昨日のブログ では、アメリカの大学で学費があがり続けていく一つの理由についての話をしましたが、今日はそれについての政府の対応についての話です。


まず簡単な現状のおさらいですが、現在アメリカの大学全体で、学費の上昇が問題になっていて、その伸び率は年5%を超えます。これは毎年のインフレーション(約2-3%)よりも高く、つまり、大学教育の実質価格が上昇し続けているということを意味します。


自分で簡単な試算をしてみたのですが、例えば、現在のミネソタ大学(僕が通ってた大学です)のミネソタ出身の学生の払う学費は、各セメスターで13単位以上取れば、年間で$7140(約79万円)です。これが仮に年5%ずつ毎年あがっていくとどうなるか、2030年になると、$24,179(約270万円)。これは州立大学であって、私立大学ではありません。こうなったらもう誰も大学にいけなくなってしまいます。


というわけで、政府もこのままではいけない、ということで、先月22日、下院議員のEducation Committee(教育を審議するところ)が、”College Access and Opportunity Act of 2005”という法案を承認しました。その中の条項の一つに、「“college affordability index”(以下CAI)を創設する」というものがありました。


これはどういうことかというと、CAIは、過去3年間の各大学(私立・州立含む)の学費の上昇と、インフレーションの上昇を組み合わせてはじき出される数値で、もしその大学の次の年の学費の上昇率が、政府の決めたCAIを2ポイント以上上回ると、様々なペナルティが課せられることになります(罰金とかではありませんが)。ここではその内容は省きます。


詳しい内容はこちら


学生の立場からしたら、こういったことは歓迎できる動きです。しかし、高等教育全体の立場からいうと、連邦政府が私立・州立問わず大学にここまで圧力をかけられるようになってしまったということで、懸念もあるわけです。


大学自治というのは、大学の根幹であり、そこに政治が介入することを本来許しません。それは、大学という場所は、普遍的真理を追究する学府であり、その活動が政治のような一時的なものによって妨げられることを恐れるからです。


しかしアメリカの大学は、簡単に言うと、その権利を逆手にとって今まで好き放題にやってきてしまいました。そして1980年以降、それが様々な問題を産み出してしまったということです。いうなれば連邦・州政府が介入せざるを得ない状況を作ってしまった責任は、他でもなく大学側にあるわけです。経済学的観点から言えば、今まで大学教育という経済市場を大学のみに任せていたけれども、そこに歪みが生じたので、そのアンバランスを是正するために政府が介入したということです。


シアトルのカンファレンス で、政府と大学の関係についての議論がありました。その中で、出た結論というのは、これからは政府と大学が協力し合っていかなければならない、ということでした。つまり、21世紀のアメリカの大学は、もはや政府の支援なしでは存在し得ないわけで、政府の干渉なしに大学運営を続けるというのは、不可能であるということです。


しかし政府は、そこで調子に乗ってどんどん大学に圧力をかけることをするのではなく、また一方、大学側も政府の圧力を受動的にとらえるのではなく、その社会的責任を政府とともに考えていく必要があり、どうすればよりよい大学を築いていくことができるのか、そのためにともに協力し合っていくこと、開かれた対話を行っていくことが非常に重要である、というのがその結論でした。


翻って日本の大学と政府の関係は、アメリカとは逆に圧倒的に政府(文部科学省)が強いようです。これはこれでバランスが悪いです。政府も独立行政法人などによって小さな政府を目指していますが、いまだに高等教育改革は政府主導のトップダウン的なわけであって、これでは各大学が持つ本当の力を発揮することは難しいです。


日本の社会を外から見て思うのですが、日本の大学に関する世論は偏っているようにおもいますそれはおそらく、日本の高等教育改革に関する大体の情報発信元は文部科学省だからではないでしょうか。それに対抗できるだけの他の情報発信基地が日本にはないわけです。


しかしだからといって、各大学に自分の大学以外のことを考える余裕などおそらくないと思われるので、政府と大学のほかにもう一つ独立した機関が必要のように思います。アメリカではそれがNPO法人にあたりますが、日本でもそういった組織を今後もっと増やしていかなければいけない、そう思います。




