日清、日露の軍事と外交とその目的とは何だったか? | 反新自由主義・反グローバリズム コテヤン基地

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日清戦争の全体像とは何か?

 私、こまごましたことを語るのが割りと苦手ですので、ざっと日清戦争というものをまずは概観してみようと思います。

 まずは明治27年(1894年)という、明治の世が始まってまだ30年も経たないうちに始まった戦争であること、そして日本にとっては初めての近代戦争であったことが大きな特徴でしょう。

 当時の常識で見ますと相手の国家、清はアジアで(ロシアを除く)一番おおきな国家であり、日本が勝つとは予想されていなかったそうです。

 しかし各国の予想とは裏腹に日本は連戦連勝、とうの清でさえもあわてたようです。

 この原因として指摘されるのは日本の軍隊の近代的装備であり、また海軍力も近代的な最新鋭の戦艦をそろえていたことであると言われます。軍事的にはランチェスターの法則、近代戦闘の法則がそのまんま素直にでた戦争といえましょう。軍事的になにか興味をひくような戦争ではあまりありませんでした。

 唯一の日清戦争の目的は朝鮮半島をえることによって、日本の安全保障を確保することだったといえます。これは日露でも同様です。

 

 しかし外交において1つ、象徴的なことが起こっておりまして、それがいわゆる「三国干渉」と呼ばれるものです。下関での講和条約の交渉は伊藤博文が全権大使、そして陸奥宗光がその補佐にあたったようですが、当初の講和条約の戦略は西欧列強による干渉をまねかないことでありました。

 最初は強気の交渉をしていた明治政府ですが、李鴻章の暗殺未遂事件がおこるやいなや、清がわの要求していた休戦協定をさっと飲んだのも、西欧列強からの干渉をおそれたためと言われます。

 

 さて、交渉は明治政府の思惑どおりにほとんど運んだ、といってよいでしょう。多額の賠償金、朝鮮半島への清の宗主権の解消、遼東半島などの獲得。

 しかし下関講和条約が締結されたわずか6日後、ロシア、フランス、ドイツの三国干渉によって明治政府は遼東半島を放棄させられます。

 このときに日本が学んだのは「西欧列強に対抗する力なくば、理不尽な要求にも屈するほかない」ということでした。そしてこのときに日本には、主にロシアに対抗する海軍力はありませんでした。

日露戦争を概観する

 ここでは日清戦争における三国干渉のくだりを、十二分に踏まえることが大切でしょう。というのも日清戦争のあとに日本は、山本権兵衛によって海軍力の増強をはかり、わずか10年でバルチック艦隊に勝つほどの海軍を手に入れるからです。

 日本が外交交渉とは軍事の延長である、というクラウゼヴィッツが論じた概念を痛感した時代でありました。

 

 日清戦争をさかいに西欧列強、とくにロシアは清への権益の獲得に力をいれます。これがいわゆるロシアの南下とよばれるもので、それにたいして日本は日英同盟によって抑止力を得ようとしますが、いかんせん清、朝鮮半島の権益をめぐり当時の大国ロシアが日露戦争をおそれる理由はなかったものと思われます。

 日清戦争からわずか10年後に、日本はロシア帝国と開戦します。

 

 ちなみにこの開戦、早期に講和にもちこめたからよかったものの、当時のロシア軍は日本の10倍ともいわれる規模でして、かなり無茶な戦争であったというのは間違いありません。

 それにたいして日本の戦略というのは局地戦で勝利をおさめ、それと並行してアメリカに特使をおくってアメリカ大統領に講和の仲立ちをしてもらうというものでした。

 当時のアメリカとしてもロシアと日本のパワーバランスがある程度なりたつほうがよい、と判断したのでしょう。

 

 日露戦争はさまざまな論評がありますが、日本の大目的が朝鮮半島をおさえて日本の安全保障を確立することであったとすると、いちおうは勝利したと定義は可能でしょう。

日露戦争における軍事的ハイライト

 軍事的ハイライトとしましたが、旅順攻略と日本海海戦は特筆するべきものがあるでしょう。まずは旅順攻略がなぜ必要であったか?ですがロシア最強といわれたバルチック艦隊の日本海への到着前に、旅順艦隊をどうしても旅順からの砲撃によって無力化しておく必要があったのだそうです。

 つまり日本の連合艦隊への挟み撃ちを回避し、バルチック艦隊との決戦に持ち込むことがその目的でした。

 

 さて、旅順攻略のさいによく「乃木希典は無能な大将であり、児玉源太郎がきたことによって旅順が攻略された」という俗説がありますが、これは司馬遼太郎の創作であり、じっさいには乃木希典が旅順攻略の立役者であったのだそうです。

 また大本営からの司令は二転三転しており、旅順攻略部隊は非常に混乱をきたしたという事情もありますし、乃木希典も包囲によって陥落は可能と考えておりましたが、バルチック艦隊がこちらにくるまでという期限もあり犠牲の多い突撃を選択せざるを得なかったという事情もあるようです。

 

 旅順要塞は当時、最新鋭の要塞でありましてだれが指揮官であっても期限内に陥落させようとするならば、多大な犠牲が必要であったことは間違いないでしょう。

 このような事情を勘案せずに、乃木希典を無能だとする史観はどうも支持できません。

 当時の旅順要塞が「いかなる敵がきても3年は持ちこたえる」と豪語されていたことを思えば、わずか半年で旅順攻略を成し遂げたのはじつに凄いことだといわざるをえないでしょう。

