今日、皆さんよりひと足先に「みはらしの家芸術祭」の飾り付けをしてきました。

 

今年は伊東は月下富士山図屏風を展示します。

 

コロナになって、いっとき中止や、展示に限りなど縮小して開催してきましたが今年から以前に戻って展示だけでなく、イベント、お茶会、ワークショップ、不用品コーナーなども開かれます。

よろしければお出かけください。

稲城市向陽台4-2みはらしの家集会室など

#みはらしの家

#稲城

#芸術祭

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日展、現在開催中です。

よろしければお出かけいただきましたら幸いです。

伊東は

18日(土) 13時〜14時30分

20日(月)11時30分〜12時50分

14時〜15時30分

日本画会場付近をうろうろしています。

展覧会は26日まで

国立新美術館にて

詳細は以下をご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日、やっと五科、全部見て回りましたが、3000点もあると一点一点丁寧に見る時間はないので、急足で見てまわりました。

皆様もお疲れにならないよう、休憩しながらご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は「らくらく鑑賞教室」の日本画の講師として参加してきました。1日かけて、全科を解説を聞きながら巡るツアーですが、5500円と少し高いかなあと思いましたが、

入場料1400円×二枚+図録2000円+今半のお弁当(たぶん1500円くらい?)で、完全に元は取れていると思います。

 

1日かけて見るので、見応えはあると思います。今年はこれで終わりなので、また、ご興味のある方は来年どうぞ。

 

で、写真は「ミニミニ解説会」の様子です。「らくらく鑑賞会」は有料ですが、「ミニミニ解説会」は無料で30分程度です。自分でやってるところは写真撮れなかったので、「ミニミニ解説会」の本多先生の解説の様子を写真に収めました。

今日は月曜にも関わらず祝日並みの凄い人出でした。(いつも来てるわけではないので、普段の月曜日の様子はわかりませんが、多いと思います。)こうしてたくさんの方にいらしていただけることはありがたいことです。

今日お出かけいただいた皆様、今日までにお越しいただいた皆様含めてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

[安徽省6日目]

 

合肥出身で北宋代の名臣包拯(ほうじょう 999~1062)にまつわる公園。だそうです。

公園内には、包公墓、清風閣などがあって、それなりの雰囲気のあるところでしたが、包公墓の施設そのものは新しく作られた建物などです。中国では、そのものあった古いものを再現するとか、古いものを残すとかというより、その人を祀るために新しく施設を作るという発想もあるんだと思いますが、包公墓と言いながら、近づいて見てみると、新しく作られたコンクリートの壁だったりして、まじまじと新しいものを見てたりするわけです。

 

でも、それが、偽物とかというわけではなく、それが作られた時代に、包公をお祀りしながらその周りの造作物を作ることそのものに意味があるのかもしれません。

 

いずれにせよ現代に作られた施設でありながら、古びた情景をよく再現しているな。と、思いました。

 

 

 

 

 

 

 

三河古鎮

 

江南四大古鎮の一つだそうです。明清時代の古い街並みを残した街で三つの川に挟まれているのでこの名がついているそうです。 僕らが見たのは、その観光地化されている地区ですが、現在も何万人(2万人とか3万人とかガイドさんが言っていたような)もの人が住んでいる現役の街です。

 

先日見た宏村もそうですが、街の至る所に「うだつ」が上がっていて、いわゆる「うだつが上がらない」という言い方がありますが、あの「うだつ」を上げるということは、それなりにステイタスだったのかなあと、想像します。ちなみに「うだつ」そのものは元来、防火壁として付けられたものだそうですが、だんだん、華美になりステイタス的になっていったのかもしれません。家の作りも、間口が狭く、奥に100メートルくらいあるような家の造りになっていて、この辺も京の町屋とかと似てるのかなあと思いました。やはり、間口な大きさで税金を取ってたからなんでしょうか。

 

通りを歩くだけで、その時代にタイムスリップしたようで、楽しませていただきました。

1人、天壇の画像のようです

3人、テベレ川の画像のようです

 

 

3人、通りの画像のようです

 

2人、寺院、テキストの画像のようです

 

5人、寺院、テキストの画像のようです

 

3人の画像のようです

写真の説明はありません。

 

