こんにちは。

今回は「生温い信仰は身を滅ぼす」と題して書きます。

当ブログの読者のあなたは、世相が極限まで悪化している事に気がつき、手前のツイッター(X)での投稿を見て、この記事をご覧になっていることと思います。日本政府は国民や国益のためにならない悪法ばかりを作り続けており、太陽暦の二千二十四年三月一日には地方自治法の改正が閣議決定されて(詳細はこちら、時事通信ニュース)、憲法改正と支配層の理想郷である、新世界秩序(NWO)、世界統一政府の樹立がまた一歩近づく動きがありました。それに加えて、南海トラフ地震を人為的に起こすことを予告していると思われる報道(参考記事はこちら、フライデーデジタル)もあり、支配層の者どもが更なる大虐殺を実行する日はそう遠くないように思われます。ミカエル氏の「キリスト道」と「真の聖書福音と預言」の読者の方々ならご存知の通り、この世は悪魔の支配下にあり、これから世情が悪化する一方であると聖書には書かれています。少しでも早く、聖書とミカエル氏のブログ記事の通読を進め、主イエスが更新された「神の律法、掟、戒め」を覚え込み、聖なる生活を送ることなしに霊的に救われる事は決してあり得ません。終末、世の終わりが近づき、統一教会、創価学会等一般にカルト宗教と認識されてる宗教団体だけでなく、存在しないコロナウイルスが在ると信じるコロナ教、未だに敵国条項を解除しない反日連合国(UN)が推進しているSDGs教、米国のトランプ前大統領や、露西亜のプーチン大統領らを救世主だと信じるQアノンなど様々な宗教が次から次へと誕生しています。先日、ツイッター(X)では「ディープステート(DS)」という言葉がトレンド入りし、こちらこちら(共にニュースシェアリング)の記事に書かれた内容を真に受け、自称「目覚めた人」たちは彼らの存在が表沙汰になってきたことを喜び、「大量逮捕」が行われるのではないかと甘い夢を見ている人が数多くいるように見受けられます。冷静になって考えれば分かるはずですが、彼らがディープステート(軍産複合体、闇の政府、戦争屋)と呼んでいる人々の人数は余りにも膨大で、彼らが全員逮捕されることなど決して現実的でないことは明白です。聖書を自分で読んだことのない人々は、物事を性善説で捉え、自分が努力しなくても、きっと誰かが何とかしてくれる、明日は明日の風が吹く、などと考えているのでしょう。「政治と宗教の話は禁忌(タブー)」という言葉がありますが、これは支配層の人々が大衆に政治と宗教の闇から目を逸らさせるために流布した言葉であろうと考えています。こちらの動画(ユーチューブ)をご覧いただければ理解できると思いますが、世界中の有名な政治家たちやローマ教皇やダライ・ラマ等の宗教家、著名人たちはユダヤ教の聖地とされる嘆きの壁で祈りを捧げ、聖書に書かれた主イエスの教えに悉く反した異端の宗教ローマ・カトリックの教義を信奉しています。「人々が正しい教えに耐えられない時が来るだろうからや。それどころか、人々は自分たちの欲望に従って、耳触りのええことを語る教師たちを自分らに集め、真理から耳を背け、作り話の方に逸れて行くであろう。」(テモテへの手紙二 四章三節〜四節、ミカエル氏訳、「反キリストについて」より引用)一般的に米国のトランプ前大統領はプロテスタント福音派の人間で、在任中には大きな戦争がなかったことを根拠に、未だに彼に期待を寄せている人が大勢いますが、彼は生物兵器ワクチン接種推進派であり、庶民の味方ではありません。

