第二百八十四弾「 神殺し ―覚醒の序章―」

第二百八十五弾「 神殺し ―覚醒の序章― その2」

第二百八十六弾「 神殺し ―覚醒の序章― その3」

第二百八十七弾「 神殺し ―覚醒の序章― その4」

第二百八十八弾「 神殺し ―覚醒の序章― その5」

第二百八十九弾「 神殺し ―覚醒の序章― その6」

第二百九十弾「 神殺し ―覚醒の序章― その7」

の続きです

 

 

# 神殺し ―覚醒の序章―

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## 第十一章 ―豪雨と双剣―

### 一 ―初級魔法という名の暴威―

 エリィが前に出た。

 その宣言を聞いた瞬間、魔法師団の師団員たちは
全員が同じことを考えた。

 師団長が本気を出す。

 ならば戦略級の魔法が来る。
国家管理の対象となっているあの魔法が、
この夜空に解き放たれる。
グリフォン二体など、跡形もなく消し飛ぶだろう。
そういう確信があった。

 だから全員が、距離を取った。

 師団長の戦略級魔法の余波に巻き込まれないために、
本能的に後退した。

 エリィは両手を前に構えた。

 魔力が高まっていく気配があった。
それは確かだった。
しかしその高まり方が、師団員たちの予想とは違った。
膨大ではあった。
しかし収束していく方向が、巨大な一点ではなかった。

 細かかった。

 無数の、小さな点に向かって、魔力が分散していった。

 エリィが手を前に向けた。

 魔法弾が飛んだ。

 師団員たちは目を丸くした。

 魔法弾。
それは魔法の中で最も基礎的な術式だった。
師団に入れば最初の一週間で習得する、
入門中の入門だった。
魔力消費量は最小限。
射程は短い。
威力は、魔法の中で最も低い部類に入る。

 なぜ今、それを。

 しかし飛んでいった魔法弾の着弾を見た瞬間、
師団員の一人が息を呑んだ。

 グリフォンの外皮に、傷がついていた。

 浅くはあったが、確かに削れていた。
中級魔法使いの上位が放つ術式に相当する威力が、
あの初級魔法の一発にあった。

 考える暇はなかった。

 二度目の魔法弾が飛んだ。
今度は数発だった。
グリフォンは機動性で回避した。
命中しなかった。

 三度目。十発を超えていた。

 四度目。数十発。

 師団員たちは気がついたら、
数を数えることをやめていた。
数えきれなくなっていたからではなかった。
数えるという行為そのものが、
意識から抜け落ちていた。ただ見ていた。

 五度目に放たれた時、
師団員の誰かが小声で言った。

「……百、超えてる」

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 夜空に、光の粒が溢れた。

 一発一発は小さかった。
蛍の光に似た、淡い発光だった。
しかしそれが百を超え、数が増えるにつれて、
夜空の一角が白く滲み始めた。

 グリフォンは回避した。

 当然だった。
これまでの戦闘で、
グリフォンは魔法師団の魔法を
ことごとく見切って躱してきた。
単体の魔法弾など、
翼を一度動かすだけで避けられる。

 しかし数が増えるごとに、
回避できる空間が狭くなっていった。

 右に避ければ右から来る。
上に逃げれば上から来る。
速度を上げれば、その速度を上回る角度から来る。
一発を躱した瞬間に別の一発が違う角度にいる。

 六度目。二百を超えた。

 七度目。四百。

 八度目。六百。

 夜空が、もはや光の豪雨になっていた。

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 師団員たちは声を失っていた。

 技術的に何が起きているかは、全員が理解できた。

 魔法弾という術式は単純だ。
魔力を圧縮して解放するだけ。
難しいことは何もない。
ただし同時に複数発を制御するには、
魔力の分割制御が必要になる。
十発を同時に飛ばすには
十の制御を同時に行わなければならない。
百発なら百の制御。
千発なら千の制御を同時に、
それぞれ独立して行わなければならない。

 それが人間にできることか。

 それだけではなかった。
制御するだけでは意味がない。
それぞれの魔法弾が目標を追尾し、
回避される方向を予測して
軌道を修正しながら飛んでいた。
千の魔法弾が、
それぞれ独立した意志を持つかのように動いていた。

