの言葉に、今夜の話は拵えものだと言おうとした文耕。
その前に里見は、小糸や浩吉の行いは義によるものだったのだろうか、と疑問を呈した。義には「せねばならぬ」という縛りがある。「私には、義ではなくジだと」「ジ?」

「いつくしみの慈です・・・」
五常八徳の仁のようなものかと問うと、それより上に立つもの。
五常八徳の上に立ち世をあまねく照らすべきものが慈だという。
一膳飯屋で聞いた天という言葉の使い方を思い出した。

話す間にも江戸橋を渡り、人形町通りから松島町に近付いた。
そして十蔵長屋。路地を曲がり、違う方角のため「では」と別れたが、歩き続けてふと振り返ると里見がまだ見送っている。気付くと二本差し。
今まで町で会った時はいつも一本差しだった。今夜は話したいことがあったというより、護衛についてくれたのではないか。
この講釈は俵屋が広く喧伝したという。それで件の鎧谷なにがしが待ち伏せていてもおかしくない。その時脇差を貸してくれるつもりだったか。
部屋に入る前に、改めてその影に会釈した文耕。影も同様に会釈して歩み去った。それにしても、里見はなぜ護ろうとしてくれたのだろう。