この世界には「法則」があります。
「不干渉の法則」や
「自由意志の法則」や
「自己責任の法則」や
そして「カルマの法則」も。。。
※制作中につき、2018年2月2日の過去記事を再掲載してます。
前回からの続き。
↓
では、
わかりやすいように受講生Aさんのメールを、
またまた部分的に再び掲載してみます。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
③
それと同じ感覚ではないとは思いますけど、
いろいろなスピブログを見ていると、
日替わりで、いろんな神様とか大天使とかアセンデッドマスターとかと会話して、いろんなメッセージを書いている人がいますよね。
または、日常でお知り合いとかと
いっしょに過ごしているときに 、
その人の守護霊がこういうのがわかったとか、
そのひとの前世が見えて、その人のカルマがわかったとか・・・
あとは、
神仏とかとの縁をつなぐとか、
エネルギー伝授とか、
○○のアチューメントとか・・・
表現も自由だし、感じることはそれぞれだからいいんですけど、
そういう人たちのブログとかを、たまに見ると、
「この人は、本当にこの存在とチャネリングして書いているんだろうか?」
「勝手に他人の前世を見たり守護霊を視て、批判したりして、いいんだろうか?」
「人間に、本当にそういうこと(神仏などの力を他人に移すとか)ができるんだろうか?」
と思って、その後に、
「もしこれらがこの人たちの妄想だったとしたら、この人たち、死んだ後とかに、本当の見えない世界から、罰を受けたりするんだろうか?」
とか、
「本当の○○神様がいるとしたら、わたしはそんなこと(たとえばアチューメントとかエネルギー伝授とか)はしていないって、罰が当たったりするだろうか?」とか、
これまた、「視えない世界への怖さ」
みたいなものがあるんですよね。
しかも自分とは関係ない人にまで・・・。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
ってなわけで、今回は③ですね^^
まず、私を含めて我々みんなが
気をつけた方がいいな、と思うこと。
あんまり他人の方に
目を向けなさんな♡( ´ ▽ ` )ノ
自分とは何の関係もない見ず知らずのスピの人が何か言ってても、
いちいち気にしたり、真相を追求しようとしなくていいですよ^^
他人のやってることに監視の目を光らせるのはやめませう
…ってことを一応、前提にしておいて、と。
>日替わりで、いろんな神様とか大天使とか
アセンデッドマスターとかと会話して、
いろんなメッセージを書いている人がいますよね。
ここでも書きましたが。
↓
実はこの疑問、他の視点からも大事なことなんです。
ここの部分はエビデンス?を用いて
詳しく説明したいところですが…
ブログで書けることには限度があるので
チャネリング講座や闇茶会などで、
ガッツリお話しできます!(笑)
で。
アチューメントやエネルギー伝授は、
きちんと行われているものがたくさんあります
実は、密教系のものや、
某古代文明の流派のは、
伝授めっちゃ多いですよー
ただ残念なことに、
詐欺まがいの人達がいるのも事実です
↓
でもそこは深く追わず、
色んな人がいるからねぇ~と達観しときましょう^^
そんな人たちの悪意にフォーカスしすぎて、裁くような気持ちになっちゃったら本末転倒なのでね(・ω・)ノ
では、
密教系やら某組織からの伝授を、
もしも自分勝手な判断で悪用・乱用したら…?
その場合、その団体の
見えない存在から大目玉を喰らいます。
これは当然です。
「伝授して得た力」ってのは、
自分の力で体得したものじゃないわけですから。
ただ、ホントの伝授じゃなくて、
勝手にご神仏の名前を使ってるだけっていうのも、結構ある気がします。
もちろんホントの場合もあるかもですが。
「〇〇の神さまからのエネルギーです」
「〇〇観音のアチューメントです」
でもね、そういうのにイチイチ目くじら立てないで
「ああ、神さまの名前にあやかりたいんだろうな」と、遠巻きに見ていればよろしいかと^^
三次元だったら、特許権・商標権の侵害っぽいですけど(笑)
見えない世界にはありませんからね、そういうの。
では、
もしその辺のスピの人が、
神の名前を語って悪用したら…?
はい。
その場合も、ほぼ罰は当たりません。
意外ですか?(・∀・)
宇宙とか?神さまとか?