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何回かにわたって、アメリカの大学の学費は上がり続けているという話をしましたが、今日はその代表的な理由の一つについての話です。もちろん、これは一般的にということで、細かい部分は大学によって変わってきます。しかしその前に学費が上がる仕組みを理解するためには、その学費が何に使われているかを知る必要があります。


当然のことながら学費というのは大学を運営するために必要な収入源です。アメリカの大学の収入源は、簡単に言うと、連邦政府からの拠出金(奨学金)、州政府(私立は奨学金のみ)、学費、大学の基本資産を運用して得た収入、あとは、あれば学校関係の商品の売り上げ、といった感じです。そしてその大学の支出の内訳は、大体人件費に75%かかるといわれています。ちなみに僕のいたミネソタ大学は80%でした。


というわけで、大学の支出の多くを占める人件費ですが、その中でも大学の上の人たちを困らせているのが、教授の給料なわけです。学費があがり続けている背景には、この教授の給料の上昇があげられます。


毎年、American Association of University Professors (AAUP)というグループが、教授の平均給料を発表します。それを元に、前僕が働いていた職場で、過去5年間で教授の平均給料がどれくらい変わったのかというリポート を発表しました。これはアメリカ中西部を対象にしたものなので、他の地域のことはわかりませんが、例えば、Big 10 Universities と呼ばれる、日本で言うところの大学リーグがあるのですが、

そのうちのいくつかを紹介すると、


教授の平均給料(教授のみ、助教授、助手等を除く)


Michigan State University:

給料:$101,800 (約1100万円強) 5年前との比較:$20,300 アップ(約220万円)


University of Illinois -Urbana Champaign: 

給料$111,800(約1200万円強)、5年前との比較:$20,200アップ(約220万円)


University of Michigan - Ann Arbor:

給料$120,200(約1320万円強)、5年前との比較:$19,300アップ(約205万円)


というように、軒並み教授の給料がここ5年間で200万円近く上がっています。もちろん、これは大学全体の平均なので、分野によってこの平均は異なります。例えば、理系や、法律、ビジネススクールの教授はもっともらっているだろうし、文学系の平均はこの平均よりもかなり低くなるはずです。そしてもう一つ、これは研究型大学なので、一番給料も高い部類に属します。リベラルアーツや、コミュニティカレッジはもっと低くなります。


このように、教授の給料も年をおうごとに高くなるわけです。その一つの理由は、大学としては良い教授を自分の大学にとどめておきたいからです。日本の大学と違い、アメリカの大学、とくに大学院に力を入れている大学間での教授の移動は非常に活発です。例えば、僕のプログラムにいたある教授は、かつてDepartment Chairであり、またその分野でも非常に有名な教授だったのですが、ある私立大学に2倍の給料で引き抜かれていきました。詳しい額などは不明ですが、ミネソタにおいても非常に重要な人だったので、ミネソタでの給料もそれほど低くはなかったと思います。


これは理系になるとこれはさらに激しさを増すようです。とくに、いわゆるランキングでトップクラスになるようなプログラム間では、有名な教授ほどヘッドハンティングが多いです。有名な教授を雇っている大学では、そのプログラムの質を保つためにその教授を確保するためにどかんと給料を渡すわけです。ところが、とくに裕福な私立大学とかは、さらにそれを上回るお金をボンと出してくるわけです。有名大学の理系の教授は、給料は2000万円を超えるひとが沢山います。


こういうマネーゲームになった時に強いのが、ハーバード、プリンストン、MIT、イェール、のようなトップクラスの大学です。彼らは潤沢な資金を元に、教授の確保にお金を惜しみません(もちろん外から見るとですが、内部はどう思っているのかは知りません)。そして、そのあおりを受けるのが、それよりもちょっとランクが下の大学なわけです。かつてコーネル大学の副学長だった人が、本の名前は忘れてしまいましたが、その本の中でいい教授は皆ハーバードに持っていかれる、お金が絶対的に足りないと嘆いていたのを覚えています。


もちろんこれらは極端な例ですが、一般的にどのレベルの大学においても、教授・助教授・助手等の給料はインフレーションよりも高いスピードで上がり、それが学費の上昇に影響を与えているのは事実です。これは、いい教授をなんとか確保しようという大学の思惑と、そして職場を変えるのが活発なアメリカ労働市場のカルチャーが影響しているような気がします。


