写経屋の覚書-なのは「ここ最近、世間では募金が流行していたみたいだね」

写経屋の覚書-フェイト「って、いきなり何を言い出すの?時事ネタは扱ってこなかったのに…」

写経屋の覚書-はやて「そういうたら、東日本大震災での台湾の義捐金への感謝広告とか、東京都の尖閣諸島購入募金とか、そういう話が相次いどったねぇ。あー、ツイッターで新聞への意見広告への募金とかいうんもあったなぁw」

写経屋の覚書-なのは「実はそれに乗ったというわけじゃなくて、たまたまKJCLUBで『国債報償運動』についての話題になったから、それについて見ていこうと思うの」

写経屋の覚書-はやて「あー、西岡隊長が韓国IDをいたぶるかのように小出しにしとったあのスレ群やな」

国債報償運動に至る道程を韓国の教科書で読む
排泄先生について
国債報償金費消事件
国債報償運動最盛期の熱狂
国債報償運動-集金悪化1
目標1300万円!
報償運動 梁逮捕挫折原因説
毎日申報国債報償金費消事件 梁起澤任意同行

写経屋の覚書-フェイト「どんな運動なの?」

写経屋の覚書-なのは「大韓帝国は諸改革を行なうための資金を日本から借りるようになったんだけど、それを返還して日本の影響力を排除、独立を取り戻そうと思いついた人がいるの」

写経屋の覚書-フェイト「えーっと、銀行から受けている融資を全部返して、その銀行が経営に影響力を行使することを断とうって感じなのかな?」

写経屋の覚書-なのは「だいたいそんな感じかな。で、その募金運動自体は後日見ることとして、その募金を横領する人がいたんだよ。大韓毎日申報の社長だったベセルの関係したこの事件を『国債報償金費消事件』っていうの。実際に起訴されることになっちゃった梁起鐸に因んで『梁起鐸事件』ともいうんだけどね」

写経屋の覚書-はやて「あれ?この事件ってたしか獄長も触れてへんかった?」

写経屋の覚書-なのは梁起鐸事件(一)梁起鐸事件(二)で触れていたよ」

写経屋の覚書-フェイト「うーん、なんだか変だよ。史料本文を出さないで流れをまとめるなんて獄長らしくないと思うんだけど…何か理由があったのかな?」

写経屋の覚書-なのは「作者はね、情報封鎖の意味合いがあったのかもしれないって考量したの。ちょうどこのエントリーが書かれた時期には、韓国歴史学の一大権威だった李泰鎮教授のレベルの低さを指摘して嘲笑したことで有名なバファリン作戦が行なわれていたんだけどね」

写経屋の覚書-はやて「閔妃殺害事件についての『新発見』の虚偽捏造に質問状を送って、その回答を論破して笑いもんにしたあれやな」

写経屋の覚書-なのは「獄長はバファリン作戦の実行スタッフの一員だったんだけど、李泰鎮に助勢しようとしていた韓国IDが、李への質問にうまく答えられるような情報のヒント・糸口になるものはないかと作戦実行者たちのブログやサイトをチェックしていたんだよ」

写経屋の覚書-フェイト「それだけなら、別に国債報償運動に関係する史料の出典をぼかしたり隠す必要はないと思うけど」

写経屋の覚書-なのは梁起鐸事件(二)のコメントにもあるように、国債報償運動について獄長の引いている史料は、韓国の国史編纂委員会が編集した『統監府文書』といって、原本は韓国にあるんだけど…」

写経屋の覚書-はやて「あれ?作者は国会図書館や阪大で複写したで。それにネットのDBもあるやん」

写経屋の覚書-なのは「そこなの。つまり韓国側が自力で探せる状態にあるのに、わざわざ余計な知恵をつけるようなことはしたくないという意味があったのかなって」

写経屋の覚書-はやて「なるほどなぁ。当時は日本人から情報を引き出してそれを利用するっちゅう頭のええ連中が多かったもんなぁ。原本は韓国にあるって書いたんもフェイクやったんかもしれへんね」

写経屋の覚書-フェイト「以前獄長にお会いした時に理由を訊けばよかったのにね」

写経屋の覚書-なのは「にゃはは。当時の作者はそこまで気がついて訊けるレベルに達してなかったんだよ。まぁ、これは推測だし、情報封鎖だとしてももう時効だろうから出典もちゃんと書いていくよ」

写経屋の覚書-フェイト「ここは来客も少ないし、行き過ぎた情報提供になる心配もないしねw」

写経屋の覚書-なのは「じゃ前置きが長くなったけど、国債報償金費消事件、始まります。ベセルや梁起鐸の横領疑惑がささやかれ始めたのは1908年(隆煕2年)7月より前、おそらく6月頃なんだけど『統監府文書4』p337収録の警秘第248号「国債報償金に関する件」を見るね」

