は…はずかぴい
2012年12月16日、名古屋に降り立った。
それから10日間、
名古屋→京都→名古屋→群馬→名古屋→大阪
を訪れた。
帰国後さえも、短期間で同じ都市を3度も訪れる茶番。
繰り返される茶番劇。
バカみたいだわ。
だけども、自分の中でひとつ、区切りがついた。
完全に自己満足に過ぎないんだけど。
それでも自分にはとても大切なことだ。
この10日間では、なんともありがたいことに、旅先で知り合った友達数人、
時間の合間を縫って会ってくれた。
私は旅先で出会った人と日本で会うのは初めてだった。
日本で再会した友達には、その土地でのそれぞれの生活があって、
この人は、この町で育ってきたんだなぁとか、
この道を歩いたのかなぁとか、
大きなバックパックを背負って、ここから旅に出たのかなぁとか、
この駅に降り立ったのかなぁとか、
それぞれいろんなものをここに置いてきて、
いろんな思いをそれぞれ抱えて旅に出たのだなぁと、
いろんなドラマを勝手に想像した。
その人が育った場所とか、よく行く場所とか、暮らしている町を訪れるのはとても新鮮で、また違った一面が見られてよかった。
楽しい時間をほんとにありがとう。
会えて嬉しかった!!
北海道にも絶対の絶対に遊びに来てねええええええ!!!!!
待ってる♡
そして2012年12月25日、札幌の実家にたどり着いた。
新千歳空港から自宅までどうやって帰ろうかと考えたけど、
なにかを、なにかはよくわからないんだけど、
とりあえずなにかを、ゆっくりと噛みしめながら帰りたいと思って、バスで帰ることにした。
かなり前、旅のわりと前半くらいの頃に、自分はどうやって自宅まで帰るのかと考えたことがあった。
うーむ。まさに予想通りの行動。
きっと自分はそうしたいと思うだろうなぁと思った。
家に帰るときの光景は鮮明に覚えている。
最寄のバス停から自宅までのちょうど、まっすぐの道のり。
朝のせいか道はしんとしていた。
その日はちょうど、札幌に寒波がお越しになっていて、
ひさしぶりに味わう刺すようなキレのある寒さの中、
太陽だけはやたらと照っていて、
それが雪に反射していて、道がやけにキラキラしていた。
そこを一歩一歩、ゆっくりと歩いた。
家が近づくにつれドキドキした。
実家はこの旅の最初の一歩を踏み出した場所だから、私にとってはここが最終ゴール。
だから家が見えたときは、胸がいっぱいになって、
感慨深くて、ホッとして、とにかく嬉しくて、なんだか温かかった。
家のチャイムを鳴らした。
家にはちょうど両親がいて、母が玄関の扉を開けてくれた。
母とは3か月ぶりだけど、生身の父とは会うのは2年2か月ぶり。
母に窓の外側を拭くのを命ぜられていて、使い物にならなくなったグンゼのシャツを切ったボロ布が集結した小さいピンクのかごを片手に持った父は、口をあけて一瞬ポカンとしていた。
私もうちにたどり着いて、けっこう胸はいっぱいだったものの、
意外にフツーのテンションだったのだけれども、
それでもおたがい顔を見合わせたときは、「おおおおお!」と言いながら、
「帰ってきたよおおおお!」なんて言いながら、
思わずハグしてしまった。
私と父はそこまで仲良くないから、そんなこと後にも先にも、もうないだろうと思う。
かなり貴重な体験をしたと思う。
ない。
後にも先にも絶対ない。
でもまあ!
とにかく!!
ただいまあああああああああああ!!!
帰ってきたよおおおおおおおおおおお!!!
記念写真を撮ってもらった。
ポーズどうしようかなぁと思ったけど、
ぎゅいーーーーーん☝☝☝とテンションが上がり、勢い余って雪にダイブ。
雪まみれで、無邪気にイエーイ!なんてやっていると、
女子中学生軍団が通り、少し恥ずかしかった。
でもいいのいいの!むしろその目ン玉に、しかと焼き付けな!!!って感じだわ~!