未だに米国のドナルド・トランプ氏等に期待してる愚か者が少なくないが、ほんまに狂ってる。拙者は事が起こる前にワクチン接種をせんように止める活動をしたが、反対に、トランプ氏は大統領在任時に「瞬間移動速度作戦(Operation Warp Speed)」と言うてワクチンを迅速に製造及び配備して接種しまくるようにと猛烈にワクチンを推進し、今も撤回や謝罪をせず、責任を取ることもしてへん。そして、今やかつて無い程の超過死亡者数を記録し、ワクチンは遅効性毒故、死者数や障害者数が今後も増えるであろう。また、トランプ氏は、5Gの促進にも力を入れ、これも猛烈な速度で有害な電磁波送受信機を各地に取り付け、人々の健康や命を脅かす悪行を働いた。下の画像のとおり、トランプ氏は偽ユダヤ教に改宗し、自称ユダヤ人の仲間入りをした(聖書の血統的ユダヤ人ではない)。未だ彼がキリスト教福音派だなんて思ってる者は情弱の愚か者であるし、福音派等といった派閥も皆、パウロ教でしかなく、イエス・キリストと無関係ということも知るべきや。

(真の聖書福音と預言「動画八回目投稿 日本はイスラエルである」より引用)

 

トランプ氏信仰と共に、世間には天才科学者として称賛されてるニコラ・テスラ氏(太陽暦千八百五十六年生〜千九百四十三年没)を信仰している人が大勢いますが、彼が見出した科学技術は気象操作兵器であるHAARP(高周波活性オーロラ調査プログラム)や高速通信の基礎として用いられており(参考記事はこちら、アメブロ ※記事中に宇宙とか人工衛星といった言葉が使われておりますが、大地は平面で宇宙というものは存在しないので、記事の内容をすべて鵜呑みにはしないでください。)、現代の科学技術は、人を殺す兵器として用いられたり、人を堕落させるものである事実を知っていただきたいです。

今の時代の人々は、何でも便利な物に囲まれ、少しの不便さも我慢できないで些細なことに不満を言うような短気で高慢な人で溢れています。一日中スマホを手放せず頻繁にメールの有無やSNSを確認したり空き時間にゲームしたりする等によって対人関係に関する能力を衰えさせ、電車が遅れたらイライラして駅員に怒鳴り散らしたり、店員に尊大な態度で接したり、コールセンターに些細なことですぐに苦情の電話をしたり、ネット上で悪口や陰口を書いたり、惨めな品性を持った人間が非常に増えました。そして、物質的な豊かさから満たされていると思って神を軽んじ、神に頼まなくても生きていけるから大丈夫と勘違いしている者が多いです。ヨハネの黙示録3:14~22に書かれたラオディキア教会の状態が、現代のキリスト教徒の姿です。たとえクリスチャンと名乗る人であっても、熱くもなく冷たくもない生温い信仰をしている者が多く、これが私が述べてきた世俗に妥協して、生きるついでにクリスチャンごっこをしているにわかクリスチャンです。

(真の聖書福音と預言「生温い信仰への警告」より引用)

ここからはヨハネの黙示録 三章十四〜二十二節を読み解き、深掘りしてみようと思います。

 

新約聖書 ヨハネの黙示録 三章十四〜二十二節(拙訳)
ラオディキア教会の天使にこう書き送れ。『アーメン(誠実)な方、信用出来て真実な証人、創造の神の源であられる方が、次のように言われる。「我はお前の行いを知っている。お前は冷たくも熱くもない。我は冷たいか熱いかのどちらかであって欲しい。お前は冷たくも熱くもなく、生温いので、我はお前を口から吐き出そうとする。お前は、『わたしは金持ちだ、豊かになったから何も必要な物はない。』と言っているが、自分が惨めな者、(心が)貧しい者、目の見えない者、裸の者である事を理解していない。我はお前に豊かになるように、我から火で精錬された金を買うこと、裸の恥を晒さないようにお前の白い衣を買うこと、お前の目が見えるようになるために目に塗る薬を買うことを勧める。我は(主イエスを)愛する者を皆、叱責し、鍛錬する。だから、熱心に努めよ、悔い改めよ。見よ、我は戸口に立って叩いている。誰かが我の声を聞いて戸を開くなら、我は中に入ってその者と共に食事をし、彼も共にそうするであろう。我は勝利を得る者を、我と共に我が王座に座らせよう。我が勝利を得て、御父と共に御父の王座に座したのと同じように。耳ある者は、聖霊が諸教会に告げることを聞くがよい。」』