 大韓毎日申報の主管たりし「ベセル」と記者梁起鐸とか同社の保管に係る国債報償金に対し擅横の処置ありとの説は既報する処の如し同社か昨年三月より本年六月に至る間に於て接受したる義金の総額は実に六万一千円に達す其金額中三万円は本年二月七日「ベセル」は梁起鐸と謀り「ベセル」の名義を以て仁川港淮豊銀行に預け同月末に至り二万五千円を引出し四月に至り四千円又一千円の三回に悉皆之を引出し一厘の現金を剰さす然るに報償金総合所には「ベセル」と梁起鐸とか提出したる淮豊銀行振出の三万円の預り手形を現存せられあること別紙調査書の如し現金なきに手形の存する理なきを以て其手形や必す無効なるものにして三万円は既に他の手に費消せられたるものならんと云ふ
 別紙調査書は総合所長尹雄烈の質問に対し梁起鐸より提出したるものなりと
 此より先き本年二月頃総合所長尹雄烈は該三万円の予て電気会社に預けありしを「ベセル」梁起鐸等恣に引出し之を淮豊銀行に転管したるを難詰せしに利殖の関係上斯く為したりと分疏せり尹等は尚ほ此後を懸念し三個の鍵を有する金庫を購ひ現金及手形の如きは之に収め関係者三名に於て鍵を分管することゝせり
 然るに毎日申報は此義金に対しては取扱の終始正実なるを其紙上に広告せり今之を紙上より反訳し試みに左に掲けんに
 ○特別広告(光武十一年五月三十一日の申報)
 国債報償金昨日収納の分は未た合計せす前日収納金総計三万八千二百八十八円八十四銭は電気会社内銀行に貯置せり其預金額中一万一千八百円は国債報償志願金総合所に越交す
 ○広告(同六月三十日の申報)
 国債報償金四日間の収納金は未た合計せす此前日迄の収金総計四万六千八百六十七円七十一銭は電気会社内銀行に貯置したり其預け金一万九千三百円は国債報償志願金総合所に越交せり
 ○広告 光武十一年七月計算(自四月至七月)
 収入総額金五万二千九百七十五円六十四銭九厘此金の内五万二千九百七十五円六十五銭
     電気会社内銀行預け其内三万二千三百円
     国債報償志願金総合所越交
 ○広告 隆煕元年八月計算(自四月至八月)
 収入月額金一千四百八十三円三十四銭
     八月度収納金(此月二十九日迄の分)
 収入総額金五万四千七百十四円九十三銭四厘
     此金の内五万三千八百四十一円八十七銭 電気会社内銀行預け
     其内三万二千三百円 国債報償志願金総合所に送り
 以下九月より十一月に至るまて同様の広告を為し十二月に至りて左の如き広告文を掲く
 ○広告(十二月三日の申報)
 国債報償志願金総合所より磚洞普成館内期成会の義金受入分を調査せんとしたるに同会主務呉英根等の偽詐現はれす(現はれの誤か)義金貯置不明により領収調査広告にも之れあることなから目下証拠物持参の上官庁に交渉の為め此に布告する次第なれは全国同胞は御諒知の上領収証を不日示明せられたし
 ○広告 隆煕一年十二月計算
収入月額金三百七十一円九十九銭
     十二月度収納金(但二十三日迄の分)
収入総額金五万七千四百二十六円九十五銭七厘
     光武十一年より隆煕元年十二月に至る 全額
以下一月より三月に至るまて同様の広告あり四月に至り左の如く金額を計上広告せり
 ○広告 隆煕二年四月計算
収入月額金一千一百三十八円八十五銭
     四月度収納金(但二十九日迄の分)
収入総額金六万一千四十二円三十三銭二厘
     光武十一年四月より隆煕二年四月迄の全額

   此金六万一千四十二円三十三銭  電気会社内銀行に預け
   其内三万二千三百円  国債報償志願金総合所に送り
 五六両月の計算は未た広告せさるも已に公告したる総金額と調査書の金額を比較すれは八十九円十七銭五厘の差あるを認む
 右及通報候也
                     隆煕二年七月四日
                        警視総監 丸山 重俊
        外務部長 鍋島 桂次郎 殿

○別紙
  大韓毎日申報社にて六月末迄に収入したる国債報償金査書
一.総額金六万千百三十一円五十銭七厘
 内訳
   金二万八千八百三十一円五十銭七厘
     是は申報社より電気会社に預入 預票は申報社保管
   金三万円
     是は申報社より淮豊銀行に預く
   金二千三百円
     是は申報社より電気会社に預く
   此二口合金三万二千三百円の預票は総合所に交付


