棱山泊 -63ページ目

脊振山の山頂への道

脊振山登頂の第2弾。第1弾で山の話を中心でしたので、道中の話を続報として。


 まず、Googleマップで見ても山頂駐車場付近が分かり難いので、登り上がった所の写真を1枚。登り上がると、航空自衛隊脊振山分屯基地の正門に突き当たります。表示は有るのですが、その右の狭そうな道を進むと、割と広い駐車場に辿り着きます。
 ここには、仮設トイレが置いてありました。そして、そこには「使用禁止」と大きく書かれていました。「冬季(11月~3月)は、水道管が凍結するので」と説明が付いていました。ここまで来て、トイレが無いとか、なんだか大変な事になりそうですね。登った当日は、4℃も有ったので、3月中であっても、問題はありませんでしたが。


 駐車場から山頂に登る途中に有るのが「役行者像」です。説明看板は、登山路側に表示されているのですが、像は自衛隊分屯基地の中。説明では、史跡とかの指定は無さそうなのですが。役行者は、奈良時代に熊野や大峰等の山々で修行を重ねた呪術師だとか。この像は、江戸時代の元禄13年に建立されたとも記されています。


 さてさて、「危険なガードレール」を紹介します。濃い霧の中、左側の白いガードレールに沿って走ります。すると、突然に白いガードレールが目の前に出てきます。慌ててハンドルを切りました。皆さんも、来られるときには注意して下さい。
 中腹辺りから、このようなガードレールが続きます。この程度に危険なのは、2箇所程度。左側のガードレールに窪みが付いています。右ガードレールを避けて衝突した事が伺えます。


 下山した所で、脊振神社に寄りました。山頂の上宮に対して、こちらを下宮と呼ぶらしいのですが。解説によると、元々は、上宮が参拝の対象だった。しかし、寒さも厳しいので、元々の白蛇神社の境内に、脊振神社下宮を建立したとか。
 ここから、自宅まで、佐賀市内を経由して帰ると思っていたのですが。ナビをセットしてみると、山道を通って、唐津から佐世保を目指すと出てきました。空いた山道で快適に帰ることができました。脊振山登頂記、終わり。

脊振山に登ってきました

急用で久留米まで来て、夕方早目に用事が終わりました。以前から佐賀県最高峰の脊振山は、自動車で山頂まで行けるので、登ってみたいと思っていました。昨日は、九州全域で雨模様。朝から、雲が多い天気でしたが、気象庁の雨雲の動きを見ると、午後2時頃には、脊振山頂付近の雲も晴れそうでした。
 午後4時前に出発しました。脊振山の辺りを見ると、山より随分と高い所に雲が張っているように見えました。これだったら、遠景も見えるかなと、期待したのですが。今日の写真は、濃い霧の中ピンボケではありません。念のために。


 結局、30分間以上が掛かりました。しかし、山頂に近づくと、段々と霧が濃くなってきました。走ってみて分かりました。地上から、脊振山頂は見えない。脊振山脈のふちが見えているだけ。そこから、更に脊振山は高いところ。誤魔化されました。
 事前に調べていたので、すぐ分かりましたが。駐車場は、航空自衛隊脊振山分屯基地の横。駐車場の横、柵の中に「ナイキ-J地対空ミサイル」が設置されています。パトリオットの導入で退役と書いてありますが。退役した本物が飾ってあるようです。
 流石に高い山です。山頂に近付く毎に、車の外気温表示がどんどんと下がってきました。山頂駐車場に着いた時は、4℃でした。下山した後は、9℃に戻りましたが。登り始めた頃は、明るかったので、もっと高かったかもしれません。


 さて、本当の山頂までは、そこから随分と歩きました。地図で見ると、直線で300m弱ですが、地理院の地図を見ると高低差は60m程度かな。特に、最後に急な階段が2つありました。昨日までに降った雨で、地面は泥濘んでいました。


