クルーズ旅行2日目にして、イスラエル開戦時にイスラエルにいた私。
それからというものの、いずれにせよ、ジジババばかりのクルーズなので、どのエンターテイメントに参加してもつまらなさそうで、時間があれば、BBCを見まくっていた私。仮にタンゴやサルサの催しものがあっても、どうせ参加するのは75歳以上の白人老人達なので、つまらなくなって、一切クルーズ内の催し物には参加しなかった。
ので、毎日戦争ニュースを見まくり、ますます暗くなっていった毎日。
12日のクルーズのうち、楽しくなっていったのは後半であった。
それにしたって、母が乗り継ぎ便において、カナダのトロントで荷物を紛失し、
5日にイスラエルのテルアビブに私たちは到着したものの、そのトランクがテルアビブ空港に到着したのは10月6日。10月7日にハマスがイスラエルを攻撃したので、戦争開始全日にテルアビブ空港に荷物は到着したわけである。
戦争が開始し、当初は、事の大事さに全く気付かなかった母は、テルアビブにもサイレンが鳴り響いていた、と聞いてもなお、
「私が若いときに買った30万円もするミンクのショールが入っているから荷物早く戻ってきてほしい」とはっきりは言わないものの、ジョークにしつつも、数日は毎日言っていたので、心の中で大層苛立った。
戦争して人が殺されているのにも関わらず、ミンクのショールが気になるとは、動物保護団体の怒りも通り越して、人道的ではない、と母に対して怒りが混み上げたわけである。
ところが、ついに、テルアビブ空港近くにミサイルが撃ち込まれたというニュースを、たしか4日目くらいにして聞き、
それからというものの、母はようやく諦めの境地にいたった。
このご時世で、戦争中に、荷物がいつ手に入るかどうかのやり取りをすることも大層憚られ、もう二度とそのトランクを見ることはないだろうと思っていた。
だが、、、!
この戦争下においてもなお、イスラエルは、ローマに母の荷物を送り込んだのである。
飛行機が皆キャンセルされているなかで、母の荷物をわざわざローマまで運んでくれたルフトハンザ航空に感謝するとともに、
テルアビブ空港において、危険な中荷物を運んでくれたであろう、飛行場で働いている皆さまに感謝の気持ちを記したい。
命と引き換えに働いてくださってどうもありがとう!!