韮崎大村記念公園内の蛍雪寮で、「紡」さんの料理をいただいてきました。

 

ご亭主は以前鎌倉の割烹料理屋さんにおられたそうですが、全国の皆さんに日本料理を味わってほしいと、全国を行脚しながら食を提供されるとのことで、山梨が北海道に次いで2ヶ所目。1日に1組だけということで、素材にもこだわり、もちろんその味を最大限に引き出しながら作られる料理は一つ一つ大変に美味しく味わい深いものでした。

 

知人からのご紹介で、和食に屏風絵を合わせてはどうかと桜のクローン屏風と散華図を隣の部屋に展示、また、村上綾さんの写真パネルも展示させていただきました。本物を展示できれば良かったのですが、ひと月という長期間ということもあり、僕が立ち会えないのでクローンを提供させていただきました。

 

食と絵画は味覚、嗅覚と視覚。これに、聴覚と触覚が入れば五感を使って和を体験。そのうちそんな企画も楽しいかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

調布にある子どもの遊び場「トビバコ」で、

トークに参加してきました。

 

で、トークは子どもたちも混ざってやるということで、

 

だだだだ?

 

「一体誰に向かって何を喋れば良いか。」打ち合わせも、流れの確認と言いながら、これもトークにしたらということになり、完全なフリートーク一体どうなることやら。

 

ということで始まり、僕としては最初に

「それぞれが楽しいことが一番大切なので、途中で面白くなくなったらどんどん遊びに行ってください。子供も大人も我慢しないで帰りましょう~」と、お話ししてから始まりました。内容についてはまた、まとめたものが出るそうなので、その時にということですが。

 

途中から、子どもたちの作った映画鑑賞をしましたが、こんなの小学生が作れるんだと驚きの映画でした。

 

で、また、映画鑑賞が終わってから続きのトークでしたが、僕も遊び場の先輩として、知ってることやら、体験したことやらお話しさせていただきましたが、皆さん(トビバコスタッフ)の方が、遊び場を運営する上でいろいろなご苦労があるかと思いきや、(もちろん色々なトラブルを乗り越えていらっしゃることでしょうけど)意外とフットワーク軽くやってらっしゃるので、この辺の軽さ爽やかさが、運営する上での秘訣なのかもしれないと思いました。ただ、やっぱり共同体である以上、そこで生まれる色々な軋轢やトラブルはやっぱり話し合いを重ねながら解決していくしかないのかなあ。ということも併せて感じました。

 

そんなこんなしているうちに、松原さんは子どもに連れられて遊びに行ってしまうし。この辺のゆるさも良いですね。

みんぐるりんごを主宰されている西村ご夫妻は、子どもの遊び場だけでなく、中国との学生交流や、IT技術のことや、日本文化のことや、さまざまな分野で活躍されているので、そちらでも何か面白いことができればと思いました。

12月16日(土) 13時より

松原翔 NHKEテレ ディレクター

西村達也 みんぐるりんご主催

伊東正次 日本画家

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久万高原町の日本画グループ「ささゆり会」の展覧会に賛助出品することになり、飾り付けのお手伝いに行ってきました。

 

「ささゆり会」は故野村政良先生が久万高原町に日本画の息吹をということで設立され、僕の父がその後を継ぎ、現在は松下日出夫先生が会長をお務めになられています。

 

専門的な美術展ももちろん大切ですが、郷土に根付いて文化活動に取り組まれれることの意義も大変に大きいと思います。

お近くの方はお出かけいただきましたら幸いです。

愛媛県久万高原町久万 まちなか交流館

12月12日〜17日

9:00〜17:00

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日蓮聖人が通りにたって説法をされたという「日蓮聖人辻説法跡地」脇に、一昨年建てられたお堂に「月下富士山図」と、「身延山の12ヶ月(今年度分12点と昨年分12点はジグレ)」を展示する予定で、今日はその下見を兼ねて作品を置いてみました。

 

置いてみると日蓮聖人の像と月下富士山図が結構マッチして見えました。僕の絵は雲なんですが、日蓮さんが修行した、佐渡の海にも見えるし、伊豆の海にも見えたりして。

 

展覧会は来年4月上旬を予定してます。鎌倉 日蓮聖人辻説法跡地脇 六角堂にて

 

 

 

 

 