 この写真は、「脊振山上弁財天」という祠です。最後に分岐する登山路の入り口に背振神社があります。その上宮として、山頂に祀られているそうです。


 その横にあるのが、脊振山の山頂表示。標高、1,055mです。有名な天山の1,046mを抜いて、一番高い山になります。2020年7月に登った長崎県多良岳山系の五家原岳は1,057mですが、長崎県では第8位。流石に1,400mを超える雲仙岳が有るので長崎は高いですね。佐世保に帰郷して、1,000m級登山の2回目でした。
 気温計が2本置いてありました。右側の気温計は、6℃を指していました。車は、4℃でしたが、その程度の誤差。地上との差の5℃差は、比較的に正確でしょう。


 ご覧の通りに視界は殆ど無いのですが。脊振山上弁財天の横に大きなアンテナドームが見えていました。やっぱり、晴れた日に来たかったな! また来よう。
 アンテナドームの近くでは、何だか、「チカチカチカ・・・」と甲高い音がしていました。こういう異様な施設から、異様な音がするというのも、何とも奇怪な感じでした。動画で撮ってみたのですが、風が強くて、まともには録音されませんでした。残念。

 道中、佐賀市内から唐津に抜ける道を登ります。途中で脊振神社の方向に曲がって本格的な登山路。最後に分岐して、500m程度の道を通って、自衛隊分屯基地に着くのですが。この500mの道が面白い。ナビが、「福岡県に入りました」、「佐賀県に入りました」と繰り返すのです。山頂が県境となるので仕方はないのですが。駐車場は、佐賀県。山頂は、福岡県に位置するようです。Googleマップが正しければ。
 そして道中、恐ろしいガードレールとか、背振神社とかも撮ってきたので、つづく。。。

肥前えむかえ繭玉まつり

佐世保市最北部の江迎町のお祭り。「肥前えむかえ繭玉まつり」は、3年ぶりに開催でした。開催初日に行ってきました。


 町全体がお祭り会場なのですが、その中心部に設置された休憩所「いっぷく処」でのシーンです。季節らしい雛飾りをバックに繭玉が広がっていました。会場が暗くてピントが甘いのはご容赦を。
 一般には、餅花と言って、餅や団子を柳の枝に付けて、小正月に飾るものだとか。「木目込み毬」を付けるのが江迎流と解説されていました。この小さな毬だけでなく、20cm程度の大きめのも単体で飾ってありました。


 繭玉まつりのもう一つの名物は、「繭花手水」です。繭玉と同様に町中の各所に花手水が置いてあります。この写真では、植栽、生花と一緒に、花手水と少し大きな毬が飾ってありました。


 佐世保市海風の国観光マイスターの勉強で知った、「おおたや」です。その後、江迎の町をゆっくり歩く機会が無かったので、やっと来れました。古くから有った「太田精米所」をリノベーションして、観光拠点にしたとか。「~におうたや?」(~に会ったか?の意味の方言)が飛び交うようにと付けた名前だとか。


 江迎に来ると、いつも寄る酒屋に来ました。「潜龍酒造」の醸造元直営店です。佐世保では、南の梅ヶ枝酒造と2大酒蔵の一つです。寄ってみると、今の時点では、特に、お祭りには参加していないとか。
 スケジュールには、4月8・9日に「蔵開き」が有るとの事で聞いてみました。普段は、予約しないと見れない「県指定有形文化財 もと蔵」、「県指定史跡 本陣屋敷」が予約なしで無料開放される日だそうです。これもまた、海風の国観光マイスターの勉強で知った名所の一つ。ぜひ、行ってみたいものです。
 ということで、買ってきたお酒。潜龍酒造本陣「樽酒」です。本当は、もっと高い、冷酒も美味しそうだったのですが。樽酒という名で選びました。四合瓶で1,047円でした。升に注がなくても杉樽の香りが楽しめるとか。確かに美味しいお酒でした。

旬鮮館の海鮮丼

今回の平戸紀行の番外編。本日の昼食は、松浦史料博物館にある「キッチン眺望亭」の予定でしたが、残念ながら休店日平戸港では、もう一つの狙い目が「旬鮮館」です。平戸市漁業協同組合の建物の中。魚の直販もしている場所で、捕れた魚の生きが良い所で頂けるお食事処です。

 


