棱山泊 -61ページ目

始めての波佐見やきもの公園

またの名を「世界の釜広場」と呼ばれています。焼き物の町「波佐見町」で色々な焼き物の窯が展示されています。この地域は、有田、三川内、波佐見と焼き物の町があります。その中で、大々的な焼き物の広場は、波佐見だけの特徴です。


 一番特徴的な「ボトルオーブン」です。この地域の陶器では、後ほど紹介する「登り窯」が主流なのですが。イギリスの釜だと紹介されています。この広場の代表的な展示と、よく見かけます。
 左手に登り窯が出来る前の普通の窯。色々な窯が続きます。


 代表的な「登り窯」です。次に紹介する単室登窯に対して、「連房式登り窯」と呼ばれています。登り窯は、土地の傾斜を利用して、焼き物を焼く窯です。下の方で薪を炊き、各房に置かれた焼き物を焼成して行く。効率的な窯だったのですね。


 隣に設置された単室登窯の「龍窯」です。「蛇窯」とも呼ばれています。各房で焼ける連房式に比較すると、単純構造で初期の窯だと想像出来ます。


 広場の一番上に面白いモニュメントといった感じのものがあります。窪みステージ?解説を見ると「野焼き」となっています。釜というより、野焼きの焚き火で焼き物を焼く方法も有るとの説明。
 土を捏ねたものを焼くと硬質の素材に変化する。焼き物が発見された時の説明の様です。そうやって、人類は、縄文時代に突入するのでした・・・(笑)


 公園の登り口には、焼き物で作った「世界の窯のうつりかわり」が展示されています。こんな数の窯は展示されていないので、いろいろな手法が有ることは、これで良く分かります。


 最後に公園の下からの風景です。ゴールデンウイークに、有田、三川内、波佐見のそれぞれで陶器市、つまりお祭りが開催されます。既に、その準備が始まっていました。
 丁度、撮影した場所の後ろに「陶器の館・観光交流センター」があります。大量の陶器を展示販売しています。2階には、陶器の歴史と仕組みの博物館も。是非、ご覧ください。波佐見観光はつづく。。。

柚木ふれあいの森公園の八重桜

の季節は終わりましたが、丁度満開を迎えるのが八重桜。私が住む大野地区から佐世保最高峰の国見山に方向に向かって山道に差し掛かる辺りが柚木地区。その小高い丘の上に有るのが「柚木ふれあいの森公園」です。狭い急坂を11のヘアピンカーブを通って登ります。


 柚木ふれあいの森公園の中から、国見山方向を眺めた風景です。左手が国見山です。右手の頂きは、第2位の八天岳です。八重桜は、葉が付いてから花が咲くので、満開が分かり難いですが、丁度満開です。


 少し左に向くと、こんな感じ。多数の八重桜が密集している様に見えます。柚木町は、平地でも150m程度の標高なのですが、ここは標高270m程度の高台にあります。眺めも良い風景です。
 柚木ふれあいの森公園は、市の案内では、運動公園として紹介されています。しかし、広大な公園に多数の八重桜が咲いています。いや、咲いているというより、植えてあるというのが正しいかも。
 1本づつに、どうやって植えたかの看板が付いています。例えば、誰それが米寿記念に植えたとか。柚木中学校の〇〇年度卒業記念とか。現在の佐世保市長も当選記念に植えたのでしょうか。名前が出ていました。


 大きく写しても、八重の花びらは、綺麗ですね。八重桜は、水仙と比較すると面白い。水仙も八重咲きがあります。当家に咲いた一重と八重の水仙は、どちらもニホンスイセンでした。桜は、一般の一重が桜八重のものは八重桜と区別して呼びます。
 調べてみると、どちらも似たようなものと分かりました。Wikiによると、「多くの品種が野生種のオオシマザクラとヤマザクラなどの種間雑種として誕生した栽培品種のサトザクラ群に属する」と。一つの品種に付ける名称ではなく、八重咲きの桜の総称と。種として区別されるかどうかでは無いのですが。桜だけ、八重桜を特別なものとして区別しているのですね。やっと理解できました。

佐世保市史跡大野台支石墓群

江迎本陣が有る江迎町は、現在の佐世保市の最北端に位置し、江迎湾の一番奥で街になっています。ここから、平戸島に面する海峡に沿って海岸沿いの道は、鹿町町小佐々町と佐世保市街地の方向に続きます。
 途中に有る長串山公園は、ツツジで有名な名勝。ぼちぼちかなと、寄ってみることにしたのですが。鹿町町に入ってすぐに、史跡として「大野台支石墓群」があります。先日、肥前えむかえ繭玉まつりの時に寄ったのですが、土砂降りと雨となったので場所のみ確認していました。


