実験旅行
仕事を辞めた。
すなわち無職。
これからすべきは、旅の準備。
出発は半年後。
半年間、旅の準備のみというわけには、
やはりいかない。
やってみたかった、気軽にアルバイトも始めてみよう。
学生の頃にはもちろんやっていたけど、
社会人経験を経てからアルバイトをするのとでは、
捉え方が全然違う。
いろんな業種を選ぶことができ、
軽い気持ちでサクッと始められる感じも良い。
アルバイトと旅の準備をしつつ、
気ままに札幌ライフを楽しんでいた矢先、
諸事情により、いろいろと考えた結果、
出発する日を延期することにした。
いつ出発するかは、様子見ということにしたので、
当面の間、読めなくなってしまった。
こうなったら、もう少し札幌ライフを満喫しよう。
そう思い、他のやってみたかった仕事に手を出してみたりもして、
札幌での生活がおよそ10ヶ月経過した。
その間、
旅に行きたいという気持ちは薄れなかったけど、
やはり不安は募った。
本当に出発する日が来るのだろうかということと、
そしてなにより、
果たして自分は、旅に向いているのかということ。
一人で旅をしたこともない自分が、
いきなり世界一周に踏み込んでも大丈夫なのだろうか。
そこで、ふとひらめいた実験旅行。
主な目的は、
一体どんな感じなのか、旅の感覚を知ること。
ついでに、実際に必要なアイテムは何かを把握すること。
行き先はどこでもいいけど、近くて手軽な場所がいいということで、
タイ行きの1ヶ月FIXの往復航空券を買った。
これだけでも、ずいぶんドキマギしたものだ。
2010年節分の日、
さらにドキマギしながら、タイへと旅立った。
空港へ向かう車の中では、
弱気な自分を奮い立たせる為に、
ドラゴンボールの、♪チャーラッ!ヘッチャラッ!♪
をヘビロテしていた。
タイに到着して、飛行機を出ると、
ムワワワ~という空気に包まれた。
空気の質感やにおいが、日本とは違う。
そんなことを新鮮に感じた。
もうここから、いよいよ本格的に一人で動き出すことになる。
どんな1ヶ月になるのだろうと、
ほんのちょっぴり、ワクワクした。
もちろん不安の方が大きかったけど。
実験旅行では、予想に反して、
これまでの自分の生活では考えられないほどの、
ハチャメチャが押し寄せてきた。
初日。
さっそく偽警官に騙され、およそ4万円ボラれ、
そのおかげで、後に手元の現金がなくなり、
大変困ったり。
クレジットカードでお金を引き下ろそうとしたけど、
暗証番号が全く思い出せず、
そのときアンコールワットを一緒に回ったオランダ人に、
土下座してお金を借りようとしたり。
タイからラオスに行くときのメコン川のスローボートでは、
途中で川の水が不足して、この先進めないとの理由で、
ボートから降ろされ、
30分ほど、重いかばんを背負いながら、
さらさらの砂地を歩かされたあげく、
吹きさらしの狭いボートの中で、
激しいタトゥーにまみれた知らない外人たちに挟まれながら、
寒い中、寝袋の中で震えながら一晩過ごすことになったり。
トゥクトゥクのじじいに騙されて、宝石屋に連れて行かれそうになったり。
炎天下の中、自転車で遺跡めぐりをしていたら、
野良犬2匹に激しくほえながら追いかけられたり。
酒に酔い、デジカメをトイレに水没させ、うずくまりちょっぴり泣いたり。
宿の若いスタッフのチャラそうな兄ちゃんに部屋に入られそうになったり。
入国カードの「Occupation(職業)」の欄に、「JAPAN」と書いて、
先ほど出てきた、私が土下座をしようとしたオランダ人に、
さんざん馬鹿にされ、
とんだ赤っ恥をかいたり。
さらには自分の語学力のなさを激しく痛感したり。
本当に次々と、思いもよらぬハチャメチャが押し寄せてきたけど、
日本語堪能なタイ人と、初めての外国人のお友達になれたり、
初めての本場のタイ式マッサージにいたく感動したり、
そのマッサージ屋のBGMがなぜかドナドナで、
つられて切ない気持ちになったり。
テキトーにふらりと入った初めての大衆食堂では、メニューがタイ語表記のみで、