天壇、テキストの画像のようです

 

 

 

 

[安徽省旅行記3日目]11月11日 その2

 

午後から 硯と墨の工場見学

代表の周美洪さんは日本でいう人間国宝の方だそうです。すごい風格のある方だったので、ご老人かと思いきや65歳ということで、驚き。

 

そして、なんて言ったって、安徽省は歙州硯の産地 で、歙州といえば、中国四大産地の一つ。

特に、日本人の間では、端渓か歙州かとも言われる垂涎もの(らしい)硯と墨について語ると専門の方から突っ込みが入りそうなので、あくまで(らしい)としておきます。で、触った感じ固くてスベスベの感じなので、墨は若干おりにくそうな感じ。逆にいえば繊細な感じ。(くどいですがあくまで個人の感想ですので、ご勘弁ください。)

 

帰り際、せっかく来たから硯をと思いましたが、普通に使えそうな硯は十万から高いものは数百万円。なので諦め、かわいい半分飾りのようなのを購入。

 

また、墨を作っているところも見学させてもらいましたが、本当に大変な作業ですね。煤を採取するのに、松煙墨は松の薪、油煙墨は菜種油と習いましたが、油煙墨は桐油に他にも混ぜて作っているそうです。動画で撮影できたのは、機械式のところだけ。手作業で油煙の煤を集めているところは撮影禁止。ちょうど採取しているところで、煤がもうもうと立ち込める薄暗い中、1人の男性がその中で伏せたお椀から煤をこそぎとっていました。ドアが開いていたので、そこから顔を突っ込んでいると、顔が黒くなるからあまり見ていないように注意を受けてました。

 

その後の膠と混ぜて叩いて練る作業も、一つ4キロのハンマーで200回くらい叩くそうです。機械で一旦練ったものをさらに叩いて練るのでそれくらいだそうですが、昔は最初から叩いていたので、さらに大変だったそうです。型枠に嵌め込み、枠から出して数ヶ月乾かし、その後、字の部分や、絵の部分に色彩を施して完成。その部屋は皆さん女性がやっていました。

 

でも、どの過程も大変な労力ですね。

 

最近は中国でも、若い人が3Kの仕事をしないようになってきたとのことでした。どこも伝統産業は労働力と後継者が問題ですね。日本も中国もこれからどうするのか?喫緊の課題なんだろうなと改めて感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[安徽省旅行記3日目] 11月11日

午前中、「宏村」という周りを川で囲まれた村にやってきました。

 

この村は、昔は庶民が住んでいた普通の家々が並んでましたが、今はほとんどお店や飲食店、民宿になっていて、風情は残っていますが、観光地という感じでした。ちょっと雰囲気を言えば中国のヴェネチアってイメージですかね。テイストは違いますが、造りは似てるかも。土曜日とあって人も結構出てました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[安徽省旅行記4日目] 11月12日

化城寺へ

山中にあるお寺で、その昔、ある高僧がここで食を絶って生き仏になったというお寺だそうです。

 

この日も雨に祟られましたが、幸い霧雨のような雨だったので、なんとかカッパで凌げました。でも、逆に霧けぶるお寺の情緒もなかなかでした。その代わり、雨に濡れるためにスケッチはほとんどできませんでしたが。我々一行が訪れるために、お寺の入場時間も延長してくれたそうですが、合わせて、お寺の参道にあるお土産屋さんやレストランも全部開けてくれてました。警察も総動員って感じでした。(この辺はさすが中国ですね。)ベトナムの仏様同様、仏様は金ピカ。金に塗りましたというのだけではなく、常に金ピカにしておくことが、崇高な存在への敬意を表す表現なんだと思いました。四天王様も、綺麗な色で塗られていて、朽ちてくものの中にある種の尊厳を見出す日本人の美意識とはかなり違っているようでした。

 

それにしても

日曜日の夕方の5時過ぎに、何十軒もの店が、煌々と電気を付けている山の中というのもなかなか不思議な感じで、人が周りにいなければ、千と千尋の異界に迷い込んだような雰囲気でした。今回来て思うのはどこへ行ってもとにかく「綺麗」。この辺のお話はまた今度。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[安徽省旅行記5日目] 11月13日