 ここの支石墓群の中で、大きめの石の写真です。支石墓をネットで検索すると、支柱の石に大きな石を載せた墓との説明でした。学術的にこの石が支石墓と説明されているので、支石墓の壊れた石というのが正しい説明かもしれません。
 説明板には、「縄文時代末期から弥生時代前期にかけて、約2,300年前の共同墓地」と説明されています。何時、作られた案内板か分かりませんが、国の史跡に指定されたのは、昭和60年だそうです。それから、38年が経過しています。約2,340年前となってしまったのかな?


 もう少し広い範囲の写真です。もっと広い範囲なのかなと想像していたのですが、林の中の20m四方程度の広さです。少し離れた所にも数点があるのですが。


 二つ有る説明版の一つです。全部で38基の支石墓が有ると説明されています。
 佐世保市の案内では、かつて80基以上が有り国内最大級だったとか。現在は、2群46基が有ると。案内板のE地点とは、2群の内のE地点という意味なのだろうか。ネットで探しても分かりませんでした。
 面白いのは、右下に「鹿町町教育委員会」と書いてあります。もう一つの案内板は、「鹿町町」の部分に、「佐世保市」というシールが貼られていました。鹿町町が市町村の町だった頃に発掘されたということですね。


 現場の雰囲気が分かるように、入り口の写真も載せておきます。案内板の地図の左下から見た構図です。左手に大野池があります。

 ここから、ツツジを見に長串山公園に向かったのですが。道中につつじ祭りの案内板が出ていました。ななんと、「ツツジ祭りは4月8日から」。向かった今日から有料!無料の内に少しでも咲いていたら、紹介しようと思ったのですが。つつじ祭りが始まると、車を止めただけで、参加費を取られてしまいます。通り掛けだったので、入ってみたのですが、やっぱり有料とのことで、スルーしました。まだ、紹介する程には咲いていませんでした。


 鹿町町から小佐々町に入ります。新道の大橋の所から、湾を挟んだ対岸に見えるのは、「矢岳炭鉱ホッパー跡」です。私が住む大野地区から江迎まで、山地を含めて広大な炭鉱が有った町。出荷を待つ石炭が積まれていたホッパーですね。
 この区間、地図を見ると、沢山の遺跡が有るのですが。中々、一つ一つを回るのは難しい。専門家が解説する史跡は、場所が分からなかったり。そういう中、覚えておいたので、始めて、写真に収めました。

 最後に今回のメインとなる江迎町について、少しだけ紹介しておきます。私が佐世保市海風の国観光マイスターの勉強をしている時に、テキストでは、「もてなしの時を重ね心を束ねた笑むかえ」と紹介しています。江戸時代に、この辺りの中心地である、平戸島の入り口という地理も有って、当時は栄えた町なのでしょう。
 現在検索すると、「恢復TOWN EMUKAE」という言葉が出てきます。実際は、「宿場町アップデートプロジェクト」というサイトなのですが。佐世保市の端っこで、活性化を頑張っている姿が見受けられます。urlを紹介して起きます。
https://www.emukae-update.com/

 江迎潜龍酒造蔵開きの旅は、おしまい。
 

佐世保市潜龍酒造の蔵開き

さて、江迎本陣に続いて、本陣蔵開きの紹介です。


 まずは、蔵開きの入り口を江迎本陣の入り口と合わせて位置関係を示します。ご覧の通りに、潜龍酒造江迎本陣は、続き長屋の様に繋がっています。
 この江迎本陣は、元々は、山下家という酒蔵の家に増改築した建物だと説明されています。江迎本陣が完成したのは、1832年ですが、山下酒造は、1688年に創業したというので、まさに平戸松浦家が山下酒造を本陣に召し抱えたという感じでしょうか。その後、この地の名勝「潜竜ヶ滝」に肖って、潜龍酒造という屋号にしたのでしょう。潜竜と潜龍で微妙に違うのですが。


 全体像が分かる写真です。右側が現在の潜龍酒造の直販店舗で、その前の駐車場が祭り会場となっています。女子高校生のダンスが披露されていました。
 左側が、奥から「江迎本陣」「潜龍酒造の蔵開き会場」そして、その手前が実際の「潜龍酒造の酒蔵」でしょう。蔵開きで、酒造に使用する機器とかの展示は有ったのですが、現在は使われていない様な展示ばかり。実際の酒造の現場は見ることは出来ませんでした。