今回の旅、10日間くらいではありましたが、いろいろな人と出会い、それぞれにいろいろな思い出がありました。その中で特に印象深いお2人だけご紹介したいと思います。

 

1人は韓国のアーティスト キムさん

 

僕も、この歳になって、ほとんど日本語の使えない環境で、英語も中国語もわからない中、コミュニケーションをどうとるかということに直面しました。4日目から公的な場では日本語で通訳をしてくれましたが、普段の生活の場では、英語でコミュニケーションするしかありませんでした。

最初に、どうしたものか?特に食事が困ります。食べている間、無言というわけにもいかず、でも、何をどう切り出して良いかわからず。そんな時に出会った韓国のキムさんは、いつも彼の周りには笑い声が渦巻いています。最終日もみんなで反省会をしながら、「キムさんはたった10個の英語単語しか喋れないのに、常に周りにいる人を笑わせてたって。」

 

例えば

キム「マイベイビー イズ ワン」

ムケシ「ユア ベイビー?」

キム「イエス、マイベイビー!!」

ムケシ「イッツ ユア サン?」

キム「オー サン。ジャスト サン」

ボク「キャン ユー ユーズ イレブン ワード?」

 

こんなたわいもないことで、延々とみんなで笑っていました。

初日、彼には韓国語の通訳がついてました。僕にはいなかったので路頭に迷っている時でした。ところが、彼と話していると、「自分は通訳なんか頼んでないのに付けられてました。」

3.4日くらいして、彼の通訳がいなくなったので、彼に聞くと、「来なくても良いよ。自由にしてください。って彼女に言いました。なぜなら、彼女はここにいることが幸せそうではない。あなたが楽しいことをしてください。って言いました。そしたら、来なくなりました。」

 

フォーラムで、5個のパートに分かれて討論がありました。彼がいうには、「スペイン語の人たちが主だったパートに入れられたから、何を言っているかまったく分かりませんでした。アハハ🤣」って感じです。

彼は言葉で内容を伝えることが重要なのではなく、コミュニケーションすることそのものが目的であることを知っていました。彼のおかげで、僕も周りの多くのみんなも楽しく過ごせたと思います。

 

もう1人は、日本語が話せる(日本人なので)ボランティアの女の子ニコさん。中国に留学中で、急遽、日本語が喋れるボランティアとして誘われたそうです。若いけど、自分の置かれた立場を理解して、出過ぎず、引っ込みすぎず。僕らはアーティストの皆さんといる時は彼らと話していたいし、スケッチもしていたいし。でも、「今、この話伝えたいな。」と、思った時にサッと出てきて通訳してくれる現代版忍者通訳のような人でした。自分の置かれている立ち位置をいつも自覚してそれに最善を尽くす。大人でもそんなことできる人あまりいないと思います。それでいて明るく振る舞うので、いつも、他のアーティストからも、声をかけられていました。

 

20歳くらいで、こっちに来て周りに日本人のいない環境で1人で頑張っているのは大変なことだと思うし、でも、それもまたバネにして成長できる。そういうのってやっぱり凄いことだなあ。と、思いました。

 

他にも何人もお友達ができましたが、また、別の機会にご紹介したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

[浙江省良渚フォーラム5日目] 11月24日

今回の訪問からインスパイアされたことをテーマにそれぞれの想いや感じたことを絵に表現します。

 

それにしても、新しくて立派な施設です。ホテルから車で10分くらいなところにある施設です。一応夜21時まで制作できるとのことですが、ぼくは今日は疲れて17時に帰りました。

 

明日がんばろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

[浙江省良渚フォーラム5日目] 11月24日

83カ国 84人が集まって一緒に絵を描いています。

それぞれがちがうバックボーンを持ちながら、

エチオピアの人

ウルグアイの人、

バングラデシュの人、

ザンビアの人

ノルウェーの人、

コスタリカの人、

ルーマニアの人、

ネパールの人、

スペインの人

韓国の人

中国の人

、、、、、、、

83カ国

そして日本の人

絵を描く気持ちは一緒です。

「良い絵を描きたい。」

 

 

 

 

 