 なお司馬史観による乃木希典批判はヴォーバンの「攻囲戦」を論拠にしているようですが、これは日露戦争の200年もまえに書かれた書物であり、旅順攻略に有効であろう戦術は第一次世界大戦の中期まで待たなければ存在していませんでした。

 

 ぜひともこの人格的(※1)にも、そして理論的(※2)にもきわめて優れた指揮官であった乃木希典が、再評価されてほしいと思います。

※1 ここについての詳細ははぶきますが、ぜひともwikiなどで読んでみてください。

※2 乃木希典自身も当時の欧州の軍事論文の殆どを読了している、理論家であったのだそうです。

日本海海戦とポーツマス条約

 日本海海戦については字幅はおおくは割きません。あまりに有名であり、秋山真之、東郷平八郎、そして丁字戦法といえばご存じの方もおおいでしょう。

 参謀、秋山真之の提出した丁字戦法は当時の海戦の常識とことなり、縦陣からの戦艦の突撃ではなく、横陣に展開して敵縦陣の各個撃破、集中砲火という特徴がみられます。

 1つ間違えば中央突破をゆるす作戦であり、よくもまあ東郷平八郎が決断したものだとも思います。

 

 結果的に日本海海戦によってバルチック艦隊は壊滅、この報に接したロシアからも和平への動きがみられ始めます。

 その背後関係をかいておきますと、ロシアもじつは財政事情が悪化しており、ポーツマス条約の全権大使として交渉にあたったセルゲイ・ウィッテは開戦前からの非戦論者であり、またロシアの大蔵大臣もつとめたことがあるそうで、ロシアの財政状況に詳しい方だったようです。

 

 一説には明石元二郎がロシアにわたり、調略活動をしてレーニンに資金援助し、それによってロシア内の革命の機運がたかまった、という話がありますが、どうも明石の活動はあまり実を結ばなかったと見るむきもあるようです。日本ではレーニンが「日本の明石大佐には感謝状を出したいほどだ」といったのが事実かのようにいわれますが、そのような事実はなかったようです。

 ただし明石元二郎の諜報活動はひじょうに質、量ともに優れたものであったことだけは間違いないようです。

 

 さてアメリカのポーツマスで講和交渉がおこなわれるわけですが、交渉の議題で注目するべきは樺太の割譲、そして12億円(当時)という賠償金でしょう。

 こまかい経緯はおいておくとして、明治政府としては朝鮮半島のロシア進出がふせげたこと、それで日露戦争の目的は達成しているわけですが、19億円といわれる戦費、そして国内世論のたかまりから、賠償金と領土の割譲は必須と考えたわけです。

 とくに日露戦争を遂行するにあたり、予算の50%を軍に振り向けるという状態がつづいていたため、日本国民が相手国に賠償金を求める、権益を求めるのは当然のことであったでしょう。

 

 結果として樺太、満州などの割譲はうけたものの、賠償金は明治政府が譲歩せざるを得ず、日本国内からはおおくの批判をあびることとなりました。

日清、日露を振り返って

 だいぶ長くなりました(笑)歴史物はどうしても長くなりますね(笑)書くのは楽しいのですが(笑)

 

 さて、日清、日露戦争を振り返るときに重要な点は「朝鮮半島」でありましょう。日清戦争も、日露戦争もその本質は日本の安全保障、そしてそのために朝鮮半島を獲得する、ということでありました。

 この本質は「本国いがいを戦場にする」ことといえます。そうすれば少なくとも、敵国が攻めてきた場合でも緩衝地帯である朝鮮半島を制圧された時点で講和し、日本への被害を軽微ににすることが可能でしょう。

 

 この発想は大東亜戦争のときの絶対国防圏に引き継がれていきます。

 

 しかしこの発想は兵站をのばし、容易に分断されるということは大東亜戦争で証明済みであり、その絶対国防圏の広さに日本の国力が追いついていなかったという証明です。ようするにこの発想は国力が追いつかない、もしくは衰えると破綻するというわけです。

 そしておなじ海洋国家であるアメリカは1945年以降、世界中に軍隊を駐留させておりますが、これも1945年~1970年までの強大なアメリカの国力があってこその芸当であり、現在のアメリカの国力は凋落しかけておりますので、将来的には破綻をきたすであろうことは明らかです。

 

 戦後秩序をつくってきたアメリカの戦略が破綻するとすると、日本はふたたび明治政府が奮闘したような状況になるのではないか?と思います。つまりは大国中国との対峙ですね。

 

 明治~昭和初期までの日本というのは、すくなくとも「日本の意志」をもって戦争をやり、講和し、もしくは失敗して占領されました。つまりは「日本なりの国家戦略」が存在したわけです。

 しかるに現在、日本において国家戦略とはあるのでしょうか?北朝鮮への対応も「万全を期す」といいながら、ひたすら何事もおこらないように祈るだけ、というのが日本の現在の姿勢ではありませんか?

 

 明治の先人たちが現在の日本を見たら、いったいなんと言うでしょう。

 

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本日の男の料理 きゅうりの酢の物

 暑さもだいぶ和らいできましたが、そのぶんキュウリが高くなっている(!!)ので、まだ安いうちに作りましょう(笑)

材料

  • きゅうり
  • わかめ
  • タコ
  • お酢
  • だし汁
  • 薄口醤油

調理手順

  1. キュウリは輪切りにして塩でもみ、水分が出てきたら絞ってボールに。タコはカット、わかめは水に戻して絞ってカット。全部ボールに。
  2. お酢1、だし汁1、薄口醤油少々を混ぜて1にかけ、少々時間を置いて味が染みたら出来上がり!

 キュウリをもむときは、キツめに塩をあてると仕上がりの味がしまりますよっと。

 

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