保守するべきものがない現代保守 | 反新自由主義・反グローバリズム コテヤン基地

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本日も短めに

 先日、表現者クライテリオンをご紹介差し上げたのですけれども、クライテリオン=基準を示すというのが大まかな方針のよう。そしてそれは現代において失われており、従って新たに伝統や文化、歴史などから再発見したり、もしくはリニューアルしたり、クリエイティブしたりといった作業が必要になってくると書かれておりました。

 

 ふと考えていたのですけれども、これは土木建築に似ている発想なのかもしれないと思った次第です。

 日本をお城に例えますと、保守思想というのはなんとかお城を修繕し、もしくは一部改築などしながら城下町を守ることの出来るものとして保ち続けようとする思想ですが、近代、もしくは新自由主義やグローバリズムの蔓延、もしくは敗戦、もしくはバブルの崩壊等によってお城が崩壊しちゃったわけだとすると、新たに立て直さなきゃならんわけです。

 技術系にも言えることですが、一度そのノウハウが喪失してしまうとロストテクノロジーになることも珍しくないそうです。

 

 そしていちばん大事なのは「なぜそのお城が失われたのか?」という現実認識でありましょう。それを踏まえずして改革だどーだと言ってヘタなものを作っても、現実認識がずれていれば当然ながら城下町を守るようなお城が作れるはずもなしというわけです。

 新たなクライテリオンとは、つまりは現実認識ということがスタートになっているのかもしれないと解釈すると、その現実認識のために昔の偉人、つまりオークショットやエドマンド・バークなどの議論を引っ張り出してくるのも理解が出来る、というわけです。

 こう考えると、表現者クライテリオンの議論の中身がやや難解かつ詳細なものになってしまっている、というのは理解可能に思えます。

保守するべきものがない現代保守

 アカデミックな議論としては上述したように、昔の偉人の議論から色々と再発見するという試みは正統派と言えるでしょう。

 しかし私のような一般庶民ではもはや保守思想の真髄に触れられないのか?という疑問が浮かび上がってきます。

 というのもクライテリオン=基準が失われているのだから、それは即ち庶民であろうとしても大衆的、大衆人(Mass Man)にならざるをえないのだとしたら、アカデミックな議論に精通しているわけではない我々庶民は、いくら議論を重ねてもダメなのか?違うアプローチからクライテリオンを再発見できないのか?という疑問です。

 一般的に仕事を抱えている我々庶民は、アカデミックな議論をしたくてもやはり専門家には及ばないというのは事実でありましょうから。

 

 しかし私は違うアプローチが可能なのではないか?とも思うのですね。アカデミックにオークショット、福田恆存、エドマンド・バークなどを読み込まなくても、即ち「生きること」「全体的な持続可能性」の2点に注目することで、失われているクライテリオンを再発見することは十二分に可能であろうと思うのです。

 

 福田恆存は「保守とは態度である」と言ったそうですけれども、中野剛志さんによると「今や態度だといって、前のめりに倒れたらなら倒れたで良い!と言っていたら、もう前のめりに倒れてしまった。態度等と言わずに、言語化しなければならん」のだそうです。

 なるほど、言語化するにあたっては過去の偉人の議論が参考になる。しかし福田恆存の言うように態度として保持するだけならば、我々庶民にも可能かもしれない。

 

 では態度として保持するためには、どのようなことが必要なのか?と考えると、クライテリオン=基準なき現代においては、基準が求められない以上は自身で思考し続けるしかないというのは自然な解釈でしょう。その際に認知不協和に陥らないように、常に自身の出した答えに対しても疑問をそれなりに保持しておくことも必要になるような気がします。

 人間、一度「正しい!」と思い込んでしまうと、認知不協和と経路依存性によってズレていくことが往々にしてありますからね。

 

 我々庶民が保守するべきものがない現代において、大衆人ではなく庶民であり続けるためには虚心坦懐に様々な物事を思考し続ける、という非常に難しいことが求められているのであろうと思います。

 それは例えば政治イデオロギーにおいての右や左といった枠組みさえも、それをクライテリオン=基準にしてしまうと矛盾なり論理破綻なりが生じる時代である、ということも言えます。

 

 ま、要するにクライテリオン=基準=ある種のテンプレート的なもの、様式、形式が失われているので、その形式やテンプレートに則って考えるとドツボにはまるというわけでしょう。

 そのドツボの最終形が先日ご紹介した足立議員ですとか、もしくはそれに賛同するネトウヨだとすると「あ、こうはなりたくないな」と思う人が多いハズ。

 

 難しい時代でありますけれども、明日からはしっかりと記事が書けるはず。何か関連したことでも書こうかと思います。

 

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本日の男の料理 電子レンジでスパニッシュオムレツ

 最近はちと減量を頑張っているのですけれども、炭水化物を少なくするのか?それとも脂質を少なくするのか?という議論がダイエット業界ではあるようです。

 最新の研究によると炭水化物、脂質をカットして比較したものがありまして、結論は「どっちでも変わらない」のだそうです。

 で、筋トレブロガーとしては炭水化物をカットするより、脂質をカットしたほうが良いだろうという結論に。炭水化物はエネルギーとして筋トレでも使いますけど、脂質はそこまでメリットがないですからね。

 

 というわけでスパニッシュオムレツ。卵は筋トレの味方ですけれども、サラダ油などを使うレシピが多いわけで脂質がどうしても多くなる・・・。ならばサラダ油など一切使わずに、フライパンすら使わずに、レンチンでスパニッシュオムレツを作ってしまえ!というレシピ。

 ちなみに画像は撮るのを忘れました(汗)

材料

  • ジャガイモ
  • 人参
  • しいたけ
  • 牛乳
  • 胡椒
  • 薄口醤油
  • サランラップ(食べない)

調理手順

  1. ジャガイモ、人参、しいたけなどは細かめにみじん切りにします。卵は3つ溶いて、牛乳を卵1つ分ほど混ぜて、塩、胡椒、薄口醤油で味付け。
  2. 深めのお皿を用意して、サランラップを底に敷きます。その上から1を流し入れて、上からもサランラップします。
  3. 2を電子レンジにかけて、中まで火が通ったら出来上がり。

 底にサランラップを敷くのは、さらに卵がくっつくからです。最後に上のラップを取って、皿をひっくり返して別のさらに盛って、ラップを取り除いたら出来上がるという寸法です。

 オムレツ系は卵をたくさん取れるのですが、ネックはサラダ油なので、このやり方なら油を使わずにスパニッシュオムレツが楽しめるという、ダイエッターにも必見なレシピなのです。

 必要は発明の母とはよく言ったものです。

 

 焼き色が欲しい場合は、一度皿に出したオムレツをオーブンで焼きましょう。

 フライパンよりも焼くのも簡単、時間も短め、油も使わない!と三拍子そろったレシピですよっと。

 

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