その店で食べている人の中で一番おいしそうに見えた料理を指を差して注文してみたら、
全然違うものが出てきて、ガビーン!となってみたり。
だけども、それがけっこうおいしかったり。
それはそれは、
波乱と楽しさで満ち溢れていた。
こんなに胸がパチパチすることがあったのかと、騒ぐ心。
ワクワクしたり、
ドキドキしたり、
ゾクゾクしたり。
こんなにもめまぐるしく、
予測不能に跳ね回る、
まるでラグビーボールの形をしたスーパーボールの様に、
心が弾むとは。
取るに足らないような、
ひとつひとつの小さな事が、
拾い上げたらキリがないくらい、
とにかくもうすべてが、
私にとっては新鮮で、驚きの連続で、
それに感動できている自分にもさらに驚きであった。
感情が、解放されていく感覚。
これまでいかに、自分ががんじがらめだったかに気付く。
私は、「自分探しの旅」という言葉が、
なんだかむず痒くてあまり好きではないけれど、
結果、
言葉も文化も違う、初めて訪れる見知らぬ世界は、
隠れていた自分の本性に、気が付かせてくれる世界でもあった。
とても刺激的で、
なんというか、
うまく表現できないけれど、
とんでもなく素晴らしい未知なる領域を発見してしまったような、
発見できてよかったなというか。
冒険家が新大陸を発見したような、そんな気持ちになった。
初めての一人旅であった、1ヶ月に及ぶこの実験旅行は、
あまりにも密度が濃く、
あまりにも楽しすぎて、
あっという間に過ぎ去った。
1ヶ月なんかじゃ全然足りないことが、よくわかった。
1年くらいなら余裕で行けそう。
そう思った。
初めて日本人の旅の友達ができて、
あったらいいなの便利グッズも聞くことができたし、
自分でもどんなアイテムが必要なのかもなんとなくわかった。
そして次、自分が一人でロングな旅に出るのなら、
どこに行くかわからない、
計画性もヘチマもない、
思いつきの旅になりそうだということも、
なんとなく予想がついた。
それなら、いかなる場合にもなるべく対応できるよう、
資金がもう少しあったほうがいい。
そう思い、あともう少しの間、
一生懸命働いて、旅の資金を稼ぐことにした。
目的が達成でき、
やるべきことが見え、
実験旅行は、成功だったと言えよう。
本当に、行ってみてよかった。
旅に出るきっかけ
どこから振り返ろうかと考えたけど、
やっぱり、最初から。
旅に出ようと思ったきっかけは、
いくつかあるんだけど、
大きなものを数えたら3つ。
一番最初は4歳のとき。
ある日、父がなぜだか地球儀を片手に仕事から帰ってきた。
初めて目にするそれは、私にものすごい衝撃を与えた。
そのときの、突然水をぶっかけられたような感覚は、
今でも鮮明に覚えている。
それを触ったり、まじまじと眺めたりしながら、
これが地球というもので、
こんなふうにまるくて、
私たちはここに住んでいるということを、
初めて認識した。
本当に漠然とだけど、
生まれて初めて、
地球を、世界を認識した瞬間でもあったと思う。
それからしばらくの間、
来る日も来る日も地球儀をくるくる回したり、
覚えたての字をたどたどしく読みながら、
ここにこんな名前の国があって、
何があって、
どんな感じなのだろう。
どんな人たちが住んでいるのだろう。
幼いながらも勝手にイメージしながら、
ひたすら眺めていたのを覚えている。
それから時が流れることおよそ20年。
なんとなく外国に興味はあったものの、
自分で旅をしようという考えすらにも至らなかった。
まず英語が話せないし、
増してや言葉も通じない初めて訪れる国で、
たった一人でローカルの乗り物を使いながら、
自分で自由に旅ができるなんて、
夢にも思わない日々が続いた。
そんなある日、小学生の頃の友達とひさしぶりに会うことになった。
自分たちの近況やらいろいろ話しているうちに、彼女から、
JICAの隊員として、アフリカのナミビアという国に2年間赴任するこということ、
1ヶ月タイやネパールに旅行に行ったということを聞いた。
きっかけの2つ目だ。
え?タイやネパールに1ヶ月も?
そんなことってできるの?