 千の制御を同時に。
しかも動的に。
しかも連続で。

 師団員の一人は、
自分が通常の魔法弾を同時に制御できる数を考えた。
訓練を積んで、限界まで集中して、三発だった。
熟練の師団員でも十発が限界と聞いていた。

 千。

 桁が、違った。

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 九度目に放たれた時、夜空が白く染まった。

 もはや個々の魔法弾を目で追うことが不可能だった。

 激しい豪雨のようだった。
梅雨時の土砂降りが夜空から叩きつけてくるような、
そういう密度だった。
光の雨が二体のグリフォンに向かって降り注いでいた。

 グリフォンが叫んだ。

 回避できなかった。

 一体が、翼を翻して逃げようとした。
包囲するように魔法弾が追ってきた。
逃げる方向全てに光の粒が待ち構えていた。
左へ向かえば左から数十発が来る。
上に逃げれば上から数百発が降ってくる。

 グリフォンの外皮は、
一発一発の魔法弾では削れる程度の傷しか負わなかった。

しかし同時に百発が当たれば話が違った。
数十の傷が重なり、外皮が削れ、
下の肉が露出し始めた。

 グリフォンが攻撃魔法を放った。
しかし放った瞬間に無数の魔法弾が集中した。
体勢を崩されて、魔法の照準が狂った。

 十度目。

 師団員の誰かが数えようとして、やめた。

 千を超えていた。

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 エリィは笑っていた。

 陽気に、無邪気に、
子供が好きな遊びに興じるときのような顔で笑っていた。

 翡翠色の目は輝いていた。
両手を前に向けたまま、魔法弾を放ち続けながら、
その表情には苦しみの欠片もなかった。
消耗している気配もなかった。
むしろ、楽しそうだった。

 師団員の一人がその笑顔を見た。

 背筋が凍った。

 可愛らしい笑顔だった。
子供の笑顔だった。
見た目だけを切り取れば、
無邪気で愛らしい少女が笑っているだけだった。

 しかしその背景に、
夜空を埋め尽くす光の豪雨があった。

 その対比が、恐ろしかった。

 理性ではなく、本能が怖がっていた。
この存在は、自分たちと同じ種類の
生き物ではないかもしれない。
そういう警告が、体の奥から鳴っていた。

 隣の師団員が、小声で呟いた。

「……師団長って、何者なんだ」

 誰も答えなかった。

 答えられる人間が、ここにはいなかった。

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### 二 ―部隊を守る者―

 ミレーヌはエリィの魔法を、一瞬だけ見た。

 見た、という表現では足りなかった。

 魅入られた、というのが正確だった。

 夜空を埋め尽くす光の豪雨。
それを生み出しながら笑っている小さな少女。
その光景は、戦場にいるという事実を
一瞬忘れさせるほどの、圧倒的な異質さがあった。

 流石だ、とミレーヌは思った。

 規格外にも程がある、とも思った。

 しかし次の瞬間には、思考を切り替えていた。

 魅入られている時間は、ない。

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 ミレーヌは前面に出た。

 今のミレーヌの役割は攻撃ではなかった。

 エリィが魔法弾の豪雨を維持している間、
グリフォンの攻撃が部隊に直撃しないように防ぐこと。
負傷者を安全圏まで下げること。
軽傷者に簡易治療を施して支援攻撃に復帰させること。
部隊全体が機能し続けるように、作戦を回し続けること。