 ヒラメが旬だという事を無視して、いつものように「海鮮丼」にしました。味覚に自信は無いのですが、一番多く入っていたのは、ヒラメでしょう。マグロは見て分かります。一番左側は、イサキかな。自信はありません。そして、白いイカは見ての通り。最後のイワシが問題でした。
 小骨が多い魚だとは知っているのですが。しっかりと刺さってきました。ご飯と一緒に食べたら悲惨なことになっていました。幸いにも、刺し身のみで食べ始めたので、何とか取り除けました。その件を除けば、流石に生きが良い。味覚に自信は無くても、間違いなく美味しかったです。
 味噌汁は、あら汁です。コチラもしっかりと骨だらけでした。私は、冷める前にと、最初に頂きますが。あらの身もしっかりと付いていて、結構なボリュームでした。こちらも美味しかったです。

 


 頂いている間に先客が会計をしていました。そして、店員から「ヒラメでしたので、この引換券を渡します。あちらで、品物を受け取ってください」と説明を受けていました。何だ、ヒラメ定食だったら、おまけが付いていたんだ。先に言ってよ!という感じなのですが。
 ヒラメ定食は、1,600円でした。海鮮丼は、800円。小鉢は有ってもヒラメ中心の定食よりも、5種類の刺し身の海鮮丼がお得と感じるのは、私だけ?おわり。

心霊スポット? 渡唐大師像

平戸紀行第3弾。平戸市街地から白岳に向かう道は、県道153号線です。その県道153号線の終着地は、旅館「田の浦温泉」です。車のナビの地図で分かっていました。到着した旅館は、この季節の平日ということでしょうか。営業はしていない様子でした。しかし、その少し手前にも県道153号線より大きそうな道が続いていました。その先に海水浴場が有ると書いてあります。


 その新しい道を走ってみると、大きな像が立っていました。『渡唐大師像』でした。解説によると、この地「田の浦」は、弘法大師のゆかりの地だそうです。804年7月6日に弘法大師が遣唐使としてこの地を船出して、唐の国に向かったそうです。像の高さは7m。台座を含めると16m。日本で一番大きな弘法大師の像と説明されていました。


 解説看板とは別に、「渡唐大師像建立趣意」という石碑があります。この石碑が無ければ、由緒ある石像だと思ったのですが。昭和63年7月2日に建立と書いてあります。弘法大師誕生の聖地である総本山善通寺の管長を顧問に建設。長崎御影石を使用、などが説明されていました。
 さて、弘法様は、どこを指しているのでしょうか。解説看板には「弘法大師(空海)が手にした杖でその所在を教えられた伝説の田の浦温泉などもある」と書かれていました。これは、冒頭に説明した旅館「田の浦温泉」の温泉を示したというのでしょうか。ネットには、弘法様が向かった唐の国を指しているという情報も出ていました。まさに、心霊スポットの様な解説ですね。


 そこから、地図に出ていた海水浴場に向かいのした。今の季節だからでしょうか、閑散としています。しかし、渡唐大師像を海岸から眺めるのも中々良い光景でした。平戸紀行は、また食レポを残して、おわり。

白岳公園の怪

平戸紀行第2弾。平戸市は、主に平戸島。南北に32km程度なのですが、北の端が本土に近くて、平戸大橋で本土と繋がっています。本土から平戸大橋を渡って間もない地域に平戸市街地があります。平戸市街地は、平戸島の北の端に近いのですが、そこから更に北側の伸びた半島があります。その半島に有る白岳に登ってみることにしました。駐車場から山頂まで250mという説明が有ったのですが。標高も250mです。


 駐車場に着くと、展望所まで100mの案内がありました。その展望所から北方、壱岐対馬方向を眺めた展望です。正面に、度島的山大島が見えます。ここは、白岳公園という地らしいのですが、全く何の説明もありません。


 実際は、ご覧の通りに山頂部分が窪んでいて、大きな電波塔も立っています。なんとも特徴的な園地なのですが。まったく、この地に居ても何なのか分かりません。
 結果的に、この場所が白岳公園で元々は、戦時中の砲台が有った砲台跡広場。そして、電波塔は、自衛隊の無線中継所と知るのですが。まったく不親切な園地だということは、その後に思い知ります。結構な坂を登って、白岳公園に向かったのですが、駐車場に戻ると、少し変なことに気付きました。白岳公園は、白岳の山頂では無さそう。