 

一、 主イエスは生温い信仰を認められない

こちら(ウィキペディア)にある通り、内閣府は十数年前から「クールジャパン」を標榜し、漫画やアニメ、ゲームなどのオタク文化を「日本らしさ」として海外に発信し、観光立国を目指す政策を推進しています。数日前に、漫画ドラゴンボールを描いた漫画家の鳥山明氏が亡くなり、ネット上では彼の死を惜しむ声が多数上がっております。彼が描いた龍(ドラゴン、ギリシア語 δράκων)は悪魔の象徴であり、彼の作品に魅了された人々は聖書の真理よりも娯楽を愛し、金銭や時間という大切な資産を彼に貢いだことに気づいておりません。現代では「クール」=「格好いい」、「ホット」=「熱い」と広く認識されておりますが、信仰において主が求められているのは、外見的な格好良さなどではなく、信仰と伝道に関する個々人の熱量です。

ほんまに現代日本人よ、「自分は大丈夫」なんて高を括らず、自分を客観視し、足らへん所を努力によって埋め合わせたり、改善せないかんよ。拙者が喋ってるところを動画で見るとか、実際に対面で喋ってる訳ちゃうさかい、熱量が分かりにくいかもしれへんけど、拙者は誰よりも熱量を持って対応しますよってことを伝えてます、ということを改めて知らせたいんです。どうかご理解ください。そして、ご理解いただいたら、あんたが行動する番です。一歩踏み出し、行動を変え、習慣を変え、人生を変えてみませんか。そのために、投稿してみて、話してみませんか。投稿するのに費用は掛からへんし、あんたにとって何も損は無いですよ。人生が変わる切り口はほんの小さなきっかけから始まるものです。とにかく、やってみることです。やって損は無いです。やらないことの損失の方が遥かに大きいです。行動しない無能から卒業しましょう。

(真の聖書福音と預言「キリスト者の覚悟」より引用)

上記の通り、ミカエル氏は世界中の誰よりも聖書の真理を深く理解されており、誰よりも熱量を持って伝道活動をされています。彼のブログ記事を通読することなく、聖書の真理を学ぶことは不可能です。出来るだけ早く聖書とミカエル氏のブログ通読を進めていただけましたら幸いです。

 

二、金持ちは主の存在を無視している

新世界秩序を推進している支配層の人間は、最も神から遠い人々です。彼らは口先では「豊かになったから何も必要な物はない。」と言いますが、実際には手に余る財産を所有し、金銭欲や性欲、この世で名声欲を満たしても飽き足らず、民衆を支配しようするどこまでも貪欲な人々です。誰から見ても狂ってるとしか言い表しようのない、ビル・ゲイツ氏や政治家たちといった支配層の人たちを見ても尚、あなたは彼らのような生き方に憧れを抱きますか。聖書には「欲が孕んで罪を生み、罪が成熟して死を生み出す。」(ヤコブの手紙 一章十五節参照)と書かれています。貪欲な支配層の者どもは反面教師とするべき存在で、我らが模範とするべき方は、唯お一人の先生であられる主イエスの他には居られません。まずは四つの福音書をしっかり読み込み、主イエスの素晴らしい生き様を、心に刻むことをお勧めいたします。

 

三、 主イエスは愛する者を叱責し、鍛錬される

ここで「愛する」と訳したギリシア語 φιλέω は、「無償の愛、慈愛、自己犠牲の愛」を意味する ἀγάπη とは違い、「友、仲間、味方」などを表す名詞 φίλος を原語とする動詞で、「(神とキリストの信者や弟子に対して)愛する、好む」等の意味をもっています。「我はお前たちを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。我はお前たちを友と呼ぶ。」(ヨハネ十五章十五節参照)主は主イエスを心の底から愛し、神を畏敬して神の律法、掟、戒めを守り、世を捨て、迫害を喜びとする真のキリスト者を友と呼んでくださいます。