ずっと地方都市を見学してきましたが、今日から合肥市に入りました。

人口960万人くらいだそうです。

今の中国です。

 

 

 

黄山は見そびれてしまいましたが、今日は天柱山へ。

ロープーウェイで山の中腹まで上がり、そこからは徒歩。らくらくコースとチャレンジコースとあって、僕はスケッチのことも考えて、らくらくコースへ。湖までは、広い遊歩道で、そこまでは20分くらいで、らくらく。そこから先は道幅が狭くなり、皆さんとはお別れして各岩のある場所へ歩道を歩きます。アップダウンがあって、結構、山歩きという感じでもありますが、道は整備されています。そのあたりは、かなり山の中なのですが、道はコンクリートもしくか石の階段です。

 

こんな山の中まで、どうやってこの石の塊を運んだんだろうと考えてしまいますが、万里の長城を作るお国柄ですから、この程度はたいしたことないんでしょう。日本だったら、その辺の間伐材を使って階段のところだけ整備するという感じではないかと思いますが、岩岩を繋ぐ歩道は全部コンクリートか石の階段です。

 

歩くことさらに30分。岩山の上にたどり着いたら、賑やかな音楽が流れてきます。観光を盛り上げてくれているんでしょうけど、できたら、せっかく山の中に来たのだから、鳥の声とか聞いて、しんとした雰囲気を味わいたいという気分にも。でも、多分サービスなんですよね。できたら選曲も少し考えてほしいかも。

 

また、遊歩道を歩いて20分

 

今度は、母親が子どもを抱いているような岩とか、岩と岩の間に岩が挟まっている天門岩とか、色々な形の岩が楽しめます。今回見たのは2箇所だけでしたが、全体で100箇所くらいあるそうです。岩山のスケールにも驚かされますが、それをコンクリートや岩の遊歩道で結んでいるその労力にさらに驚かされます。今日は、天気も回復して帰りは夕焼けも楽しめました。今回は4箇所くらいスケッチもできて満足した1日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[安徽省旅行記1日目]11月9日

4時過ぎに稲城の家を出て、やっと黄山市のホテルに着きました。

羽田から飛行機で上海虹橋空港、空港から地下鉄で虹橋ステーション、虹橋ステーションから高速鉄道で黄山市。そこへはバスのお迎え。到着したのが21時30分。軽く食事をしたら23時00分に。

長い1日でした。

 

明日は式典「安徽国際文化旅遊節」世界32ヵ国からの参加です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[安徽省2日目]11月10日

第13回安徽国際文化旅遊節昼間は黄山市、栢景国際ホテルでの開幕式、そして、夜の川沿いのイベント会場での開幕式と開催され無事終了いたしました。

 

共に巨大なモニターの前での開催。ホテルの会場でも横が30メートルもあるようなモニターに映像が映し出され、これでもかというほどの過剰とも言えるような映像と音楽。その前で演舞が繰り広げられました。まるで、竜宮場に連れてこられた浦島太郎さんのような気分でした。当時も、想像するに、中国に連れて行かれて、飲めや歌えやの大宴会で、日本に帰ってきた時はお爺さんになっていた。というお話しだったんだろうと。竜宮城はやっぱり海の底なわけないから唐の都と明の都とかだったんでしょう。

 

そんな気がします。いえ、そんな気にさせられた開幕式でした。夜の部は河岸でのイベント会場でしたが、雨が最初は小降りでしたがどんどん強くなり、ご年配の方もいらっしゃったので、早々に引き上げました。

 

なんか改めて中国は大国だなあと思いました。これ、安徽省ですから。安徽省の黄山市という、日本で言えば四国の松山市みたいな感じですから。中央だと。改めて国民性の違い。こういう「ど派手」な演出が好きなんだろうも思いました。ただ、若干、演舞や歌謡のレベルという点ではどうなのかなあ?と思いました。良くも悪くも、中国の今を垣間見たような開幕式。これで、まずはお勤めの大半が終了いたしました。

 

明日は硯の工場を見学したり、川沿いの街を見学に行くそうです。

楽しみ😊

 

 

写真の説明はありません。

 

 

 