写経屋の覚書-なのは「1907年3月から1908年6月の間に、大韓毎日申報社で受け付けた報償金総額が61,000円で、ベセルと梁起鐸がそのうち30,000円を仁川淮豊銀行に預けて、そこから25,000円を引き出してどこかに使ったんじゃないかっていう疑惑だね」

写経屋の覚書-はやて「そやけど、利殖の関係上って言うとるし、目標額達成のために利率のええ銀行に預け替えたいう理屈は成り立つん(ちゃ)う?まぁ、報償金を運用することがええことなんかどうなんかいう問題はあるけど」

写経屋の覚書-フェイト「国債報償期成会って団体の役員呉英根たちの横領の話が出ているね」

写経屋の覚書-なのは「その話については後日きちんと取り上げるから今は触れないよ。疑惑が広まって、韓国人の李東暉・鄭永沢・李星鎬から調査の請願が内部に提出されたから、内部大臣は警視庁に調査を訓令したの。それで丸山重俊警視総監が調査を始めて7月12日に梁起鐸を任意同行して取り調べたの。ちょっと先の文書になるんだけど『統監府文書5』p207収録の警秘第268号「国債報償金費消事件」が流れを説明してるから見てみるよ」

 国債報償金費消事件調査の状況左の如し

一.国債報償会義捐金濫費の説喧伝せられ視察を遂くるに大韓毎日申報社の取扱に係る義捐金に濫費の事実あることは確信するに足るを以て先つ之を調査せんとする折柄偶々李東暉・鄭永沢・李星鎬の三名連署して内部大臣に該会員の調査を請願し同大臣は該金の出納保管を厳査すへき旨訓令せられたるを以て七月十二日大韓毎日申報社総務梁起鐸を警視庁に同行し数回の取調を為せり

二.七月十五日総合所長たりし尹雄烈を取調へたるに総合所の収金中三万円は仁川淮豊銀行に尹雄烈・梁起鐸・朴容奎「ベセル」の名を以て預け入れある旨を供述せり

三.梁起鐸の陳述に依れは毎日申報社に収入したる義捐金総額六万余円は総て一旦電気会社内銀行に預け入れ内三万二千三百円は総合所に移し其総収金四万二千八百余円の内三万円を仁川淮豊銀行に預け入れあり尚大韓毎日申報の収金中一万円は昨年七八月頃「アストルハウス」主人仏国人「マルタン」に貸与したりと申立るを以て同月十七日信夫理事官を経て同銀行を取調へ「コールブラン」「マルタン」及「ベツセル」は三浦理事官に取調方照会したるに淮豊銀行支配人は右は営業秘密として公表を憚るも事実は
 本年二月七日国債報償金総合所代理「ベセル」の名義を以て金三万円を預け入れ右預金は同月下旬二万五千円四月初め四千円四月二十九日一千円を三回に引出し現に残金なきことを明言せり

四.茲に於て三万円の引出し事件は「ベセル」及財務監督朴容奎・梁起鐸の共謀に出て之を費消したるものと認め去十八日先つ此一部の犯罪に就て漢城裁判所に梁起鐸を押送せり

五.三浦理事官の要求に依り仏国総領事か「マルタン」を取調へたる結果に依れは国債報償金の内二万七千五百円を昨年九月年九朱の利息を附し毎月五百円宛返済の契約にて借入れたる事実を明言したるも是亦公表を憚る旨を附言せり

六.右事実に依れは「ベセル」等と「マルタン」との賃借は数年を経されは回収する能はさる方法を執りしものにて是亦委託金費消として本日更に本件を漢城裁判所に追送せり

七.三浦理事官の要求に依り「コールブラン」に対しては米国総領事に「ベセル」の行為に関しては英国総領事に訊問要求中なるも未た何等の回答を得す

八.総合所長たりし尹雄烈は其子尹致昊をして「ベセル」に淮豊銀行に預けたる三万円の所在を問はしめたるに「ベセル」は既に之を引出し二万五千円は更に電気会社内銀行に預け入れ五千円は自己に於て保管しある旨を答へ「コールブラン」より千九百八年一月十六日付米国礦業会社株券置入の為めに二万五千円を受取りたる証書写を示したるも其日付は淮豊銀行に預け入れたる以前にして同一の金員にあらさること明らかなり従つて弁明の資料に供するに足らさるものとす

九.国債報償義捐金の取扱を為したる皇城・帝国両新聞社に対しては警部を派して精密調査せしめたるに皇城新聞社は帳簿精確銀行預金と符合し帝国新聞社は少しく不明の廉あり継続取調中

