今日は昨日の話の続きです。昨日は、連邦政府がアメリカの大学に通う全学生の個人情報を管理する方向性に向かっているという動きがあるということを延べ、個人的にはそれは賛成であるという話をしました。今日はその理由について書きたいと思います。そのためにまず、若干アメリカ大学史に触れる必要があります。
20世紀の初頭まで、大学の中心はドイツでした。それが第2次世界大戦あたりから学問の拠点がアメリカへと移行し始めます。様々理由はあるのですが、その中でも大きな理由とされているのが、連邦・州政府による大学への惜しみない援助でした。政府の援助は毎年無条件で増え続け、それに伴って、アメリカの大学の規模と質はどんどん上がっていきました。
ところが80年代に入り、アメリカ経済が昔ほどの勢いがなくなると、政府も昔のようなドンブリ勘定はできなくなりました。そして納税者も、政府のお金の使い方、また大学の価値に疑問を抱くようになってきました。これがいわゆるアメリカ高等教育におけるAccountability(説明責任)のきっかけです。大学は効率的な運営を求められるようになり、政府は効率的な財政政策を求められるようになりました。この辺、今の日本と状況が似ているような気がします。ともあれ、政府は無駄のないお金の使い方を求められるようになり、その圧力は年を経るごとに強まってきました。
これが政府がデータを必要とする理由です。
どの組織にも当てはまることですが、最善の手を打つために必要なもの、それは情報です。しかも情報は質が求められ、質が高い情報ほど、その威力は高くなるわけです。今、連邦政府はIPEDS (昨日のブログ参照)を通して大学情報を手に入れているわけですが、それを個人レベルにすることによって、より質の高いデータを求めているわけです(現在は大学単位でのデータしかない)。簡単に言うと、今までは例えばミネソタ大学に学生が何人いて、そのうち何人が白人である、といったような大学単位のデータしかなかったのが、個人レベルになると、例えばその白人の生徒の名前、出身高校、高校の成績、親の学歴、収入、年齢、性別、といったようなことがわかり、そしてその生徒が卒業後どこへ行ったのか、なんてことまでわかってしまいます。日本ではニートの存在が話題になっていますが、誰がニートで誰がそうじゃないか、ニートになっているのはどこの大学出身者が多いのか、なんてことまでわかってしまうようなものです。
そうすることによって、より質の高い研究ができるようになり、そしてそれによってより質の高い高等教育政策ができるようになる、というわけです。IPEDSは僕も利用していますが、正直、研究のデータとしてはあまり使えません。集めるデータも毎年ころころ変わったりして、一貫性がないのもその弱点の一つです。連邦政府からしたら、せいぜい最近のアメリカの大学の傾向くらいがわかるだけで、そのデータをもとにして質の高い政策を打ち出すというのは結構難しいように思います。そんなわけで、政策決定や研究に携わる人からしたら、喉から手が出るくらい欲しいのがこの個人情報なのです。
もちろん、プライバシーの問題がここには大きく関わっており、事は簡単には進まないとは思います。ただ、政府が個人情報をもつ方向にけしかけているのは、実は政府の効率的な運営を求める国民である、というのはなんとも皮肉な現実のような気がします。
最近アメリカばかりの話だったので、明日は視点を変えて、日本についての話にしようと思います。