興味が沸いた。
1ヶ月も休みなんて取れないから、
もし行くなら仕事を辞めなければならないだろう。
それならドカンと一発、世界一周とかしてみたい。
それに、彼女とアフリカで会うのも、なかなかオツなものだ。
でも、果たして自分にできるのか。
気持ちが暴走した。
家に帰ってから、はやる気持ちを抑えながら、
パソコンを開き、インターネットで「世界一周」と検索した。
世界一周をしている人たちのブログがたくさん出てきた。
自分が思っていた以上に世界一周をしている人たちがいることに驚いた。
世界一周。
そんなのお金持ちの特権で、
なおかつ語学も堪能でなければならず、
完全に夢物語かと思っていたけど、
もしかしたら私にもできることなのかもしれない。
行きたい…!
初めて旅への気持ちが動き出した瞬間だ。
しかし、ネックとなったのは仕事だ。
辞めるのが怖い。
さっくりと辞められるほど、私の神経は図太くなかった。
もちろん収入がなくなるという不安もある。
それよりも自分なりに精一杯頑張ってきた仕事だ。
仕事を始めて4年目だった。
せっかく仕事にも慣れてきて、
少しずつだけどスキルも身に付いてきて、
できることが増えた。
最初は、辛くて、キツかったけど、
年数を重ねるごとに少しずつ楽しくなってきた。
ここで辞めてしまっては、
これまで四苦八苦しながら積み上げてきたものが、
なくなってしまう。
行きたい…!
けど、どうしよう…!
この頃の私の心は、
いわば、エゴとエゴのシーソーゲーム。
非常に不安定で揺らめいていた。
悶々とした日々を過ごす中、
私の人生を大きく変えることになる事件が勃発した。
これが旅の出発を決定付けた、
もっとも大きなきっかけだ。
私は、車の事故を起こした。
単独事故で車は廃車。
事故を起こしたのは、冬になり始める季節だった。
夜、私はブラックアイスバーン状態の峠の道路を運転していた。
元々スピードを出すのがあまり好きではないのと、
安全運転を意識して、時速30kmくらいの速度。
そんな中、キツネが突然飛び出してきた。
キツネに対して「ひいちゃうゾ~!なーんてね~!」なんて、
くだらぬ冗談を思うほどの気持ちのゆとりを持ちながら、
ひょいとキツネをかわした。
しかし、車は突然スリップ。
制御不能。
いくらブレーキを踏んでも車は全然止まらず、
どうしたらいいのかもわからず道路を蛇行。
30km走行のはずだったけど、
体感速度ではもっと出ているように感じた。
やばい…!
とんでもないことになってしまった…!
どうやったらこの車は止まるんだろう…!
つい1分ほど前に休憩したときに、友達から運転気をつけてというメールが来たばかりだった。
それなのに、早くもこんな…!
母からは、ブラックアイスバーンのこの時期に長距離運転はするなと、再三言われていた。
それなのに、お母さんごめん!!
時間にするとわずかだったと思うんだけど、
いろんな思いが、ぐるぐるぐるぐる頭の中で駆け巡った。
車はいよいよ、反対車線側の歩道に乗り上げた。
電柱が目に入った。
それはどんどん視界に迫り、大きくなる。
あとはもう、それにぶつかるしかないことを悟った。
うわあああああーーーーー!!!!!
終わったぁぁぁああああ!!!!!
こんなんだったら…!
仕事でも何でも辞めて!!
貯金とか何でも使い果たして!!
旅行でもなんでも行っておくんだったよおおおおお――――
ドカーーーーーーーン!!!!!!!
衝突。
……
あれ…?
生きてる?
私、生きてる…?