 この写真は、駐車場の入り口から、展望所の案内看板と駐車場を眺めた写真です。よく見ると、駐車場の奥に何やら看板が有ると分かります。


 次の写真がその看板辺りの写真です。右側に右奥に白岳山の登山路を示す看板が立っています。


 左手の白い看板を拡大した写真です。この看板で、砲台跡広場と知るのですが、山頂は反対側。同じくらいの坂をもう一度登る必要がありました。次の分岐点は、この三角点と書かれた場所です。


 三角点に着くと、右側に「南部方面展望 20m」の看板が立っていました。実際には、左側に行くと、白い看板に記載された白岳山頂広場は有るのですが、広場が有るだけで、展望も何もない広場があるだけです。案内板が無いというのも分かるのですが。まったく意味が分かりません。


 さて、「南部方面展望所」に着きました。実際は、ここかなと思いつつ、疑いを持ちながら、更に歩いて辿り着いたのですが、確かに一見の価値が有る展望が開けました。
 スチール写真だとわかり難いと思いますが。数メートル先は、100mを超えそうな絶壁です。まさに、足が竦む風景です。その場では、どの方向か分からなかったのですが、帰って調べると、中央に見える一番先が平戸市街地となる風景でした。標高250mから絶壁の縁からの眺めでした。


 そこから、更に平戸紀行は続くのですが。白岳を降りて、平戸市街地に戻る途中の田助漁港付近で捉えた白岳の写真です。南部方面展望の辺りに20m程度の岩壁が見て取れると思います。その下も急峻な山肌。確かに100m以上の崖っぷちだったとわかります。どうして、「危険」の案内が無いのかも不思議。まあ、相当な物好きでないと行かない場所ということでしょうか。もう少し、案内は充実して欲しいと感じましたが。つづく。。。

松浦史料博物館 元松浦家私邸

平戸市の中心部に有る松浦資料博物館に行ってきました。その後も、帰りに色々と寄りました。また、平戸紀行として、順次、報告させて頂きます。まずは、松浦資料博物館から。


 後ほど、どんな施設かも説明しますが、最初に入り口の門構えです。松浦家の私邸だったところなので、風情ある門構えです。この門の手前に有る階段は、78段です。縁起が良い「七転び八起き」にあやかって78段にしたとか。


 展示の中で一番華やかなのが、豪華な雛人形です。この大所帯雛人形の他、天皇家から平戸松浦藩に輿入れした姫のものとか、いろいろと飾ってありました。特に、大所帯雛人形は、中々華やかでした。


 佐世保の海風の国観光マイスターとして、気になった陶器です。題目は「青磁花入」と書いてあるのですが、説明文をそのまま引用します。「30代松浦棟の品 平戸焼名工で陶祖の今村三之丞の作」と。
 平戸松浦藩が朝鮮半島から最初に招いた陶工が、巨関高麗媼今村三之丞は、その巨関の子で平戸焼きの一番最初の陶工なのですが。実は、今では、佐世保の三川内焼の陶祖のひとりとして語り継がれています。つまり、ここに「平戸焼陶工」と書かれていますが、それは「三川内焼陶工」と同じ意味なのです。三川内焼の本当の名は、「平戸焼」だったのです。平戸に良質の陶石が無かったので、三川内で焼いたという歴史の一部です。
 因みに、松浦棟は、1646年から1713年の人。今村三之丞が三川内ではなく、針尾三ッ岳で陶石(白磁鉱/網代石)を発見したのが、1633年。以前調べていた歴史と繋がりました。


 館内は、展示品や内装の保護の為に、照明を落としてあります。とりあえず、館内の一部を紹介しておきます。


 次の写真は、施設内に有る茶室の「閑雲亭」です。この施設には、この茶室の他、お食事処の「キッチン眺望亭」があります。今日の昼食は、ここでと思っていたのですが。どちらも、来訪したその日は、店休日でした。


 その名の通り、「キッチン眺望亭」からは、平戸港の眺望が楽しめるとのこと。とりあえず庭からの眺めを紹介しておきます。写真に収めたせいか、意外と眺望という感じはしません。平戸城とか見えていますが(笑)