右及報告候也
隆煕二年七月二十五日    
警視総監 丸山 重俊
     統監 公爵 伊藤 博文 殿

写経屋の覚書-はやて「あれ?李東暉って最初この運動に関係してへんかった?」

写経屋の覚書-なのは「うん。1907年3月に国債報償研究会に参加して国債報償連合会議所の設立を計画してるけど、同名の別団体との並立を避けて設立を撤回した4月以降はどう動いたかちょっとわからないねぇ」

写経屋の覚書-フェイト「関係者としてか、元関係者としてかはともかく、李東暉たちが調査を内部大臣に請願したから、丸山が12日に梁起鐸を呼び出して取り調べたんだね」

写経屋の覚書-なのは「そういうこと。7月25日付の大韓毎日申報にもこの流れが掲載されてるよ」


写経屋の覚書-19080725皇城

写経屋の覚書-はやて「7月15日に尹雄烈総合所長を取り調べて、30,000円が仁川淮豊銀行に尹雄烈・梁起鐸・朴容圭・ベセル名義で預けられとるいうことが判明したんか。梁起鐸の取り調べやと、大韓毎日申報社に集まった報償金は約60,000円、これを一旦コールブランの電気会社内銀行に預けて、32,300円は総合所に移して、淮豊銀行に30,000円を預けたんやね。ほんで申報社に残っとるうち10,000円は、1907年7、8月頃にマルタンに貸した、と。ややこしいなぁ」

写経屋の覚書-なのは「次は、17日に仁川理事庁の信夫淳平理事官が淮豊銀行支配人に事情を訊いたら、営業上の秘密ってことで公表は憚ったけど、1908年2月7日「国債報償金総合所代理ベセル」の名義で3万円が預け入れられて、2月下旬25,000円、4月初め4,000円、4月29日1,000円が引き出されて、残金は無い状態だった」

写経屋の覚書-フェイト「これでベセル・財務監督朴容圭・梁起鐸が共謀して30,000円を引き出して費消したと判断して、6月18日にまずこの件について梁起鐸を漢城裁判所に押送したんだね」

写経屋の覚書-はやて「三浦弥五郎理事官の要請で仏国総領事がマルタンを取り調べたら、1907年9月に27,500円を年利子9%、毎月500円返済っちゅう条件で借入れとることを明言したんか。こっちも公表は憚るように付言されたんやね。ほんでこの契約は回収に数年かかる方法を採用しとるし、これも委託金の費消に当たるいうことで追送と」

写経屋の覚書-フェイト「年利率9%って低いのかな?高いのかな?」

写経屋の覚書-なのは「比較する材料がないからどうとも言えないんだよね。毎月500円返済だから完済まで55ヶ月つまり4年7ヶ月もかかるわけだし、何かの事情で止むを得ず一時的な貸付をしたんじゃなくて、本格的な融資か投資、立派な流用だっていう判断なんだろうね」

写経屋の覚書-はやて「マルタンの方に急にまとまった現金を調達する必要ができて、すぐ返済するいう条件で一時的に貸したったいうような話やなさそうやしなぁ。コールブランの方は米国総領事、ベセルについては英国総領事に調査を要求したけど、この7月25日時点では未回答なんやね」

写経屋の覚書-フェイト「総合所長の尹雄烈が息子の尹致昊に淮豊銀行に預けた30,000円の所在についてベセルに質問させたら、ベセルは全部引き出して25,000円は電気会社内銀行に預けて、5,000円は自分で保管したと回答して、1908年1月16日付で米国礦業会社株券購入のために25,000円を受取ったというコールブランからの証書の写しを見せたんだだね」

写経屋の覚書-はやて「せやけど、その証書の日付は電気会社内銀行に25,000円を預ける前の日付やから、義捐金の25,000円と株購入の25,000円が同一のもの(ちゃ)うし、弁明の根拠にはならへんよと。そらそうやんなぁ。なんぼなんでもそんなもんで納得できるはずないやん(苦笑)」

写経屋の覚書-なのは「そりゃそうだよね。でも後で見るんだけど実は一応の筋は通っていたんだよね…で、他の新聞社の義捐金取り扱いについて調査したけど、皇城新聞は問題なし、帝国新聞はちょっとどうかな?ってところがあったんで調査は継続中、という話なの」

写経屋の覚書-フェイト「なんだかすごく駆け足で見てきたね」

写経屋の覚書-なのは「たぶん、今回ふれたことはすぐには理解把握しにくいと思うんだ。この警秘第268号だって7月25日時点での中間報告、まとめみたいなものだから、全ての記述が正確じゃないしね。今回はここまでにして、次回は梁起鐸の拘留取調から時間順に見ていくよ」