[浙江省良渚フォーラム6日目]11月29日

作品の制作が終了しました。

1.ザンビア

2.ルワンダ

3.カザフスタン

4.ウズベキスタン

5.ノルウェー

6.エクアドル

7.カンボジア

8.ベトナム

9.オランダ

10.ウガンダ 

写真を撮らせていただきました。

皆さんそれぞれ本当に違う表現で面白いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[浙江省良渚フォーラム6日目2] 11月29日

作品の制作が終了しました。

1.韓国

2.ネパール

3.シンガーポール

4.バングラデシュ

5.タイ

6.タンザニア

7.ブラジル

8.エチオピア

9.ラオス

10.フィリピン

他にも、写真撮り忘れた方

スリランカ、フランス、ルーマニア、スペインなどなど

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[浙江省 良渚フォーラム 9日目]12月2日

 

2日間で取材して3日間で描くということは、短期間で絵をまとめないといけないので、自分のやってきた方法論で描くということしかないのですが、いかんせん、日本画の材料は一つもなくて(顔料や膠や和紙や)いったいどうするべ。というとこから2日間は取材したものの、アクリルとキャンバスでいったい何をやれば良いか。まったくノープラン‼️

 

ど、ど、どうしよう?

 

とりあえず、良渚の思い出と言うことで、初日はスケッチを頼りに指で描いてみました。中国には指頭画というものがあります。それを使えば。5点描いたところで行き詰まってしまいました。

 

「つ、つまらなすぎる」

 

頭は痛くなるし、その日は帰って夕食も取らずに寝てしまいました。その日の夜、僕の枕元に神様が来て言いました。「全部消せ」後2日しかないのに。

「消した後に残るものが、お前の本当の思い出だ。」

また、神様はこうも言いました。

「お前のイメージや考えを他のみんなに押し付けてはいけない。

それは、すでに彼らの中にあるものだ。そして、それは彼ら自身が感じるものだ。」

「だから消しなさい」

 

翌日、僕はスタジオに行って、白で絵を消し始めました。十何回、白で消しました。

それがこれらの作品です。

「良渚の記憶」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[浙江省 良渚フォーラム8日目] 12月1日

 

午後から良渚フォーラムの前イベント(たぶん。たぶんというのは2日がイベント本番と聞いてはいるけど、12月1日以降のスケジュールがない上に、どうやら3日もあるらしい。3日は朝6時30分にホテルを出発して空港に向かうことになっているのに、、、。まあ、出たとこ勝負で。)

 

ということですが、今日は5個のグループに分かれて、意見交換。今回の作品について語るのと、伝統とアートについて語るのと。他の方は主に英語で語り、中国語に翻訳。カザフスタンとかそちらの方の方はロシア語で喋って、英語と中国語の通訳があります。僕は日本語で喋って、中国語と英語に訳してくれました。

 

内容はまた次回。

 

終わった後に、中国美術学院大学の学生さんが2人質問に来てくれました。「あなたの絵は良かったので、聞きたいことがある。」って。嬉しいですね。

「何をイメージして描いているか」というようなことを聞かれて、答えました。

「僕は自分の意見や気持ちを描いているのではない。自然や世界が語ることを自分を通して、絵にして伝えているに過ぎない。自分はただのトランスレーターです。」

「また、描かれた絵は、そうやって伝えられた作者側からの世界と、今度は観る側と、二つで一つの作業をしているのです。それは共同作業なのです。」

 

たぶん、ちょっと難しくてわからないだろうと思ったら、すごく腑に落ちました。と、喜んでくれました。嬉しいですね。若い学生さんが、「腑に落ちた。」というのは、僕にとっても意外で嬉しかったです。

制作が終わった次の日も歩いていたら学生さんが2人来て、「絵について教えて欲しい」とのことだったので、結構若い方々が熱心ですね。みんな頑張ってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[浙江省 良渚フォーラム7日目] 11月30日

 

3日間の制作が終わって、重圧からは解放。(それについては別のレポートで。)

 

午前中はまず、中国美術学院美術館にて

ザオ・ウォーキーの生誕100周年の展覧会。こんなにたくさんのザオ・ウォーキーの作品を見ることは滅多にないし、かれの初期の頃からの作品を年代を追ってトータルで見られる良い展覧会でした。これを見ると、彼が何を考え、何をどうしたかったかが手に取るようにわかります。観られて良かった。

 