写真の説明はありません。

写真の説明はありません。

 

写真の説明はありません。

写真の説明はありません。

写真の説明はありません。

 

安徽省に着いた翌日、セレモニーも終わり、夜のイベントも小雨で切り上げた後、ちょっと近くの知り合いの店にとご案内されたところにあったのが、この化け物のような硯。

一見、風呂桶かと思うようなサイズと形状ですが、これで硯だそうです。歙州硯。実際は使うというより観賞用ですね。

もうこんな大きな石は採れないのではと思います。

2人、テキストの画像のようです

テキストの画像のようです

 

皮革の画像のようです

 

ウイングチップ、皮革、サドルステッチレザーの画像のようです

写真の説明はありません。

 

写真の説明はありません。

[安徽省旅行記2日目] 11月10日

 

話が前後しますが、

10日午前中、市内にある中国徽州文化博物館を見学。で、やっぱりデカい。

 

4つのセクションに分かれていて、

青銅器など古い文物のセクション 教育文化のセクション 硯、墨、筆など産業のセクション(なんといっても安徽省は歙州硯の産地)そして、水墨や書など地域の有名画家や書家の明、清代文物(僕のイメージなので違っていたらすみません)作品も面白かったですが、特に気になったのは

 

1.モンゴル文字のような縦書きのイスラム文字みたいなのがあって、聞いてみたら満州人の文字とのこと。清の時代のもので、漢字と満州文字両方で書かれていました。それに皇帝のハンコが押してあって、それは何が書いてあるかというと、ある女性が貞操を30年間に渡って守り続けてきたことを讃えて皇帝から下賜されたそうです。一片20センチもあるようなバカでかいハンコが2個も押されてました。満州にも漢字以前の文字があったけど、最終的には漢字文化に染まっていくんだということは、やはり、漢字が書き言葉としても、あるいは芸術性においても優っていたのではと思います。弁髪とかは強要したのですけど、文字はそうだったんですね。

 

2.それと、もう一つは、描かれている絵が、たぶん岩絵具などを使っていて、まだ、明清の時代には岩絵具で塗られていたんだと思いました。当たり前といえばそうですけど。後、水墨画も宋、元の焼き直し的な絵が多かったと言うことは、やっぱり、その時代の絵の影響がかなり強く残ったんだなあと思いました。

 

3.それと、これは結構、衝撃的でしたが、「纏足」10センチとか8センチくらいの靴に足が入っていた。頭では理解しようとするけど、感覚的には入ってきませんでした。その時に案内をしてくれていたSさんの話によると、祖母がそうだったそうで、彼女の生まれは1920年代。生きていらっしゃったとすれば90代後半ということかもしれませんが。そんな最近まで行われていたということにショックでした。家から逃げ出さないように。というようなことを聞きましたが、やはり古い文化の良い面もあるけど、悪い面があるということを改めて感じました。

 

写真の説明はありません。

 

写真の説明はありません。

写真の説明はありません。

 

 

 

写真の説明はありません。

写真の説明はありません。

 

写真の説明はありません。

写真の説明はありません。

写真の説明はありません。

 

[安徽省旅行記3日目]11月11日

今日もいろいろありましたが、まずは興奮冷めやらぬ屋外観劇。

 

会場に着いて、今日の演目について、ストーリーを聞いていると、「あれ、どこかで聞いたことのあるストーリー」あれあれ、昨日、午前中に行った博物館で、たまたま目に止まって内容を聞いた、あの話ではないですか。貞操を30年間守って皇帝から勲章をもらった女性の話。(実は30年ではなく52年でした。)

 

その女性の話が今日の観劇の演目。

それは、それを見ることがわかっていて、博物館で説明をされたと思われるかもしれませんが、全然。数千点もある文物の中から、たまたま、僕がガイドさんにその文字が変わった文字だったので、尋ねたら、満州文字で、「そういう内容が書いてあるんですよ。」と説明を受けただけで、それがなければ素通りしていた地味な巻き物でした。

 

ざっくり言えば、

 