聖書に「主への畏れは知恵の始まり。これを行う者は皆、ええ洞察力がある。主の賛美は永遠に続く。」(詩編百十一編十節拙訳)と「主への畏れは理解力(洞察力)の始まり。愚か者は、知恵と矯正を酷く嫌う。」(箴言一章七節拙訳)と複数に渡って記述があるとおり、聖書を知らず、主を畏れて神の律法に服従せん人が賢い訳がないんです。また、当該箴言から、聖書に依拠する拙者に敵対する愚か者たちが、知恵と矯正(誤りを正すこと)を酷く嫌ってるんも真実やと分かるであろう。投稿して来る者の殆どが、拙者への敵対心から来てるんが多いし、愚かな言い分を嗜めたり、しょうもない発言を削除した位で文句を言うしな。ほんま現代人は西洋かぶれが多過ぎやし、精神までやられてるあかん人が多い。非常に嘆かわしい。

(真の聖書福音と預言「偽使徒パウロの反キリスト教義 一」より引用)

日本人の多くは年功序列が当たり前だと勘違いしており、年下の人や部下に当たる人を「飴と鞭」を使って自分の意のままに使おうとします。特に「先生」と呼ばれるような職種、例えば国会議員や地方自治体の首長や議員、弁護士や司法書士といった士業に就く人、医師、学校の教師などは、自分が博識だと思って高慢になり、誤った認識を改めるように指摘されても、矯正されることを嫌う頑なな人が多数派です。数ヶ月前から国会議員の裏金問題が話題となっていますが、彼らは「記憶にございません。」とか「秘書に聞いてください。」などといって誤魔化すことを日常茶飯事としていますよね。ミカエル氏がかねてから糾弾されている通り、この国では三権分立が機能しておらず、行政府に権力が集中してしまっており、何処の政党であろうと自浄作用を失っています。国会なんて議論している振りだけの茶番劇であり、国会議員は官僚の原稿を読むだけの傀儡でしかありません。無論、地方自治体の議会は二元代表制(立法権をもつ議員と行政権を持つ行政の長をそれぞれ選挙で選ぶ制度)を採用しており、議論でも何でもない単なる儀式であり国会以上にくだらない茶番劇にすぎません。この裏金問題は政界だけにとどまらず、芸能界、医療・製薬業界、教育界… どの業界も腐敗し切っていることに変わりはありません。(太陽暦の二千十五年十月に、内閣府や地方自治体等の行政機関は法人番号を取得し、私企業となっています。参考記事はこちら、shanti-phula)「賢者さえも、虐げられれば狂い 賄賂をもらえば理性を失う。」(コヘレトの言葉 七章七節参照)どの業界においても既得権益者が賄賂を受け取っているのが現実です。悪人だらけの世の中となっているのは疑いようのない事実であり、悔い改めること、つまり心の中も含めて自分の悪い行いを深く反省し、二度と同じ過ちを犯さぬように改めることの重要性を知らない人々は、最後の審判にて神から永遠の地獄行きを宣告されます。また、ここでも「熱心に努めよ」と書かれていることから、真のキリスト者を目指すのであれば、熱心に伝道活動を行うことが主の御意志に沿った行いであることも読み取れます。

 

四、 精神的な豊かさとは何か

主は「火で精錬された金」「白い衣」「目に塗る薬」この三つを買うことを勧められています。勿論これらは物質的に買えるものではなく、聖書から読み取り精神的に身に付けるべきものの比喩です。聖書における火とは聖霊を意味しているので、心を聖霊で満たし金のように光輝く品性を身につけよという教えなのだと想像しています。

