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Empty Room



Empty Room 人気のない部屋



義兄が1年半の間、日常を過ごしていた
高齢者サービスつき住居
の鍵を返却しに行って部屋の様子を見させてもらった。

施設のスタッフの方たちが全てをまとめてくれ
使えるモノは使ってもらうことにした。

コート掛けもそのまま使ってもらうことにした。
コート掛けだけある部屋が妙に寂しくおもえる。

さんざんオドシをかけイビリ倒していたケアマネ君に
「何か欲しいモノある?」
と訊ねたら
「いつも外出の時に着ていたウィンドブレーカーが欲しいです」
なんてことを言ってくれた。

本音の言葉。
うわべだけじゃない言葉は身にしみる。
この場所を最後にして良かったと思った。

明日からは役所関係の手配。


また訃報が入りさすがにツライ春分の日。





Auf Wiederhören


棺の中の顔を見ながら


さよなら
アウフ ヴィーダーヅェィン
また会おう


と声をかけてくださった
学校時代の同級生の言葉に
ただただグッときてしまった

重みのある短い言葉


お供物とお気に入り


思いもよらないほどの
たくさんの方々のご参列

交友の広さ

私の知らない世界

を思い知りながら

お通夜と告別式を終えることができました




写真アルバム


山ほどある写真。
古い写真なのに、あまり劣化していないのはナゼなんだろう?
海外で仕事をしていた
1950年代・60年代・70年代・80年代・90年代
そして2000年代ともっと昔の1930年代。







このブログ上に度々登場していた義兄。
数々の武勇伝がありながら
それらをひけらかすことがなかった男。
昔の自慢話をしない男が今週火曜日に回復期リハビリ病院への
転院を控えて肺炎で亡くなった。

彼の知人に連絡すると
ほとんどの方たちがとても寂しがってくれる。
私もそんな一人。
たびたびコノオッサンかんべんしてよ
と思っていたけれど
とてつもなく寂しい。

面倒をみていたつもりだったけど
面倒をみていてくれたのかもしれない。

最後を看取ることはできたけど
それでも何かやり残した感がし
せめてご参列頂く方たちに
各国のようすを懐かしんでもらおうとアルバムを作った。

明日はお通夜
最中でも買ってこよう。





中川邦彦氏の本



中川邦彦氏 散文



2009年に東京造形大学を退職された
中川邦彦教授
が先週亡くなったとのメールが知人から届いた。

グウタラ学生だった私は最終講義を聴講することもなく
おつかれさまの花を贈ったら
後日、ご自身の書かれた本を送ってきてくれました。


不肖な学生だったけどヨク遊んでくれたななんてことを思い
また花でも贈ろうかと
本日自宅に電話をしたら
奥様が電話にでられ
「花はご辞退しております」
とのこと
「本人の意向で色がついた紙にメッセージを書いて送ってほしい」
とのこと
でした。

モノクロームも色だけどさ最後の課題と思って
色つき紙をさがそう。


そして本日また某人の訃報がとどき
住まいにおじゃましてきた。
ヤリキレナイ気分・・・
の2月。


パンフレット袋



パンフレット袋



義兄骨折入院から約3週間
毎日顔をだし、退院時にそなえ施設を探したりで
我が作業机の上にパンフレットが沢山入った袋を置く日々。
海外からの手紙もたまっていく。
聞きなれない言葉や解らない国の言葉もふえていく。

「ヘッ?サコウジュ?!」
サポート付高齢者住宅のことなんですと。
高齢者住宅にはサポート付と介護付があるんですと。

ローケン・老健と良く耳にするけど
たてまえ上は自宅にもどることが前提の施設なんですと。
だから3ヶ月ごとに見直し審査があるんですと。

特養は空き待ちで介護度3以上とか耳にするけど
入居するには住民票がその地区に3ヶ月以上あることが条件なんですと。
そうじゃないと地方の親戚にタノムヨ~
なんてことになりかねないしね~

本日姑ババコの準確定申告と協議書作成のために
会計士さんがお見えになったけど
会計士さんの仕事でもないだろう。

聞きなれない言葉・見慣れない書類。
さすがに疲れた。
今年の私の抱負は無責任
なんだから
無責任になりたい。

というより、これらを想定して無責任を抱負にすると
決めたんだけどサ。