若くて皇帝が戦地で亡くなってしまいました。その場合、その頃の慣習で、奥さんは幽閉されてしまうのです。その幽閉された部屋で皇帝の子供が産まれて、16年が経ちました。その子供が高官になってその幽閉が解かれる。という話で、52年経って、彼女は愛でたく世に帰れたというお話しでした。爆音の中で、ストーリーを通訳してくれるので、聞き取れないところも多々あり、間違いもあるかもしれませんが、概ねそんなお話しです。あの時の、地味な巻き物に大きな皇帝のハンコが妙に不釣り合いだと思い尋ねましたが、そのストーリーが目の前で繰り広げられたのに、やや興奮気味。

 

で、もう一つの興奮材料は、この演劇、普通の舞台ではなく、実はそのドラマが繰り広げられた、その古城をそのまま使った演出なんです。なので、会場も観客が移動しながら見るという臨場感たっぷり。受付や案内のスタッフも漢服を着ているし、最後の登場人物は現代人が、昔を振り返るという設定で、普通のTシャツを着て出てくるし、観客も役者のそばで見ているし、どこまでがドラマでどこまでがリアルかわからないような演出になっていました。最初、そういうことも知らないで、隣の人が漢服の女性に付いてどんどん歩いていくので、帰るのかと思い、ついて行ったら、そこにも座席があってその人がスタッフなのか、出演者なのか、あるいは、お客なのか(たまに若い男の子や女の子で漢服を来ている一般人もいますし)なんか、中国四大古城の一つと言われている徽州古城で繰り広げられる夜の観劇に魅了されて帰ってきました。

 

僕の見た感じですが、それぞれ演劇の舞台として使うところは、全くの古い文物の上でというより、その部分だけ、少し高くしてステージのようにしてあったり、柱やドアなどの造作物は演劇用に作っていたようです。釘を打ってはいけないとか、イベントに使ってはいけないとか。どこやらの国もこういう、文化財の生かし方を考えた方が良いのではと思いながら帰ってきました。屋外で元々あまり耐久性の心配ない部分を利用しているとかはあると思いますが、やっぱり発想の問題だと思うのですね。あれしてはダメこれしてはダメ。では、文化財も見る人も感動のないまま、死んでいる文物を眺める。それで良いのか考える必要があるように思います。もちろん、文化財の保護を重視しながらどう活用するのか。

 

やっぱり、浦島さん、亀の背中に乗って行ったのは中国の宮廷だったようです。まさに、そんな一夜の竜宮城体験でした。

 

追記

と、ベタ褒めではなんなので、若干気になるのは、音が爆音すぎることや、電飾やマッピングが過剰すぎること。(過剰なのは中国的と言えばそうなんですが)それと、クチパクなので、そういう意味のリアリティはないのと、アクターがもうちょっと頑張って欲しい(観光用なのであまり言えない)こととか、色々あるにせよ、やっぱり本物の古城で見られるのは嬉しいし、最後のダンスパフォーマンスの女性はなかなか見せ場を作るだけのことはありました。結局は褒めて終わりです。

 

写真の説明はありません。

写真の説明はありません。

写真の説明はありません。

写真の説明はありません。

 

写真の説明はありません。

写真の説明はありません。

写真の説明はありません。

写真の説明はありません。

 

 

今日は多摩市にある古民家加藤家住宅で、リトアニアからドビレイ、リナスご夫妻をお迎えして、伊東の絵を背景にお茶会が開催されました。

 

お茶のご指導は江戸千家景福庵宗香さん、皆さんで襖絵の前でお食事をいただきました。今回は農家の古民家のイメージで、どちらかというと素朴な料理の味わいをイメージされたそうで。煮しめも小豆粥も美味しくいただきました。

また、食事の前に、書家の田坂州代さんのパフォーマンスも楽しみながら、一時を過ごしました。12月はアゼルバイジャンで文化交流に行かれるそうです。

 

加藤家は元々、農家のお宅なので、あまり、襖絵を展示するような作りではありません。直ぐに土間があって、そこには竈門があり、煮炊きをする本当の生活空間です。今日は風も強く、襖絵の前に囲炉裏があって、火が飛ぶのではないかと心配しましたが、炭火を起こしましたので、火を前にしての屏風絵も良いものでした。

 