自分の顔や体に触れ、まず自分が生きていることを確認した。
だって、ものすごい衝撃だったから。
生まれて初めて、本当に死ぬと思った。
これまでの生涯で一番死に近づいた瞬間だったと、
今でも思っている。
でも、そういった死に迫った究極の土壇場で、
自分が本当に、一番何がしたかったのか。
やっと気が付いた。
ようやく自分の奥底に潜む本当の気持ちに、
初めて正直に、真正面から向き合えた瞬間だったと思う。
幸い私は無傷だった。
自分で110番して警察に連絡した。
警察を待っている間、
寒さのせいか、恐怖のせいか、
ガクガク体を震わせながら、
旅に出ることを決意した。
―とにかく行こう。
いろんなものが見たい。
今まで散々迷っていたけど、
心から迷いがキレイに消え去り、
何のブレもなくなり、
清々しいくらいがっちりと、気持ちが固まっていた。
たまたま無傷だからよかったものの、
あのキツネは、今ものうのうと森の中で生きているのだろう。
キツネを見るたび、今でもあの事故が脳裏によみがえる。
余談だけど、
当時私は、車の中にブードゥー人形をぶら下げておいた。
ブードゥー人形とは、ぐるぐると毛糸が巻きついている、
頭部が丸いのが特徴で、
身代わり人形とも言われている。
タイでよく売られているし、
日本の雑貨屋さんでも置いてあるのを、見かけたこともある。
事故にあった次の日、
何の気なしにお守りを見てみると、
右目がボロンと取れていた。
そのお守りはまだ買って2週間ほどの新しいもので、
購入時にはたしかに目は取れていなかった。
そもそも、右目が取れているものをわざわざ選ぶはずがないし、
車に乗るときに、そのお守りをいちいち触ったりもしない。
私が電柱に突っ込んで行ったのは、運転席側のちょうど右側。
実はぶつかる瞬間、
なんとなくふわっとした瞬間があった。
…気がする。
きっとその瞬間、
うまく軌道がそれたのだろう。
…たぶん。
衝突したのは正面ではなく、
後部座席のドア部分だった。
あの人形が守ってくれたとしか思えず、
鳥肌が立った。
こうして、私は旅に出ることにしたのです。
旅を振り返る
帰国しておよそ半年。
すべては自分で行動を起こした結果だけど、
さまざまな新しいことが押し寄せてきて、
それに慣れるまで、
自分が思っていた以上に案外時間がかかるわけで。
なんとなくバタついていた心もようやく少しは落ち着いてきて、
気持ちに余裕ができ始めてきた。
そんな今、
やっと旅を振り返って、整理してみたくなった。
記憶を。気持ちを。
そう思うようになったきっかけは、
旅中に撮りまくったすごい数の写真。
旅中、私はシャッターのムダ押しをしまくったにも関わらず、
それをこまめに整理するという作業をすっかり怠っていた。
それを整理するのに、今エライ苦労をしている。
写真を見るたび、いちいちその土地に思いを馳せる。
旅の記憶を頼りに浸る。
いかんせん作業が進まない。
この半年、私は札幌すらも出ることがほとんどなく、
すっかり普通の生活を送っている。
最初は少し違和感があったけど、
目に飛び込んでくる文字は読めるし、
耳に入ってくる言葉は何を言っているのかがわかり、
自分の中にあっさり入ってくる。
ネットは信じられないほど超高速。
停電になることもなければ、
蛇口をひねれば水が出てきて、
断水になることもない。
シャワーの水はホット。
安心できる南京虫もダニもいないベッド。
出かける際は、戸締りはしっかりするけど、盗難の心配はしない。
腰にマネーベルトを巻きつけて出かけることもない。
馬鹿みたいに物価は高いけど、
買い物でボラれる心配もしなければ、
満員にならなくたって、定時になればバスが動き出す。
旅中あれだけ食べたいと願った日本食は、あたり前に手に入り、
食べ物に対する執着心も薄れた。
こんなふうに、
日本での生活が慣れて行くのと同時に、
旅の記憶が徐々に薄れて、置いてけぼりを喰らってる感。
帰国と同時に逆転した、日常と非日常。
あたり前だったことがあたり前じゃなくなり、
あたり前じゃなかったことがあたり前になった。
これまで送っていた、普通の日本の生活に戻ったわけだから。
これは、自然な流れで、当然のことと言える。
だけど、旅を経て、感覚的に得たものや、そぎ落とされた余計なもの。
そういったそれらの変化は、
自分の中にこれからも変わらず残っていくものだと思う。
だけど、旅の愛おしい記憶たちが薄れていくのは寂しい。
時間が経つにつれて、グングン成長する旅への愛おしさ。
普通の旅だと思っていたけど、
Love!
なるべく少しでも忘れないように、
Oh!
じっくりと味わうように、
旅の記憶を旅する作業を始めることにした、
夏の日の2013…!
札幌もやっとこ暖かくなってきて、夜に潜んでる「裏切りの寒さ」ってやつに遭遇することが少なくなってきました。
なので、もう夏と呼んでもいい気がします。
あ…これから、不定期で総集編的なものを少しずつアップしていくつもりです。
パーフェクトな自己満足ですよネ!
わかってるわ♡