 今回の蔵開きの本題は、振舞い酒。その中でも、一番人気は、利き酒です。4種類のお酒が名を伏せて飲めるようになっています。どのお酒か当てましょうというイベントになっていました。
 私にとっては、とっても辛いイベントです。だって、大好きなお酒を目の前にして、「おあずけ」です。嗚呼、早く帰りたい。です。


 振舞い酒は、利き酒だけではありません。「ご自由にどうぞ、無くなり次第終了です」と書いてあります。にごり酒「白星」の振舞い酒です。
 写真に写っている方は立派。なるべく、人が入らないようにと、カメラ向けて数分待ち、さらにフラッシュを焚いて1枚。それでも居座られたので、致し方がなく撮り直しした写真です。立派!どんだけ飲んでいるのだろうか?!?


 蔵開きらしい酒蔵の風景を1枚のみ紹介します。精米を蒸す釜でしょうか。会場には、古いこういった機器が並んでいます。殆ど、どういう機器かの説明もありません。写真は、沢山撮ったのですが。以下省略です。
 右側の人が居るところは、酒造ではなく、「酒まんじゅうの限定販売所」でした。


 最後に、お祭りイベント会場に有った「ネコバス」です。先日、長崎市古賀の「トトロのバス停」を紹介しました。良く逢いますね。鹿町遺跡に続く。。。

平戸街道江迎本陣

佐世保市の2大酒蔵の一つである「潜龍酒造」に行ってきました。「本陣 蔵開き」という催し物です。酒蔵の蔵開きがテーマなのですが、同時に「江迎本陣」の無料開放も。まずはそちらから。


 「江迎本陣」とは、江戸時代の平戸藩藩主が長崎までの街道として、平戸往還を整備した。平戸から出発して、一番最初の本陣。藩主が泊まった宿です。写真の左手に、酒蔵があります。
 右側の入り口が本陣の入り口なのですが。解説書には、「御成門」と説明されていました。ネットで検索しても、東京の御成門と御成門駅しか出てこないのですが。一般用語の様ですね。門の上に赤い鳥居が見えています。後ほど、庭園に出てきます。



 御成門を通って左手の玄関を入ると、いろんな展示品が並んでいます。当時のいろいろなものが並んでいるのですが。一番奇異に感じるのは、三川内焼が並んでいること。
 勿論、平戸焼きを三川内で焼くようになったので、後に三川内焼と呼ぶようになったのですが。三川内で焼き物を焼いた如猿の事なども解説されていました。


 佐世保市海風の国観光マイスターの勉強で出てきた「枕水舎」です。平戸藩第10代藩主の松浦熈が1832年に完成させた本陣。その一番奥の部屋で、藩主専用の「御成の間」だそうです。熈自身が「枕水舎」と名付けたと説明されています。
 御成の間は、畳が他の部屋より一段高く設置されていて、如何にも藩主の部屋となっています。
 正面の電灯の左側に有るのが、「螺鈿細工の枕水舎」です。螺鈿細工とは、貝を使った装飾品。が枕水舎と名付けた時に、自ら描いた枕水舎の文字に貝を重ねて作成されたものだそうです。県指定有形文化財に指定されています。


 江迎本陣のもう一つの見どころです。裏庭に、裏山の崖を利用した庭園があります。一番上に赤い鳥居。その辺りから小川が流れて、所々に滝が落ちています。
 今でこそ、表の雑踏を本陣の建物で仕切られて、閑静な風景ですが。広大な屋敷の庭をコンパクトに模して、熈も旅の疲れを癒やしたものでしょう。


 最後に本陣の前庭の風景です。写真の左側に玄関があります。右手に見えている部屋が御成の間。御成の間を通して見えているのが、庭園です。当時の大名行列は、100人を超える随伴者を抱えてえていたらしいのですが。どこに泊まったのでしょうか。まあ、いいか!
 江迎本陣は、通常は、予約制で有料です。年の1回の2日間は、潜龍酒造の蔵開きに合わせて、無料開放されます。今年は、4月8日9日の2日間でした。蔵開きにつづく。。。

野村楓が鮮やか、黒松も

1ヶ月ほど前に庭木の松と楓が成長を始めたと報告しました。3月2日の事でした。1ヶ月が経って、その成長の著しさに驚き。



 まずは、野村楓の紅さ。実は、昨年は、葉の色も出なくて、葉も少なくて、少し心配していました。背景に見えるのは、イロハモミジです。綺麗な新緑は、綺麗なのですが、まあ普通。
 野村楓は、濃紫色でノウムラが訛って「ノムラカエデ」という説があります。解説では、紫紅色とも表現されています。何とも、気持ちが良い紅さです。
 当家の前庭に大きな楓が3本。一番左が一番大きなイロハモミジ。真ん中に中位のイロハモミジ。一番右側が少し細高い野村楓です。


