世界!バンバントラベラー -3ページ目

ふたたびたび

さてはて今回もやってきましたよトラブルー。








前回の旅では、特に後半。






次なる国を目指すことになっても、もうそれが私にとっての日常だったから、トラブルーになんてならなかったのに。






かなりの場数をこなしてきたはずなのに、






やっぱり、行くのが不安になったり怖くなってしまうのよね。






この21世紀のご時勢に何を言うかと思われるかもしれませんけど、






私、やっぱり飛行機怖いし。






あんな鉄の塊が自然の摂理に反して空を飛ぶなんて、やっぱり冒涜だと思ってしまうんですヨ。






一週間くらい前からお腹は下し気味。






前回の長旅前ほど重度じゃないけど、






つきまってくるトラブルー。






重度だと、お腹がもっとゆるくなり、






突然心臓がバクンッ!ってなったりするからね。






それはそれは、大変なんですよ。






心がざわざわなんですよ。






出発前の乱心は喉元過ぎればで、






行ってしまえば、






あとはなんとかなることはもうわかっているはずなんだけど。






きっと根が小心者で臆病者のこんこんちきなのね。






それでもまた行きたくなってしまう自分は一体なんなんだ!!?






自分で自分がよくわからないわ。






2週間ほどミャンマーに行くということを人に話したら、






「何しに行くの?」






と、よく聞かれた。






その質問が一番弱る。






自分でもコレ!!!というものが、






フワフワしていてわからないものだから、






言葉に詰まる。






それでも行きたいのよね。






行きたい気持ちが勝ってしまうのよね。






帰国して1年足らず。






いつかまたどこかへ行きたいとは思っていたけど、






そのいつかは自分が思っていたよりも、意外に早かった。






帰国前の、気の抜けた炭酸状態の心だったあの頃は、






もっともっと先になるだろうなと思っていたものだから。






日本で生活することは、






そりゃあストレスもあるけれども、






慣れ親しんだ場所だし、居心地も悪くはないし、それなりに楽しい。






だけど、時々生きていることを忘れてしまいそうになるくらい平穏だ。






平穏は素晴らしいことだけど、






感情の振れ幅というか、揺さぶりの少なさに物足りなさを感じてしまうのかもしれないわね。






たぶん贅沢なんだと思う。






それだけ、この国が物質的にすごく豊かなんだと思う。






旅をすることで、






凝り固まった常識だとか感情といったものをドカンと破壊させて、






ドキドキしたかったのかもしれない。






何も知らない、未知なる場所に身を置いて、






感情感覚は自分だけのもので、






現地で困って、






それでもどうにかこうにか動いて、






自分の持っている力、感覚をフルに使いたかったのかもしれない。






自分で考えて判断して動く。






その過程が贅沢だし、とても楽しい。






だからまた行きたくなったのかもしれませんネ。






ポーン!と飛行機を買って、飛行機に飛び乗る。






その気になれば、こんなにもあっさり簡単なことなのね。






再びあの世界に身を投じられるとは。






それが可能なすごい時代の、すごい国に生まれたものよね。






改めて思うわ。






一体どんな旅になることやら。






楽しみです。






とりあえず、ビザ用の写真を機械で撮ってみたら、大失敗してこんなのが出てきました。涙

photo:01








誠にギャフンだけど、






今夜はタイ人のお友達に会う楽しい約束があるんだぜ!!!






ヒャッホ!!!

