佐賀城下ひなまつりと古賀銀行跡 | 棱山泊

佐賀城下ひなまつりと古賀銀行跡

佐賀紀行第2弾は、長崎街道から。佐賀城下ひなまつりのメイン会場です。



 看板の通りに、この街は、呉服元町。呉服の旧家が並んだ町に見えるのですが。旧古賀銀行の本店跡、創始者古賀善平の旧家、その他、旧牛島家、旧福田家、旧森永家、旧久冨家など、この地の名士の旧家が歴史的建築群の観光地として公開されています。
 その殆どで雛人形などが飾られている様子です。残念ながら、見ませんでした。後で紹介する元古賀銀行本店は、入場料が掛かるのですが、どの建物が有料なのかがよく分からない。一見して何が飾られているかも分からない。建物を見せて頂くで十分でした。


 次の写真は、旧古賀銀行の本店社屋です。古賀善平が創業した銀行で、最盛期には佐賀県で最大の預金高を誇った銀行だそうです。後に、佐賀銀行と改めるのですが、取り付け騒ぎの為に、閑散に追い込まれたとか。アレッ、そうなのです。現在の佐賀銀行の前身ではありません。現在の佐賀銀行は、その頃にできた銀行が統合し、佐賀中央銀行となった。古賀銀行=改佐賀銀行が解散した後に、最後の合併の時に今の佐賀銀行となったそうです。複雑!
 この旧古賀銀行を中心として、居並ぶ旧家郡を佐賀市歴史民俗館と呼んでいるそうです。写真の右側の入り口は、カフェ「浪漫座」となっており、ライブ演奏があるとか。


 最後に長崎街道に関して。最初の写真の交差点角に有る看板です。残念ながら、電柱の影が落ちていますが。それでなくても、また読めないと言われてしまうでしょう。書いてある内容を含めて、少し解説します。
 長崎街道は、今の長崎市から始まって、博多に至る旧街道です。ご覧の通りに、当時の佐賀藩(鍋島藩)のお城の直ぐ前を通っていたというのは面白いと思いませんか。お城の堀までの距離は、300mもありません。ここを、諸大名の参勤交代長崎奉行の交代交易商人が行き交っていたというのです。
 看板には、お城、武家町の外側に位置する町人地。水運にも恵まれて、城下屈指の商業の中心地だったと説明されています。そして、街道の佐賀宿となる、佐賀藩本陣が丁度写真を撮っている辺りにあったとか。晒橋の西側と書いてあるのですが。晒橋とは、道路の下を流れている小さな水路の橋の事らしい。調べないと分からない。つづく。。。