”『庶民が特権階級をやるということ』”レビュー | 反新自由主義・反グローバリズム コテヤン基地

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衝撃の石川氏の奥の深いコラム

 本日は進撃の庶民にて寄稿メンバーに加わられた石川氏のコラムをご紹介差し上げたいと思います。まず最初に一言、絶対読まな損やで?です。

 全体論的な印象としては、よくまあこの難しいテーマをこの文字数でわかりやすく、かつ簡潔に述べているものだ!という感心と感服がありました。冒頭の石川氏のコラムから、要所を引用して解説を試みようと思います。

僭越ながら解説を試みてみる

 まず最初のポイントはこの部分かと思います。

ですが、こうして実際に自分が寄稿の文章を書いていますと、おそれながら私、自分で自分を「庶民」と名乗るのに多少抵抗がでてきます。
と申しますのも、「庶民」という言葉からは、どこか
「土地や共同体に帰着した崇高なる民」
を想起するので、どうしても「いや、自分はそんな上等なものではない」と憚られてしまうからです。

 カツトシ氏などがよく論じておられるのですが、おそるべき近代の原子論的個人に帰着するグローバリズムや民主主義といった環境の変化は、一方で個人のアイディンティティを無力化しているのです。

 環境論決定論などでは「環境が個人のアイディンティティの多くの部分を規定する」のだそうで、これには政治体制なども含まれます。

 「自由こそが素晴らしいのだ!」という近代的価値観は、一方で自分が帰属するべきネーション(共同体)を次々に解体してきた、といえます。

 

 つまり石川氏の論では「庶民とは土着の民」という「ネーションに埋め込まれた存在」と規定されるのだろうと思います。そしてそのネーションは近代化という時代において無力化され、解体されているので、帰属するべきネーションがない、という時代の中で「庶民」を名乗って良いものなのだろうか?という問題の提起であろうと思います。(※1)

 

これは日頃からよほど気をつけていないと陥る、表現する者の「つまずきポイント」のひとつであり、そこでフっと気を抜けば、きっと邪悪なる「大衆」に取り込まれてしまうのです。

 そして石川氏の視点は庶民=大衆ではない、とここで明言されておられます。大衆人とはホセ・オルテガが「大衆の反逆」の中で批判したもので、簡単にいえば「専門バカ」でしょうか。

 もしくはハンナ・アーレントのいう「凡庸という悪魔」であり、これは「思考停止の悟性のみの存在」として描かれます。簡単にいうと「屁理屈バカ」でございます(笑)

 

 つまりこの場合の「邪悪なる『大衆』」とは全体を見ようとせず、思考停止し、容易にデマゴーグにのせられ、その結果として現実との認知不協和を生じさせ、現実を認めたくないがゆえに悟性によって延々と自分を正当化する理屈を探し続ける「邪悪で俗悪なもの」と定義できるでしょう。

 つまり「進撃の大衆」になってはいけない、表現するものは容易にこの落とし穴に落ちることがある、との戒めですね。

 

「封建を祖に持つ既得権益構造」
を徹底的に破壊しまくったのが、
「平成」
という時代の歴史でした。

 ※1の論に回帰するのですが、現在は日本的なもの、例えば「日本型企業」として年功序列、終身雇用を是としていた「既得権益構造」が徹底的に破壊された時代が平成であり、ある種の日本的価値観が失われていった時代であるというわけです。

 企業すらネーション(共同体)であったものが破壊され、単なるシステムに成り下がったわけです。こうしてアイディンティティを保てない原子論的個人が生産される、というのが今の時代だろうということでしょう。

 

ただ、この知識人たちの「既得権益打破の規制緩和論」も、「大衆世論」の俗悪な前提の上でしつらえられた合理であるから、
「ニホン属州民全体の俗悪」
 が、
「日本国民全体の庶民的生活の前提」
を破壊してきた……と評すのが適切かもしれません。

 非常に強烈なのですがこの表現に言及をしておかねばならないでしょう。「ニホン属州民全体の俗悪」とは戦後日本がアメリカの属国、いや属州であると明言されておられるのです。さもありなん、ごもっとも。

 そして国家を忘れひたすらにアメリカンナイズを受け入れてきた日本はもはや「ニホン」であり、そのうちに「NIPPON」になるであろうとするならば、かろうじて残っているナショナリズムの残滓を自覚して「抵抗するしかないだろう」というわけです。

