昨日から始まったアメリカ大学史、今日はアメリカにおいて、現在の形の私立大学がどのようににしてつくられていったかという話です。
最初のアメリカの大学は、全てNew Englandと呼ばれるアメリカ北東部に存在していました。その地方の名前からも伺えるように、独立前はイギリスの植民地であり、イギリス法が使用されていました。
当時、イギリスの法律では、大学を作るためには、王の許可を得なければならない、というルールがありました。大学だけではなく、全ての法人を設立するために、王の許可が必要な時代であったわけです。
大学の次元で、これは何を意味をするのかというと、大学が王の支配下に置かれるということになります。具体的には、大学は設立を認めてもらう変わりに、王室による視察を受け入れなければなりませんでした。
ところが、こういった法律があったのにもかかわらず、ハーバードや、イェールは、実際に王からの許可をもらわないまま、大学を創立してしまいました。当時、イギリス本国では、国教と異なる教義を信ずる異教徒たちへの迫害が続いており、アメリカにいる「異教徒」たちは、王によって、自分たちの教育が阻害されることを恐れていたからです。ハーバードは、王の代わりに、植民地政府からの許可を取り、それをもって自分たちの法的正当性を主張したりしました。結局、ハーバードは、最後まで王からの許可を得ないまま、アメリカの独立を迎えます。
アメリカが独立して以降は、大学と王の関係は、そのまま大学と州政府という形で引き継がれていきます。植民地時代につくられた大学は、イギリス王室との駆け引きには成功しましたが、州政府に対しては今までのようにはいきませんでした。昨日も触れましたが、州政府は大学に援助金を拠出していたわけです。それを根拠に、州政府はこれらの大学はPublicであるべきだと主張し始めました。このような、大学はPublicなのかPrivateなのか、という議論は、世紀が変わって19世紀に入っても続きます。
そして、19世紀に入ってしばらくして、一地方で起こったある事件が、アメリカの大学界を揺るがす事件へと発展していきます。そしてその結果、PublicとPrivateの議論は一気に収束していくのですが、それは次回の話ということにします。
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来週からまたしっかりと書いていくのでよろしくお願いします。