その後、船で川をくだります。

前にもリポートしたけど、あれは安徽省。こちらは浙江省。川沿いに延々と立ち並ぶビル群を見ていると頭がくらくらしてきます。船で移動している間中。高層ビル高層ビル高層ビル。ビルビルビル。バスで移動している間も、高層ビル高層ビル高層ビル。中国は凄いことになってるなとさらに実感。

 

その後、「胡雪岩故居」の見学。解説をしてくれている間に時間を盗むようにして4枚スケッチ。最後のスケッチの時は、スタッフの1人から、「どのくらいかかりますか?」って聞かれて、(最後になっているので、)みんなに迷惑かけるわけにもいかないから、「はいもう終わります」って慌ててバスに乗り込んだけど、15分出発しませんでした。

ぼ、ぼ、僕より遅いやつが必ず決まっている。

(また、スケッチについては後日アップします。)

ということで、今日も1日が終わりホテルで飲み会。

この間に3日間で描いたみんなの作品がスタッフの皆さんによって展示されているようです。見るのが楽しみなようでもあり、怖いようでもあり。

 

 

 

 

 

 

アリババグループのあるオフィスを見学。

 

エントランス入ってすぐは、凄いハイテクロビー。

で、構内を歩いていると古い街並みが。で、畑もあって、その畑の横にスターバックス。(1枚目の写真)田舎にスターバックスがあるわけではなく、古民家を利用しつつ、そこの畑も残して、昔の川と橋を残して、そこにオフィスと店や喫茶店が並んでいるという造り。バリバリの現代オフィス生活に程よく昔の生活スタイルや景観を残しながら。という感じですね。

なんか余裕(ゆとり)を感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[ 11月23日]

朝3時50分に家を出て、車とバスで羽田空港へ。

 

今回は中国浙江省へ。30年ぶりくらいの海外1人旅で、空港で飛行機に乗れなかったら稲城に帰ろうと思うくらい、本当に現地まで行けるのかと不安だらけでした。

ちなみに今回の良渚フォーラムへの参加は日中文化交流協会から推薦をいただき参加へという流れで、最初は大船に乗ったつもりで参加を決めましたが、ビザを取る時に聞いたら、なんと1人での参加(らしい。)がーん😨(僕のチェックミス)

 

おまけに、対応言語が英語、フランス語、スペイン語、アラビア語、そして中国語。だけ。そういえば、最初にメールが来て、英語、フランス語、スペイン語、アラビア語しか対応しませんが、大丈夫ですか?みたいなメールが英語で来てました。みんなで行くからまあ、大丈夫でしょう。という甘い判断ミス。

 

その上で、ざっくりとしたスケジュールはあるけど、詳細がよくわからない。浦東空港までは行けても、そこから先の高速鉄道の時刻もチケットもないし、そんなの自分で取って行くなんて絶対無理。とか思ってたら、浦東空港から杭州までの案内人をつけてくれると出発4.5日前に連絡がありました。そんなこんなで、行く前からかなり不安モード

 

「中国は直前までバタバタしていても最後は綺麗にまとめてくれる。」と、日中文化交流協会のYさんからは励まされてましたが。ぐすぐす。ぐずぐず。とりあえず、行けるところまで行って、ダメならそこから帰ってこようと腹を括って、出てきました。で、羽田は日本語通じるしOK。上海浦東空港から出るのにちょっと一苦労。入国カードとか指紋を取った証明書とか、そんなのをパスポートと一緒に持って入国手続き。待たされるのが長いのは少しイライラしましたが。問題なくパス。

とりあえず、空港から外に出て、案内人の人に会えるか。

 

心配をよそに、3人もプラカードを持って待っててくれました。今日海外から来る参加者を全部案内して高速鉄道にでも乗せるのかとおもいきや、駐車場から、僕だけ乗せて、ホテルまで行くというので、なんか思ってたのと違ってほっと一息。彼女は英語の通訳なので、片言でコミュニケーションですが、明日からは日本語の人がついてくれるというので、さらにほっと一息。

 

でも、最近は、喋らなくても写真見せたり、込み入ったところはGoogle翻訳やウイチャット翻訳を挟みながら会話すれば、なんとなくコミュニケーションは取れるもので、ありがたいことです。でも、語学勉強しないといけないなとつくづく思います。

高速道路を走ること2時間半。最後の高速降りてからの30分は、な、な、なんと白バイのお巡りさんが先導です。

 

