今日はアメリカの大学の学部教育についてです。結論から言うと、アメリカの学部教育は基礎固めにかなり主眼を置きます。もちろん、それぞれの分野を学ぶ上で必要な基礎力ですが。例えば、僕はアメリカ来て最初の一年は経済専攻でした。その一年でとったのは、微積分、線型代数、統計、ミクロ・マクロ経済、といったもので、やたら数学系の授業を取らされたのを覚えています。


これはなぜかというと、アメリカの大学の基本的伝統として、学問の深みを学生に教えること、があげられます。いかに先人たちが築き上げてきた知識体系を後世に継承していくか、もちろん、そんなことを毎日真剣に考えている教授なんてほとんどいないと思いますが、18-19世紀に大学を作った人たちは、そういったことを真剣に考えて大学を作ったわけです。その結果、システムやカルチャーがそうなっていった、と僕は分析しています。


そういう理由で、大学としては学生の基礎固めを非常に重視するようになりました。経済学でも、学生に経済学の深みを理解してもらうためには、その結果学生が減ることになったとしても、数学を教えざるを得ないわけです。そんなわけでアメリカの大学は卒業しづらいわけですね。簡単に学位は授与しないし、でも学位を取れば、それなりの力はつくわけです。日本の大学はいつのまにか妥協してしまうようになりましたが、アメリカは今でもその厳しさは変わりません


僕は日本の大学が妥協するようになってしまった決定的な理由は、学部制にある、と思います。また、ここ10年くらいで、国際○○とか、環境○○、または総合○○といったような、名前からでは何を教えるのかが良く分からない学部が多く新設されてきました。これらの試みは、学部制の持つ弊害から逃れられてないが故に、たとえ一時的には成功したとしても、長い眼で見れば息続きしないように思います。学部制の弊害に関しては長くなるので、また後日に回したいと思います。


ともあれ、大学は教育の最高機関であるが故に、学問の厳しさ、深遠さを教えていくところです。そしてそれを後世に継承していく場所であって、それは大学発祥の時より、普遍の真理なわけです。そのミッションをサポートするためのサービスは大いに歓迎ですが、学問の質を下げることはサービスでもなんでもなく、ただの妥協になります。

明日から仕事の関係でシアトルにいってきます。その為、3日ほどブログを休ませて頂きます。様々なことが学べそうな3日なので、ものすごく楽しみですが、そのことはまた帰ってきたから報告します。


シアトルっていったら、イチローがいるところじゃん、って一瞬でも思ってしまった人は ここ をクリック

日本でもアメリカでも抱える共通の問題の一つが、学生の学力低下です。

しかしアメリカの場合は、日本よりも問題は深刻です。

日本はたとえ学力が低かったとしても大学にいったん入れば簡単に卒業できてしまいますが、アメリカではそうもいかない訳です。だからアメリカの中等教育(中学・高校のこと)は教育政策でもよく話題になります。今日はアメリカの中等教育、とくに高校に関連した話です。


まずアメリカの高校の教育を簡単に説明すると、アメリカの高校生は、日本の高校と違って授業を全て選択しますそしてカリキュラムもその高校が所属する地区によって全く変わるわけです日本の文部省のように、全国共通の教育要綱なんていったものはありません。必修科目や選択科目も州やその地区によって変わるわけです。また高校受験なんてものもありません。


これに関して皆さんはどう思うでしょうか?