 次は、黒松。昨年は、どういう成長かよく分かりませんでした。今年は、昨年とまったく育ちが違います。見えているのは、黒松の雌花。付け根に雄花が付いています。昨年は、雄花の花粉にびっくりしたのですが、雌花は気付きませんでした。
 楓も黒松も自分で手入れを始めて、2年半。特に、黒松は、よく調べずに剪定を開始。危うく、葉を切り過ぎるところだったと後で気づいた次第。
 その時に、葉を短く剪定したので、昨年の育ちが悪かった事は想像に易い。それに気付いて、1年間の手入れをしてきました。その成果が今年は見れるか、期待です。


 庭には多数のツツジが植わっています。その中で、早々と咲き始めたのが、八重のツツジです。大きなツツジに挟まれた、小さなツツジなのですが。ひっそりと綺麗に咲いていました。


 最後に椿。実は、何だか可愛そうな椿なのです。幹は、2mを超える大きな椿なのですが。大きく、2本の幹に分かれる。その先が2本と3本に分かれます。そうやって、一番奥に有る太枝のみに、花が咲きます。
 今年は、3回目位の開花なのですが、ご覧の通りに枝の隙間からしか見れません。鮮やかな赫は、3月22日に紹介した裏山の椿に負けていません。


 どうしても、真正面から撮りたいと色々試したのですが、うまく撮れません。この写真は、ビニールハウスのビニールを通して撮影したものです。完全に白くぼやけた写真を画像処理でくっきりとさせてみました。こんな感じの花です。画質的には、最低ですが。雰囲気は分かるかな。

残忍な雨と無惨な牡丹

今住んでいる家には、牡丹の花株が3本程植わっています。綺麗に咲いたのは、多分、3年前。一番大きな株に花が咲きました。翌年は、咲かなかったね。1年置きには咲くだろうと、待てども咲かなかった昨年。今年は、3月の中旬頃から花芽が付いて、楽しみにしていました。


 この写真は、3月26日に撮った写真。まだ、固い蕾となっています。


 4月に入って蕾が膨らんできました。4月2日の写真です。何だか、周りが黒ずんでいるのは気になっていたのですが。


 4月4日になると、少しづつ、中の花びらも見えるようになってきました。午前中10時頃の写真です。


 夕方になりました。夕方6時近くに撮った写真です。翌日から雨模様が気になって、晴れている間の最後の写真と思って撮った写真でした。
 濡れているのは、私が水遣りした為に濡れています。


 4月6日です。昨日からかなり強い雨が降っていました。見てみると無惨な姿。ずっと天気が良くて、昨日から2日間だけの雨だったのですが。絶句!


 折角なので、3年前に佐世保花園で撮った綺麗な牡丹も載せておきます。流石にこちらは、沢山の牡丹の中から選んで撮った1枚です。

佐々町真竹谷の枝垂れ桜

4月に入り、今年の桜も終盤となりました。今年も、北松浦郡佐々町真竹谷枝垂れ桜も満開を迎えています。


 まずは、枝垂れ桜らしい写真で。


 白、ピンクの花びらもきれいです。


 ほぼ毎年、見に来ているのですが、年々、花びらの数が減っていると感じています。花びらは多くないのに、既に葉が出てきている。形が良い桜なのですが、木全体を見るとこんな感じです。


 始めて、真竹谷の風景を撮影してみました。南側入り口から入ってすぐの風景です。佐々町に被さる山は、古川岳なのですが。見えている山は、その北部に連なる金比羅岳です。

長崎街道の役行者神社

長崎市古賀町の旅のおまけ。出発前に「古賀のうつくしい日本庭園」を調べようとしたら、古賀の町の長崎街道を散策するガイドが載っていました。そこで、『役行者神社』が有るというので、行ってみました。本当は、もう少し回りたかったのですが。庭園巡りで時間が無くなってしまいました。


 3月に報告した「脊振山の山頂への道」で、「脊振山山頂の役行者像」を紹介したばかりでしたが。また、役行者に出会いました。前回に追加して、少し説明します。
 役行者と呼ばれる方は、「役小角」(えんの おづね)という方の別称と紹介されています。改めて、飛鳥時代の呪術師と。文献では、実在の人物とされているが、生没年不詳とか。
 との説明に続いて、634年に生まれたと説明されている点が面白い。正しくは、「」という氏を持つ一族の一人で。役氏は、ある地域を管掌した一族と続きます。
 しかし、ネットで検索しても、この役行者神社と役行者の関係を説明された記事は見つかりませんでした。当時、大和の国、つまり、現在の奈良県辺りが拠点の方なのですが、佐賀、長崎にも来て修行された方なのでしょうね。