日本では、教授の流動性をもっとあげるべきだという話もたまにあります。世代交代が進むにつれて、いずれ日本も必ずそうなっていくはずですが、その時にアメリカのようにマネーゲーム化しないことを望みます



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すいません、昨日は一日サボってしまいました。

でも、最初の段階で、「随時更新」といっておいたので、その言葉には反していないということでよしとしようと、自分で勝手に思ってますが、二日分という意味を込めて、今日は多少長めの文章になります。


今日の話題は“Full-time equivalent”(以下FTE)。これだけでは何のこっちゃと思う人が多いかも知れませんが、これは、公共政策レベルでも、大学レベルでも非常に重要な意味を持ちます。


FTEを日本語に訳すと、「一人分」みたいな意味になります。

これが Full-time equivalent student になると、学生一人分、Full-time equivalent Faculty になると、教授一人分、Full-time equivalent staff になると、職員一人分という意味になります。


以下がそれぞれの定義です。


FTE Student: 1年間(2セメスター)で30単位を取った学生のこと。

FTE Faculty: 大学によって定義は変わります。

FTE Staff: 週に40時間働く正規の職員のこと。


このFTE、耳慣れない言葉ですが財政政策(公共政策でも大学レベルでも)を決める上の単位として使われる基本用語の一つです。要するに一人の学生、教授、職員の平均値、といったような感じです。Head Count、 いわゆる頭数(または総数)は参考として今も用いられてますが、厳密性にかけるため、あまり用いられません。



これはどういうことかというと、例えば、二人の学生がいるとします。


一人は年間で2つしか授業を取っていなく、もう一人も年間で3科目しか履修しなかったとします。


一科目4単位として、二人の合計単位は20単位で、これはFTEだと、4単位×(2科目+3科目)÷30で約0.7人になるわけです。


しかし実際の学生数は二人です。


一方、大学からしたら、大学は一人一人を教育するためにそれなりにお金をかける訳です。


そういう経営者の視点で見た時、この二人にかける教育コストを2人分と考えると、それは1.3人分お金の無駄遣いになるわけです。


実際この二人の学生は、平均的な学生二人が履修するだけの単位をとっていないわけですから。





さて、政府からの立場から見ると、州政府からしたら、断然FTEなわけです。例えば僕の働いていたコミュニティカレッジでは、学生が7000人くらいでしたが、FTEだとそれが5000人くらいにまで減るわけです。例外もあるかもしれませんが、基本的にFTEは頭数よりも少なくなります。アメリカの州立大学は学生数によって援助金は変わってきます。FTEでみるか頭数で見るか、それこそ数十億単位で政府の支出額も変わってきてしまうわけです


しかし、これが可能なのは、単位の定義付けがしっかりとされてきたアメリカだからこそ可能だったのかもしれません・・・。





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今日は数日振りのシリーズ「アメリカ大学教育の苦悩」の第3弾です。

テーマは、貧富の差と卒業率。

言い換えれば、家庭の収入がどれくらい学生生活に影響を与えるかということです。


先月、一本のレポートが発表されました。

発表元はPostsecondary Education Opportunity という、アイオワ州に本拠地を置く、高等教育政策のシンクタンクです。ここの組織が、上記のテーマについての研究成果を発表しました。


要約すると、2000年の国勢調査を元に、家庭の収入別によって24歳までに学士号を取得する学生の割合がどう変わるかということを調べたのですが、それによると、2003年時点で、


$95,000以上 (約1050万円以上): 75%

$63,000-$95,000(約700万円ー約1050万円): 28%

$36,000-$63,000(約400万円-約700万円): 13%

$36,000以下: 9%


(25%の国民はそれぞれの階層のどれかに属します)