…待ってました。このときを。
うらやまし?
大盛り2杯かっ喰らったったー
あっ!
あー…
自慢になっちゃった…か…な…?
ムカついた?
しかし日本の米ってのはなんじゃありゃ。
宝石か?
さらに、いくらという光り輝く宝石を乗せちゃったりして、
個人的に、これからこれを宝石丼と呼ぶことにするわ。
っていうくらい、感動的なおいしさだった。
家で床暖にへばりついてグダグダしているうちに、やっと日本に帰ってきたという感じを味わえた。
もちろん飛行機からひさしぶりの日本列島が見えたときも、ホッとしたし、とても感慨深くて、少し涙も出た。
でも、帰ってきたというより、言葉と文字のわかる国を訪れているという感覚だった。
日本語を話す人を見ては、
「あ…日本人…」と思ったり、
ハッデハデの奇抜な柄のカーデガンを羽織ったおっちゃんを見ては、
「あ…民族…」
と思ったりしたものだ。
やはり慣れ親しんだ場所はいいなあ。
札幌に帰ってきた次の日は、仕事が終わったあと、ぱっつぁんがわざわざうちに来てくれた。
ぱっつぁんとは、昨年の6月にインドのリシュケシュで別れて以来。
こんなケーキまで用意してくれてて、会えただけでもとっても嬉しいのに、なんてことを…
ほんと、とんだサプライザーだぜ… グスン ありがとな
しかもこれはただのロールケーキではない…!
中にはプリンが入ってんだぜ?
ぱっつぁんと澄江と私で3等分にして、贅沢にいただいた。
なまらうまかったお!
ひさしぶりに何人か友達にも会った。
2年2か月の歳月が流れたというのに、つい先週一緒に近くの銭湯に行って再会したようなあのフツー感は一体何だったのか。
あまりにフツーすぎて、タイムスリップしてきたかのような錯覚に陥った。
しかし、前々から思っていたことだけど、なんで私の友達はみんなもれなくかわいいんだろう。
私ってば面食いだなぁ…
なんてしみじみ思ったものだ。
2012年の目標の一つには、「日本で年越しをする」を掲げていた。
無事に達成できてほんとによかった。
家の料理を全力で味わい、
おなかがパンッパンになりつつも、
正月に飲むのが許される少々高価な日本酒をちびちびやりながら、
家の者と実にくだらない会話を交わしつつ、
紅白を全力で楽しみ、
ガキ使をチラ見し、
いたってシンプルで楽しいことしかしてないけど、
それでも自分にはとても大切なことだ。
帰れる家がある幸せ、
家の者がいる幸せ、
友達に会える幸せ、
心から安心してふとんで眠れる幸せ、
ごはんがおいしい幸せ、
もうとにかく、
小さなことから大きなことまで、
当たり前だと思っていた、
いや!
当たり前とも思っていなかった、あらゆることひとつひとつが嬉しくて、
幸せをいちいち静かに、時に激しくかみしめてしまう、そんな毎日。
1月1日に日付が変わって、近所の友、おなじみご存知ぱっつぁんとIさんと、近所の神社に初詣に出かけた。
おみくじを引いたら、2人は大吉を見事に引き当て、近くにいた知らないおっさん2人も大吉でめでたい雰囲気が漂う中、私だけ吉という、吉なんだから堂々と胸を張っていればいいのに、なんだか悔しい展開だった。
でもいいの。
今の私の心境にぴったりのことが書かれていたから、充分。
もう完全に強がりですけど。
しかも24時間くらい、吉は大吉の次だとなんともめでたい勘違いをしていた。
はーずかぴ。
だけど、こうして友達と神社に繰り出せることに、またひとつ、ジーン…と幸せを噛みしめるのです。
それともう一つ。
おはずかぴい報告がござります。
別に全然大したことじゃないんだけど、
私、旅の日数ちょうど800日なんだ~ってほざいてたけど、
なんか違った…
781日だった…
別に言わなくてもよかったんだけど、もし気付いている人がいるとして、
「こいつ!何を言ってやがる!ちがうじゃねえかっ!バカモンがっっ!」と思われっぱなしなのも嫌だし。
ということで、
えーっと、
なんとハッピーでワンダフルな781日
ということで何卒ひとつ。よろしゅう!