 写真では、その全容が分からないので、施設の案内図も載せておきます。
 松浦史料博物館の建物は「旧松浦家住宅」として長崎県指定有形文化財に指定されています。そして、「1955年に当時の松浦家当主陞より平戸市へ建物及び敷地が寄贈されたのを改装して同年10月に開館した」と説明されています。
 見ている間は、お殿様が平戸城と行ったり来たりだったのかな、悩ましい事を考えていたのですが。この旧松浦家住宅は、明治26年に建てられた建物でした。廃藩置県となり、伯爵家となった松浦家の私邸だったということでした。
 因みに、1955年10月は私が生まれた年月でもあります。この後、平戸に来たついでに、いろいろと回ります。つづく。。。

佐賀ラーメン 一休軒のラーメン

佐賀紀行の番外編です。佐賀城は、佐世保市の自宅から約70kmの距離です。早めに出発して、昼前には着いたのですが。佐賀城跡を見ていたら、昼過ぎに。次の会場として、佐嘉神社に到着したのですが、お昼を早く頂きたい。そういう中、佐嘉神社の周辺で、「この先にラーメン店」が有るよと教えて下さいました。


 佐嘉神社の北東の角から100mと少しの場所です。『佐賀ラーメン 一休軒』といいます。ここも呉服元町です。ひな祭りのチラシに出ていた紹介文から引用します。「豚骨から3日間炊き続けて作る『呼び戻しスープ』と老舗製麺所の特注麺の相性は最高!」


 私が食べたのは、「特製ラーメン(1,000円)」でした。チラシには、うまく載せた写真で出ているのですが。麺の上に載っているのは、10枚程のチャーシューです。それに、真ん中には、生卵の黄身が乗っています。それに小さめの海苔と刻みネギで仕上げ。
 とっても美味しい「とんこつラーメン」でした。チャーシューたっぷりが売りのラーメンなのですが。小さめですごく薄く切ってあり。チャーシューは、目玉ではありませんでした。そして、私の好みでは、生卵ではなく、半熟玉子が良かったというのが感想です。スープがほぼ満点なので、大満足でした。


 もう一つは、普通ラーメンより定番と言われている「海苔ラーメン(800円)」です。四つ切の大きさの海苔でしょうか。これも、麺の上一杯に4枚が乗っています。実際に食べて見ると、無駄に大きい。スープで濡れると、箸で裂けない。四つ切の海苔を一飲みというのは、頂けません。いつもだったら、手で裂いて頂くのですが。
 もちろん、これも豚骨スープが美味しいので、満点でしょう。

 実は、佐嘉神社の前に昼食を頂きたいと思っていたのですが。何となく、佐嘉神社の駐車場に停めてしまいました。食事は、レストランの駐車場が良かったと思ったのですが。
 そこで気付きました。この佐賀市中心部の駐車場代は安いのです。1時間100円の価格。佐世保市の市街地では、安くても30分間100円です。まあ、神奈川県では、こうはいかないので、それでも安いのですが。結局、最後まで、ここに止めての観光でした。佐賀紀行のおまけでした。

佐嘉神社で佐賀城下 春の骨董市

佐賀紀行第3弾は、佐嘉神社。「佐賀城下ひなまつり」から戻ると、最初に「骨董市」です。佐嘉神社には、佐嘉神社と松原神社があります。詳しくは、佐嘉神社、松原神社等で8社があるのですが、ここでは、佐嘉神社と松原神社を代表として説明します。


 呉服元町から戻ると松原神社の境内に入ります。この松原神社の境内で実施されているのが「佐賀城下 春の骨董市」です。2枚めの写真は、閑散としている様に見えるかもしれませんが。たまたま、上手く人が入らなかっただけです。大勢の客が犇めいていました。
 骨董品は、様々です。鉄腕アトムとか鉄人28号の模型から、振り子時計などは、懐かしさがありました。佐賀市は、織物の町でも有るので、着物や生地も沢山。瀬戸物の町でもあるので、そういった食器も沢山。少し興味を引いたのは、医療器具。手術で使用する「かんし」もありました。強い先細のペンチとして使えそうなので、便利かなと。1,000円の価値は感じなかったので、買いませんでしたが。500円だったら買っていたかな。