これを1980年の時点と比較すると、


1番裕福な階層:    45%

2番目に裕福な階層: 19%

3番目に裕福ない階層: 10%

それ以下: 9%


卒業率そのものの低さにも驚きますが、それ以上に問題なのは、低所得層出身の学生の失業率が一向に変わっていないということです。もちろん、1980年時点での人口は、今よりもかなり少なく、また人種の分布もかなり今と異なるので単純比較はできません。学生数も当時とは比べ物にならないくらい増えています。しかし、この数字が物語るのは、アメリカにおける貧富の差の拡大です。アメリカでは学部を卒業しないと就職できません。裕福な人は昔より裕福になっているけれども、貧しい階層の人は貧しいままである状態だということです。(先日のブログ参照


そしてこれが政策レベルで何を意味するのかというと、現在の政府の政策が貧富の差を解消する歯止めになっていないということです。今の政策、つまり奨学金・ローン制度ですが、1970年代に、全ての人が大学にいけるようにという理念の下で始まりました。しかし上記の数字は、この理念が空論に終わってしまっているということを物語っています。というわけで、このレポートは、政府は奨学金・ローン政策を見直すべきだという主張で締めくくっています。


ところで、このレポートを発表したPostsecondary Education Opportunity のトップである、Tom Mortensonという人ですが、歯に衣を着せない発言をすることで有名です。彼に根底理念にあるのは、貧富の差の解消であり、それが故に彼らが発表するレポートは常にその視点なわけです。


さて、そのTomですが、僕の大学院の授業にも2回ほどゲストスピーカーとして着てくれました。その時にせっかくの大物ゲストということで質問会となり、自分を含め学生たちが様々質問をしました。そして、一人の学生が次のような質問をしました。


「今後のアメリカの高等教育はどうなっていくでしょうか?」


これは、そこにいた学生全ての関心事であり、学生は彼は一体どういうことを言うのだろうかと、固唾をのんで彼の答えを待ちました。


そして、それに対しての彼の答えは、






「それは自分で考えなさい」




さらに引き続いて彼が言ったのは、自分はもう引退間近であり、これからはあなた方若い人たちの時代である。そしてそれは何を意味するのかというと、私ではなくあなたたちが自分たちで社会の諸問題を解決していかなければならない、ということである。だからあなたたちが考えないとだめなんだ。社会がどうなっていくかというより、あなたたちは一体どうしていきたいのか、それが大事である、ということを言いました。


何のために学ぶのか-。僕も大学院で色々勉強しましたが、この一シーンは、今でも忘れられないシーンの一つです。





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今日朝、Chronicle of HIgher Education という新聞を読んでいたら、このような記事がありました。


"Chinese Students Line Up for First Undergraduate Gay-Studies Course"

(中国人学生が初めて開講される同性愛についての授業に列をつくる)


ちなみにChronicle of Higher Educationとは、アメリカの大学にテーマを絞った新聞で、毎週1回、発行されてます。ちなみに電子版は週5回。海外の大学の記事も載せていて、非常に興味深い記事が多いです。たまに日本の大学の記事も出ます。日本でも購読できます。


興味のある方はこちら。 www.chronicle.com


というわけで、そのChronicleで見つけたのが上記の記事なのですが、記事を簡単にまとめると、中国の上海にある復旦大学が中国における同性愛を健康、法律、そして広くは社会的な視点から学ぶという趣旨のクラスをつくり(学部レベル)、それが話題を呼んでいるということで、さらにその財源の一部は上海の財団によってまかなわれるということです。


http://chronicle.com/daily/2005/08/2005082305n.htm  (残念ながら有料です)


記事によれば、中国は今まで同性愛を精神病とみなしていたのですが、それを2001年にやめたそうです。しかしその一方では、この5月には、北京大学はゲイ、レズビアンをテーマにした映画祭が大学で行われるのを拒否したという事実もあり、同性愛者にとっては未だに居づらい国のようです。


同性愛を大学レベルでも肯定的に捉えるような動きが中国でもある、ということに多少驚きつつ、果たして隣国の日本はどうなんだろうと思います。僕はミネソタ州に4年ほどいましたが、そこでは同姓愛者の権利は一人一人の意識レベルでしっかり確立されていて、同性愛者をそうであるという理由だけで馬鹿にするような人は田舎者として逆に馬鹿にされる、といったレベルにまで人権感覚は(日本と比べて)進んでいるわけです。