午前中、雨で部屋の中も暗く、スポットライトも多めにつけたのですが、昼から天気も良くなり、ライトを消したところ、外光が差し込みなかなかその雰囲気も良かったです。「ホテルのロビーから古民家へ」という感じでした。

 

ちなみに、こういう文化財指定を受けるような建物の中で、火を使って煮炊きできるところというのは珍しいそうです。3件ある古民家の中で、ここだけ文化財指定をせず、火を使えるようにしてあるそうです。煮炊きをして、煙や匂いが広がると、一挙におばあちゃんの家に来たような懐かしい生活感が溢れます。

 

とても良いひとときを過ごさせていただきました。

 

11月としては気持ち悪いくらい暖かかったのだけは、少し興が削がれましたが。でも、縁側のひだまりは気持ちの良いものでした。皆さんお世話になりありがとうございました。特に裏方さんで調理、サーブを取り仕切っていただいたみなさま本当にありがとうございました。最後になりましたが、この機会をセッティングをしていただきました横野さんには改めて御礼申し上げます。

 

皆様お疲れ様でした。ありがとうございました。

#多摩市

#一本杉公園

#襖絵

#屏風絵

 

 

 

 

 

 

橋さんとご一緒に日展に行きました。

 

橋さんは現在、京都芸術大学書画科で勉強されてます。日展の中に「書画」がないのを不思議に思われてました。明治期に日本画が生まれた折に、書と画が分けられ、さらに水墨画と日本画と分かれてしまいました。そんなことをお話しさせていただきました。

 

僕も負けないで日々勉強あるのみです。

#橋幸夫

#日本画

#日展

#書画

 

一昨日、日展の日本画の懇親会が開催されました。

 

冒頭の土屋礼一先生のご挨拶の中で、世界がウクライナやパレスチナで揺れている中で、こうして、絵を描き続けられる感謝の気持ちを持たないといけないね。というようなお話がありました。本当にそう思いました。

「なぜ描くのか?何を描くのか?」一人一人が向き合わなければいけない問題なんだと思います。

#日展

#日本画

#懇親会

#土屋礼一

 

 

 

 

 

 

シルクのスカーフに描いてみました。

 

日本画では江戸、明治、昭和初期くらいまではシルクに描いている絵が多いようですが、近年、ほとんど描く人がいなくなったように思います。僕もなんとなくシルクにご縁がなかったのですが、こうやって触って近くで見ると、真珠のような輝きを持っていて、世の中の女性群がシルクに捉えられるというのもわかる気がしました。

 

特に真っ白な生地が心に響きます。

 

今回、生地は日本製のもう生産していないものを譲っていただきました。ここ何年か、山梨の山の中の集落とか、色々ご縁があって古民家とか伺っておりますが、養蚕農家がほとんど廃業して、民家だけそのまま残っているところが多くて、もう産業として復活することはないということでした。桑の木を切り倒して、シャインマスカットに切り替えようとしていたり、産業の転換が進んでいるようです。でもまず、高齢化で労働力がないのが地域の現実のようです。

 

子供の頃には、一階に皆さんお住まいになられて、2階、3階でお蚕さんを飼っている訳ですが、繁忙期になると、一階も自分たちの寝る部屋を除いて、お蚕さんの場所になっていたそうです。お蚕様中心の生活で、かつ、大変な労働であったと思います。

 

また、別の視点から言えば、絵の具の材料を開発されている方と話をした時に、日本は仏教国であったはずなのに、日本画のメディウムである膠は動物性のコラーゲン由来のものだし、(動物の殺生を前提にしている。)絹は大量の虫を殺生して作られた材で、原理的に考えると、殺生を禁じた仏教の考え方とは相入れないのではというお話を伺い、それもその通りだと思いました。

絹一つとっても、眺める角度を変えればいろいろな世界が見えてくるということかもしれません。

 

ということなんですが、描く側の技術的な視点から言えば、

 

シルクに描くさいに、シルクがよれないように木枠に挟み込んで固定します。本格的に描く時には、糊で木枠に固定して、膠を何度か塗ってピンと張った状態にしますが、今回はスカーフになっているということで、木枠に挟み込んで、たるんではいるけど、よれないような状態にしました。で、今回は洗濯も前提として、墨ではなく、布用の絵の具を使いました。絵の具はかなり薄めるので、メディウムを黒に追加。まず、淡く描いて乾かして、また、少し濃く描いて乾かして、さらに濃く描いて、乾かしてを何度か繰り返して描きました。最後に金を入れて完成です。金は布用絵の具にはないのでアクリルに布用のメディウムがあるのでそれを混ぜて描きました。