まずはメキシコ

この旅の始まりの国はメキシコに決めた。






旅は、本来楽しいもの。






決して頑張るものではない。くじけたらすぐに帰ろう。






そういうスタンスで旅をしようと思っていた。






世界一周がしたい!と思って、仕事を辞めたりしてみたけれども、






いざルートや、行きたい所を考えているうちに、






別に一周しなくてもいいと思うようになり、






特に一周にこだわらなくなった。






一周だけにこだわるなら、極端な話、






日本→ニューヨーク→ロンドン→上海→日本でも、一周ということになる。






いやいやでも、そうではない。






いくら旅に出る目的が、






「世界でいろんなものが見てみたい」






というただ漠然としたこと以外何も持ち合わせていない私でも、






それは自分のやりたいことではないと思った。






たとえば南米が気に入ったのなら、






お金が尽きるまでずっとそこを狭く深く旅したっていいじゃない!くらいに思っていた。






そのほうがなんとなく自分らしい気がする。






自分がしっくりくるような旅をしよう。






そういう旅のスタンスだけはできていった。






でもまあ世界をあちこち放浪するのであれば、一周するのが効率がよい。






となると、東回りか西回りか。






私は、東回りを選んだ。






世界一周のブログを見ていると、先にアジアを周っている人が多いし、






実際に旅に出てみても、西回りの人が圧倒的に多かった。






アジアは日本人バックパッカーが他のエリアよりも多く、旅がしやすいことはわかっていたし、






まだ旅に慣れていないのもあったから、先にアジアに行って徐々に慣らしていきたい気持ちは当然あった。






だけど、南米から太平洋をバビューンと飛行機で飛び越えて、ハイ帰国。






というのに、なんだか味気なさを感じた。






何より東から周ることによって、「だんだん日本に近づいてくる感」を味わいたかった。






それと実際問題、旅をする上で先立つものは金だ。






これから始めようとしている旅の中で、






自分は一体どのルートでどこに行って、どのくらいの期間滞在して、どのくらいのお金を使うのかが全く読めなかった。






だったら先に遠くに行って、アジアを最後にしておけば、物価も安い。






銀行口座にブリザードが襲来し、寒い感じになるのが容易に予想される旅の終盤、






いざ日本に帰るにしても、航空券も安い。






アジアなら日本から近いから、また気軽に来ることもできる。






ということで、浮上してきた案がメキシコ。






ドキドキしながらメキシコシティー行きの片道航空券を買った。






その後の予定は未定。






最初のほうは、不安が募って色々調べていたけど、






調べるほど頭が、ポンッッ!!!となって、私はいよいよ考えるのを辞めた。






あれこれ考えて調べてみても、わからないことだらけだ。






見所はナスカとかマチュピチュとか、メジャー級のものしかわからないし、






大体これから自分が行こうとしているところが、






脳内で凝り固まったイメージだけが暴走するばかりで、






いまいちリアリティーがない。






なにもかもがあまりにも未知すぎて、






現実のものとしてピンとこない。






あれこれ細かく調べることに、無意味さを感じた。






それにせっかく手に入れた、時間だけは贅沢に使えるステキな状況。






事前にあれこれ決めて動くのも、なんだかもったいない気がした。






そういうわけで、けっこう早い段階から、






無計画で行く無計画計画を企てていた。






小心者のクセに。






正直ノープランだと、ステキな場所を逃す可能性もあるけど、






その分思いがけないステキな場所に行ける可能性もある。






それで全然よかった。






むしろ、それが理想だった。






行きたい所なんてものは、その場に行けば見えてくると思っていた。






「こうしなければならない…!」というスタンスは、できるだけ捨てたかった。






メジャーな見所はもちろん見ようとは思っていたけど、






そこで暮らす人々を眺めたり、知らない町を歩いてみたり、移動中の窓から流れる景色が見られるだけでもいい。






その土地の食べ物だとか、においだとか、空気だとか、






とにかくなんでもよかった。






行けば何かある。






旅中も、どんどん貪欲にはなっていったけれども、そのスタンスはずっと変わらなかった。






そういうわけでトラブルーの真っ只中、






涙ながらに新千歳空港を後にして、とうとうメキシコに到着した。






あんなに不安になっていたのに、いざ現地にたどり着いてみると、






さっそく頼れるのは自分しかいない、自分で動いてどうにかするしかない状況なわけで、






案外しっかりするもので。






到着した日は夜だったので、宿に着くとシャワーを浴びてすぐに寝た。






次の日起きたら、






トラブルーにより連日続いた、寝不足やら長時間のフライトやらで、






私の体は未だかつてないくらい、史上最強にむくんでいた。






足がまるで象みたいで、よくもまあ人の体がここまでむくむものだとたまげたほどである。






ドキドキしながら、さっそく宿を出て、そこらへんをふらふら歩いてみる。






すごい。






空気、におい、目に飛び込んでくる文字や看板、道行く人々。






違う…!






何もかも昨日まで見ていたものと全部違う…!






トラブルーやら時差ボケやら、移動疲れなどで、私の体も頭はアンニュイな感じだったけど、






心の中では相当興奮していた。






ああ…ほんとに来ちゃったんだな。






じわじわと実感が沸いて来た。






すべてが刺激的だった。






さらには、私がメキシコに着いたのは、ちょうど「死者の日」と呼ばれる年に一度のイベントの時期だったようで。






「死者の日」というのは、日本で言うところのお盆の位置づけの行事で、






ハロウィンの時期と被っているため、仮装をして歩いている人たちがいたり、出店が立ち並んでいたりと、雰囲気がとても明るい。






町のいたるところで、ガイコツのオブジェでいっぱいだった。






そのかわいらしい色使いやデザインのラブリーさに、見る度に「大変だぁ~」と心の中で何度も叫び、大いに萌え萌えした。






ああ…なんと良い時期にきたことか。






そこらへんの屋台のタコスを食べて、さらに元気が出てきて、






不安な心は、好奇心へと一気に早変わり。






完全にイケイケのラン&ガン!






