今日は時間があったので、京都芸術センターの図書室に行ってきた。あそこの図書室は地味にすごくて、美術手帖がめっちゃ古いのからバックナンバーされてたり、舞台芸術の本も充実してる。貸し出しはできないけど、行けば無料で見れるので、舞台系の勉強したい人は行ってもいいかも。

 

 

図書室で寺山の映像資料がいくつかあったので、演劇サークルでよく寺山をやっていたこともあって、「本物」を見ておかないといけないと思い、『田園に死す』を見ることにした。

 

寺山修司がどんな人かを簡単にいうと、詩をはじめとして演劇や映画など多岐にわたって活躍した人物で、当時の最新の哲学やミーム(流行っているもの)を取り込んで作品に出現させていた。哲学だとサルトルの実存主義とかウィトゲンシュタイン、不条理演劇やシュールレアリスムにも影響を受けていると語っている。

 

 

 寺山の作品は「なにこれ、怖い、なにがしたいんや」と思うことが多かったけど、『田園に死す』はわかりやすい方だと感じた。1974年に、脚本・監督を寺山が行い製作された映画で、寺山の現在までの半生を描いた作品だと言える。

 

 

 

大まかなあらすじはこうだ

 

 

 

 寺山が6歳の時点で、父親が戦死している。物語は15歳の少年時代から始まる。

母子家庭で育つ寺山に対して、母は通常以上の愛があった。例えば、母は「私たちは二人しかいない。」ことを強調しながら、家の時計が一つである理由を説明する。家の時計が一つなのは同じ時間を二人で共有しているためで、腕時計のような、一つの時間を分割して持ち運べるようにする機械は持ってはならないと諭す。これがかつて本当に会話の内容としてあったかはわからないが、映像では、普通の柱時計が、鎖でグルグル巻きにされた柱時計に切り替わるカットによって、母の愛が寺山少年にとっては束縛に感じられたことがわかる。(ほぼ同じやりとりが、主人公が母親を捨てる物語『邪宗門』でも行われている。)

 

 寺山はそんな母に対して反抗心を抱くようになる。15歳という思春期の繊細な時期だから尚更だろう。その反抗心を抱くきっかけとなったのは、自分が性に目覚めはじめた時に、母に「皮かむり」の相談するも、拒まれたことや、家に帰ると母が知らない男と交わっているところを見てしまったことなどが挙げられる。そこで彼は、隣に引っ越してきた女性とともに、家を飛び出して駆け落ち上京することを決意した。

 

のちの20年後の寺山と15歳の少年との対話のカットの中で、「汽車に乗る」ことは上京すること、母を捨てること、女性を抱いて大人になること、など様々な意味が込められていたことが明かされる。また、母に捨てられた子しんとくが母を探す物語『身毒丸』の冒頭で、癩病の書生が「汽車に乗りたいのです」と少女に訴えるシーンでも同じような意味が込められていたのかも知れない。

 

 

 

物語は20年後、映画を撮影している現在の寺山修司に切り替わる。

 

その映画とは、この前半部分そのもので寺山の半生を誇張したものだったが、その作品をきっかけに過去を回想することになった。現在の寺山は物語の後半を作るために過去の15歳の寺山の元へとおもむく。

 彼は誇張していない本当の半生を省みる。

本当は、駆け落ちには失敗し、彼女は別の男と心中したこと、寺山の家出に母がついてきたことなどを寺山少年に対して告白し、自分の歴史を編集していることが明かされる。

 20年前の母を殺すと、現在の寺山もいなくなってしまうのかを検証するために、寺山少年とともに母を殺すという計画を立てる。

 

そして・・・

 

 

 結末を述べる前に、この時間軸の歪みについて説明しておかねばならない。なぜ20年前の自分自身と出会うことができるのかについてだ。映像で見ればその理由はわかるが、文章で読む人のためにわかりやすく伝えると、寺山の演劇では「白塗り」がよく出てくる。暗黒舞踏から影響を受けているようだが、顔を白く塗ることで現世の人物ではない非日常の存在として表現されるのである。ピエロが顔を白塗りにすることで、役者自身の生活感が消えて、一人の人からキャラクターへと変わるといったイメージだ。寺山少年や母をはじめ、現在の寺山以外ほぼ全ての登場人物が白塗りをしているのは、それが現在の寺山にとっての回想や妄想といった非現実的なものだからであろう。だからこそ誇張した表現が可能になっている。

 

 後半部分では、極彩色に彩られたフィルター越しにサーカス一座が登場し、怠惰で快楽的で性に奔放な日常生活の描写と、それを冷めた目で眺めている寺山少年が対比的に描かれる。寺山少年は彼らについて「誇張され、仮面を被った真実。蓋を開けると道化師たちは姿を消してしまう。」と言及する。たぶん、寺山には現実の社会そのものが誇張され、虚構に見えていたのだと思う。だからサーカス一座はエンタメとしての虚構ではなく、現実社会を表している。少なくとも純粋な子供には社会がそう見えたはずだ。

 

さて、そろそろ結末をいうが、

後半部分では、現在の寺山と寺山少年の行動が分岐していく。これまでの15歳までの半生はデフォルメされつつも大まかに同じだったが、現在の寺山と対話したことで、少年は違う道を歩もうとする。

 

 ところが、彼は上京の途中でレイプされ、次のカットでは腕時計をしている。。。

 

 社会の荒波に揉まれながらも大人になり、母とは違う時間(腕時計)を手に入れたということだろうか。彼は母を殺すのではなく、母を捨てるという選択肢を選んだのである。

 

 

 そして現在の寺山修司は、少年が消えたので一人で母を殺すために15年前の母のもとを訪れる。そこにはいつもと変わらない深い愛を持って接する母親がいた。「何か食うか」と言われ、母とともにご飯を食べる。「たかが映画の中でさえ母を殺すことができない」と呟いたあと、次第に恨みや殺意は穏やかになり、何度だってやり直すことができるのかも知れない。というナレーションとともに、家であった舞台のセットは、東京の街中に切り替わり、道ゆく人に見られながらも食事を続ける。終わり。

 

 

 

 

勝手な解釈↓

 

 「母を殺す」ということは母と向き合うことではないか。一方的な偏った愛が束縛となり、一度は耐えきれなくなって逃げ出したが、20年後、様々な成功や失敗の経験を積み重ね、恨みや怒り、いろんな感情を抱えて母と向き合う時、それまでは見えなかった「母」を理解することができたのではないだろうか。恨みや怒りが消えることはないけれど、同じ一つの時計を持つことはないけれど、いつでも捨てた母を拾いにくることはできるんじゃないか。例え、街中で好機の目で見られようが笑われようが。というのが、母に対する複雑な感情についての20年来の回答のように思われる。

 

 マザコンは一般的には母への愛と捉えられるが、母子家庭においてはそうではなく、母親からの過剰な愛に、思春期に耐えられなくなって精神がおかしくなり、母に対して複雑な思いを抱くことだと思う。僕も同じ境遇だが、まだ思春期の延長線上にいて、自分の感情も整理がついていないし、誰かに知ってもらえるとも思えないので、ここには書かない。ただ、何も知らずに教義的に親を大切にしなさいと言ってくるマジョリティしかいなかった人生のなかで、「死んでくださいおかあさん」と歌いながら母への想いを告白する寺山に出会えたことは、僕にとって救いだった。

 

ちょっと暗い感じになったので、宣伝します。軽いノリで、海外の舞台芸術作品、フェスティバルの映像をみんなで見る会というのを京都でやってます、興味ある人は連絡ください!次は、ピナ・バウシュ、レザ・アブドー(18禁)を予定してます