今日はアメリカの大学の学部教育についてです。結論から言うと、アメリカの学部教育は基礎固めにかなり主眼を置きます。もちろん、それぞれの分野を学ぶ上で必要な基礎力ですが。例えば、僕はアメリカ来て最初の一年は経済専攻でした。その一年でとったのは、微積分、線型代数、統計、ミクロ・マクロ経済、といったもので、やたら数学系の授業を取らされたのを覚えています。
これはなぜかというと、アメリカの大学の基本的伝統として、学問の深みを学生に教えること、があげられます。いかに先人たちが築き上げてきた知識体系を後世に継承していくか、もちろん、そんなことを毎日真剣に考えている教授なんてほとんどいないと思いますが、18-19世紀に大学を作った人たちは、そういったことを真剣に考えて大学を作ったわけです。その結果、システムやカルチャーがそうなっていった、と僕は分析しています。
そういう理由で、大学としては学生の基礎固めを非常に重視するようになりました。経済学でも、学生に経済学の深みを理解してもらうためには、その結果学生が減ることになったとしても、数学を教えざるを得ないわけです。そんなわけでアメリカの大学は卒業しづらいわけですね。簡単に学位は授与しないし、でも学位を取れば、それなりの力はつくわけです。日本の大学はいつのまにか妥協してしまうようになりましたが、アメリカは今でもその厳しさは変わりません。
僕は日本の大学が妥協するようになってしまった決定的な理由は、学部制にある、と思います。また、ここ10年くらいで、国際○○とか、環境○○、または総合○○といったような、名前からでは何を教えるのかが良く分からない学部が多く新設されてきました。これらの試みは、学部制の持つ弊害から逃れられてないが故に、たとえ一時的には成功したとしても、長い眼で見れば息続きしないように思います。学部制の弊害に関しては長くなるので、また後日に回したいと思います。
ともあれ、大学は教育の最高機関であるが故に、学問の厳しさ、深遠さを教えていくところです。そしてそれを後世に継承していく場所であって、それは大学発祥の時より、普遍の真理なわけです。そのミッションをサポートするためのサービスは大いに歓迎ですが、学問の質を下げることはサービスでもなんでもなく、ただの妥協になります。
明日から仕事の関係でシアトルにいってきます。その為、3日ほどブログを休ませて頂きます。様々なことが学べそうな3日なので、ものすごく楽しみですが、そのことはまた帰ってきたから報告します。
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