残念ながら日本では同性愛者どころか女性の社会進出も未だに欧米と比べてかなり遅れをとっていることに代表されるように、人権感覚が貧弱です。この辺社会の未成熟さを物語っているのですが、その辺の国民の人権感覚・意識を変えていくのは大学のひとつの役割のような気がします。今回の記事は、大学のひとつの果たすべき役割の一つを象徴的に物語ったケースのように思ったので、紹介させていただきました。



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今日も昨日に引き続いてアメリカの就職活動(特に大学で働きたい人)の話をします。

今日は新卒の学生や、Entry Positionの仕事への就職ではなく、アメリカの大学における教授や、リーダー的ポジションの就職です。


アメリカの大学では、年をとると共に役職が上がっていくといったような年功序列はありません。例えば、先週のシアトルでのカンファレンスの参加者も、州の高等教育の責任者であるけど、30代前半といった人が少なからずいました。年齢と役職は基本的に関係ないわけです。もっとも年齢の上の方のほうが、より経験をつんでいるので、年齢が全く関係ないとは言い切れませんが。


というわけで、アメリカの大学では、10年20年と同じ組織にいようと、役職が自動的に上がっていくということはありえないわけです。もっとも10年も同じ役職をやるということは、この世界ではあまりありえません。リーダー職は全て一般公募です。例えば、奨学金課の部長の職に空きができたとします。そうしたら、新聞広告などで募集があります。


ここからの手続きは、昨日述べたような感じなのですが、ただこういった管理職や、専門職の場合は全国的に探すので、待遇が変わってきます。面接を受ける人には、飛行機代、ホテル代、食事代、その他交通費等全て大学が支払います。しかもホテルは当然のことながらスウィートルーム。


しかし、ここまでしてくれる代わりに、面接は結構シビアです。ちなみに大体面接は半日から長いところでは丸一日かかるとこともあります。様々な人と面接をし、最後は役職関係なく職場の人が全員来て、1時間ほど質問攻めに会うわけです。職場の人たちからしたら、その人が今後自分の上司になるかもしれないので、真剣です。だいたい、ここでその人の真価が分かるという話です。本当にできる人は、その場を楽しみながらできるのだけど、力がない人は、見ていてかわいそうになると、私の知り合い(面接した側)の人がいっていました。


以上は大学のリーダー職の話ですが、教授になると、ここに学生が入ってくるわけです。候補者は自分の得意な分野のプレゼンをして、質疑応答を受けます。僕の専攻でも(ミネソタ大学)、新しい教授を一人雇ったのですが、同じようなことをしました。


と、このような厳しいプロセスを通して雇われるわけだから、当然それを乗り越えた人は実力があるわけです。アメリカの大学では、雇われた人は、どのようなポジションであろうと、かなり期待されます。それは厳しい専攻をくぐりぬけた実力者であり、即戦力であるからで、組織の発展への貢献度をかなり期待されるわけです。


日本の大学のレベルアップのためには、職員のレベルアップは欠かせませんが、年功序列制度を続けている限り、アメリカとの差はますます開いていくのは火を見るよりも明らかです。かと言って、今までの伝統を覆してアメリカ式の採用方法を用いていくということも無理があるし、今の段階では、そういう形で入った人はおそらく組織内の抵抗勢力によってつぶされてしまうでしょう。大学職員のプロフェッショナル化ということが良く聞かれますが、日本の多くの大学は正直言ってプロフェッショナルを受け入れられるような環境ではありません。


いわゆるプロと呼ばれる人は、自分の仕事にこだわりがあります。それが故に、環境を非常に大事にするわけです。自分の持ち味を最大限に発揮するだけの環境が整備されているのか、また自分を理解してくれる組織なのか、いわゆるプロは自分の仕事の質を維持するためにそこまで気を使うわけです。果たして、今の日本の大学でそういった人を受け入れるだけの度量があるのかどうか。入試やオープンキャンパスになったら全員狩り出されたりしているうちは無理のように思います。


それでは、一体どうすればいいのか。

正直僕にも分かりません。(涙)

分かる人がいれば是非教えていただきたいです。


ただ一ついえるのは、おそらく、今大学で働いている心ある職員の方たちが、自分の持ち場でとにかく結果を出し、10-20年後に偉くなったときに、自分のやりたいことができるような環境作りを今から、自分の身の回りから始めていくことが大事なような気がします。迂遠ですが、それがやはり確実なのかなと思います。「その間につぶれたらそうするんだ!」という反論がでそうですが、それは想定外ということで勘弁して下さい。(笑)


