自由という時代の統治論と保守と形式 | 反新自由主義・反グローバリズム コテヤン基地

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自由という時代の保守思想

 昨日の記事で「保守するべきものがない現代」というテーマでざっくりと論じてみまして、以下のような興味深いコメントをソウルメイトさんからいただきました。

 本日はこのコメントをもとに、論を広げていきたいなと思います。

1. 無題

 保守思想家が重視するのは、伝統や慣習の中で培われたものの考え方や価値観、生活全般にわたる規範のようなものだと思いますが、どんなタイプの産業で働いて生計を成り立たせるかということは、人々がどこでどうやって暮らすかに多大な影響を与えないではおかず、おうおうにして祖父母や両親の世代に保たれていた伝統とか慣習を消滅させてしまうように作用しますよね。

 考えてみると、江戸時代の武士階級に保たれていた武士としての伝統や慣習の多くは明治以降急速に失われましたし、明治時代人に保たれていたなにごとかも現代の日本人の中から多くが失われてしまったわけですね。祖父母や父母のライフスタイルや親戚付き合い、近所付き合い、なんてものを現代人の多くは踏襲していないでしょうし、そもそも産業形態の遷移や産業構造の変化は、伝統や文化を育むコミュニティーを消滅するように作用してきましたからね。

 すると、保守思想は何を保守するんだ?という問いは、けっこう保守思想の根幹にかかわる問題で、そうそう安直に答えがでるような簡単な問題ではないんじゃないかと思います。

 現在の自分の恵まれた生活や所得を守りたい、というのも、まあ、保守といって間違いではないと思いますが、そういう近視眼的な周囲数メートルのことしか考えない保守じゃダメで、現在の自分の恵まれた生活や所得を可能にしてくれる大本となる部分、つまり社会というものが相互互恵的な持ちつ持たれつの関係にあって、そういう共生的な関係こそ保守すべきものだ、というような認識に収れんされていくんじゃないでしょうかね?

https://ameblo.jp/yangh-wenly/entry-12357152656.html#cbox

※太文字部分は私が強調

 

 生活という観点から見た場合に、江戸時代や欧州でいえば中世なんかは身分の固定というものがあったわけで、確かに職業選択の自由というものは現代ほど多くはありませんでしたが、逆に例えば農民は農民というテンプレートや形式といったものが存在していわけです。

 まあ商人でも農民でも武士でもなんでも良いのですけれども、つまり容易に「武士は武士らしく」とか「農民はこれさえできてりゃ食えるんだ」とか、ある種の形式が存在していてそれに依って自身の存在意義というものが形作られてたわけです。

 

 現代人の私達からすれば「なんて不自由な!!」と思ってしまうかもしれませんけれども、少なくともその時代には意味不明な「自分探し」なんてものは、殆どなかったんじゃないでしょうか。

 こういう表現もできます。共同体の中に埋め込まれた自我であって、個人主義的な自我ではなかった、と。

 自由が拡大したのが良いのか悪いのか?ということは置いて、ともかく昔はそうであったわけですけれども、現代には身分なんてものは存在しませんし、もしくは親がこの職業だから子供に継がせるというのも希薄になってきていて、必然的にコミュニティや共同体、慣習や習俗といったものも希薄になってきているというのは事実でしょう。

 

 このことは時代の変化とともに技術の進歩なども関係しているのでしょうし、それにともなって社会自体の仕組みの複雑化なども関係しているのでしょう。

 端的に言ってしまえば共同体というもののありがたみ、仕組み、必要性というものが感じにくくなっているという話なんじゃないかな?と思うわけです。

 もちろんながらありがたみが感じにくくなったからとて、では必要ないのか?と言われると、本質的にはすごく必要なわけですけれども。

個人主義の行き過ぎへの警戒

 とにかく現代というのは「個人の尊重」「自由」というものが重要視されるわけですけれども、過ぎたるは及ばざるが如しという言葉もありまして、どんなことにしても行き過ぎは害悪になるのです。

