46歳の夫は悪性脳腫瘍(膠芽腫)で手術をして約1年6ヶ月闘病後、2024年8月27日に旅立ちました。手術の後遺症で認知症を発症して寝たきりでした。

 

かたつむりここまでの経緯

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8月26日 亡くなる1日前の午後

酸素量は80〜85%。

熱は38.0〜38.3度です。

 


 

13時〜16時

 

友人たちも帰り、訪看さんも帰り、娘はまだ学校、息子も学童へ行っていて、

 

2人だけの時間を過ごしました。

 

夫が好きだった曲をパソコンから流し、

 

手をずっと握っていて、時々口から出てくる唾液を拭いてあげながら、

 

たくさんの言葉を夫にかけました。

 

ありがとね、安心してね、愛しているよ、大好きだよ、ずっと一緒だよ、

 

私はここで娘と息子を立派に育てるから、

 

先にお空の上で待っている双子の子たちをよろしくね。

13年前の双子死産のこと >

 

 

 

時々起こる発作の合間に、後悔のないようにたくさん話しました。

 

 

そして、

 

「もっと色々2人で旅行に行きたかったね。来世のお楽しみだね。また、会ったときのお楽しみ」

 

と夫に言った時に、これまた偶然かもしれないけど

 

「あーーー」

 

と声を出しました。

 

偶然かもしれません。でも嬉しかったです。

 

 

 

17時

 

息子や娘も帰ってきて、夫のご両親も来ました。

 

そしてもう一度訪看さんに来てもらって状態を確認してもらったりと、

 

ちょっと賑やかな時間が続きました。

 

訪看さんが「娘さんや息子さんもお父さんと2人きりになって、お別れの時間を作ってあげてくださいね」

 

と言ってくださいました。

 

今日晩から明日は、胃ろうから入れる栄養剤は一旦中止で、薬や水分量の確認などを行いました。

 

 

19時

 

昨日のカレーをみんなで食べた後、

 

娘、息子、それぞれ5分ほどお父さんと二人きりの時間を作り、

 

お話をさせました。

 

息子はどんなお話をしたかはわかりませんが、娘は私と同じように

 

双子のこと頼むね!と伝えたそうです。

 

 

 

20時

 

発作がひどくなってきて、午前中のような大きな発作が出るようになりました。

 

酸素濃度もその度にどんどん下がってきて、70%台になることも。

 

頭付近は熱があり熱いのに、手足が冷たくなってきたので、

 

さすってあげたり布団をかけてあげたりしました。

 

 

 

22時

 

大きな発作が続いたので、再び訪看さんを呼び、主治医の先生も来てくださいました。

 

今まではベッドの背もたれを20度くらいあげていたのですが、

 

呼吸を楽にするために、平らにして夫の首の後ろにクッションを置きました。

 

発作を抑えて眠くなる薬を処方してもらい、胃ろうから入れました。

 

この後は眠くなり、その後呼吸が止まるかもという説明を受けました。

 

眠るように逝ってしまうんだろうな、と思っていました。

 

あまりにも呼吸が苦しそうだったので、薬を処方してもらえてみんながホッとしました。