 もう少しアップで、左側の水神役行者神社の写真です。この神社は、この地を流れる八郎川に沿って走る「長崎街道」にあります。とっても狭い道で、所々、車がすれ違う道幅も無い所もあり、結構酷道でした。
 「古賀のうつくしい日本庭園」は松原町にあると説明していましたが。この役行者神社は、古賀町の南の端にあります。やっと、古賀町に着きました(笑)


 近くに「楠川の渡し」を解説した看板が立っていました。八郎川の上流にあたる楠川には、川を渡る飛び石があり、それで川を渡っていたとか。
 その看板に本来の長崎街道現在の道の関係が示されていました。検索したどのサイトも、現在の道を長崎街道と説明されているのですが。現在の道と、元々の長崎街道は、交差するものも、殆ど違ったルートだった様です。ただ、現在の八郎川に沿っているという点のみ共通とか。役行者神社も長崎街道から少し離れた所に有ったようです。長崎市古賀町の旅はおしまい。

長崎市植木センターの怪

長崎市古賀町の旅の番外編。「古賀のうつくしい日本庭園」を巡るには、「長崎市植木センター」に行って、パンフレットを貰う。それから、パンフレットに記載の地図を頼りに庭園を巡る。事前に調べてから向かいました。ところが。


 まずは、無事に辿り着いた長崎市植木センターの建物を紹介致します。ここで、「パンフレットはありますか」と聞くと、何ですかという顔をされました。「地図はありますか」と聞き直すと、やっと理解してくれた様子。勿論、とっても優しそうな職員さんで、巡り方などを丁寧に教えて下さったのですが。
 地図と呼ばれるものは、「矢上・古賀」を紹介するパンフレット。矢上・古賀とは、私が東長崎と呼ぶ地域のこと。その中で、代表的な見どころとして、「古賀界隈」が紹介され、地図と共に、植木技術庭園群が紹介されています。古賀界隈と言いますが、古賀町と言うよりも松原町の地図です。


 一番困ったのは、長崎市植木センターの入り方。次に中に入っても長崎市植木センターの場所が分からない。後ほど、入り方を説明しますが。その場所は、入り口がよく分からない。そして、中に入っても、ただ、だだっ広い広場というだけ。長崎市植木センターの場所が分からない。写真は、その広場の一番奥に入って出ていた看板です。

 下の方に「長崎市植木センター」と「現在位置」が記載されています。現在位置の左手は、植木の出荷センターみたいな場所で、大きな植木が根を包まれて置いてありました。しかし、長崎市植木センターの場所が分からない。
 地図に記載の方向を見ると、小高い丘の麓に上り階段が有り、庭園みたいな場所が見えます。そこに登ってみて、やっと長崎市植木センターに辿り着いたという具合でした。


 流石に長崎市植木センターです。庭も庭園風に仕上げてあります。特に、五葉松は、珍しいので撮影してきました。
 5年前に佐世保に帰郷する時に、高野山に寄ってきたのですが。そこで、「三鈷の松」を見つけるとご利益があるとか話題にしたもの。三鈷の松は、三葉松の事。大王松が代表的な三葉で、実は、自宅の近くに沢山あります。「三鈷の松」は、高野山で取らないと、ご利益は無いのかな。
 そういう経験の元、五葉松は珍しいものかと感じていたのですが。ここの五葉松は、ヒメコマツという種類だと説明されていました。
 さてさて、長崎市植木センターの入り方をGoogleマップのストリートビューで説明致します。場所は、長崎市中心部と諫早市を結ぶ国道34号線で、交通量が多い場所です。信号が無い所での右折やUターンは困難に場所となります。そこで、入り口が分かり難いとは困った話でした。


 最初の写真は、長崎市中心部側から近付いた所。左側に「長崎市植木センター100m先」の看板が見えます。次の写真が、100mの場所に着いた場面です。左手に「食事処 タック マツバラ」と「川添竹材商店」の店舗が見えます。実は、ここが「長崎市植木センター」なのです。入り口の脇の塀に「長崎市植木センター」の文字は有るのですが、ボロボロで離れているとまったく分かりません。ご来場の折のご参考として下さい。長崎市古賀町の旅は、役行者神社につづく。。。