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民営文化センター

民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever



博多の皆様!祇園山笠の季節が近づいてまいりました。祭りのルーツは流行った疫病を鎮めるためとか言われておりますが、それだけで、あれほど夢中になれるものか、考えたことがありますか?


 


学校では絶対に習わない“倭国九州王朝”時代にあった太宰府の観世音寺を解体して、近畿に運ぶための奴隷労働(やらせたのは大和朝廷)を永久に忘れないため、祭りの形で残しているのです。


 


運ばれた建材は組み立てられて法隆寺となりました。その後、九州北部の多くの寺が近畿に運ばれています。積み出し港が博多で、荷揚げ港が岸和田です。岸和田でも同じような祭りが行われているのは、皆さんご存知の通りです。


 


動画を見れば、お互い、競い合わせての強制労働であることは一目瞭然ですね

1241年より遥か以前に始まっていると思います。


 


〔 http://www.hakatayamakasa.com/  〕


 


動画〔 https://www.youtube.com/watch?v=QRjsvUeQ2Ys  〕



若い僕らの修学旅行 の写真です。


 

 高校時代の同級生から聞いた話です。



  USAからの高校生がホームステイで彼の家に滞在中、原爆 が話題になり、例の「投下の正当性」について、学校で習った通りを一席ぶったそうです。



  そこで同級生は彼を広島の原爆資料館 へ連れて行ったところ、その後、パタッと静かになったそうです。



 

私は座布団を贈ろうと思いました。




1970年代初頭、WCT(ワールド・チャンピオンシップ・テニス)東京大会の時に撮った写真です。


ケン・ローズウォール VS クリフ・リッチー



表彰式後の写真です。当時、このような大会で日本人が主役になることは永久にないと思っていましたので、錦織圭の登場は言葉に表せないほど嬉しい出来事です。テニス写真家の川廷栄一氏も写っています。彼の撮ったウィンブルドンでのアーサー・アッシュの写真パネルを部屋に飾っていた中学生が、現在、世界的なスポーツ・フォトグラファーとして活躍中のTakeoTanumaです。




http://www.tanuma.com/Takeo_Tanuma_Photography/Welcome.html





















1970年、N..で買ったビートルズのレコードです。ポールの着物をよく見れば、写真は裏焼のようです。珍品コレクターにとっては、欲しい一品でしょうか?因みに、このレコードはヴェネズエラ製です。

アナログレコード人気が復活しているようですが、当時の国産のビートルズのレコードの音質は良くなかったことが、聴き比べをして、自分の耳で確かめました。おそらく、オリジナル音源ではなかったと思われます。後年、東芝EMIから発売された、来日20周年記念PARLPHONEのボックス入りレコードはいい音をがします。




旅州特区研究所のことを知ってから、あんなに好きだったビートルズを聴かなくなりました。



高校時代、教育テレビの番組Teach Me Englishを観ていました。若き日の田崎清忠先生、アシスタントのカレン・オズボーン嬢、藤田まことといい勝負のヘンリー・シャフスマ先生(写真)を思い出します。滅茶、アメリカに憧れていた頃の話です。






英会話番組にしろ、学習用教材にしろ、使わなければ始まりません。聞き流すだけではダメです。高い授業料の英会話学校に行かなくたって、安くて、同じ効果を生む方法はあります。


 


教養に基づく話題がなければ会話は1時間と持ちません。例えば、「地震の分類」について日本語でよいから説明できますか?「英語がぺらぺら」というと、中身が薄っぺらい人を連想します。(英語を)使う当てがなかったら、日本語で思い切り色々なことを勉強したほうが人生は充実します。


 


日本語に憧れる外国人が増加中です。金と暇をかけなくたって、母国語で外国人と交流できる時代は案外すぐかもしれません。


 


学校の(英語の)勉強をシッカリやるのは言うまでもありませんが・・・    


 



田崎清忠先生について

http://kiyofan.com/p/index1.html

日本語の凄さについて 

http://d.hatena.ne.jp/NOFNOF/20140116/1389846651 http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1890842.html


  1969年8月 Australia親善旅行のスナップ

 

サーファーズ・パラダイスでのパーティー・シーン


トウィギーに代表されるミニスカート・ブームの始まりの頃です。



日豪親善ムードは当時の熱気からすれば、もう少し進展しても良かったと思うのですが、それ程でもありませんでしたね。



“あげまん国家”であるわが国にもう少し接近してくれれば、あの国はもっと繁栄したのに、もったいないことでした。



その象徴がフォーク・ポップ・グループの

“The Seekers” です。



彼らはどう言う訳か、日本に一歩も足を踏み入れませんでした。


 



 





1970年の大阪万博のオーストラリア館(写真)は閉幕後、三重県四日市市が引き取り移築しましたが、維持するのに莫大なお金が必要で、解体される見込みとのニュースを見ましたが、その後どうなったかな?






  この写真は開催中の館内の様子です。後ろ姿のAttendantA.ハイザ君で、その後、交流はありませんが、何だか凄い大物になっているようです。


 




 




西日本医科学生体育大会が福岡市であり、終了後、九州を旅行しました。現在の駅舎はきっと素晴らしいと思います。



都城の会社の社長さんには、もう少しシャープなプリントを準備中です。


 



 



 



 



 




http://www.chitosanfile.com/



1964年3月、名大入試を終え発表を待つ間に、栄町界隈を撮りまくったうちの一枚です。丸栄の屋上から栄町交差点を狙っていますが、後方に名古屋放送会館、愛知文化講堂、美術館、その奥に名古屋ローンテニスクラブのコートも見ることができます。手前のフェンスが邪魔なのですが、これも一種の臨場感と言えなくもありません。当時、これ以上近づけない事情があったと思われます。くるまの数はまだ少なく、この程度なら市電との共存も可能であったと納得です。


栄地区は現在、名古屋駅地区に押され気味ですが、大地震に強いのは前者です。名古屋駅界隈は大昔、海でした。当然、津波に関しても同様のことが言えます。,

http://www.google.co.jp/search?q=%E6%97%A5%E3%81%AE%E4%B8%B8%E5%90%9B%E3%81%8C%E4%BB%A3&nord=1&biw=637&bih=299&site=webhp&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=fw8qVab9KIW0mAXOxoCQBQ&ved=0CCMQsAQ&dpr=2


 


「君が代」は倭国王倭薈(学校で習う磐井の乱の首謀者)を讃える歌であり、「日の丸」は装飾古墳の壁画に描かれた日輪が由来です。日本が精神的目標とすべきは九州王朝なのです。心の中で「遠の朝延」(遠い昔の倭国の都の意)に思いをはせて「君が代」を歌い「日の丸」を掲げましょう。
 強制的に「君が代」を歌わされるのが不満な方、九州王朝・倭薈すなわち阿弥陀如来をイメージして歌えばよいのです。一見すると、素直に現政権の方針に忠実に従って歌っているように見えますが、心の中は違うわけです。米田氏によると「清明上河図」に描かれる舟の中に、よく観察すると日の丸が掲げられているものがあるそうです。私はまだ見つけておりませんが・・・・・
 我々、真の日本国民はそんじょそこらの国の連中とは格が違うのです。




刺青が入っていて、薬壺を持たない薬師如来ってあり得る?

皆が拝んでいるのは阿弥陀如来・倭薈なのです。

毎早朝、トップの僧たちが、「南無八幡大菩薩」と唱えているから間違いない!


 


PS 山手線で支柱が倒されました。やっぱりJRにあの人たちがいるようですね。