 それがミレーヌの仕事だった。

「軽傷者、後方に下がれ!
治療を受けたら支援射撃に復帰しろ!
重傷者は安全圏まで後送する!
副官、誘導しろ!」

 声が飛んだ。
副官が動いた。
警察官たちが動いた。

 その間もグリフォンは攻撃を続けていた。
エリィの魔法弾の豪雨に翻弄されながらも、
地上への攻撃を完全には止めていなかった。

 一体の攻撃魔法が、撤退中の負傷者に向かって来た。

 ミレーヌは一歩前に出た。

 剣を横に構えた。
刀身の振動を最大にした。
魔力を凝縮した。

 攻撃魔法が来た瞬間、剣を振り払った。

 高速振動する刀身に纏った魔力が、
攻撃魔法の魔力と衝突した。
弾き返した、というより、
打ち消した、という感覚だった。
衝撃が走った。腕が痺れた。

 しかし負傷者には当たらなかった。

「動け!止まるな!」

 ミレーヌは叫んだ。負傷者たちが動き始めた。

 続けて別の方向から攻撃が来た。
ミレーヌは体を反転させて対応した。
また弾いた。
腕の痺れが蓄積した。

 それでも足は動いた。

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 しばらくして、ミレーヌは気がついた。

 グリフォンが距離を取り始めていた。

 二体のうち残った一体だった。
もう一体はエリィの魔法弾の豪雨によって、
すでに地上に落ちていた。
残る一体が、ミレーヌとの間合いを
慎重に保ちながら飛んでいた。

 あの女は危険だ。

 グリフォンの目に、そういう判断が宿っていた。

 先ほどミレーヌに墜とされた仲間の最期を見ていた。
空中からの接近を、落下の途中に斬り伏せられた。
その射程を、グリフォンは本能的に計算していた。

 その計算した射程の、ぎりぎり外から攻撃してきていた。

 なるほど、とミレーヌは思った。

 賢い。

 ミレーヌの斬撃が届く範囲を見極めて、
その外側から攻撃する。
地上にいる人間相手にグリフォンが慎重になる、
それ自体が異常なことだったが、
それだけミレーヌを脅威と判断していた。

 ミレーヌは盾役に徹した。

 グリフォンが射程ぎりぎりから放つ攻撃を、
剣で弾き続けた。
完全に防げないものは体を使って受け流した。
バリアが何度か反応した。
それでも部隊への直撃は防いだ。

 腕の痺れが増した。
バリアのエネルギーが消耗していった。
体の各所に、小さな痛みが増えていった。

 しかし、ミレーヌは冷静だった。

 頃合いだ、とある瞬間に思った。

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### 三 ―双剣の射程―

 ミレーヌは左手を腰に回した。

 もう一本の剣があった。

 予備として携行していた剣だった。
普段は使わない。
主剣との二刀流は、ミレーヌが習得した戦法の中でも
使用頻度が低いものだった。
理由は単純で、二刀流は消耗が激しいからだった。
一本の剣を扱うより遥かに体力を使う。
長期戦には向かない。

 しかし今使う。

 ミレーヌは予備の剣を抜いた。

 両手に一本ずつ。左右に構えた。

 それを見たグリフォンは動きを止めた。

 何かを感じ取ったのかもしれない。
しかし何かは分からなかっただろう。
ミレーヌがこれまでと同じ距離にいる。
剣が増えたところで、射程は変わらないはずだ。
グリフォンはそう判断したはずだった。

 ミレーヌは射程ぎりぎり外を飛ぶ
グリフォンを見据えた。

 両眼が、グリフォンの動きを捉えた。
翼の動き。
重心の位置。
飛行の軌道。
次の瞬間の位置が、先読みの眼に映った。

 ミレーヌは両手の剣を、左右同時に振り下ろした。

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 左の斬撃が飛んだ。

 それを右の斬撃が、真後ろから追った。

 後から来た右の斬撃が、
前を行く左の斬撃に追いついた瞬間、
両者が合流した。

 二つの魔力刃が一つになった瞬間、
速度が跳ね上がった。
密度が増した。
前を行く斬撃が後ろの斬撃に押し出され、加速した。

 飛距離が伸びた。

 ミレーヌの計算では、
一本の剣で放つ斬撃の一・五倍ほどの射程になる。
二倍までは出ない。
しかし、これまでグリフォンが計算して保ってきた
「安全圏」の外側を、確実に超えていた。

 グリフォンが回避しようとした。

 しかし合流した斬撃の速度は、
グリフォンが想定していた速度をはるかに超えていた。
回避が間に合わなかった。

 後ろ足に当たった。

 いや、斬れた。

 グリフォンの後ろ足が、
二本とも、根元から斬り飛ばされた。

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 グリフォンが絶叫した。

 これまで聞いたことのない、高く鋭い叫びだった。
苦痛だけではなかった。
困惑があった。
理解できない事態への、純粋な混乱があった。

 あの距離から届くはずがなかった。

 その計算が完全に裏切られた。

 後ろ足を失ったグリフォンは、
飛行バランスが崩れた。
翼だけで飛行は続けられるが、
急激な方向転換ができなくなった。
旋回の半径が大きくなった。
速度を維持できなくなった。