僕は昔、それを「うらやましい」とよく思ったものでした。高校の時から自分の好きな授業を学べるなんて、さすが自由の国アメリカ、なんて思ったわけです。でも今は違います。逆にそれは良くないことなのではないか、と思うわけです。


それはなぜかというと、やっぱり基礎学力というのは非常に大事だと思うようになったからです。

それはこっちの大学院を行ってから思うようになりました。職場でもそうですが、やはり頭が切れる人、仕事ができる人、というのは基礎力があります。話をしていても、様々な角度から物事を見ることができたり、説明できるわけだし、論理的思考能力や頭の柔らかさも基礎力に比例するような気がします。かつて自分の大学の創立者が「創造する力」について述べていたことを思い出します。


「『創造』は単なるアイデアとは違うものである。しかし一つのアイデアを生むことさえも、それには基礎からの十分な積み重ねが要求される。学問における創造はそれとは比較にならないほどの基礎的実力を要求するのはいうまでもない。創造の仕事は高い山のようであり、それだけの高さに達するには、広い広い裾野と、堅固な地盤を要求する。幅広い学問的知識と深みのある思索の基盤の上に、初めて実りのある創造の仕事ができるわけである」


そういうわけで、僕は基礎力をつけることを目的とする日本の高校のシステムを悪いとは思いません。ただ教える先生のレベルの低さは問題だと思います。受験勉強を批判的に見る人もいますが、高校の授業のレベルが低い以上、大学の教育の質を保つためにそれはしょうがないことなのであって、大学受験というものはなくならないし、なくしたら学力低下の問題はいっそう高まると思います。


日本の中等教育は世界でもトップレベルにあるというのは有名な話です。

これが大学になったら一気にレベルが下がる、故に明らかに問題は大学にある、と僕は普通に思うわけです。


このブログを読んで、「日本の義務教育も捨てたものではない」、もしくは「日本の大学は一体何をやってるんだ!」って思った人は、ここ をクリック。


というわけで明日は、基礎力② -大学編- について書こうと思います。








先日、いつも読ませていただいているブログ「俺の職場は大学キャンパス」でアメリカと日本ののアドミッションオフィスについて書かれていました。日本のAO入試の裏事情みたいなものがわかって、非常に興味深い記事です。ただマイスターさんの言われるアメリカの大学に関して言えば、自分の個人的意見ですが、4000ほどあるアメリカの大学のほとんどはそこまで理想的な大学運営を行う余裕はないのではないか、というのが僕の見方です。


というわけで、今日は自分が働いていたコミュニティカレッジのアドミッションオフィスの話をしたいと思います。


コミュニティカレッジは日本で言う2年制大学ですが、日本と違うのは、Applyすれば誰でも入れるOpen Admissionを採用しているところです。高校さえ出ていれば、絶対に入れるわけです。そんなわけで入ってくる学生も、高卒の学生から、上は60くらいまでの人、または子連れの母親など、まさに様々な人が学ぶところで、まさにアメリカ高等教育の最前線です。またそんなわけで、2年間で卒業する学生というのはまれな存在で、大体3年間で卒業する学生の割合は全国で3-4割になります。(ちなみに僕のいたところはここだけの話ですが、20%程でした)。


そういう非常に幅広いバックグラウンドをもった人たちが来るのがコミュニティカレッジなので、アドミッションオフィスはまさに毎日が修羅場です。毎日訪れる入学希望者たちの質問に答えたり、願書のデータを入力したり、電話の受け答えをしたりと、なんかいつも忙しくしているところというイメージがありました。そんなわけで、彼らの役割は現場の情報を上に伝えるというのが、その主な役割だったように思います。


したがって、僕のカレッジでは、アドミッションオフィスの使命は、入学者を増やすために必要と思われる情報を上に伝えるということになります。では、その上は誰になるのかというと、大学によって変わりますが、僕のコミュニティカレッジでは、Director of Enrollment Managementになります。そして彼女は、大学のマーケティング課と連携をとりながら、カレッジの入学者数の動向をチェックするわけです。大体学期が始まる2ヶ月前から、学期が始まったあと約3週間、僕の所属したInstitutional Researchが毎日来学期の入学者状況を彼女たちや、学長などに報告してました。