 松原神社で一際目立つのが、松原恵比須社です。黄金色の社に恵比寿様が鎮座しています。左手には、佐嘉荒神社があります。台所、厨房を祀った社で、大きな竃が祀ってありました。写真には写っていませんが、右手には、河童を祀った松原河童社も。川が多いので、カッパ伝説も多い様ですね。


 この地で、佐賀城のお堀は、大きな川の様に見えるのですが、回りに多数の川も流れています。佐嘉神社、松原神社は、南側にお堀、北側に比較的大きな川が流れています。その川で神事が行われていました。
 「流し雛神事」です。残念ながら、タイミングが遭わずに、神事そのものは見れませんでしたが。雛を流す船が川辺においてありました。そして、松原河童社に因んで、川辺の左側に河童の像も見えています。


 松原神社の西側に有るのが、佐嘉神社です。佐賀藩といいますが、佐嘉藩とも書きます。今は、佐賀が正式となりましたが。佐嘉神社のみに佐嘉の字が残っています。ネットで調べると、藩名や市名などに使っている方も多いですが。
 佐嘉神社の本社は、ご覧の通りに鳥居から神門を通って本殿の作り。さすがに佐賀城の前に有る神社です。
 佐嘉神社は、今回の佐賀紀行の冒頭で説明した、佐賀藩10代藩主鍋島直正とその子直大を祀った神社だとか。そうなのです。由緒ある神社に見えますが、明治に入ってから造営された神社でした。まだ有るお城の正面に造営された神社だったのでしょう。佐賀紀行は、残りの食レポを残して終わり。

佐賀城下ひなまつりと古賀銀行跡

佐賀紀行第2弾は、長崎街道から。佐賀城下ひなまつりのメイン会場です。



 看板の通りに、この街は、呉服元町。呉服の旧家が並んだ町に見えるのですが。旧古賀銀行の本店跡、創始者古賀善平の旧家、その他、旧牛島家、旧福田家、旧森永家、旧久冨家など、この地の名士の旧家が歴史的建築群の観光地として公開されています。
 その殆どで雛人形などが飾られている様子です。残念ながら、見ませんでした。後で紹介する元古賀銀行本店は、入場料が掛かるのですが、どの建物が有料なのかがよく分からない。一見して何が飾られているかも分からない。建物を見せて頂くで十分でした。


 次の写真は、旧古賀銀行の本店社屋です。古賀善平が創業した銀行で、最盛期には佐賀県で最大の預金高を誇った銀行だそうです。後に、佐賀銀行と改めるのですが、取り付け騒ぎの為に、閑散に追い込まれたとか。アレッ、そうなのです。現在の佐賀銀行の前身ではありません。現在の佐賀銀行は、その頃にできた銀行が統合し、佐賀中央銀行となった。古賀銀行=改佐賀銀行が解散した後に、最後の合併の時に今の佐賀銀行となったそうです。複雑!
 この旧古賀銀行を中心として、居並ぶ旧家郡を佐賀市歴史民俗館と呼んでいるそうです。写真の右側の入り口は、カフェ「浪漫座」となっており、ライブ演奏があるとか。


 最後に長崎街道に関して。最初の写真の交差点角に有る看板です。残念ながら、電柱の影が落ちていますが。それでなくても、また読めないと言われてしまうでしょう。書いてある内容を含めて、少し解説します。
 長崎街道は、今の長崎市から始まって、博多に至る旧街道です。ご覧の通りに、当時の佐賀藩(鍋島藩)のお城の直ぐ前を通っていたというのは面白いと思いませんか。お城の堀までの距離は、300mもありません。ここを、諸大名の参勤交代長崎奉行の交代交易商人が行き交っていたというのです。
 看板には、お城、武家町の外側に位置する町人地。水運にも恵まれて、城下屈指の商業の中心地だったと説明されています。そして、街道の佐賀宿となる、佐賀藩本陣が丁度写真を撮っている辺りにあったとか。晒橋の西側と書いてあるのですが。晒橋とは、道路の下を流れている小さな水路の橋の事らしい。調べないと分からない。つづく。。。