「今回は期成会の横領について見るんだったね。あれ?タイトルが違うよ」
「実はね、前回のコメント欄でfmdollさんから、報償運動の問題点に対する攻めの甘さについて指摘を受けたので、ちょっと補足しておこうかなぁっと思ったんだよ」
「ほんなら、今日の更新はこれでやるん?」
「ちゃんと別エントリーで期成会の横領も見るよ。作者は報償運動の欠陥として「償還後の見通しがない点と、流通貨幣量の点」を挙げたんだけど、fmdollさんが「それ以前に全体の流通貨幣量≒1年分の国家予算って、経済混乱云々以前にいろいろ社会的にアレだと思うんですけどね」って指摘してくれたの」
「社会の経済構造そのものの問題ってことだね」
「そうだね。続いて「つまり国がお金を出さないと国民はお金を使えない状態なのか、あるいは政府以外は、ほとんどお金使ってないという状態」っていう指摘も受けたんで、そう言えば、国家予算や流通貨幣量について何か史料複写してたような気がしないでもない…ってことで複写のファイルを探したら…」
「…まさか、以前に複写して綴じたまんま、すっかり忘れとった史料があったとか言うん
「にゃはは…そうなんだよ。4年前に複写した水田直昌『李朝時代の財政』(友邦協会 1968)の中に貨幣流通量と政府歳出入のデータがあったんだよ」
「ほんとにそんなオチだったんだね…」
「じゃ、早速、1907年(光武11年/隆煕元年・明治40年)の歳出入の方を見るよ」
「1907年の政府歳入が16,458,760円、歳出が17,375,951円、差し引き917,191円の歳出超過やね」
「で、1907年6月末時点での第一銀行券の市場流通高がこれなの」
「8,169,809円ってことは、ほんとに報償運動で借款を返済したら全部消えちゃうね」
「ちゅうか、政府歳出入より少ないやん!いったいどういうことなん?」
「貨幣整理が完全に終わってない頃で、まだ旧白銅貨も流通してるし、旧銀貨・銅貨の回収は実施されてないし、2年前に回収が開始されてた葉銭だってまだ一応は使われていたし、日本の円も流通してたから、これだけが流通貨幣の全てというわけじゃないの」
「貨幣整理?」
「うん。1904年(光武8年・明治37年)10月に財政顧問に就任した大蔵省主税局長の目賀田種太郎が貨幣制度の近代化のために進めた政策の一環なの」
「あ!NAVER時代にyonakiさんの『目賀田男爵の冒険』いうスレッドあったなー」
「金本位制の確立によって価格標準を定めることとして、貨幣の本位を日本と同じものにして、本位貨・兌換券を日本の貨幣もしくは日本の第一銀行で発行する銀行券にすることにしたの」
「通貨の発行も日本政府監督下になるってことだね。じゃ、これまで使ってた韓国の貨幣はどうなるの?」
「やたらに鋳造されて価値が下がり混乱を招いていた白銅貨は、1908年1月から品質によって交換回収と単なる回収とに分けられて回収開始、葉銭は1905年7月から交換回収開始、銀貨・銅貨は1905年1月に交換開始を布告して1910年5月から交換回収開始って具合だね。但し葉銭は補助貨幣として通用させたの」
「葉銭言うたら、あのぎょうさん積んで払わなあかんやつやろ?写真で見たことあるし、イザベラ・バードの『朝鮮紀行』でも出てたで。で、例によってこの措置を経済侵略やとか隷属化やとか言うとる連中がおるんやろ?」
「当然だよw ニューライト以外の韓国の学者は当然として、日本の近代史学者はそう言っている人が多いんだよね。ま、想定の範囲内だけどね」
「もともとは李朝・大韓帝国の施政、経済政策がダメだったからこういうことになったんだよね。経済って一国の政府の手に余ることも多いとは思うんだけど」
「何にしても、グデグデいうかいろいろ詰んどる経済構造やったんやなぁ」
「ま、李朝・大韓帝国の経済紊乱の後始末と目賀田種太郎主導の財政改革の途中だしねぇ…貨幣整理については近代デジタルライブラリーに目賀田が書いた『韓国財政整理報告 第1回』(韓国政府財務顧問部 1905)があるから、それを読んでもおもしろいよ」
「へー、報告書もあったんだ…あれ?この報告書、『李朝時代の財政』と文章が似ているね」
「『李朝時代の財政』がこの報告書を下敷きにして書かれてるってことなの。じゃ、こっちはおしまいにして、本筋に戻るね」
国債報償運動(2)