というわけで話をアドミッションオフィスに戻しますが、僕のカレッジのアドミッションスタッフにもっとも必要とされている力、それはどれだけ自分の大学のことを知っているか、に集約されると思います(あくまでも自分の意見ですが)。スタッフは毎日のように、電話で学生やその両親からカレッジのことについて質問され、また毎日のようにカウンセリングをするわけです。まさに、大学窓口。学生も非常に幅広い人たちが来るわけなので、質問も多岐に渡るという事は容易に想像ができます。対応次第では、学生はその大学に来るかもしれないし、逆に嫌いになるかもしれないわけです。どこまできめ細かい対応ができるか、というのが勝負点ですね。ただし、それはあくまで僕の見方であって、それが常にできているかというと決してそんなことはありえなく、結構雑な対応をしているなと僕はそばで見ていてよく思いました。アドミッション畑で10年、とかという人たちが業務をこなすだけで精一杯になっているわけです。専門職だからといってそれが即プロフェッショナルかというとそういうわけでもない、という一つの例です。


ところでなぜ自分がアドミッションのスタッフにとって大学の知識が大事であると思うようになったかというと、それはアドミッションのディレクターがそういう人だったからです。彼女は学生時代にアルバイトとしてアドミッションで働き始めて、最終的に誰よりも大学のことを知っているということでDirectorになったわけです。学歴が求められる社会にあって、2年生の大学しか出ていない彼女の存在は非常にまれでした。しかし、大学のことでわからないことがあるなら彼女に聞け、と言うくらいの人だったので、もはや学歴は関係ないわけです。非常に謙虚な人でもありました。


彼女のような人を本当のプロフェッショナルというのだろうなと僕は思います。

「プロフェッショナル」、これだけでブログしばらく書けそうですが、それはまたの機会にします。





どうやらブログにもランキング、というものがあるんだそうです。


「アメリカの大学にも色々あるんだー」と思った人、ここ をクリックして下さい。





今日は今までと視点を変えて日本の話です。

衆議院が今週解散したそうですが、それに関連して内閣支持率の記事を見ました。

46%の支持率で前回よりアップ、といったような内容だと記憶しています。


自分は(一応)データを扱う仕事をしてきていたので、こういう記事を見ると、まずこの記事が本当かどうか疑ってしまいます。特に、日本ではよくアンケートが調査方法として使われますが、日本のアンケート調査の手法について、正直僕は不信感がぬぐい切れません。もちろん中には素晴らしいのもありますが、そうでないのも少なからずあります。そんなわけで以下が僕がアンケート調査を読む時の大体のチェックリストです。


1、いつ、どこで、誰を対象に調査したのかが載っていること。

2、何人にアンケートをお願いし、何人のデータを得ることができたのか(データ収集率)が載っていること。

3、アンケートをお願いした人たち、またアンケートに答えた人たちが、どれだけ全体を代表できているか、が分かること


一つでも当てはまらないものがあれば、自分の中では即アウトです。なぜ自分がこういったデータに対して疑ってかかるのか、それはデータの持つ負の側面を非常に恐れるからです。よいデータというのは本当に有用ですが、間違ったデータを鵜呑みにすると、痛い目にあいます。例えば天気予報も、本来は降水確率80%のところを間違えて20%なんて言われたら、多くの人がずぶぬれになってしまいますよね。だから、データを発表する人はその影響力をしっかり考えないといけないわけで、故にそのデータがどれだけ信用できるものなのかを常に一緒に書くべきだと僕は思います。


しかし、情報発信者の責任はそれはそれで重いのですが、受信者の方もしっかりしないといけないわけです。たしかStar Warsだったと思うんですが、ハン・ソロが大体このようなことを言いました。「騙すやつよりもそれに騙されるやつの方が愚かだ」と。データだけでなく、マスメディアに対してもそうかもしれません。そこに書かれているのは果たして信じれるものなのか、その真実を見抜く眼は自分で勉強して養っていくしかないと僕は思います。逆に受信者の目が厳しくなれば、発信者もうかつなことは言えなくなるわけですね。