そういうめっちゃ大いなる存在?が、
悪いことをした人間にバチを当てるんだ!…みたいな発想は、はっきり言って超古いです。
一見罰が当たったかのように見える現象も、実は守護さんが気づかせようとしてる場合が多いんですよね。
要するに…
罰(バチ)なんて当たらないんです。
「~~すると罰が当たるぞ!」
「~~しない人間なんて、
そのうち罰が当たるんだ!」
我々はずっとこうやって「罰(バチ)の呪文」をかけられてきたんですよねぇ(;´▽`A
これって「悪口の正当化」なんですけどね(笑)
脅しですから
では、
勝手にご神仏の名というご威光を使って、
やりたい放題悪いことしてる人間でも、
正当な伝授じゃないから叱る存在もいなくて、何のお咎めも無しなのでしょうか?
はい。
三次元的に見れば、お咎めなしです。
ムカつきますか?(笑)
ムカつくよね!!!!( ̄□ ̄)
いやわかるよ、ホント。
でも、自分の胸に手を当てて、
よ~く考えてみたらね。
「罰が当たる」って言葉ってさ、
何の根拠もなく、ただムカついた人に当たり散らしたいだけじゃない?
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、ムカついた相手を傷つけたいだけじゃない?
むしろ、
「罰が当たればいいのに!」
って思ってない?
(私、以前は思ってたw)
「出来事」と「感情」は分けて考えないと、論点がズレちゃうからね~
もし悪用した人間が、自分が悪いのをわかってて続けていたら、
普通は守護さんから何らかのサインがきますし、ちょくちょく邪魔が入ります。
でも、力の強い人だったら押し通すこともできますね。
その結果、どうなるか。
意図的にやってるなら「カルマ」になります。
あ~また出ました(>'A`)>クァルマ~~ッ☆
何度もいうけど、カルマって聞いただけで
無駄に怖がらんといてね^^
でも、ぶっちゃけ、
罰が当たってハイ終わり~の方が、
まだ可愛いもんなんじゃないかなぁ…
こういう人は何度生まれ変わっても、
わかるまでずっとカルマが重く続くからね
つまり、自分で罰を当ててる状態なんです。
神さまとかが当てるんじゃなくて、
罰って自分で当ててるんですよ。
それを、聞き分けのないアホな人間を言うこときかせるために、「
そんなことしてると、(省略)罰が当たるんだぞ!」って、昔の人は言うようになったんじゃないかな。
大事な経緯が省かれた説明になって、
時代を経て、罰の呪文になったのではないかな。
そしてそれが、初期設定のプログラミングになってしまった、と。
だから他人の罰のことまで、
いちいち気にしなくていいのだ。
いつの日か、罪に心を痛めるようになるまで、その人の課題が増えるだけだから。
では。
それとは違って、もし本気で
「自分は〇〇神さまのアチューメントができるんだ!」と固く信じていて、
それを人様に施すことが清き道だと、
心から思っている場合はどうなのか?
その場合、カルマは無いです。
基本的に。
釈然としない人もいるでしょうが(笑)
そんなもんなんです( ̄∇ ̄)
むしろ、本当は何の力もなかったはずでも、
心の底から愛と感謝と喜びでアチューメントしてたら、少しづつパワーが入る場合だって無きにしもあらず… です。
信じ切ってる人の場合ですけどね。
奇跡が起こる可能性もあります。
「じゃあ私も神さまの名前を勝手に使って、ラクにスピ仕事して金稼ぐ~♪」と思った人
無理だよ、もう知っちゃったから(笑)
わかってて意図的にやったらヤバいでしょ。
罪悪感はラスボスなんだよ
それに、お客さん側が「素晴らしい神さまのエネルギーに何度でもおすがりしたい」って深刻に依存しちゃったら、お互いにカルマの関係になります。
まぁでも、だからダメとか悪いとかって結論ではないです。
人間は間違うことも多々あります。
失敗から学ぶことも多いですしね。
それに、カルマは怖がるものではない。
カルマの仕組みを理解すること。
それは、罰でも忌むべきものでもなく、
本来の魂を思い出すために有効なシステムである。
そこに気がつくと、
カルマを超えて、解放が起こる。
原因の「因子」を変え、
因縁を解消していく。
そうなると、カルマのチェーンは不要になるのです。
長くなったので、次回に続く~(´ω`*)ゞ
かもしれない??
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