 水だって飲みすぎれば、水中毒になりますしね。

 

 それにしっかりと洞察すれば、じつは個人の尊重というものが真に行われるためには、やはり共同体の存在が欠かせないのです。

 「個人の尊重」というのは人権意識のみで出来る話ではなく、その土台として豊かな社会が必要であり、また「個人の権利の侵害」を取り締まる法律が必要であり、そしてその法律を執行する機関が必要なのです。人権や自由についても、やはり上述したようなものが必要になってくるわけです。

 「そんなことはない!みんなが人権を大切だ!と考えれば、そういう社会になるんだ!個人個人の意識こそが必要なんだ!」という反論はあり得るでしょうけれども、食うや食わずで人権を意識して行動する人間なんていないと思いますよ?

 やはりそこには「食うに困らない豊かな社会」が必要であるわけです。

 

 とすると、近視眼的な共同体を考慮に入れない「個人の尊重」や「自由」といったものは、言葉面は綺麗だけれども、実現手段としては非常に非現実的なものしか残らないような気がします。

 従って「共同体」vs「個人」のような考え方と言うのは成り立たなくて、どちらもほどほどに必要なんじゃないでしょうか?対立概念ではなく、共同体と個人というのは循環的な概念であると言えそうです。

 もっともそのあり方は、時代や状況によって何が一番バランスが良いのか?常に問い続けなければならない問題であるわけですけれども。

統治論と個人主義

 リベラルというのは個人を尊重するという事になっているわけですけれども、ではこれに対して右派は?というと国家観や統治論を重視するというふうに、テレビで誰かが主張していたとうろ覚えながら覚えております。

 しかし一応、民主制が主流である現代では統治の主権者は国民であり、であるならばある種個人主義が蔓延する、というような議論も可能かもしれません。

 少なくとも保守と言われている層でも、個人の主権や自由をことさら否定するといった人は、現代社会においてはあまり存在しないと思います。

 

 上記が事実であるとして、しかし共同体というものの役割が最初の方で書いたとおりに、なかなか理解されていない、必要性を実感しづらい、議論があまりなされていない、というような実態がバランスを崩しているのではないのかな?と思うわけなんですね。

 いわゆる保守層ですら共同体の意義というものは、伝統や文化といったアイコンの影に隠れて議論が大きくなされていないのが実際でしょう。

 ・・・ネトウヨから「共同体」という言葉を聞いたことが無いですしお寿司(笑)

 この点についてはネトウヨは大衆性(Mass Mann)の性質を強く帯びているので、個人主義のままに塵芥のように風に吹かれて右へ左へというだけなので、そもそも彼らが「共同体が大事!」なんて主張をするはずがないのも事実なのですけれども。

 

 本日は色々と思いつくままに散文的に考察をしてきたわけですけれども、結局のところ日本は災害大国であり、国民が共同体としての意識を忘れたときに、亡国になり得るような国土条件という我が国において、意識的に共同体というものの必要性、重要性を再認識することこそが喫緊の課題ではないか?と思うわけです。

 あまりにも共同体という意識、議論をないがしろにしてきたために、日本そのものの持続可能性が下がってきているとするのならば、即ちそれは亡国への道ということになるのですからね。

 

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本日の男の料理 親子大豆

 美味しんぼネタのレシピなのですけれども、これが案外いけるんですよ。親子大豆。

 ええ、納豆と豆腐を混ぜちまおうってんでゲス。

材料

  • 納豆
  • 豆腐
  • ねぎ
  • 醤油
  • からし

調理手順

  1. もはやレシピとは呼べないのですけれども、納豆1パック、豆腐150グラム(半丁ほど)、ねぎ多め、卵1個、醤油とからしを混ぜ混ぜするだけです(笑)

 カロリーが低いしタンパク質が多い。満腹感もありご飯にも合います。見た目はあれなんですけれどもね・・・(笑)

 

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