そういう意味で、データを読み取る力というのは、物事の本質を見抜く力と比例しているように思います。だから僕自身、しっかりデータの本質を見極められるようにこれからも努力してしこうと思っています。


ところで、先日僕のブログが別のブログで紹介されました。

「俺の職場は大学キャンパス」という教育関連の中で大人気のブログがあるのですが、そこでこのブログを紹介していただきました。マイスターさん、ありがとうございます!この場を借りて、御礼申し上げます。


「俺の職場は大学キャンパス」

http://blog.livedoor.jp/shiki01/

今日は昨日の話の続きです。昨日は、連邦政府がアメリカの大学に通う全学生の個人情報を管理する方向性に向かっているという動きがあるということを延べ、個人的にはそれは賛成であるという話をしました。今日はその理由について書きたいと思います。そのためにまず、若干アメリカ大学史に触れる必要があります。


20世紀の初頭まで、大学の中心はドイツでした。それが第2次世界大戦あたりから学問の拠点がアメリカへと移行し始めます。様々理由はあるのですが、その中でも大きな理由とされているのが、連邦・州政府による大学への惜しみない援助でした。政府の援助は毎年無条件で増え続け、それに伴って、アメリカの大学の規模と質はどんどん上がっていきました。


ところが80年代に入り、アメリカ経済が昔ほどの勢いがなくなると、政府も昔のようなドンブリ勘定はできなくなりました。そして納税者も、政府のお金の使い方、また大学の価値に疑問を抱くようになってきました。これがいわゆるアメリカ高等教育におけるAccountability(説明責任)のきっかけです。大学は効率的な運営を求められるようになり、政府は効率的な財政政策を求められるようになりました。この辺、今の日本と状況が似ているような気がします。ともあれ、政府は無駄のないお金の使い方を求められるようになり、その圧力は年を経るごとに強まってきました。


これが政府がデータを必要とする理由です。


どの組織にも当てはまることですが、最善の手を打つために必要なもの、それは情報です。しかも情報は質が求められ、質が高い情報ほど、その威力は高くなるわけです。今、連邦政府はIPEDS (昨日のブログ参照)を通して大学情報を手に入れているわけですが、それを個人レベルにすることによって、より質の高いデータを求めているわけです(現在は大学単位でのデータしかない)。簡単に言うと、今までは例えばミネソタ大学に学生が何人いて、そのうち何人が白人である、といったような大学単位のデータしかなかったのが、個人レベルになると、例えばその白人の生徒の名前、出身高校、高校の成績、親の学歴、収入、年齢、性別、といったようなことがわかり、そしてその生徒が卒業後どこへ行ったのか、なんてことまでわかってしまいます。日本ではニートの存在が話題になっていますが、誰がニートで誰がそうじゃないか、ニートになっているのはどこの大学出身者が多いのか、なんてことまでわかってしまうようなものです。


そうすることによって、より質の高い研究ができるようになり、そしてそれによってより質の高い高等教育政策ができるようになる、というわけです。IPEDSは僕も利用していますが、正直、研究のデータとしてはあまり使えません。集めるデータも毎年ころころ変わったりして、一貫性がないのもその弱点の一つです。連邦政府からしたら、せいぜい最近のアメリカの大学の傾向くらいがわかるだけで、そのデータをもとにして質の高い政策を打ち出すというのは結構難しいように思います。そんなわけで、政策決定や研究に携わる人からしたら、喉から手が出るくらい欲しいのがこの個人情報なのです。


もちろん、プライバシーの問題がここには大きく関わっており、事は簡単には進まないとは思います。ただ、政府が個人情報をもつ方向にけしかけているのは、実は政府の効率的な運営を求める国民である、というのはなんとも皮肉な現実のような気がします。


最近アメリカばかりの話だったので、明日は視点を変えて、日本についての話にしようと思います。













昨日は、SHEEOの組織についての話でしたが、今日は昨日多少触れたFederal Governmentの高等教育への関わり方について、別の観点から述べたいと思います。