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昨日、アメリカでは高校卒ではもはや就職できない!という話をしましたが、今日はちょっと一息入れて、アメリカにおける一般的な就職活動の話をしようと思います。


日本における就職活動だと、大学3年の後期から4年の前期にかけて、学生が一斉に就職活動をするわけですが、アメリカにおいては、企業は新人一斉採用をしないさらにいえば新人を採用するということがないので就職活動は全て個人レベルで不定期に行われます。そんなわけで入社式なんていうものはありません。就職が決まったら、たいてい2週間-2ヶ月以内に仕事を始めることを要求されます。


また、アメリカでは、日本のように採用してから所属先を決めるなんて事はしません。前にそのポジションにいた人がいなくなったため、空きができたから公募するわけですので、公募の段階で、どの部署で、どのポジション、そして給料はいくら、なんていうことを公表します。だから毎回の公募で採用する人は一人です。


アメリカではほとんどが中途採用です。それは大学においてもそうです。たとえば、これはある私立大学の入試課のポジション(Admission Couseling)で、いわゆるこれはEntry Positionですが、以下がこのポジションの応募資格です。


-学士号

PRもしくはカスタマーサービスの経験-2年間

この大学のプログラム、サービス、施設に詳しいこと

文章力、コミュニケーション力

多様性のある環境で働いた経験

-マルチメディア機器を使ってプレゼンをした経験

学生、教授、職員、卒業生など全ての人と協力して働けるということを証明する経験

質の高いサービスを提供する精神

効果的な計画をする力と、問題解決能力

自分ひとりでも仕事をすることができる能力

高い倫理観と誠実な人格、そして上司によって設定された目標を達成する能力



これが一つのポジションに要求される力だということです
。それでもって応募者は履歴書を提出し、書類専攻で通れば、次に行われるのが電話によるインタビューです。そしてそれが通れば面接となります。面接は1-2回。多い時は3回というのもあります。もちろんポジションは一つしか空いていないので、採用人数は一人です。一つのポジションに少なくても30、多い時は200を超える応募なんていうこともあります。


ここで特に注目して欲しいのが1、2番目の条件。学士号と2年間の実務経験。これって矛盾してるんじゃない?と思う人が多いと思います。ようするに学部新卒には無理だということと、Entry Positionなのにすでに2年間の経験を要求しているわけです。僕も最初就職雑誌を見た時、こんなの無理、って思いました。


しかしここでのトリックは、2年間の実務経験といっても、正社員でなくてもいいわけです。だから学生はインターンとか、アルバイトを繰り返しするわけです。もちろん、アルバイトにも色々あって、その仕事と全く関係ない経験は年数に換算されません。


ともあれ、就職の際に重要になってくるのは、学位と経験。僕の先輩が、アメリカでは 学位×経験 という話をしていました。どんなに学位があったとしても、経験が0ならば、結局アウトだということです。



今日はこの辺で。ランキング はこちら











昨日 は、アメリカの大学の学費がどんどん上がっていくのに、学生数もそれに比例して増えていっているという話をしました。今日はその理由について話です。


「アメリカ社会は日本以上に学歴社会だ」というのは、結構有名な話かもしれません。しかし、日本で言う学歴と、アメリカで言う学歴は若干意味が異なります。


日本で言う学歴とは、東大、京大、早稲田、慶応などのような有名大学を出ていることを意味していると思いますが、アメリカでいう学士は学士号、修士号、博士号、といったような学位の高さを意味します。極端な例、ハーバードを出ていようが、その辺の州立大学を出ていようが、企業からしたらどこの大学をでたというよりもどのレベルの学位をもっているかの方が重要なわけです。もちろん、物事には例外はつき物で、企業によっては学閥もあるし、コネがなければ入れない、なんてこともありますが。


