石見銀山見聞録パート2 | 茜色のブログ

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広島県呉市から延びる、とびしま海道の終点愛媛県今治市関前諸島岡村島で暮らしてます。

龍源寺間歩を見学して来た道を下り、今度は町並み見学です音譜


途中のカフェで出雲蕎麦(とろろ、たまご、あげの入った大名蕎麦)をいただきましたニコニコ





外のテーブルで自然に囲まれて食べる蕎麦は格別です合格

味も非常に美味しいので、お薦めですよ~目

町並みを眺めながら、様々なお店をのぞいてきましたが、クラフト作家さんが多いようで、素晴らし作品にも巡り会うことができましたラブラブ

鉄の作品など、非常に面白いものがあって、また来てみたくなります合格

石見銀山公園から石見銀山資料館に向けて歩くと、有料の施設が2つありますひらめき電球

先ずは代官所地役人旧河島家です目
http://kumagai.city.ohda.lg.jp/10.html

河島家は、慶長15年(1610)銀山奉行大久保石見守に召し抱えられ、代々銀山附役人を勤めました。

 6代目三郎右衛門は河島家中興の祖と伝えられています。三郎右衛門は文化5年(1808)に父徳兵衛の跡職相続を許され、切米30俵3人扶持で銀山附役人を申し渡されました。後に銀山附役人のトップである組頭まで昇進し、安政5年(1858)に没しています。8代目基のときに明治維新を迎え、代々続いてきた銀山附役人の勤めは終わりました。



当時の暮らしの様子が再現されています。



土間上二階 “仕舞う”

昔は、各家でたくさんの家財道具を所有していました。
それらの道具類は、虫干しや防虫剤の入れ替えなどの定期的な管理をし、また、使わない時には和紙や布で丁寧に包み、特別に誂えた木箱に仕舞うなどして 長く大切に扱われてきました。




昔の人々が、いかにものを大切に扱ってきたか。“仕舞う”をテーマに、仕舞う道具や仕舞い方の展示をしています。


そして次は熊谷家住宅
http://kumagai.city.ohda.lg.jp/

熊谷家は古文書などによると、先祖は毛利家の家臣であったと伝えられ、江戸時代初めから旧銀山町(銀を産出した仙ノ山一帯)に住み銀山附役人(ぎんざんつきやくにん)を務めたとされています。
 由緒書などによると享保14年(1729)、旧大森町(現在の大森の町並み一帯)の田儀屋(たぎや)が熊谷家の名跡を継承し、このときに旧大森町に熊谷家が成立したとされています。家業である鉱山業や酒造業とともに代官所に納める年貢銀を秤量・検査する掛屋(かけや)、幕府直轄領である石見銀山御料の支配を担う郷宿(ごうやど・ごうしゅく)、代官所の御用達(ごようたし)を務め、当主は代々大森町町年寄に就くなど石見銀山御料内で最も有力な商家でした。



居間の床下に設けられた石組の地下蔵で す。火災に備え、耐火金庫のような用途で あったと考えられています。

 平成14年、 建物の保存修理工事中に石積み壁面や溜枡 を発見し、復旧工事を行いました。地下蔵 へは、畳を上げて梯子を使って出入りして いました。



主屋から土間続きの台所で、太い梁組の 大空間、大小10基の竈(かまど)、はしり(流し)やはんど(水瓶)、蒸籠やまな板など、 熊谷家の人々の日常の暮らしを身近に感じ られる空間です。



熊谷家住宅で最も重要な応接空間です。 中庭に面して八畳の奥の間、六畳、六畳の 三間続きの座敷があり、大名家の役人の接 待や町年寄の寄合など公的な場として使わ れました。
カラフルな敷物は、お茶会が開かれるため準備されたものだそうです。



熊谷家にはたくさんの蔵があります。その一つに酒蔵があり、瓶詰めする器具など興味深い展示が満載です。



ブログでは紹介しきれないほどのボリュームのため、全てをお見せできないのが残念です。
是非実際に足を運んで自分の目で確かめてください

石見銀山を満喫するためには、まるます一日かけて見学することをお勧めします~






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