昨日のブログで、Federal Governmentの役割は基本的に学生支援であるということを言いました。ただしこれには裏があります。やっぱり政府もただでお金をあげるほどお人よしではないということですね。政府は高等教育に奨学金・ローンを通して財政援助をする代わりに、各大学に様々な要求をします。その中の一つ、それはデータです。今日はこのデータについての話です。


現在、各大学は毎年、Integrated Postsecondary Education Data System (IPEDS)というDepartment of Educationが管理するデータベースに各大学の情報を提出しなければなりません。データ収集は一回で全て行われるのではなく、秋・冬・春と年に3回にわけて行われます。もし大学がその定められたデータを提出しなければ、連邦政府からの援助が絶たれる、というルールです。どういう情報を提出しなければならないかというと、学生は何人いて、そのうちどれくらいがフルタイムの学生でといった単純なデータから、教授の平均給料(ランク・性別ごと)といった若干踏み込んだデータまで色々あります。


それと同時並行に、連邦政府が拠出する各奨学金に大学は定期的にApplyしなければならないのですが、その時にもデータの提出を求められます。こういうのはInstitutional Research の仕事なのですが、なんか結局自分は一ヶ月に1回くらいは連邦政府関連のデータ提出をしていたような記憶があります。


そんでもってここからが、今日のメインなのですが、連邦政府はこのデータ収集を大学レベルから個人レベルにまで拡大しようという動きがあります。個人レベルのデータとは、簡単に言えば、政府が学生全ての個人情報を知ることができる、ということです。連邦政府は5年に一回、Higher Education Act(HEA)という高等教育に関する法案の見直し作業をするのですが、今年がその年に当たります(本当は去年の秋頃だったのですが、大統領選挙のため今年にずれました)。この法律は、アメリカ高等教育の中で最も重要な法律で、政府はここで連邦政府の高等教育に対する関わり方を議論するわけです。


自分の上司の話によれば、今回のHEAの見直しではそれは多分起こらないだろうということですが、次の5年後の見直しではひょっとしたら起こりうるかもという話をしていました。実現のために議論することはあまりにも多いようです。ただ、この話、州レベルではすでに当たり前となりつつあります。情報源はすぐに思い出せないのですが、すでにアメリカ38州では州の政府機関がこういった個人情報を管理しています。


個人的な意見を述べるならば、自分は政府が個人情報を持つことには賛成です。ただし、純粋に研究目的のため、というところが保障されればですが。この辺の話は長くなるので、明日に回します。








今日は初仕事の日でした。

ほとんどが契約書や保険などのペーパーワーク、オフィスのセットアップで一日が終わってしまいました。

そういえばこっちの組織というのは、一人に一部屋与えてくれるんですよね。

前に働いていたコミュニティカレッジでも自分専用のオフィスをもらっていました。

もちろん組織によってこれも異なるとは思いますが、自分としては自分のオフィスを持った方が仕事に集中できるから助かります。


ところで今日は自分の働いている組織の紹介をします。State Higher Education Executive Officers (以下SHEEO)。いつも他人にどういうところで働いているのかと聞かれた時に、一言で何と説明していいのかわからないので、「シンクタンクみたいなもの」といっているのですが、実際は微妙に違います。この組織を説明するためには、アメリカの高等教育のシステムを多少理解する必要があります。


まず、基本的認識として、アメリカにおいて高等教育政策は州が取り仕切ります。かつて連邦政府の政策は(基本的に)奨学金制度、とくに貧困層の学生の支援に限られていました(最近20年でそれが中流階級の学生の支援にも連邦政府が踏み込むようになりましたが)。ともあれ、今でも学生支援という枠でしか連邦政府の権限はないわけで、従って、州の高等教育政策の権限は強大で、各州によって高等教育政策というのは大いに変わってくるわけです。そんでもって、各州にその高等教育政策の責任者がいるわけです。そして彼らをState Higher Education Executive Officerと呼びます。自分が働くSHEEOは、このExecutive Officerたちによって50年位前に作られたNPOなわけです。だから、名称も複数形なんですね。