 機動性が、根本から失われた。

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 エリィの魔法弾が、さらに密度を増した。

 機動性の落ちたグリフォンは、
豪雨のような魔法弾を回避しきれなかった。

 当たり始めた。

 一発当たる。
また一発当たる。
十発当たる。
百発当たる。

 グリフォンの外皮が、みるみるうちに削れていった。
傷が重なり、肉が露出し、魔法弾が深部に届き始めた。

 グリフォンが攻撃を放った。
しかし体勢が崩れていて、照準が定まらなかった。
地面に着弾して、誰にも当たらなかった。

 また魔法弾が当たった。

 グリフォンの翼の動きが鈍くなった。

 また当たった。

 翼が垂れ始めた。

 また当たった。

 グリフォンの体が、傾いた。

 傾きが、止まらなかった。

 重力が勝った。

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 グリフォンが落ちた。

 地響きが走った。
夜の大地が揺れた。
砂埃が上がり、木々が揺れた。

 巨大な体が、
二度、三度と地面を叩いて、止まった。

 動かなくなった。

 静寂が来た。

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 一秒あった。

 二秒あった。

 三秒目に、声が上がった。

 残っていた警察官たちが叫んだ。
疲労と痛みと恐怖を全部絞り出したような、
そういう声だった。
魔法師団の師団員たちも声を上げた。
抑制された師団員らしくない、
生の感情がそこにあった。

 勝った。

 その事実が、じわりと全員に染み渡っていった。

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 ミレーヌは両手の剣を下ろした。

 力を抜いた。

 腕が重かった。
肩の古傷が熱を持っていた。
脚のどこかが軋んでいた。
バリアのエネルギーは残り僅かだった。
体の各所に、戦闘の痛みが蓄積していた。

 それでも、立っていた。

 ミレーヌは空を仰いだ。

 グリフォンが落ちた空に、
穴が開いたように静けさがあった。

 深く、息を吐いた。

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 少し離れた場所でエリィが魔法弾を収束させていた。
夜空の光の豪雨が、雨上がりのように
静かに消えていった。
最後の一粒が消えた瞬間、夜空が元の暗さに戻った。

 エリィはミレーヌのところへ歩いてきた。

「ミレーヌさん、怪我は」

「動ける」

「それ、動けるかどうかの話じゃないです」
エリィは眉を寄せた。

「後で診てくれ。今は村だ」

 ミレーヌは前を向いた。

 夜の向こうに、ルノ村の灯りが見えた。

 かすかな灯りだった。
全部が消えているわけではなかった。
生きている灯りがあった。

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 ミレーヌは部隊を確認した。

 当初の警察官五十名のうち、
今ここに立っているのは二十名に満たなかった。
消えた者たちの数を、頭の中で数えた。
名前を覚えている者もいた。
今朝まで話していた者もいた。

 それを今は押し込めた。

 任務が終わるまで、押し込める。
それがミレーヌのやり方だった。

「前進する」ミレーヌは言った。

「村に向かう。生存者の確認と保護。
部隊の状態を確認しながら進め。
急ぐが無理はするな」

 副官が頷いた。

 部隊が動き始めた。

 エリィは魔法師団を率いながら、
ミレーヌの横に並んだ。

「双剣の射程延長技法」
エリィは歩きながら静かに言った。

「あれ、考えたんですか」

「試したのは今夜が初めてだ」

 エリィは少し沈黙した。

「……初めて?」

「頃合いだと思った」

 エリィはまた黙った。

 翡翠色の目が、複雑な光を帯びていた。

「ミレーヌさんって、本当に」

「なんだ」

「底が見えないです」

 ミレーヌは答えなかった。

 村への道を、前を向いたまま歩いた。

 夜風が吹いた。
戦場の匂いが、少しだけ遠ざかった。

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 その頃、ルノ村への道の別の方向に。

 一人の若者が、遠くに上がった砂埃と、
空に散った魔法弾の残光を眺めながら歩いていた。

 片手には、どこかで手に入れた肉まんがあった。

 フレデリックは砂埃の方向を一度見て、
また前を向いた。

 村に向かう道だった。

 旅の途中で、たまたまこちらに来ることになった。
それだけのことだった。

 それだけのことのはずだった。

 しかし、遠くに見えた魔法弾の残光に、
何か見覚えのある気配があった。

 フレデリックはもう一度、砂埃の方向を見た。

 それから肉まんを一口齧りながら、
村への道を歩き続けた。

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**(第十一章・了)**