私、とにかく無事に帰って来られれば、旅のトータル日数は別に何日でもよかったんだけど、
でもやっぱり800日って知ったときは、おお…!ってテンションが上がったのよね。
せっかくならと、帰国日は2~3日微調整したりもしたわよね。
それが781日て…
行ってきま~す!と家を出て、ただいま~!って家に帰ってきた日数ですら790日。
ってめんどくさいわね~!
結局、日数、人一倍こだわってるじゃ~ん!
あーあー
バッカみたい!
はずかぴ。
元旦、近所の神社にて、ぱっつぁんと。
無事に日本でも会えたお!
なぜお互いこんな表情なんだろ…
こう見えてマイナ8度。サムイ。
ほんとにこの日が来るとはなぁ
旅に出て2年と2か月が経とうとしている。
あっという間に過ぎたと感じているけど、
2年2か月もあれば、生まれたばかりの赤子は言葉を覚え始め、歩行を始める急成長を遂げるし、
中学に入学したばかりの子は、中学3年の受験生にだってなる。
実際当時高校生だった私の妹も、いつのまにやら大学生になっていた。
27歳のときに旅に出た私は、もうじき30歳だ。
こう考えるとなんだか重みを感じる。
旅を始めた頃の私がこれを知ったら驚くだろう。
何を隠そう私は小心者で、ビビりの小物だ。
旅に出る前は自分で行くことを決めたくせに、トラベルブルー。
略して『トラブルー』に陥り、
「やだ行きたくない」だの、
「どうしよう殺される」だの、
「ぜったい騙される」だの、
とめどなくネガティブなことばかり考え、無駄に怯えていた。
怖くて怖くて、不安で仕方がなかった。
しかもこのトラブルーはほんとにタチが悪く、加えてほんのちょっぴりのワクワク感も入り混じったりするものだから、ざわざわ乱心して、心が慌しくなる。
旅に出た当初は全然貪欲ではなく、くじけたらすぐに帰ろう。
どんなに長くなっても1年半くらいだろうし、半年くらいで旅を終えることもあるだろう。
そんなふうに思っていた。
そんな心持ちも、時間が経つにつれて、いろんな旅人や現地の人に会って、初めて見る景色に心を奪われていくうちに、少しずつ欲張りになった。
またここに来たい。
今度はあそこにも行ってみたい。
行きたい場所がどんどん増え、いつのまにか貪欲になっていた。
旅の途中の、旅の終わりがまだ全然見えなかった頃は、次はどんなものが見られるのだろうと、まだまだ旅が続くことにワクワクして嬉しくてたまらなかった。
けっこういろいろ見てまわったとは思うのだけど、まだ行きたい所や見たいものがある。
気持ちが切れてしまっている今の状態ではとてもムリだけど、それらはいつかのためにとっておく。
それがいつになるのかはわからないけど。
旅に対して貪欲になり始めてから、もう一度メキシコから旅を始めてみたらと想像すると、きっともっとずいぶんと違った、深みのある旅になっただろうと思うこともあった。
でも、様々な体験を経て今の自分があるわけだから、やはりこれはこれでいいのだと思う。
最初は、ただいろんな世界を見てみたくて旅に出た。
でも、見るだけではなく五感を使って肌で感じること。
知らない世界に刺激されて、私のあまりにも鈍かった感覚が覚醒することで、それに気が付いた。
この旅では、自分の五感を、時に第六感をよく使って、いろんなことを考えて、感じてきた。
心がたくさん動いたり、動かしたり、動かされたり。
動きがメリーゴーランドのようにゆったりとしているときもあったし、
まるでジェットコースターのようにめまぐるしいときもあった。