SHEEOの最大の目的、それは実にこの各州のExecutive Officerたちのネットワーキングをすることになるわけです。実際、各州のExecutive Officerは意外と他の州で何が起こっているかを全く知らなかったりします。以前自分の前働いていた職場で、アメリカ中西部規模でExecutive Officerの会議をもったところ、他の州でどういうことが行われているかをほとんど誰も知っていなかったということがありました。


これって実は大学レベルでもよくある話なんですよね。以前働いていたコミュニティカレッジでも、学長とか副学長たちは他のライバル校の卒業率とか実は知らなかったりするわけです。またはある副学長の一人は知っているけれども、他は誰も知らなかった、なんてこともありました。(こういう人たちの情報交換・共有を促進するためにInstitutional Research は必要なのですが、ここでは話がそれるのでやめておきます)

他の組織で何が行われているかを知る、というのは非常に大事なことだと思います。だから逆に難しいことなのかもしれません。


ともあれ、こういう組織で自分は働かせてもらえるということにすごく感謝です。これからしっかり頑張っていきます。










過去の経験第2弾。

今日はまず一つの言葉を紹介したいと思います。


"An average institution expects to meet student expectations. A world class institution expects to exceed them" (平均レベルの大学は学生の期待に応えようとする。世界レベルの大学は学生の期待を上回るようにする)


この言葉、コミュニティカレッジの時の僕の上司のメールの最後にいつもついていたので、僕もいつのまにか覚えてしまいました。でも、この言葉、中々鋭いところをついていると思います。


この言葉は、ランキングなどでははかりきれない、しかしどのような大学であろうと満たしていなければならない一つの大事な基準を示しています。それは言い換えるならば、どれだけ大学が学生を大事にしているかという事です。かけがえのない学生生活、学生は希望を持ってそれぞれの大学に来るわけです。その学生の将来に対して、大学がどこまで真剣になりそして実践できているか、その真剣度合いが実は大学のレベルを決めるわけですね。


僕の友人曰く大学が学生を大事にした分、学生は大学を好きになる」。母校愛というのは、今では多くの日本の大学では廃れてしまったのかもしれませんが、アメリカでは卒業生の自分の大学に対する愛着というのは未だにとても強いです(もちろん大学によりますが)。母校愛というのは、それは大学がどれだけ学生を大事にしているかの裏返しになります。故に卒業生の母校愛があるところが、一流の大学の条件の一つだと思います。


例えばこれはある先輩から伺った話ですが、あるアメリカの私立大学では、2001年9月、同時多発テロが起こった時、学生たちが大学内に設置されているテレビに集まっていたのですが、その時、そこにいる学生たちに大学から差し入れが入ったそうなんですね。あくまでもこれは一つのエピソードでしかありませんが、大学がどのように学生を大事にしているかの一つの例だと思います。その先輩は「こんなに大事にされたら、学生もそりゃ自分の大学好きになる」と。僕も全く同感です。


もちろんアメリカの大学も約4000あるので、一概にアメリカの大学全部を一般化することはできません。でも一般的に優れた大学といわれているところは、学生を目に見える形で大事にしています。僕はそのために日本の大学職員は専門化していかなければならないと思いますが、それに関してはまた別の機会に譲りたいと思います。

まだSHEEOでの仕事が始まっていないので、今日はコミュニティカレッジの時の自分の体験を簡単に紹介したいと思います。過去2年間、自分はミネソタ州ミネアポリスにある、コミュニティカレッジ(2年生の大学)で、Institutional Researcher として働いていました。始めはインターンとして入って、そのうちパートタイムになり、正職員になるところだったのですが、今回のSHEEOの仕事が入ったため、こっちを選びました。


