日本語は難しい。

我が家の子供たちは、日本語の教室で日本語を学んでいる。

今は、物によって変わる数え方を学んでいる。

本が10冊、人が10人、ハムスターが10匹、といったような具合にである。

 

 

全く宿題をやらせていない私にももちろん非があるのだが、下の娘は

絶賛反抗期中であり、自らはジャパニーズではなくアメリカンであるため、日本語など

習わなくてもよい、という姿勢を貫いているため、宿題をやらせることは非常に困難である。

 

そんなこんなで、宿題をあまりやらないで教室にいくものだから、テストとなると

大変である。

 

それこそ、先生に隣に座っていただいて、構文を読み上げながら、なんとかテストに取り組んでいるらしい。

 

 

さて、先生が

「ハムスターが10匹」と隣で読んでくれたそうな。

それに対しての5歳児の娘の反応は、

I like Ham.

 

いやいや、それはハムの話じゃないでしょ、と突っ込みたくなった。

彼女は食べ物のことしか考えてない。食欲が非常に旺盛なのはよいが、

ついつい笑ってしまった。。

 

 

5歳の娘の遊ぶお友達は往々にして決まっている。カリーナに、ゾイ、アリア。大抵この三人の女の子。

 

そこへ今日、新たなメンバーの名前を聞いた。スカイラーである。

スカイラーとは、過去にプレーデートをしようか?と娘に聞いたこともあったが、

特にスカイラーには興味がなかったのか、それほど食らいつきはなかった。

 

ところが、である。

突如この5歳の娘が、スカイラーと遊びたいと言い出したのだ。

 

おおっ、と思った。狭い輪から抜けて、新たな友達を作り出そうとしているのだな、と思い、

スカイラーのママともよくしゃべる仲だし、これはプレーデートを設定せねば、と思った。

キンダーガーテンの先生も、もっともっと色んな子とプレーデートさせてあげてください、と言っていたし。

 

 

すると、こう娘はつづけた。

スカイラーのママが作ってくれたスイカのジュースが美味しかった。

スカイラーとプレーデートすれば、スカイラーのママの作ったジュースが飲めるから、プレーデートしたい!

 

あんぐりとした。。。

 

5歳の娘は、何よりも食欲が旺盛なのである!!

先日もPopeyesに食べに行った際に、大きなフライドチキン2つ、ビスケット2つを丸ごと食べきった。

 

スカイラーではなく、スイカジュースが目当てだったとは。。

 

彼女の抜け目なさに驚くとともに、飽くなき食への探求心を垣間見た気がし、

それというのは、きっと両親である私と主人譲りであることは間違いのない事実であり、

親と子の遺伝性の深さをしみじみと感じるに至った。

 

 

 

私は以前の仕事を辞めてから、子育てにより専念したいこともあり、フレクシブルに働ける仕事をしている。

しかしながら、実際仕事が殆どこないときもある。なので、ただで給料をもらっているのか、と思うほどであるが、忙しいときは忙しい。ありがたく、美味しい仕事である。

しかし、この仕事を続けても、将来がないと思い、次のキャリアに向けて勉強をしたりもしている。

給与はもらっているのに、時間がたっぷりある。他人から見たら、専業主婦である。実際に私も自分自身のことを専業主婦のようだと思っている。

 

 

さて、それはさておき、私は主人にこう常々言っていた。

将来、娘たちの子供の面倒は絶対に見ないからね、と。私に単に家にいてずっと孫の面倒をみているようなおばあちゃんになることを期待するな、という今からの警告である。

というのも、主人はたまに時間があれば、子供が小さいときの写真やらビデオなどを見返しているので、子煩悩な父親ではあるが、

今から将来暇になった主人をイメージしてみると、ひたすら孫の面倒をみていそうだからだ。

よって、私に今から孫の面倒をみると思われてはかなわない。というのも、5歳と7歳の娘が将来結婚して家を買いたいといったときの資金を貯めようと思い、倹約しよう、と言ってくるのであるから。。私は娘の家を買うために生きているのではない。私には私の人生が待っている。

それだけではない。子育ては楽しいが、私は子育てを心から愛して楽しめるほど寛大で寛容な母親ではない。子育てというのは、息がつまりそうになる作業であることもあるし、毎日単純なことの繰り返しである。

そこで、それでも子供が小さな改善があるときに、親として喜びを感じるのである。

 

 

私にはもっともっと他にやりたいことがある、私は絶対に将来リタイアしたら、世界中を旅したいのだから孫の子育てなんてしたくない、と思い、主人にこう言った。

 

「私はもっともっと働きたいし、やりたいこともあるし、孫の子守なんてしたくないからね。I want to work outside and do my own stuff. I don't want to babysit our grandkids!!!」びっくりマーク

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜、5歳の娘を寝かせようとしていたら

5歳の娘にこう頼まれた。

”Mommy, could you be my kids' babysitter so that I can work outside in the future, please? "

 

まま、私外で働きたいから、将来私の子供の面倒見てくれない?えーん

 

非常に切実に、頼まれた。

 

 