ホテルに着いたら30人くらいお迎えの皆様がいらっしゃって、報道のカメラマンのフラッシュを浴びながら入場。もしかしたら、こんなの人生最初で最後かも。普段の海外の展覧会の大変さから比べたら、(もちろん国内もですが😭)お大臣なようなお迎えでした。で、また、安徽省に続いて浦島太郎さんになりました。

 

それで、

ちょっと散歩って思い、ホテルの周りを歩いていました。ちょっと芝生の上に乗っかったら、足元がズブっと。するので、2、3日前に植えたのかなあと思って歩いていたら、100メートルくらい先で、おじさんたちがちょうど植えてました。ということは、さっきのところは今日の午後2時あたりに植えたところかと。僕ら絵描きは制作があるので、今日からホテルに入ってますが、メインイベントは4日後。

 

まだ、道路では看板も設置していたり、花も植えてました。さらに、ホテル内のメイン会場はまだ、入り口の造作物も作ってる最中でした。中国のイベント出るたびに思うけど、本当の直前にバタバタバタバタとやってしまうあのスペード感とパワーはすごいですね。「バタバタするけど、最後は綺麗にまとめてくれる。」というのは、確かにその通りだと思いました。でも、もう少し早めにやれば良い気もしますが、そういうわけにはいかないんでしょうね。こちらはドキドキですが。

 

ということで、無事ホテルに着いてめでたしめでたし。

明日は明日の〜。

#良渚

#ナラダホテル

#良渚フォーラム

 

 

 

 

 

 

[浙江省良渚フォーラム 初日] 11月24日 

 

午前中

良渚古城遺跡見学

5000年前の遺跡を見学しましたが、モノとしてはほとんど何もなく、ただの原っぱのようなところを見て、古代人をイメージするという、なかなか地味なツアーでした。同じ遺跡でも兵馬俑のような物なら、見てびっくりという感じなんでしょうけど。こちらは、ほとんどモノはなくて、それを、一分人工的に再現していたりして、観客はイマジネーションで楽しむという感じです。でも、山梨県の北杜市とか韮崎市とかの風景に似ていて、穏やかな丘と太陽の恵みの景観で、やっぱり古代人が生きて生活していたのは、共通するのかなあ。と、思いました。

 

途中、小学生の遠足みたいなのに出会いましたが、どこも子どもたちは元気です😀

時間が少しあったので一枚だけ描きましたが、誰も描いていない中1人で描いていると取材まで受けてしまいました。英語で喋ってたら、あまりにも伝わらなくて、日本語で喋ってください。と言われました。トホホ。

 

全部、英語の案内なので、内容がほとんど聞き取れないのが残念。今度こそ英語勉強してくるぞ。(と、毎回思いつつ。)

 

 

 

 

 

 

 

 

[浙江省良渚フォーラム初日午後]  11月24日

午後から見たのは巨大な博物館。その良渚から出土した遺品を収めてあって、その地味な(ごめんなさい)遺品を、凄いモニュメント風に展示してあります。その地味な服飾品の凄さ(らしさ)が、博物館の力の入れ具合と共に伝わってきます。

(⚠︎地味というのは、兵馬俑やピラミッドのような巨大な建造物、あるいは金銀細工の副葬品が出土したというのではなく、石で作られた円盤のようなものが人骨と共に発掘されたので、一見、地味な遺構という意味です。)5000年前のお墓が出土され、人骨と副葬品が埋葬されていた。それは貴重な価値のあるものと思われます。

 

さて、夕方は歓迎パーティー。まず、中ホールで歓迎パーティーの後、大ホールで、舞踏とファッションショー。(これについては後程)全部で10テーブルあって、各テーブル8カ国8人が座っているとして、だいたい80カ国という計算で、(後で聞いたら83カ国だそうです、)バスの数とかもそんな感じだから、だいたいそのくらいの世界の国々からアーティストが参加していると思われます。凄いですね〜。

 

ちなみにぼくのテーブルの僕の左隣はザンビアの方。ショールが素敵。右隣はシンガーポールの方。この方はバスが一緒で気のつくかたです。その隣はウガンダの方。ウガンダの方は黄色いスーツに黄色のベレー帽で、凄くファッショナブルな方でした。で、このテーブルは僕とシンガーポールの方を除いて全員黒人の方でした。(もう1人の東洋人は中国の主催側の方。)