というわけで、アメリカでは学校よりも学位の高さが非常に重要になってくるのですが、そこで今何が問題なのかというと、それは高卒者たちです。シアトルのConference でも何回も話題になりましたが、今アメリカで高卒だけではもう就職はできなくなっている、というのは社会の常識になっているようです。もちろんアルバイトみたいな仕事はできますが、いわゆる中流階級レベルの生活をするためには、最低でも大学をでなければ、就職ができないわけです。もちろん大学をでさえすれ就職できるという保障はありません。ただ、最低でも就職戦線に参加することはできるわけで、高校卒業者は就職活動すらできないというわけです。

アメリカは日本と違って、貧富の差が激しいですそして、その差はますます広がっています。その原因の一つが、この労働市場の仕組み、そして学歴社会にあるわけです。


そして、貧困階級にいる人たちのほとんどが高卒者、もしくはそれ以下なわけです。彼らは、そういった暮らしから抜け出そうと、大学へ行こうとします。しかし、昨日述べたように学費の高騰がそれを阻むわけです。もちろん、政府も貧困階級対象の奨学金を給付しますが、財政難により支出を抑えざるを得ないわけです。州によっては、貧困階級対象の奨学金そのものを廃止してしまったところもあります。そしてその間に学費はどんどん上昇して行き、もはや奨学金ではまかないきれないレベルになって随分時がたちました。


では、そういう人たちがどうやって大学に行くのかというと、政府からローンを借りるわけです。そして学費の安いコミュニティカレッジに行きます。ただし、様々な研究で明らかになっているのは、ローンは政策的に効果的ではない、ということです。(これに関してはまた後日触れます)


貧富の差が激しくなると、社会は不安定になる、というのは国を問わず歴史の常であり、高等教育政策に携わっている人たちもそれは理解しているわけです。しかしアメリカ社会の現実は確実に二極化していっており、それを何とかして防ごうとしているけども、まだその見通しはたたない、というのが現状です。


ところで、アメリカの大学には様々な年齢層の人がいるといわれます。30代40代になって大学に来ている人は、もちろん趣味で勉強しているなんて言う人もたまにはいるかもしれませんが、ほとんどは就職をするために来ているといっても過言ではないと思います。日本では、「様々な年齢の人が学べるアメリカの大学はなんて素晴らしいんだ!」、と思っている人もいるかもしれませんが、それはそうせざるを得ないアメリカの社会状況を理解する必要があります。


故に、「日本の大学もアメリカのように様々な年齢層の人を受け入れていかないといけない!」、と思いたくなる気持ちは分かりますが、大学そのものの権威が失墜してしまった日本では、30-40になって大学にわざわざ戻ろうという人がいるのかどうかが疑問だし、需要がそもそもないような気がします。理想論としては素晴らしいと思いますが、理想論に手を出す前に現実になさねばならないことは山ほどあるように思います。


日本の大学で必要なこと、それは社会から失った信頼を取り戻すことだと思います



シリーズ、「アメリカ大学教育の苦悩」、まだまだ続きます。

アメリカの大学、結構大変なんです。



結構ランキングいい感じになってきました。詳しく見たい人はここ をクリック。





















というわけで、今日はシリーズ「アメリカ大学教育の苦悩」の第1弾で、今日のテーマは学費です。

現在アメリカ大学教育の問題の一つに学費の高騰というものがあります。

私立州立問わず、学費は過去10数年で一気に増え、その傾向は未だに止まりません。


例えば、僕が通っていたミネソタ大学の1年間の学費ですが、


1990年 $3791 (今の日本円で40万くらい)

2005年 $8029 (同 90万円くらい)


と2倍以上に跳ね上がっているわけです。


ちなみにこれはミネソタ州の学生の学費であり、これが留学生や、州外の学生になると、学費は3倍くらいになります。ミネソタは高い方の例ですが、全国平均でも、


1990年 $2995 (約33万円)

2005年 $5724 (約63万円)


と、約2倍になっています。


私立大学にいたっては、学費は悲惨なほど高く、全国平均で1年間の学費が$20、082(約220万円)で1990年時の$9340(約100万円)と比べて2倍以上となっています。