 

長い時間かけて描きこむのも楽しいですが、これはこれでこの世界にもハマりそうです。

 

 

今日はギャラリー汀さんでイベントでした。

食事を楽しみながら、

 

1部 伊東が水墨画でボタンを描き、それに合わせて、リトアニアのリナスさんがピアノを弾いてくれました。

 

2部 伊東の描いた牡丹の上から、ドビレイさんが書を描いてくれるのかと思ったら、牡丹の絵に沿うように、牡丹がなぞられて行きました。

 

僕もおもわず、ピアノを演奏(?)でコラボさせていただきました。還暦を過ぎれば怖いものなし。です。

30人でいっぱいなスペースでしたが、みなさんに集まっていただいて、楽しく3時間以上にわたって絵あり、音楽あり、おいしい料理と飲み物を楽しみました。お越しいただいた皆様ありがとうございました。

 

リトアニアからのお客様とコラボできたことにも感謝です。ご縁を繋いでいただいた横野様ありがとうございました。そして、ギャラリーの植田様はじめスタッフの皆様ありがとうございました。

展覧会は11月16日まで11時から17時

 

ーーーーーーーーーーー

当日のトークの内容は以下なような感じです。お暇な人はどうぞ

 

[平和であることに感謝]

今回来日されたリトアニアは長い間ソ連や他国の支配下に置かれた国です。ソ連邦の統治下にあった時には西側の音楽が長期にわたって禁止されていたそうです。世界が平和であること。自由であること。お互いに行き来ができてこうやって文化交流できることに感謝です。

 

[五感で楽しむ]

日本美術は「床の間芸術」と言われるように、床の間の前では、掛け軸の絵もあれば書もあり、生花、お茶、三味線。そんな五感を楽しむ場なので、そういう愉しみ方をできればと思います。

そう考えた時に、日本の美術を見せる畳や床の間の美術館がないのですね。だいぶ前にある美術館の館長さんにそんな話を僕なりに力説してみましたが、あまり反応がありませんでした。日本画や日本の工芸を見せる美術館が日本にないというのは残念です。

 

[レストランとアート]

中でも、西洋でも日本でも元々は飲食とアートはお互いに共存していたと思いますが、近代以降、アートはアートだけを楽しむ純粋な空間になりました。それは、それなりの理由があったのですが、(アートが一部の支配層から解放されて誰しもがアートを楽しめるようになったということと、アートが宗教的な権威や、国家の権威から自立しようとしたことなど)

でも、なんかもう一度、飲食とアートを一緒に楽しくとができれば良い。ギャラリー汀さんは、そういう意味でも理想的な場所なんだと思います。

 

[今回のテーマの散華図について]

東日本大震災の後毎年描いてきた散華図も10年目を迎えて、そろそろどうしようかと思ってた矢先にコロナ禍になり、さらにはウクライナやパレスチナの紛争。

散華図を描くことは残念ながら終わりそうにありません。

今回は特に、大きな宙に浮く割れた岩と蝶などの虫たちを描きました。何度も東日本大震災の時の自分自身を体験や想いをトレースしています。

 

[絵に込められた意味]

「画面に描かれた蝶は何を意味をするのですか?」というご質問をいただきました。

たぶん、「絵は答えではなく、問いかけなんだろうな。」と、思います。もう少し言えば、絵を描いているのは物理的には絵を描いている人なんですが、それを解釈するのは見る側で、見る人それぞれがそれぞれの物語を絵から紡ぎ出すことが、その絵を作り、完成させることになるのだと思います。

なので、「蝶は何を意味するのか、」その人なりの物語を紡いでいただければ嬉しいなと思います。

#ギャラリー汀

#ガーデンカフェときそら

#伊東正次

#日本画

#リトアニア

伊東 正次

wu6m-itu@asahi-net.or.jp

H.P. https://www.ito-masatsugu.com/