45歳の夫は悪性脳腫瘍(膠芽腫)で手術をしてから現在、約1年4ヶ月目。手術の後遺症で認知症を発症して寝たきりです。

 

かたつむりここまでの経緯

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闘病1年4ヶ月目 <抗がん剤治療12クール目> 

 

夫の抗がん剤治療の点滴の見守りに病院へ行ってきた。

 

朝イチは拒否により針がさせなかったらしいガーン

 

10時ごろもう一度トライしていただいて、やっと針が無事させた。

 

それから抗がん剤が病室に届くまで1時間以上かかる。

 

そこからテモダール1時間半、アバスチンを20分するので、結構長い間病室に夫と2人きり。

 

 

 

目をつむってはいるけど、今日は比較的機嫌がよく、

 

私が話しかけるとうなずいたり微笑んだりしてくれていたニコニコ

 

病室の中で、ハワイっぽいBGMを流して、ハワイの画像を見ながら

 

「ハワイ行きたいね〜」と話していたら

 

私を指差し「連れて行かないよ」と夫が言ったガーン

 

「なんで?」というと「だってハワイうどん食べれないでしょ」と。

 

ハワイうどん???

 

何のことかはわからなかったけど、、、 あせる

 

「食べれるから連れて行って!」と言ったら「食べるならいいよ」とニコッとしてくれたチュー

 

 

 

私と夫は新婚旅行で、とあるリゾート地に行ったので「〇〇に、新婚旅行で行ったよね!もう一回行きたいね!」というと

 

夫は「行ってないよ」泣

 

しばらく「行ったよ」「行ってない」「行ったよ」「行ってない」「覚えてないだけかもよ」「いや、行ってない」が続いたけど

 

虚しくなったのでやめたあせる

 

その後は髭を剃ってあげたり、爪を切ってあげたり、時々話しながら過ごした。

 

話している内容は聞き取れなかったり、ほとんど内容が分からないけど

 

機嫌よく話しているので、そんな夫と過ごす雰囲気を私は楽しんだ。

 

 

 

抗がん剤が終わった後は、MRIを撮る予定だったので、

 

鎮静剤をそのまま点滴から入れた。

 

夫はすぐに深い眠りに入ったようだった。

 

目が半分開いて、全身がだらんとしていた。

 

足を真っ直ぐ伸ばす時、麻痺で若干硬直しているので、

 

普通だったら痛がるのに、

 

今は夫の足が真っ直ぐに伸びている。変な感じ。

 

夫のまぶたを手で閉じさせようとしても、自然と開いてしまう。


 

 

ふと思った。

 

・・・まるで亡くなっているよう。

 

今は、実際には寝ているだけとわかっているので冷静に見られるけど、

 

亡くなってしまった時、夫はこんな感じなんだろうか・・・

 

私はどんな思いで夫を見るのだろう。

 

耐えられるのか?

 

亡くなった夫を見ている私を想像してみた。

 

まだまだ先でありますように・・・

 

 

 

今、まだ生きていてくれていることに感謝しながら

 

夫に「これからMRIだって。行ってらっしゃーい」と声をかけた。

 

 

 

 

 

UMAくん 夫の異世界語録 UMAくん

 

「前任がかめだったんですけど」

真顔(それは・・・・・・・大変でしたねチュー

 

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重度認知症の夫が発する言葉は、いつも謎解き。それを私は「夫の異世界語」と心の中で呼んで、和ませてもらっていますチュー夫の一言一言が愛おしく大切です。

いつか夫がいなくなって、涙が止まらなくなった時、これを見て笑顔になるきっかけにしようと思っています。

重度認知症の夫との会話は、謎解き >

 

 

    

今年の父の日。

夫に何する?と聞いたら

「はちまき」

と言ったので、ハチマキっぽいもので・・・

これにしましたチュー

お義父さんにこれつけてもらって

庭木を切ってもらおうグッド!