数え切れないほどたくさんのいろんな感情が湧き出て、時にはどの言葉も当てはまらず、何と言ったらいいのやらわからない、うまく表現できないフクザツな感情にもなったこともあった。
もちろんそれは、いいことも悪いことも含めてだ。
旅を経て、変わった部分、変わっていない部分、それによって成長できた部分、できていない部分、むしろ劣化した部分。
様々な変化を感じている。
私は出発の時期が諸事情により、1年延びた。
でも、それでよかったと心から思っている。
あのタイミングだからこそ出会えた人たち、見られた景色、思いがけない貴重な体験。
どれもこれもあれもそれも逃したくないことばかりだ。
もちろん思うようにいかないこともあったけど、自分の旅がいかにも自分らしくて、ああっ!もうっ!どうしようっ!!というくらい、とても気に入っている。
そう思えるのは幸せなことだと思う。
それともう一つ。
旅という選択ができる環境。
私たちは、進学したり、就職したり、結婚したり、転職したり、働き続けたり、仕事を辞めて旅に出たり、さまざまな選択肢があって、自分で選ぶことができる。
これは、世界では本当に稀なことだ。
中南米、アフリカ、中東、アジアを旅してきて、そういった人生の選択をできない人々のほうが圧倒的に多かった。
選択ができることが幸せで、できないことが不幸だというわけではない。
だけど、私は家族や友達が元気でいてくれるから旅を楽しめること、
日本で生まれて育ったいう自分の置かれた環境の上で成り立つ「選択」という行為が、本当にすごいことで、きわめてラッキーなことなんだと思った。
ラッキーと言いつつも、振り返ってみるとこの旅は、キンキラキンで最高な面もあれば、
宿が汚くて、移動がキツくて、騙されて、ボラれて、ひったくられて、え…なんでこんな所でという町で軽いオペをしなければならない状況に陥って、何度も警察に捕まって、何度もチカンされて、三時間半も部屋の壁をノックされて、
嫌な思いをして泥だらけな面もたくさんある。
だけどいいことばかりじゃ、それがいいことと気付かずに過ごすことになるのだろうと思う。
だから、いろんなカラーが混在していていいと思う。
しているからこそいいのだと思う。
いろいろあるからいいのであーる☝(チカン、ノックはごめんだがな)
私は一人旅だったけど、一人では乗り越えられないことばかりだった。
数え切れないほど多くの人に助けられて、いろんなことを乗り越えてきた。
大半のことが助けてもらいながら、なんとかなることばかりだった。
おかげで少しは度胸がついたと思う。
一人旅のデビューがタイのバンコクで、今私はこの旅の終わりにバンコクにいる。
デビュー当時の私ときたら、トゥクトゥクの運転手のおっちゃんに話しかけられるのにもヒョエエエエエエと怯える始末。
さらには初日から偽警官にさっそく騙され、4万円ほどお金をボラれる始末。
そのせいで最終的には手持ちの現金がなくなったあげく、クレジットカードの暗証番号を覚えておらず、ATMからお金も引き出せないという散々な事態に見舞われた。
だけど、今は違う。
トゥクトゥクのおっちゃんには「よっす!じじい!いらねえよ!」と、
偽警官には会えなかったけど、もし会って話しかけられたら「あ?黙れ。」というくらいの勢いだ。
それもスマイルをつけるほどの余裕もある。
波乱のホロ苦デビューだったけど、苦いことばかりでもなかった。
そのときの旅でタイ人の友達もできた。
この旅の最後の夜は、最初の一人旅で出会ったその友達と会った。
3年ぶりの彼女はあいかわらず超べっぴんさんで、この旅の終わりに彼女に会えたことをとても嬉しく思った。