次の白い衣の意味は、衣は裸や恥を隠すために存在するものであることから、現代の女たちのように肌を露出させる破廉恥な衣服ではなく、聖書に書かれている通り、和服を日常的に着用することを主は推奨されているのだと思います。「イエスが使徒ペトロ、ヤコブ、ヨハネを連れて山に登られた際、衣服が光のように白くなり、モーセとエリヤが現れイエスと語り合っていた。」(マタイによる福音書 十七章一〜三節参照)とあることから、実際に白い衣を着用せよという意味ではなく、主の再臨される日に備えて、普段から青い房を縫い付けた和服を着用しておくべきですね。(申命記 二十二章十二節参照)

三番目の、目に「塗る」薬と訳したギリシア語 ἐγχρίω は「(油を)塗る」「塗油する」という意味を持つ動詞です。メシアとは油注がれた者、聖別された者、救世主を意味するヘブライ語で、ギリシア語でキリストと言う。聖書では、メシアは主イエスを意味し、他には居らん。(真の聖書福音と預言「聖書の終末預言 一」より引用)真のキリスト者は、聖別された者、つまり世俗との関係を断って世捨て人となり、俗世間とは無縁の清貧な生活を送るべきです。油は聖なるものであり、日常的に摂取するものではありません。現代人は油を食品と考え、揚げ物を日常的に摂取していると思いますが、こちらの記事(週刊現代)にある通り、植物油は食べるプラスチックともいわれており、生活習慣病の原因となる危険があります。

主イエスが推奨されている通り、物理的な豊かさを追い求めるのではなく、精神的な豊かさを求め天に富を積みましょう。

 

五、キリスト者の勝利とは

唐突ですが「あなたの生きる目的は何ですか。」とか「今日が人生最後の日なら、どのような過ごし方をしたいですか。」などと聞かれたなら、読者のあなたは何と答えるでしょうか。手前も信仰生活を始めるまでは、美味い食事を摂取するとか、時には海外旅行に行って非日常的な体験をしてみたいとか、年齢を重ねても病気をすることなく健康に過ごし、「ピンピン、コロリ」と死ぬのがいいなぁ、などと漫然と考えておりました。しかし、数年前に世の中の異変に気がつき、聖書を読むようになって以降、それまでの価値観は一変しました。「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。」(マタイによる福音書 六章二十五節参照)と主イエスは仰っており、田舎で生活を送っていると、人の目など一切気にならなくなりますし、都会で何が流行しているか何てくだらない事には自然と目が向かなくなります。端的に言えば、キリスト者の勝利とは罪への勝利、サタンへの勝利、世俗への勝利ということになります。(真の聖書福音と預言「キリスト者の勝利と日本は英米の植民地という事実」より引用)「罪とは、法を無視し違犯すること」(ヨハネの手紙一 三章四節参照)なので、神の律法、掟、戒めを覚えこんでしまえば、罪に勝利することは決して難しいことではありません。(但し、聖書を複数回通読するにはそれなりに時間を要するので、これが最大の難関かも知れませんが。)サタンへの勝利とは、あらゆる種類の誘惑に負けないことです。多くの日本人は得体の知れないコロナワクチンを無料だからという誘惑に負け、自ら接種して死に近づいてしまいました。その他にも利便性が向上するとか、ポイントが貰えるなどといった誘惑を用いて政府は個人番号券(マイナンバーカード)の取得などを推進しています。そして、世俗への勝利とは、人の目を気にしたり同調圧力に屈して、自分で調べたり考えたりせず、周囲に流される生き方をしないという意味です。

終わりに

今回は「生温い信仰は身を滅ぼす」と題して、世の中にいる自称クリスチャンの人々は聖書に書かれた主イエスの教えではなく、自称十三人目の使徒、パウロの教えを信奉していることと、真のキリスト者であれば神の律法、掟、戒めを当然のこととして遵守し、熱意を持って伝道活動を行う必要があることを述べさせていただきました。有名人の訃報や、今までになかったような異常な事件や事故がが毎日のように報じられており、残された時間は非常に短いと思われます。今回の拙記事を読んで、共にキリスト道を歩もうとされる方が一人でも多くなりましたら幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございました。