今年の名古屋は最悪でした。
中日ドラゴンズの選手はビビりまくり野球にならず、名古屋グランパスはまさかの2部落ち。
今の時代、早目早目の対応が決め手なのに、いかにも遅すぎました。
フロントがアホだったのでしょう。
名古屋城天守閣が欠陥建築と判明し、客を入れるのか入れないのかで大揉め中。
噴霧器を抱いた渡り鳥(日本国内に2万人工作員がいるとか)にやられ東山動物園は閉園。
国政に未練のある男が田舎弁をいつまでも使い続け、イメージダウンに拍車をかけていることが、マスコミによる集中砲火を浴びる遠因(本当は主因と思う)なのに、ちっとも気付かない市民たち。
名古屋駅に降り立ち、真っ先に目に飛び込む大名古屋ビルヂング。
建て替えたのはよいけれど、どうみても墓石に見えてしょうがない(写真)。
右の街路信号灯は卒塔婆に見え、中央のスパイラルのオブジェは何かしら仏具の印象です。
これでリニアの工事が始まったのですが、呪われたこの街が今後どうなってしまうのか。
開業はしたものの、電磁波が体に悪いと評判が立ち、誰も利用しないなんていうことにならなければ良いのですが。
お口直しに、この秋の紅葉を見ていただきましょう。
桜通りに立派なサイクリングロードが出来ています。
一車線減ってもだだっ広い道路ですし、クルマの数も減っていますので丁度良い感じですね。
映画「ティファニー ニューヨーク五番街の秘密」の原題で 「ティファニーで朝食を」 の中での ヘップバーン の台詞です。
宝石に関しては無縁の私ですが、招待券を頂いたので出かけました。
宝石ファンならヨダレが出そうな内容でも、私にとっては全編CM映画でしたが、ティファニーのデザインコンセプトには日本文化に対するリスペクトが強く表れていることが理解出来たのは収穫でした。
兎に角、アメリカンパワー全開の迫力には圧倒されます。
各界の大物たちのインタビューが続くので、ヒアリングの勉強に役立ちます。
写真は25才の時に撮ったもので、映画のロケから9年後です。
綿パン・ポロシャツのいでたちで店の中に入ったものの、あまりの場違い感(植木 等の「お呼びでない!」)から、ほんの数秒で店を飛び出しました。
名古屋駅西口は昭和の香りがまだ残っています。
新幹線口からたった二筋(すじ)行っただけの所に古いビルがあり、それらしくは見えない映画館「
シネマスコーレ 」の入り口(写真)があります。
雨降りだったら濡れながらチケットを買う構造になっており、今風のシネコンとは大違いです。
入り口から3歩で観客席に入ってしまいます。さすがに椅子はシネコン仕様に入れ替わっていました。
今話題のアニメ「
この世界の片隅に 」を観ようか迷っていましたが、ツレが「目の保養になるから、沢口さんの「
」にしたらどう・・?」ということで、あまり期待感はなくやってきたのでした。
沢口さんも吉永さんに似たところがあり、観客がストーリーにのめり込めないのが難点ですが、映画が始まってしまえば、お疲れ気味の「科捜研の女」とは一味違う美しく爽やかな女教師に出会えました。
精神科的な問題を抱えた女の子を軸に小学校の一クラスの物語が上手くまとめられています。
この女の子のように教室で口をきくことのない同級生がいたことを思い出したのですが、彼は立派に中小企業の社長になっていました。
5年前の米田氏からの年賀状に「明人出警入蹕図」のスケッチが描かれていました。
いまだかって、世界中の誰もその全貌を見たことのない この絵巻について教えていただいた内容は驚くべきものでした。
例外的に台湾で この絵巻を改変した図柄が切手(写真)に用いられているのですが、由来を詮索する人は皆無でしょう。
由来:九州王朝倭国王室所蔵の絵巻物(オリジナル)。
白村江の戦利品として唐が略奪したもの。大東亜戦争中、北京から台北に移送。
内容:倭国の延喜帝(在位533~554)が近衛兵らを従えて宇佐小倉山東大寺方面へ行幸の図と思われます。
象車の存在が一番の驚きですが、周辺の景色、描写された植物が日本的です。
近衛兵のコスチュームは四天王像とか執金剛神像のものに似ています。
宮殿は大宰府のものか博多駅辺りにあった高津宮、川は賀茂川(現在の御笠川)でしょう。
所在:台北の故宮博物院
絵巻についての情報は故宮博物院のホームページにあります。
出警図(しゆっけいず)
入蹕図(にゅうひつず )
以前は絵巻物の全景をネットで見ることが可能だったのですが、現在はどこを探しても見当たりません。
意義:この絵巻物と同類の「清明上河図」のオリジナルは隠匿され、中国人による模写作品が複数存在しますが、清の時代のものが 消したはずの倭国テイストを一番醸し出しているようです。
「清明上河図」のオリジナルは、ひと目で倭国の風景であると気付かれてしまうため、改変模写を公開するしか方法がなかったのですが、この出警入蹕図(しゅっけいにゅうひつず)はバックが無難な景色と判断されたので、オリジナルの公表が許されたと思われます。
これらの見解は米田良三氏のものですが、世界中の研究者の中で唯一無二のものでしょう。
世界中の学者が「清明上河図」の舞台と時代について研究しているのですが、結論はまだ出ていません。
この倭(日本)国説を認めることに白人学者たちは抵抗があると思います。
認めれば、日本が世界中のどの国より一味も二味も違う存在であることを否応無しに意識させられるからです。
長年にわたる白人優位が揺らぐことも許しがたいことでしょう。
あらゆる仕事の「生産性」がストレスなし!で劇的に上がる!というのですが、寸分のスキもない作業工程・人員配置が現場の人間のストレスの元ですので、本音は上層部のストレスを無くしたいのでしょう。
この本は管理者のためのマニュアルと考えられます。
この本では恐らく話題として取り上げられない悪魔のような昼夜二交代制は、戦後、本社で生まれたアイディアのようですが、
下請けが即座に“右に倣え”をして、現在も普通に行われている非人間的な労働体制 (動物だってちゃんと寝ているので、動物以下?)です。
一週間おきに昼と夜が入れ替わる人間の生理を無視した拷問に近い働かされ方で、定年頃には日勤だけの人に比べると10歳は早く老けるといわれています。
このように生き生きとした生活を送ることができない人々で構成される城下町に活気とか風格が生まれるとは思えません。
昼夜二交代の生活をしている遊び仲間がいましたが、ひたすら体調管理に気を配っていただけで、最後は自死に追い込まれてしまいました。
ウィークデーのアフターファイブにコンサート、講演会、美術館に赴く生活なんて夢のまた夢。
年がら年中スッキリしない頭ですので真剣に読書をすることもありません。
子供からは冴えないお父さんと判定されます。
これは支配者層にとっては好都合ですが・・・・
そこで、国際競争に勝つためには止むを得ないという反論が必ず出てくるのですが、たとえ経済面で勝っても、
相手の国民は楽しく生活している一方、こちらは命を削っているのです。
まず、残業・夜勤無しでも収入が現状維持されるよう経営者は努力すべきですが、それが無理なら労働者の方はあらる手段を講じてでも生き延びねばなりません。
一週ごとに昼夜が入れ替わるなんていう労働は世界が知ったら全くお話にならないくらい恥ずかしいことです。
この件につき、当の本人たちが声を上げることは出来ませんので、周りの人達がやらねばなりません。
同じ職場の所謂ホワイトカラー族が傍観を決め込むとすれば、ブラック企業家と共犯です。
同じ城下町でも金沢と名古屋の違いはこんな所にもあったのではないかと思ったのですが、
少し強引な結論だったでしょうか ね?
選挙の際の成功体験である“方言使い”をいつまでたっても止めない首長がイメージダウンに拍車を駆けている有様は別の機会に述べます。
江戸幕府(現在は横田幕府)の親藩で九男・義直が初代藩主であった名古屋ですので、始めから超微温湯的雰囲気の城下町であったと思われます。
現在の名古屋に向けられるマイナス評価はこの微温湯と関係ありそうです。
昨今では経済・文化・教育等について語る場合、名古屋は近隣都市も含めトヨタ城下と一括りにされます。
トヨタ抜きの現代名古屋論はないのです。最近出版された『トヨタ公式 ダンドリの教科書』の新聞広告を見て、
この本に名古屋の人気低下の謎を解く鍵があると閃きましたが、10月の金沢旅行中にも様々なヒントがありました。
誰を対象にして書かれた本なのか定かではありませんが、会社にとっては完全無欠のトヨタマン養成マニュアルと思われます。
このような事細かな取り決めはゴミの分別収集のそれを連想します。
外国人からすれば、とても無理なレベルのゴミの分別を難なくやってのける日本人ですので、現場のレベルは相当高く、
残業、昼夜二交代も外国ではありえないことで、日本独自、とりわけトヨタ城下のものでしょう。
日本経済を牽引しているはずの地域が、域内では自虐的、ヨソからは侮蔑的に存在感のなさを指摘されている元凶が「夜勤」であることを次回解き明かします。
現代の世界情勢を鋭く分析し、ナンバーワン・ネットジャーナリストを自認するRK氏の講演会が福岡県宇美町で開催され、
恒例のご当地の地理・歴史コーナーで以下の内容が話されました。
かなりいい線を行っているのですが、米田史学ファンとしては“もうあと一歩だが・・・”と言いたくなります。
引用
宇美町の面積の大きな部分を占める山城、「大野城址」が実は7世紀に築城された日本最古の「城」であり、百済の滅亡、白村江の戦いでの日本・百済残党連合軍の敗北のあと、
唐と新羅の連合軍による大宰府侵略を阻止するために急遽作られた百済式の城であったことを解説しました。
唐が高句麗の打倒を優先したおかげで、攻略を受けないですんだ?大野城は難攻不落の長期籠城に適した城であり、
それがゆえに唐は攻略を諦めた?使われなかった大野城のおかげで、日本は助かった?もし、攻められていたら、今頃、九州は朝鮮になっていた?
宇美町は、地元でもあまり知られていない地方都市ですが、歴史と文化の埋もれた宝の山でした。
何故、町おこしに利用しないのか?天皇家と朝鮮の関係が表に出てしまい、まずいのかもしれません。
九州王朝倭国王“武”亡き後、彼の身重の妻“神功王后”は西暦500年10月新羅征伐に出発し勝利を収め、帰路12月14日宇美で出産します。
生まれた息子イワイ(学校の歴史では大和朝廷に逆らった地方豪族とされてしまう)は優れた王に成長し、死後は阿弥陀如来と目されたのです。
宇美は千年に一人の天才を生んだとてつもない史実の町なのです。
地元の皆さんはこの事実を全く知らず、宇美神社は縁結びの観光スポットに成り果てています。
RK氏のバックには全国に散らばる最強の頭脳集団が控えており、現代の世界情勢が鋭く分析されているのですが、
古代史について米田史学に少し注目していただけると“総てが繋がる”のではないかと思います。
一番の問題はRK氏自身がイワイに続く千年に一人の天才かもしれないことに気付いていない点です。
学校の日本史では決して習いませんが、白村江の戦いの後、九州王朝倭国は唐によって占領(664~672)されます。
その後、占領軍からバトンタッチした九州王朝内の(唐にかぶれた)大和平野の売国奴グループによる日本統治が始まり、奈良から平安時代にかけて九州王朝リバイバル(九州での出来事がすべて大和起源とする偽装工作)が完成します。
次の武士・侍の時代でも統治機構に大きな変化はないのですが、さらに幕末には欧米の手先となる(半島系)売国奴が出現し、国家神道を用いた勘違い大和朝廷復活劇が再現されます。
さらに大東亜戦争、そして現在においても世代交代した売国奴が水面(上)・下で大暗躍・・・・
この流れはUSが大東亜戦争後の日本統治法について白村江後の唐のやり方(属国管理術)を徹底的に学んだ結果なのです。
結局、売国奴を排除して純粋で理想的な国家を求めて歴史を辿ると九州王朝に行き着きます。
もっと遡ると神話(世界4大文明より古い縄文時代という実話をモディファイしたもの)の世界に到達すると思うのですが、本当のことは今後も分からないままでしょう。
あまりにも 凄い日本古代史 が確定するのを快く思わない一団が国の内外にいるようです。