そして、再会を祝ってビールで乾杯した。
染みる。
ビールはやはりドラフト。
ごはんまでご馳走になってしまい、とても楽しい時間を過ごした。ほんとにありがとう。
なんだか不思議な縁。
そして今夜、いよいよ帰国。
なんだかんだで旅が終わってしまうのは、虚無感でいっぱいで、今にもうずくまってもがきたくなるほど、なんとも説明しがたいフクザツで不思議な気持ちだ。
でも、日本に帰ってからやってみたいことがいくつかできたので、それをひとつひとつ実行していくのがとても楽しみでもある。
なにより、会いたい人たちにひさしぶりに会えるのがすごく嬉しい。
ぎゃおおおお!っと激しくもがきたいけど、激しく楽しみ。
いろんな思いが混沌としていて、心の中では大変な騒ぎです。
目がギンッギンに冴えわたり、眠れません。
連日二時間睡眠でやばいです。
旅の最後も結局乱心という茶番。
もうすぐ日本に帰るのだし、おいしいタイ料理を堪能したいんだけど、ダメ。
カラダが欲していない。
今、この旅で一番日本食を欲している。
カラダはもうすっかり日本モードのようだ。
せっかくタイにいるのにもったいない。
今はそんな状態です。
こんなに長い間、日本で私の安否を気遣ってくれた人、友達。
救援物資を携えて旅先に3度も来てくれた母。
その母に私が好きそうなものを差し入れで持たせてくれたゴ…父。
一年半ぶりの再会がまさかのアフリカで、元気な姿を見せてくれた妹。
あ、弟… うーん ほとんど音信不通だけど生きててくれてサンキュウ!先日超久しぶりに来たメッセージが、「スマフォデビューしました(^-^)/」という内容でブッたまげたけど!(ザ・知らんがな!と、思いきや最終的に長旅おつかれとねぎらってくれたんだけど)
いつも心配してくれている最近ケータイを持ち始めた85歳のおばあちゃん。(メールを送ってみたら、なぜかハイヒールの絵文字付きで返信が来てブッたまげたけど。)
半年間も一緒にアフリカの色濃い旅をして、インドでも再会して、楽しすぎる時間を共有してくれたぱっつぁん。
旅で出会えたすべての人たち。
感謝してもしきれません。
みなさまのおかげで楽しく旅ができたのだと、心の奥の奥の奥の、さらにそのまた奥底から思います。
ほんとに何とお礼を申し上げたらいいのやら。
と言いつつも、すべてに感謝を込めて。
本当にありがとうございました。
日本か、地球のどこかで会えるの楽しみにしてる♡
まだ旅が続く人は気をつけて♡
2012年12月15日 yukayuka♡
しかし、なげぇな。
読んでくれてありがと。
ゆらゆら帝国で考え中
タイのパーイ。
瞑想寺でのまさかのノックロール事件を機に私はこの町にたどり着き、
バンガローにハンモックというステキな宿を見つけた。
ここならゆっくり静かに過ごせそう。
毎日ゆらゆら揺られて、
(なぜか内また)
(キャップチーーーーノ!)
また揺られて、
(ハイ、写真使いまわしー!)
(めちゃ合うからためしてミソラシド~!)
また揺られて、
(通りすがりのおっちゃんにシャッター懇願)
(Free WI-FIのないカフェに未来はない)
帰りのチケットを買って乱心し、
ただただのんべんだらりと過ごした。
(ブルーベリーチーズケーキ、じゅるーん!)
他にも見所がありそうだったけど、
ゆらゆら帝国。
新調してもらったばかりのハンモックはまふまふで、ゆらゆら天国。
(うまい…!)
さ、そろそろバンコクへ向かうとしますかね~!
日本に帰るために!
帰るために!!