Institutional Researchとは、おそらく日本の大学でその部署を持っているところは少ないと思いますが、簡単に言うと、3つほどに役割がまとめられると思います。


1.大学首脳が必要な大学の情報を伝える

2.州や連邦政府、または一般企業が行うアンケートに答える(US NEWSとかのアンケートも答えます)

3.大学のデータベースの管理


この中で一番仕事の割合を占めるのは3のデータベースの管理。これに関しては後日また触れることにしますが、ともあれ、全体の仕事量の90%を占めるといっても過言ではありません。ともあれ、ここでの仕事を通して、自分は大学運営におけるInstitutional Researchの重要さを学びました。正直言って、今ではInstitutional Researchがない大学はどうやって大学を健全に運営しているのか理解できない、というくらいです。


その理由の一つにあげられるのは、大学首脳の人たちは、知っているかと思われているようなことを意外と知っていないからです。大学のトップの人たちは、それこそ分刻みで行動しているわけですから、その激務の中で大学の情報を独力で全ておさえるなんていう離れ業は不可能なわけです。仮に知っていたとしても、それをずっと覚えているという保障もありません。人間の記憶力なんてものは当てにならない、ということですね。ただ、個人レベルなら、その記憶違いによるミスは許されるかもしれませんが、組織レベルでは、そんなミスは絶対に許されません。だからInstitutional Researchというのは、すごく大事になってくるわけです。


アメリカでは80年代からInstitutional Researchの存在が認知されるようになり、今ではほとんどの大学がOffice of Institutional Research を持っています。日本もいくつかの大学にはあるという話を聞いたことがあります。競争の論理がそれなりに姿を見せ始めている日本の大学界でも、これから生き残ろうとするならば、必要な部署なのではないか、そう思います。


今回はいきなり専門的な話になってしまいました。明日はもっとくだけた話題について書こうと思います。




ずっとやろうやろう思って先延ばしにしていたブログをとうとう始めることにしました。

このブログのテーマは名前が示す通り「アメリカの大学事情」です。

現在日本では大学改革が叫ばれ長い年月が過ぎていますが、その中で、よく比較対象で使われるのがアメリカの大学です。したがって、アメリカで高等教育機関で働く者の視点から、できるだけ正確なアメリカの大学事情を日本の大学関係者、またはそれに興味がある人に伝えていく、ということがこのブログの主目的です。


そういうわけで簡単な自分の自己紹介ですが、私は日本の大学を出たあと、アメリカ・ミネソタ州にある University of Minnesotaに留学しました。そこで、高等教育を専攻し(修士)、その傍ら、約2年ほどミネアポリスにあるコミュニティ・カレッジと、州政府機関で働いていました。そして今回、就職が決まり、実は来週の月曜日からコロラド州・ボールダーを本拠地にする、State Higher Education Executive Officers という政府系NPOでData Analystとして、アメリカ50州の高等教育政策の分析・提言に従事することになります。自分の今までの経験等については、機会があるときに、この辺のことを書いていきたいと思っています。


今週の日曜日、長い年月を過ごしたアメリカ・ミネソタ州を離れ、昨日コロラド州のWestminsterというところに来ました。ミネソタからコロラドへの途中、お金が底をつきかけたり、何にもないところでトラックがエンストするなど、いきなりトラブル続出で、今後どうなることやら・・・。(とりあえず、アメリカで長距離引越しをする場合、U-Haulはやめておいた方がいいです。)


ちなみにミネソタ州とコロラド州がどこかを知りたい方はこちら


目標は「毎日ブログの更新」と言いたいところですが、ミネソタで前一緒に住んでいた後輩の星野君から、そんなにブログの世界は甘くない言われたので、「随時更新」と、あえて曖昧な表現にしておきます。とりあえず、続けること、これを目指し、内容のあるブログにしていきたいと思います。コメント、リンク等、大歓迎です。これからどうぞよろしくお願いします。