オフェンスモードになった。






その次の日には、もうテオティワカンに行っていた。






テオティワカンとは、メキシコシティーから北東50kmに位置する紀元前2世紀から6世紀まで存在した、古代都市で世界遺産となっている。






テオティワカン人の宇宙観、宗教観を表す極めて計画的に設計された都市で、ピラミッドが存在する。






エジプトのギザのピラミッドと驚くほどの共通点も持っている点も、何やら神秘的で興味深い。






テレビで見て、その存在を知ってから訪れるのをずっと楽しみにしていた。






世界遺産の特集といったような、外国をテーマにした番組を見るときは、






「いいなーいつか行ってみたいなー」






というように受身オンリーだったけど、






旅に行くと決めてからは、






「あ、ここもいいな。行こう!」だとか、






「ふふふ、ここ、行くんだよな」






といった能動的モードが加わり、変化した。






テオティワカンは、もちろん素晴らしくて、人生初のピラミッドにドキドキしていたけれども、






それよりなにより、公共の乗り物を乗り継いで、一人で目的地まで行くということにドキドキしていた。






やればできるじゃない!






目的地に初めてたどり着いたときは、素直に嬉しかった。






それもそのはず。






メキシコに到着してから、まず私を襲った不安。






思っていたより、英語が全然通じない。






そんなこともよくわからず来てしまい、






実は私はメキシコ滞在2日目から、オフェンスの押せ押せモードになった反面、






今後の中南米の旅はえらいこっちゃだなーと不安に思った。






当時の私の英語なんざ、旅英語すらままならないような、とてつもなくしょぼいレベルだったから、






いずれにせよ苦労することは変わらないのだけど、






それでも一応実験旅行のときは無理矢理なんとかなった。






しかし、スペイン語はそれ以下だ。






ディスイズアペンどころか、ウノ!ドス!!トレス!!!くらいしかわからない。






ほんとにえらいこっちゃだなーと思った。






それでもなんとかなるものだ。






それもこれも、地元の人々が親切にしてくれたおかげなわけで。






どこに行っても、地元の人々は優しかった。






一人旅だけど、全部一人で気負わなくてもいい。






困ったら誰かに聞けばいいんだから。






メキシコの旅は、自然とそう思わせてくれて、気持ちがずいぶんと楽になった。






だから、あんなに怖かった一人旅も楽しくなっていったのかもしれない。






その土地を自分の足で歩くことによって、






その国の人々をひとくくりで見るのではなく、






もっともっと小さな単位で見ることができるのに気が付いた。






普通にその土地で生活している人は、自分となんら変わらない、本当に普通の人なんだと。






当たり前のことだけど、なかなか気が付けない。






当たり前のことなのに、気が付かないことばかりだ。






そういう発見が、私にとってはとても楽しいことだった。






どの国をチョイスしていてもそう思うのだろうけど、






最初の国がメキシコでよかった。






人は優しいし、ごはんはおいしいし、見所も多くて楽しい。






死者の日に、メキシコプロレス・ルチャリブレ。






カリブの島に、奥深いマヤ文明の遺跡。






テキーラの村や、かわいらしい街並みのグアナファトや、






先住民族が多く住むサンクリストバル・デ・ラスカサス。






本当はたくさんつれて帰りたかった、いちいち萌え萌えさせてくれるラブリーな雑貨たち。






町の雰囲気。






とても旅がしやすかった。






やはり旅は楽しいものだ。






そう思わせてくれたメキシコは、いつまでも胸に残る。






最後にメキシコを旅して痛切に思ったこと。






言葉はなくともコミュニケーションは取れる。






しかしまあなんと窮屈なことか。






言葉の壁は厚い。






ぶ厚すぎる。






勉強しよう。スペイン語。






そう思い、メキシコをあとにした。








◎ メキシコ ◎




時期:2010.10.28-2010.11.28




ルート:メキシコシティ→グアナファト→グアダラハラ→サカテカス→メキシコシティ→カンクン→コスメル島→パレンケ→サンクリストバル・デ・ラスカサス




お金:総額¥119,653(1日平均 ¥3,740)

    食費 ¥12,412

    移動 ¥39,037

    宿  ¥25,588

    観光 ¥3,871

    娯楽 ¥32,223(ダイビングライセンス取得代込み)

    雑費 ¥6,522(WIFI使用料とかSkypeのお金とか)