5歳の娘が、子供をうむのは20年後であろうか、30年後であろうか、はたまた40年年後であろうか。。

いつかは分からないが、5歳のくせにして、耳をダンボにして、親の会話を聞いている!笑い泣き

 

 

言うことに気を付けないといけない、と思う今日この頃である。

 

 

 

 

 

 

なんだかなぁ。。。

 

親としては、あれほどまでにトムボーイで、男の子とばかり走っていた女の子である7歳の娘が、

最近まで一緒に遊んでくれた男の子が一緒に遊んでくれなくなったことに悲しみ、彼の気を引こうとおしゃれにいそしむようになったことに複雑な思いでいる。

 

 

私が観察するに、7歳の娘は、そのAustinという男の子に、Crushつまりは恋をしているのではなさそうである。

というのも、年長さんの時から、その男の子と、じゃれてそれこそ走って、警察ごっこなどをして遊んでいたから。

 

ところが、Austinももう7歳。自我に目覚め、恐らく女の子と遊ぶことは恥ずかしいと思ったのかもしれず、

転校生のTylerという男の子とつるみだし、男の事ばかり遊んでいた我が家の娘は遊び相手がいなくなってしまったのである。

 

 

 

娘は、それこそ、女の子の友達がいないんじゃないか、と思うほど、男の子と追いかけっこして、駆け回って遊ぶのが好きだったのに、Austinがクラス一おしゃれで可愛らしい女の子と追いかけっこしているのをみて、そのViviという女の子のようになりたくなったらしい。というか、そう仕向けたのは私ではあるが(ちなみに、Austinは純粋に、Viviが可愛いから追いかけまわしたいのかな、と思う。つまり我が家の娘と一緒に遊ぶときの感じではなく、Viviに対しては、女としてみている気がする、、、。)つまりは、娘が「ママ、どうやったらAustinはまた私と一緒に遊んでくれるのかな?AustinはViviと一緒に遊んでるの。」と言い出したので、「じゃあ、Viviみたくおしゃれしてみたら、Austinもあなたのことを可愛いと思って一緒に遊んでくれるかも!じゃあ、おしゃれしてみる?」と言ってみたところ、

かつて絶対にワンピースを着たがらなかった娘が、ワンピースを率先して着るようになって早2日目。。まぁ、ワンピースといっても、下にズボンをはいているので、そこまでガーリーではないのであるが、常に長袖のTシャツを着ていた娘からしたら、大進展である。

というのも、過去に私は娘を何度かおしゃれさせようとしたのであるが、彼女は毎回嫌がったので、というのも、走りやすいカッコがいい、ということで、彼女は進んでワンピースやらを着るタイプの女の子ではなかった。。。

 

なのに、なのに、Austinとまた一緒に警察ごっこだとか、荒々しい遊びに混ぜてもらいたいがために、一生懸命おしゃれにいそしんでいる。

 

昨日なんて、私も「おしゃれには時間がかかるから、早く寝ないと!そして早く起きれば、おしゃれする時間もっとできるよ!」と言ったらば、あれほどまでに寝るまでにのらりくらりとしていた娘が、「じゃあ、早く寝よう!」と言って、ベッドに行って、本当に寝てしまった!!

 

なんということであろうか、どんなに怒鳴って、叫んでも早くベッドに行って寝ることの重要性を感じていなかったであろう娘が、Austinや他の男の子とかけっこに混ぜてもらうために、おしゃれにいそしむために、早く寝ようとしているとは。

 

まさに青天の霹靂であり、大変驚いているとともに、なんだか、悲しくなってしまった。

 

おしゃれをすることは悪いことではない。女の子としての身だしなみであるし、推奨する。が、自分の真の性格を押し殺してまで

おしゃれするその姿は、非常に健気に思えた。

 

とはいっても、娘の意思である。親としては、できるだけ手助けし、彼女がPopularになれるよう、自信がつくよう、応援はしたいと思っている。

常日頃から、あーーリンクルがある、と言って深々とため息をつき続けていた私だが、ついに台湾に行き、額ボトックスを打った。



既に一週間程たち、シワはないのであるが、娘は目ざとく、シワが無いことに気づき、ママ、リンクルないね、と言い出した。



むむむ~、五歳にしてそこまで母親の額のシワについて観察しているのか、と大変感心するとともに、観察能力の鋭さに舌を巻いた。。



やばい!五歳だけなのに白髪がある娘。

台湾旅行中であり、夜中の十一時まで昼寝した関係で起きていたこともあり、白髪があるということはオールドであるということであり、早く寝ないとオールドになるから、早くベッドへ行けと睡眠を促した私である。

娘は、ところがこういってのけた。
Ohhh! I can be like Kalina. I want to have Kalina's haird!!!!

