冬の肌荒れと回復
この写真は今日(11/18)撮影したものです。これだけ見ると意味不明の写真ですね。
2枚目は、10月28日に撮影したものでした。違い、分かります?
若い頃というより、小さい頃からアトピーを患っていました。もっとも、子供の頃は、そういう言葉すらありませんでしたが。普通にアトピーは年齢に従って、落ち着いてきたのですが。35歳頃だったでしょうか。子供から感染った風疹の後遺症として再発しました。
その後、きれいな水などで、随分と回復はしているのですが、どうしても困るのが、冬の乾燥肌です。風呂上がりに何もしないでいた頃の写真が2枚目です。ここまで我慢するのも毎年の事。そして、こうなったら、風呂上がりにセラミド中心のクリームを塗るのです。約3週間でここまで回復したという記録です。
毎年の事なのですが、初めて記録が取れました。その記念として残したく、報告致します。
2枚の写真の違いが分かりますか。撮影に使用したのは、ニコンのCOOLPIX A300というコンパクトデジカメ。自動でしか撮れないのに、自動機能がデタラメと有名な事に気付いたのは、買った後でした。今回の写真も最初の3枚程度は、フラッシュが発光して真っ暗な写真となりました。
1枚目が2枚目と異なるのは、3週間の経験値です。決して、私が老いたのではありません。違った!、若返ったのではありません(笑)
この記事は、Facebookに、2020年11月18日に掲載した記事です。Amebaプログで、この記事に関連した記事を2024年1月16日に作成を始めました。引用したいので、ほぼ、Facebookら掲載した内容で当時の日時で投稿します。
レストラン蜂の家の昼食ランチ
佐世保市の代表的なレストラン「蜂の家」に行ってきました。ジャンボなシュークリームとカレーが有名なお店です。そして、佐世保市内では、レトルトの蜂の家のカレーが何処のスーパーにも置いてあります。
そういう蜂の家なので、佐世保に帰郷して間もなくカレーを頂きに来店しました。しかし、こんなものかと感じて、その後は敬遠していました。
そんな中、家族が、海軍さんのビーフシチューを食べたいというので、昼食を頂きに寄りました。私は、カレーでも良かったのですが、シェフおすすめランチに興味を持ちました。昼食ではあるのですが、コースランチだったら美味しいかと。
最初に出てきたのは、6品目のオードブルでした。右上にある棒は、とても硬いポッキーで残しました。昼食ランチにそぐわないオードブルだと思ったのですが。蜂の家のサイトでは、7品目で出ていました。
メインは、ライスと豚料理なのですが。何だか、町の中華食堂の料理と感じてしまいました。
最後がデザートとコーヒーでした。デザートのみ食べ始めてから気付いて撮影。食べ掛けの写真です(笑)。
オードブルで説明しましたが、蜂の家のサイトで紹介のサンプルとの違いが大きい。「レストラン 蜂の家」で検索すると出てくるので、比較してみてください。
最後におまけです。蜂の家のシュークリームは、フルーツがいっぱいで、二人分位の大きさだと有名なのですが。それとは別にジャンボなシュークリームの存在が話題でした。初めて、実物がショーケースに入っていました。最近は、軍艦を付ける様になった様ですね。
少し辛口の食レポとなりましたが。佐世保市は、観光立国の市です。叱咤激励と思ってください。応援しています。
この記事は、Facebookに2020年の載せた記事です。丁度、ジャンボシュークリームの記事を書いているので、Facebookと同じ日付の記事として、Amebaブログにも掲載しました。
本文でネット検索して下さいと記載していますが、既に、同じメニューは出ていませんので、悪しからず!
祐徳稲荷神社から五家原岳
今住んでいる家内の実家は、仏教に熱心な家。そして、亡き義父の名に「祐」が入っています。だから、両親は良く、祐徳稲荷神社に参っていたそうです。そういうことで、祐徳稲荷神社を訪ねました。佐賀県鹿島市にあります。
祐徳稲荷神社は、日本三大稲荷の一つに数えられ、商売繁昌、家運繁栄、大漁満足、交通安全等種々の祈願が行われるとか。まずは、入口として特徴がある「楼門」です。
本殿の上から赤鳥居が続きます。山頂に有る奥の院まで、延々と続きます。もちろん、鳥居の数程に階段も続いてしました。
祐徳稲荷神社の後は、以前から、車で行ける高い山を調べていたので、行ってみることにしました。一旦は、諫早市まで行って、山登りなので結構距離があります。
五家原岳の山頂です。残念ながら、地上を広く眺める場所はありませんでした。
五家原岳は、長崎県の元北高来郡(現在の大村市と諫早市)と佐賀県の間にある多良岳山系の中で、経ヶ岳に次いで2番目に高い山で、標高1,057mです。
そして、長崎県全体で車で行ける最高峰の場所です。しかも、標高1,000mを超える場所です。
この記事は、Facebookに2020年5月28日の記事として載せていました。4本に分けた記事として掲載していましたが。主な部分をAmebaブログに、同じ日の記事として転載したものです。
平戸八景石橋
佐世保市吉井町の山奥に御橋観音寺があります。その本尊の左奥に有るのが、平戸八景の一つ、石橋です。
一番奥で、石橋を見上げたシーンの写真です。第三紀砂岩の浸食によってできた天然の石橋が二条並んでいると解説されています。
さらに離れると、不動明王などの像が並んでいました。以前も、御橋観音寺に来たのですが、その左奥に石橋が有る事を知らずに帰っていました。本日、初めて奥まで来て、石橋の意味を理解しました。
御橋観音寺の受付で聞いたら、石橋の説明板は、台風で壊れて撤去したままだとか。勿体ない!
この記事は、2020年1月1日の三社参りをFaceBookに掲載していた記事のコピーです。あまりにも簡単な記事だったので、Amebaでは、少し見直しして掲載しています。
FaceBookでは、「正月の三社参りで、神社と間違えてお参りして来ました(笑)。」と書いていました。
左石駅の由来
佐世保市の大野地区に松浦線の左石駅があります。何故、大野駅にせずに左石駅としたかは、諸説有るも謎の一つなのですが、当然ながら「左石」を使うには、理由があります。
大野地区の中で、相浦川の対岸に有る左石です。この道が平戸往還(平戸街道とも言う)の一部なのです。平戸藩主が参勤交代で使用した平戸往還なのですが。平戸藩主が道の左側に有るから「左石」と名付けたと言われています。
大野地区の大野は、この地域の松浦家の家臣である大野氏から付いた地名ですが。平戸藩主が名付けた左石の名称は、駅名やバス停名で現在も利用されています。
左石を正面から見た写真です。現在の道路を通すために、半分が切り取られている事が分かります。何だか、地名にもなっている史跡をそんなぞんざいな扱いをしたとは、少々驚きです。
上記の様に平戸往還の左側に有ったと説明されています。平戸藩主が平戸を出て、出発する時の方向で見ているのですね。
現在は、平戸までの往来は、国道204号線です。片側2車線の広い道路なのですが。国道207号線は、相浦川の向こう岸。つまり、そこから同じ方向を向いて見ると、右側というのは面白いでしょう。
左石の上には、石でできた祠が祀ってありました。いまでも、信仰の対象ということでしょうか。
この記事は、2019年7月6日にFacebookで報告した内容です。丁度、左石に関わる記事を新たに作成しているので、Amebaブログにも、Facebookと同じ日付の記事として掲載します。Facebookより読み易くなったかな。