世界!バンバントラベラー-まずはメキシコ







旅のはじまり

実験旅行を終えて、それから半年。






旅の資金を稼ぐべく、






あくせくあくせくあくせく働き、






気付けば季節は、






春が過ぎ、夏が過ぎ、秋になっていた。






季節の移ろいを味わう間もなく、






週に10回は働いていた。






本当によく働いたと思う。






体は激しく疲れたけど、






実験旅行前も含め、






自分がやってみたかった仕事を全部体験することできた。






そこで知り合えた人たちからも、たくさんの刺激をもらった。






ここでもまた、いろんな人に助けてもらい、






睡眠時間を削ってまで一生懸命働いたのは確かに自分なんだけど、






こんな私を雇って働かせていただいたと言うほうがしっくりくるような気がする。






それだけに辞めるときは、名残惜しかった。






あのまま、






旅に出ようと決心ができずに元の仕事を続けていたら知りえなかった世界は、






自分の視野を広げてくれた。






いろんな分野を広く浅く見ることも、






一つの仕事を長く続けることも選択肢の一つだと思う。






結局私は途中で辞めてしまった身なわけだから、






一つの仕事を長く続けることは、深みが増すし、本当にすごいことだと思う。






でも、自分で一生懸命考えて決めたことだから、納得している。







これはこれでいいのだと、これでよかったと、そう思える。






そろそろ仕事を辞めて、チケットの手配や荷物の準備等、






最後に旅の準備の総仕上げをしようとしていた矢先、祖父が亡くなった。






入退院を繰り返していたから、体が少しずつ弱っていることはわかっていた。






このままもう少し、様子を見たほうがいいのだろうか。






これ以上足踏みしたくないもどかしさと、






祖父を心配する気持ちが葛藤していたときだった。






どうしようかと思い悩んだけど、やっぱり行くことにした。






日本にいたからと言って、離れた場所に住んでいるし、






毎日お見舞いに行けるわけでもない。






旅先から電話をすることだってできるし、容態が安定する可能性だってある。






このままだと、容態が悪化するのや死ぬのを待つみたいなのも嫌だった。






でも本当は、いい加減もうそろそろ出発したいという、






ほとんどが自分のエゴだったと思う。






だけどこんなにも突然亡くなるとは思っていなかった。






祖父に異国の地からハガキを送ったり、旅の話をしたり、写真を見せたりしたかった。






他にも、祖父が生きているときに「なんであのときもっと」という思いも押し寄せてきて、






胸が痛くなったりもした。






だからこそきちんと弔ってから出発したい。






弔うというよりも、旅に行ってきますとか、ありがとうとかごめんなさいとか、






なんというか挨拶というか、決意表明というか、そんな感じだった。






そういうわけで四十九日にも出ることにしたので、出発日をさらに1ヶ月延ばすことにした。






延びて、延びて、また延びて。






結局当初予定していた時期より、1年以上延びに延びたけど、気持ち的にはしっくりきている。






ようやく出発のめどが立った。






出発するのも、ようやく実感として沸いてきた。






せっかく出発する時期が見えてきたというのに、それに近づくにつれ加速度を増すトラブルー。






『トラブルー』とは、トラベルブルーの略語で、






主な症状は、






「どうしよう殺される」


「絶対だまされる」


「なにか盗まれる」


「怖い…」等、






未知なる旅に対して、






とめどない不安に陥り、負のイメージが押し寄せてきて、






突拍子もなく心臓がきうううううとなったり、バクンッ!となったり、






時折ちょっぴり楽しみになったり、






要は慌しく乱心する諸症状のことを言う。










という、私の造語である。






しかし、この突如心臓がきうううとなったり、バクンッ!となったりする感覚はもうなんとも説明しがたい。






私はこれに見事にかかり、いつも心のどこかでバタバタしていた。






あんなに行きたかった旅のわりには、どこかであがいていた。






行きたくないけど、行きたい。






行きたいけど、行きたくない。






でも行かないのはもっと嫌。






どうすることもできない思いを抱えたまま、出発当日がやって来た。






乱心していた私は、パッキングがなかなか終わらず、






結局一人でオールナイトしてしまった。






いろいろ詰め込みすぎたバックパックは、ギッチギチのパンッパンで、






私の不安な気持ちを見事に表していた。






この日は、偶然両親の仕事が休みだったので、空港まで車で送ってもらった。






空港へ向かう車内、運転席の父と助手席の母の後姿を見ながら、






しばらく心配かけてしまうよなぁと、申し訳なく思った。






とにかく必ず無事に帰ってこよう。






これだけは、改めて思った。






空港のゲート前、本当の別れ際、






あまり仲良くなかった父がうっすらと涙を浮かべ静かに泣き出した。






少し驚きつつも、その姿を見て、つられて私も泣いた。






「ほんとは行きたくない…!」






この期に及んで、ついにバカげた一言を言い放ってしまった。






だけど、いまさらそんなダサいこと、当然できるはずもなく、涙ながらにゲートをくぐった。






誰に強制されるでもなく、旅に出ると決めたのは自分じゃない。






カッコ悪い。






なんとダサくてカッコ悪い旅の始まりなんだ。






ビビリの小心者のわりに、大胆なことをしでかそうとするからこうなるのね。






だけどもこうして、






行き先も読めない、






終わりも見えない、






酔狂な私の旅が始まったのである。