ここでいうカリーナという女の子は娘の大親友であるブルガリア人の金髪の女の子であり娘は金髪に憧れているわけである。

世の中は今人種差別をなくそうと表面的には頑張っており、ディズニーも金髪碧眼のキャラクターを不使用にしたりなど頑張っているが私は素直に金髪碧眼が好きであり、憧れる。金髪碧眼が好きで何が悪いというのか。好きなものを好きと言えないこの世の中は生きにくい。

ちなみに金髪碧眼と結婚したいか?と言われたら、まぁ家庭がしっかりとしており、隠れ子がおらず、借金がなく、しっかり稼ぎ、なおかつ私の稼ぎを目当てにしない、中華料理が毎日食べれるような、そんな食のあう金髪碧眼であれば結婚したいが、デートするだけであれば是非お付き合いしたいものである。

話はそれたが、娘の白髪が増えないことを祈ろうと思う。

我が家は完璧なる台湾独立派。というか、そもそも、台湾というのは、中国とは一切異なる国家であるため、

わざわざ独立という言葉を言うまでもない。

 

台湾人は熱血である。選挙のために米国、カナダ、日本からも帰国する。そして一票を投じるのだ。

主人の叔父も90を過ぎてなお、米国から台湾へと帰る。

 

 

 

さて、只今我が家は主人を除き台湾里帰り中。

私の両親もただいま台湾にいることもあり、娘を主人の両親に預けたりして、私も親との時間を過ごそうという目論見であるが、

そもそも、今回台湾に娘達を連れて帰ってきた理由は、台湾という国を一目でも娘達にみせてあげたかったから。双方のおじいちゃん、おばあちゃんが元気で台湾で会えるのは、恐らく今回が最初で最後かもしれない。

 

アメリカに住んでいると、主人の両親とは約7年同居してきたこともあり、摩擦もよいところで、それこそ、刺し殺してやりたいほどの念に駆られたことも多々あったこともあり、娘達を自由自在に向こうの親とは交流させていない。そもそも、娘達も平日は習い事、週末はバースディパーティで忙しく、そんなに暇じゃないどころか、非常に多忙である。

 

よって、台湾で主人側の両親に子供を7泊も預けた(正確には4泊と3泊でわけた)ことは、主人の親からすると、とても喜ばしいことであり、楽しんでいるように見受けられる。

 

さて、5歳の娘は、私と離れるたびに大粒の涙をこぼし、泣き叫び、私も母親として、いやがる娘を向こうの親に預けていいのか、困ってしまうほど。。

 

ところが、離れる最中は、それこそ、一生涯の別れと言わんばかりに泣くこの娘、数分経ったのちには、歌いだしたとの報告を主人の親から受けた。

 

母親として、向こうのおじいちゃん、おばあちゃんになつくことは、住んでいる距離が近いため、嫉妬心も生まれてきてしまうことであるが(心が狭いのはわかるが。。)これには笑ってしまった。

 

5歳の娘は、演出に長けている。

5歳の娘の初詣の願いと言えば。。。

 

①Prettyになりますように。

②ママが怒らずNiceになりますように。

③キャンディを食べてもThinになれますように(デブになりませんように)

 

であった。。

 

しかも、真剣に長いこと祈っていた。。

クルーズ旅行2日目にして、イスラエル開戦時にイスラエルにいた私。

それからというものの、いずれにせよ、ジジババばかりのクルーズなので、どのエンターテイメントに参加してもつまらなさそうで、時間があれば、BBCを見まくっていた私。仮にタンゴやサルサの催しものがあっても、どうせ参加するのは75歳以上の白人老人達なので、つまらなくなって、一切クルーズ内の催し物には参加しなかった。

 

ので、毎日戦争ニュースを見まくり、ますます暗くなっていった毎日。

12日のクルーズのうち、楽しくなっていったのは後半であった。

それにしたって、母が乗り継ぎ便において、カナダのトロントで荷物を紛失し、

5日にイスラエルのテルアビブに私たちは到着したものの、そのトランクがテルアビブ空港に到着したのは10月6日。10月7日にハマスがイスラエルを攻撃したので、戦争開始全日にテルアビブ空港に荷物は到着したわけである。

 

戦争が開始し、当初は、事の大事さに全く気付かなかった母は、テルアビブにもサイレンが鳴り響いていた、と聞いてもなお、

「私が若いときに買った30万円もするミンクのショールが入っているから荷物早く戻ってきてほしい」とはっきりは言わないものの、ジョークにしつつも、数日は毎日言っていたので、心の中で大層苛立った。

 

戦争して人が殺されているのにも関わらず、ミンクのショールが気になるとは、動物保護団体の怒りも通り越して、人道的ではない、と母に対して怒りが混み上げたわけである。

 

ところが、ついに、テルアビブ空港近くにミサイルが撃ち込まれたというニュースを、たしか4日目くらいにして聞き、

それからというものの、母はようやく諦めの境地にいたった。

 

このご時世で、戦争中に、荷物がいつ手に入るかどうかのやり取りをすることも大層憚られ、もう二度とそのトランクを見ることはないだろうと思っていた。

 

だが、、、!

この戦争下においてもなお、イスラエルは、ローマに母の荷物を送り込んだのである。

飛行機が皆キャンセルされているなかで、母の荷物をわざわざローマまで運んでくれたルフトハンザ航空に感謝するとともに、

テルアビブ空港において、危険な中荷物を運んでくれたであろう、飛行場で働いている皆さまに感謝の気持ちを記したい。

 

命と引き換えに働いてくださってどうもありがとう!!