アメリカは、学費はお金のインフレーションもあるので、毎年あがります。これは昔からそうであって、今に始まった事ではありません。ただ問題は、学費の上昇のスピードがインフレーション以上だということです。アメリカにおいて、お金のインフレは、大体年平均で2%くらいです。ところが学費は90年以降毎年約5-10%の勢いであがり続け、ひどい州では20%の値上げなんていうところもありました。


そしてその上昇の勢いは今もとどまることを知らず、これからも続くだろうというのが大方の見方です。州や連邦政府は、奨学金を通して、なんとか学生の負担をやわらげようとするわけですが、もうそれだけではなんともならなくなってきてしまいました。そしてさらに折からの不況もあり、政府は緊縮財政をしき、高等教育への支援もここ数年で各州で何百億という単位で減ってきているわけです。


あがり続ける学費と、減り続ける政府支援、今はまだ何とかなっているが、今後一体どうなるのか。これが市場経済の話なら、もう今頃破綻しているでしょう。ところがこれは教育の話であり、今までアメリカが直面したことがない問題なわけです。


しかし、アメリカの国民も、これだけ学費が上がっても、やはり大学に行きたいわけです。フルタイムの学生は90年は約800万人でしたが、今は約1000万人になっています。そしてこれは今後増えていく傾向にあります。なぜそこまでして皆大学に行きたがるのか、それにはアメリカ社会の抱える理由があるわけですが、それは明日に回します。



アメリカの大学やばいじゃん!って思った人は、ここ  をクリック



さっき無事にシアトルから帰ってきました。

シアトルで何があったのかというと、月曜日から木曜日にかけて、シアトルでSHEEO主催のConferenceがありました。全米42州から178人の参加者で、今回の参加者のバックグラウンドは、州の高等教育の財政の責任者、Academic Affair(教学って言うんでしょうか?)の担当者等、州の高等教育において中心的な役割を果たしている人たちを中心に、アメリカの高等教育の今後の方向性について様々意見交換などを行いました。


今回、様々なことを学べたのですが、それ以上に感じたのが、もっともっと自分は勉強しなければならないということでした。自分でこう言うのも多少気が引けるのですが、自分の中でアメリカの高等教育に関してはそれなりに知っていると思っていました。しかしそれは自己満足のレベルでしかなく、各州の内部事情とか、各州で現在何が問題になっているのか、知っているようで実は知らないことが多かったんですね。それがあからさまになったのが、議論する時ですね。話し合いになっても、どうしても聞き役オンリーになってしまい、相手の言っていることを理解するのに精一杯で、発言をするにしても、質問をすることで精一杯。こういうのは精神的に楽じゃありません。


たしかに自分は相手から学ぶことができたけど、相手は自分から何か学ぶことができたのだろうかと考えた時、反省が残りました。対話って言うのはやはりギブアンドテイクなんですよね。相手が興味を持つようなことを言えなければ、対話って言うのは成立しないわけです。自分の中のインプットをもっともっと増やさなければ、この世界ではやっていけない、そう思いました。


と自分の感想はこれくらいにして、Conferenceの話をします。

今回の会合で明らかだったこと、それはアメリカの高等教育政策に従事する人たちは、現在の状況に非常に危機感を感じている、ということです。


現在、世界中から羨望の的であるアメリカ大学界ですが、心ある人たちの間では、その繁栄はピークに達し、もう過去の話となってしまった、というのが一般的な見方なようです。これを防ぐのための、政策が必要だ、というのが政策決定に関わる人たちの思いです。


(ところで、たまに日本でアメリカ高等教育は市場主義経済化してしまっているという話を聞きますが、それは間違いです。援助を含めて、私立州立問わず政府が介入しまくっているわけだし、税制の待遇も企業なんかと比べて格段に違うわけです。なんだかんだ言っても所詮教育機関なので、企業のような激しい競争があるかというと、そんなことはなく、しっかり政府に守られているわけです。僕の個人的意見としては、アメリカの大学の今の繁栄があるのは、それは州と連邦政府の数々の政策の効果であると思っています。)


話を戻して、そういうアメリカ高等教育界において、何が問題なのか、これを全て書こうとすると、かなりのスペースを必要とするので、数回に分けてシリーズ化しようと思います。まず明日は、アメリカ高等教育の苦悩①-上がり続ける学費-、について、Conferenceの話に触れながら書こうと思います。




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