ザンビアの方にお会いすることもお話しすることも初めてでした。「愛知万博の時に代表で日本に行きました。」と、おっしゃっていて、チョップスタィック(箸)を使うのに難儀してたので、プチ「箸の使い方勉強会」を開催して差し上げました。でも、器用なかたで、最初はラーメンみたいなのを全くつかめず、クルクル箸に巻き付けて食べてましたが、僕の指導が良かったおかげで(?)最後は箸を器用に使い食べてました。ムスリムの方とみえて、食事を別メニューに変えてもらってました。もちろんお酒も飲まないし。

 

それにしても、80カ国くらいから来ていると思われますが、その方たちを招いて、接待しているわけですが、その辺も力の入れようが凄いですね。ホテルといい、治安、観光の体制。一体何を見せたいのか。ただの慰安旅行ではないですよね。考えてましたが、夜のファッションショーで合点が入った気がしました。

 

余談。

先にも書きましたが、受付には、英語、フランス語、スペイン語、アラビア語、たぶんロシア語があって、日本語がないのは、残念と言えば残念ですが、いかに日本語が国内に閉じられているかということの証しでもあり、逆に言えば、なんで英語やスペイン語が世界各国で使われているかを考えると、悪いこととも言えないのかもしれない。などと考えておりました。

ブロークンイングリッシュで後9日。がんばろう〜。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[浙江省良渚フォーラム初日夜]11月24日

 

ここから、メインホールでダンサーによる演舞。そして、ファッションショーが、組み合わされて、交互に行われます。

 

良渚古代遺跡から発掘された模様やデザインを巧みに取り入れながら現代的なデザインにしています。そして、古代的な踊りをイメージさせる舞踏と交互に場を盛り上げてゆきます。ダンスやファッションショーの質やレベルについての見解は専門家の皆さんにお任せするとして、(日本にもこの程度のものならあるとおっしゃられる方もいらっしゃるかもしれませんが)

 

でも、ぼくが凄いと思ったのは、朝から夜にかけてのプログラムの目的の一貫性と、それを、100カ国のアーティストを招いて発信している発信力の一貫性です。

 

1.午前(実地を見て感じる)

2.午後(博物的な観点から歴史や文化を勉強をする)

3.夜(舞踏で古代のイメージを心で感得し、服飾デザインで未来のデザインを先見的に提示する)

 

つまり、トータルではっきりとした意図を持って、このプログラムが作られているということです。なんとなく、こういうものを見てもらおう。という、慰安のためのプログラムではない。ということが、ビシビシと伝わって来るのです。午前中はなんでこんなところを見て楽しいのかなあ?と、疑問に思いましたが、この、最後のステージを見て、ああ、そういうことだったのかということが腑に落ちます。世界に誇れる古い文化遺産を持って、それを、現代に甦らせ、さらに、古代から歴史の厚みの中で、現代から未来へと世界の文化をリードするという気概が感じられるのです。

 

さて、他国を讃えるのはこのくらいにして、翻ってわが国はいかがでしょうか。

このようなはっきりとした意思を持って、文化国家にするという気概があるでしょうか。もちろん先の大戦で文化教育を利用したという反省から、ある種の距離をとってきたのは間違いないとおもいます。また、実際には民間の力でアニメや漫画が世界に発信し続け、多くの外国人がその影響を与えているのも事実でしょう。ただ、日本の文化を世界にどのように発信すれば良いのか、日本の文化は未来へ向けて世界の何を変える力を持っているのか。まだまだ日本には潜在的に世界に発信する文化芸術があると思います。

 

かの国は、経済力ではもうすでに世界No. 1かもしれない。軍事力においても。最後は、文化の力で世界を伍していく。そんな気迫を感じる1日でした。(すべて素晴らしいという気は無いので、あくまで、そういうものをどのように捉え考えていくかという観点の問題かと思います。)

 

そして、コロナ禍のドイツ大統領の言葉を思い出します。

「連邦政府は芸術支援を優先順位リストの1番においている。」

芸術を趣味人の道楽としか考えてない発想では、どんどん世界から置いていかれかねない。そんな気がします。

 

 

 

 

 

[浙江省良渚フォーラム2日目]11月25日

 

昼間は湖畔でスケッチ。(別掲載)

 

で、夜、お茶会と書道のイベントがあるというので出てみました。書の方は、漢字使ったことのない方々が多いので、みなさん楽しんで書かれていました。

 

で、お茶の方はといえば

なんだか、日本の茶道具がテーブルの上に。で、みなさんのお茶を覗いてみると、お茶の中に「絵が。」ガーン😨

な、な、なぜ?

