45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。

 

かたつむりここまでの経緯

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2023年12月22〜1月18日 <抗がん剤治療6クール目> 手術から10ヶ月目

 

年末の夕方までヘルパーさんが着替えのお手伝いに来てくれた。感謝ですお願い

 

年始は2日まで全ての介護サービスはお休みなので、2日間は1人でなんとかやってみることに

 

年末31日の夜は、夫のご両親と夫の姉が家に来てくれた。

 

夫のベッドをリビングの中央へ移動し、夫のベッドのすぐそばでみんなで紅白を見ながらご飯を食べたニコニコ

 

夫は穏やかに目をつむったりたまにテレビを見たりしていて、

 

時々会話にも入ってきた!!!飛び出すハート

 

夫が声を発した時は、テレビの音量をサッと下げ、みんな夫の口を凝視して聞き耳を立てる。じゃないと聞き取れないあせる

 

 

 

賑やかにみんなでご飯を食べるのは、1年ぶりだね〜、夫音譜

 

たぶんこの後の夜は脳が興奮しちゃって、せん妄が激しいんだろうな〜とは思うけど、、、あせる


 

 

たまにだけど、日によっては少し何か飲んだり1口2口柔らかいものを食べることができるようになっていたので、

 

おせちやビールを少しだけでも楽しめるかな?と期待していたけど、

 

結局夫は首を横に振って口を開けなかった泣

 

夫は、昔から細長い渦巻き状の貝のような見た目の「チョロギ」が好きだった。

 

お義父さんが持ってきてくれたので、小さく切ってあげたけどそれも食べなかった。

 

 

何も食べなかったけど、夫はみんながいる時間とても穏やかで、一緒に写真を撮ったりした照れ

 

 

美味しいものを食べたり、お酒を楽しく飲んだり、心が浮き立つ年末年始。

 

今まで当たり前のように夫と一緒だった。

 

 

今年は・・・

 

みんなが帰った後、年が明ける0時前後まで

 

夫のせん妄(ひとり言や、見えないものに対して怒鳴ったり)を見守り、

 

落ち着いてきたタイミングで、パジャマや布団が濡れてないか確認してから2階へ。

 

いつものように数時間おきに携帯の見守りカメラアプリで、1階の夫の様子を確認する。

 

いつもの夜だ。

 

 

 

携帯の画面越しに寝ている夫に、心の中で話しかける。

 

去年は大変な一年だったね。

 

その後、良い年にしようね、とか前向きな言葉を、、と思ったけどどうしても出てこなかった。

 

来年はどうなるの?まだ一緒にいてくれるの?

 

1月1日が始まったばかりなのに、これからどうなるんだろう・・・  っていう言葉しか正直思い浮かばなかった。

 

 

 

でも、1月1日の夜が開けて朝、夫の顔を見た時こう思った!

 

夫は、人より少し早く人生が終わるかもしれないけど、「良い人生だった」、

 

「短い人生だったけど決して不幸ではなかった」と思えるよう、

 

1日1日を過ごしていきたい。

 

それは夫だけでなく、私も、周りの人たちもそう思えるように

 

私は介護で大変な毎日だったけど「不幸ではなかった」と思えるように、

 

1日1日を過ごしていこう。

 

 

 

 

 

UMAくん 夫の異世界語録 UMAくん

 

(洗面所のドアを指して)あれどこの事務所?」

真顔(あのドアの向こうで歯磨きをしてたんだよー!)

 

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重度認知症の夫が発する言葉は、いつも謎解き。それを私は「夫の異世界語」と心の中で呼んで、和ませてもらっていますチュー夫の一言一言が愛おしく大切です。

いつか夫がいなくなって、涙が止まらなくなった時、これを見て笑顔になるきっかけにしようと思っています。

重度認知症の夫との会話は、謎解き >

 

 

 

 

続きは4月25日(木)19時30ごろ更新します!

「目を開けてくれなかった、私の誕生日」