 そしてこの認識こそが『庶民が特権階級をやるということ』という結論につながっていくのです。

そして、こうした「国家への責任と知性を持つ者」を「特権階級」と呼ぶならば、現代では別に「良い家柄や財産を持たないという意味での庶民」であっても特権階級たりえる可能性はあるのです。

 日本の幕藩体制、封建制度の裏にはノブレス・オブリージュがありました。身分の高いものはそれ相応の義務を負う、という話です。ある種の伝統に裏打ちされた経路依存性で、このような義務がおそらくは意識されていたでしょう。

 しかし黒船から明治維新、そして近代化を進み始めたときにその義務はどんどんと「既得権益の打破!」というトクヴィルのいう「僅かな不平等も許さない、絶え間なく平等を求める運動」によって壊されていきました。

 その末世的運動が「構造改革」「規制緩和」「官僚叩き」「既得権益の打破」「緊縮財政」という「平成の大衆運動」であったわけです。

 

 しかし石川氏はいうわけです。「庶民であっても特権階級たりえる可能性はあるのです。」と。つまり巨視的に国家を俯瞰し、正邪、善悪を見極め、経世済民を実現し得る「特権階級的意識」、つまり私のいう「アリストクラティック(貴族的)」意識を持つことが、現代では可能なのではないだろうか?と。

 そして「せめて自分はそうありたい、俗悪なものに堕ちたくはない」というのが、石川氏の自意識なのでしょうし、大変に賛同するところです。

生き方の問題

 何度か当ブログでも大衆人に堕した(主に)ネトウヨ批判を展開しております。その関連で少々言及するとすれば「勝ち組、負け組」「お金という平面化した価値観」等々の、基準として非常に単純で”わかりやすい”価値観の蔓延こそが、大衆運動を加速させ、多数決という「勝ち負け」の民主主義への自己破壊的な方向を加速させているのではなかろうか?と思います。

 何が破壊されるのか?共同体と国家でございますね。「アイコクシン!」と叫びながらその土台である国家を破壊するとはこれいかに?というわけです。

(サヨクはそもそも「アイコクシン!」と叫ばないので、放置しております(笑)その代わりに「ミンシュシュギ!」と叫んで、健全な民主主義を破壊する効用を彼らはお持ちですが(笑))

 

 それではこのような俗悪な大衆人に堕しないためにどうしたらよいのか?私なんかは「虚心坦懐」を心がけるようにしております。

 料理と一緒で、いくらご高説をたれられても「不味い」となれば、いらない!となるのと一緒。自分の舌と直感に正直でいること、これが肝要なのではないか?と思います。

 舌に自信を持つにはどうしたらよいか?陶芸でも将棋でも料理でもファッションでも小説でも漫画でもアニメでも、なんでも構いませんから「良いもの」に触れることじゃないでしょうか?と、恐縮ながら思うのですよっと(笑)

 

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本日の男の料理 袋ラーメンを出来る限り旨く食べる

 私も袋ラーメンとか普通に食べます。カップラーメンにはほとんど縁がないのですが、袋ラーメンは小腹がすいたとき用に常備しております。とはいっても、1ヶ月間1袋もへらない、なんてザラなのですが。

 今日はこの袋ラーメンをできるだけ美味しく食べようというレシピです。一人暮らしの男性諸氏にとっては心強いレシピです(笑)

材料

  • 袋ラーメン(醤油、豚骨、味噌なんでもOK。基本醤油ベースでのレシピです。)
  • 具材(ゆで卵、もやし炒め等々、好きなもの)
  • にんにく
  • ナンプラー

調理手順

  1. 面とスープは別々に作ります。麺はたっぷりのお湯で時間通りか、やや短めに茹でます。
  2. スープは基本、袋ラーメンに入っているもの+にんにくみじん切り+ナンプラー少々で味付け。
  3. 茹で上がった麺をザルで湯切りして、スープに入れて具を載せたら完成!

 どうも麺とスープは別々にしたほうが、ちょっと袋ラーメンっぽさが消える気がします。ちなみに「麺とスープは別々に」は袋ラーメンの基本技。

 さらに高度なテクニックは・・・茹でるお湯にベーキングパウダー(重曹)を入れるのです!プルプルとした食感で少し生麺に近くなりますよっと。(ただしコシはありませんが(笑))

 

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