 

どう見ても、日本の抹茶の道具立てなのですが。まず、起立して中国式のご挨拶。一礼。お茶を点てますが、最初は抹茶を茶筅でネトネトとクリーミーに混ぜた後、今度はお湯を足して、凄い勢いで茶筅を前後に動かして、泡だてます。ここまでもだいぶ違いますが、その後、その泡の上に、濃い抹茶で「絵を」描きます。そして、最後ずずっと音を立てながら、飲んでいきます。

 

最後、起立して一礼。

 

これってまずいんじゃないの。と、思いながら、「お茶と違う」と、叫んでみても虚しいばかりで。(もちろん叫びませんけど)

僕も何度も中国に来てますけど、こんなお茶の飲み方をしたのは初めてだし、どう見ても、日本式のお茶のやり方を真似して、それに、最近流行りのカフェオレに絵が書いてある、あの方式をドッキングさせ、お茶とはまるで似て非なるものを編み出したのでは。と。推察されます。これはこれで、イベントとして楽しめれば良いのですが、これを「お茶」と、世界各国の方が勘違いされると大変困るなあ。と。

 

でも、「お茶」も、グローバル化の中で「世界のお茶」になって、いろんなアレンジが出てくることは面白いかと思いますが、(実際にみなさん凄く喜んでました。)やはり、「お茶」とは、なんぞや?という原理原則がすっぽり抜け落ちているのは、かなり気になるところでした。なんでも、取り入れて自分たちのものにする貪欲さは凄いとも思いましたし。あれっ。これってどこかで聞いたことが。たぶんヨーロッパやアメリカの真似をしてきた日本🇯🇵でも、やっぱり精神性に基づいた「茶の湯」を世界に発信していくことも重要かと思いました。

 

みんな凄く喜んでたけどね。

 

 

 

 

 

 

[浙江省良渚フォーラム3日目]11月26日

 

昨日は、韓国、シンガーポール、ネパール、バングラデシュの皆さんと、夜遅くまで飲んでて日記を書けず。

(ちなみに韓国のキムさんは飲んでも飲んでもノープロブレムと言うのですが、僕も流石に疲れて12時に別れましたが、その後、4時まで絵を描いていたそうで、雰囲気はまるでちゃらんぽらんですが、凄い人です。

おまけに、彼の英語力は僕程度ですが、誰とも十分以上にコミュニケーションしているところも尊敬に値します。)

で、

 

この日は、古い街を見たり、体験コーナーで体験したり、ぼくは中国の和紙を漉きましたが、材料とネリが違うのか、日本の和紙に比べるとかなり繊維が弱い感じがします。手で引っ張るとすぐに裂けます。でも、用途の問題なので、日本の和紙のような強靭さは必要ないのかもしれません。厚塗りするわけでもないので。

 

絵を描いていると、施設の代表的の方が来られて、是非その絵が欲しいと言うので、お礼に差し上げました。「飾っておきます。」とのことで、記念になれば嬉しいなと思います。

 

どこへ行っても、歓迎歓迎で、ワークショップなどのコーナーもたくさん用意してくれていますが、なんせ時間が短いので、ほとんど誰も参加しないコーナーなんかもあって申し訳ない気もします。いろいろ行事が詰まっていて仕方がない面もありますが、駆け足でスケッチができないのは残念です。

 

バスの集合時間が決められていて、ぼくは大体予定通りにバスに乗り込みますが、それから15分はまず出発しないので、(ほとんど遅れてくるハッピーなラテン系の方が結構たくさんいらっしゃる。ガイドさんが、3日目ともなると、目が遠くを見て虚になっていくのがわかります。)で、その間にバスの中で外の風景を描くと大丈夫と言うのに気がつきました。もう少し早く気がつけばよかったのですが。

 

ということで、良渚周辺の見学は終わっていよいよ明日、(というかこれを書いている今日)から、制作に入りました。