第二百八十四弾「 神殺し ―覚醒の序章―」

第二百八十五弾「 神殺し ―覚醒の序章― その2」

第二百八十六弾「 神殺し ―覚醒の序章― その3」

第二百八十七弾「 神殺し ―覚醒の序章― その4」

第二百八十八弾「 神殺し ―覚醒の序章― その5」

の続きです

 

# 神殺し ―覚醒の序章―

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## 第九章 ―森の戦い―

### 一 ―灰色の波―

 二つ目の森に入った途端、空気が変わった。

 一つ目の森は整備された街道が通り、
木々の間隔も広く、日中であれば
光が十分に差し込む穏やかな林だった。
しかし二つ目の森は違った。
木々は密で、枝葉が頭上を覆い、
夕暮れ時の今はなおさら薄暗かった。
足元は根が張り出した不整地で、
隊列を維持しながら進むには気を遣う地形だった。

 ミレーヌは最前列の少し後ろを歩きながら、
周囲の気配を読んでいた。

 風の動き。
草の揺れ。
鳥の声が、ある時点から途絶えていた。

「速度を落とせ」

 ミレーヌが静かに言った。
副官が手信号で後方に伝える。
八十名の足並みがわずかに緩んだ。

 次の瞬間、茂みが動いた。

 一箇所ではなかった。
前方、左側面、右側面。
三方向から同時に、灰色の影が飛び出してきた。

 灰色狼の魔獣だった。

 通常の狼の二倍以上の体躯を持つ魔獣で、
毛皮は鈍く光る灰色、目は黄緑色に発光していた。
知能は通常の狼より高く、
集団で連携して獲物を追い詰める習性があった。

 ミレーヌは数を瞬時に数えた。二十体以上。

「散開。各自の担当範囲で対処。
バリア展開、ライフル起動」

 命令と同時に隊が動いた。
整然と散開し、各自がバリアジェネレーターを起動した。

体の周囲に薄い魔力膜が展開される。
ブラスターライフルのエネルギーセルに火が入り、
銃身が僅かに発光した。

 灰色狼が突進してきた。

 最初の一斉射撃で、前方から来た五体が倒れた。
残りは散って回り込もうとする。
側面から来た群れに対して警察官たちが対処に入る。

 戦闘は激しかったが、統制の取れた対処で進んだ。
灰色狼は強敵ではあったが、
五十名の装備した合同部隊の相手では数が足りなかった。

十分ほどで全滅した。

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 問題はその後だった。

 警察官たちが一息ついたその直後、
森の奥から地響きが来た。

 一つ、二つ、三つ――
規則的な間隔で、重い足音が近づいてきた。

 木々の間から現れたそれを見た瞬間、
前列の警察官の何人かが思わず後退した。

 グリズリーの魔獣だった。

 肩までの高さが人間の背丈を超える。
前脚の爪は剣と変わらぬ長さと鋭さを持ち、
毛皮は暗褐色で、通常の銃弾を弾く硬度があった。
目は赤く、魔力が外皮に充填されているせいで
全身がわずかに発光して見えた。

 十体。

 一列ではなく、扇形に広がりながら迫ってくる。
包囲の意図があった。
知能の高い魔獣特有の行動パターンだった。

 灰色狼との戦闘で既に疲労が蓄積していた。
ブラスターライフルのエネルギーセルも消耗していた。
幾人かは小さな傷を負っていた。

 その状態で、十体のグリズリーだった。

 隊の中に、重い緊張が走った。

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### 二 ―ミレーヌ、前へ―

「副官」

 ミレーヌは振り返らずに言った。

「はい」

「全体の指揮を任せる。
隊を二列に展開して側面を守れ。
グリズリーは正面から来る。
後退しながら誘導して、射線を確保し続けろ。
無理な突撃はするな」

「ミレーヌさんは」

「前に出る」

 副官は一瞬だけ言葉を詰まらせた。
しかし返事をした。

「了解しました」

 ミレーヌはすでに前に歩き出していた。

 腰の鞘から剣を抜いた。

 刃渡り七十センチほどの直剣だった。
派手な装飾はなく、実用一辺倒の造りだった。
しかし刀身は丁寧に手入れされ、
夕暮れの薄明かりの中でも
刃紋が見えるほどに研ぎ澄まされていた。

 ミレーヌは前に出た。
隊列から五メートル離れた場所で足を止めた。

 十体のグリズリーのうち、
一体が扇形の先頭に出ていた。
他の九体より一回り大きかった。
群れのリーダー格だと、ミレーヌは判断した。

 そのリーダー格が、ミレーヌを認識した。

 赤い目がミレーヌを捉え、
前脚の爪を地面に叩きつけた。
威嚇だった。
体重をかけた動作が地面を揺らし、
砕けた土が飛んだ。

 ミレーヌは動かなかった。

 剣を正眼に構えた。
右足を半歩後ろに引き、重心をわずかに落とした。

 グリズリーが来た。

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### 三 ―先読みの剣―

 突進は速かった。

 体重と速度が合わさった質量の塊が、
ミレーヌ目がけて直進してきた。
地面が揺れた。

木々の間を縫うように突進するその姿は、

それだけで恐怖の対象だった。

 ミレーヌの目が、グリズリーを捉えた。

 全体を見ていた。
頭から尾まで、前脚の動きから重心の位置まで、
全てを同時に処理していた。
速度の変化。
足の踏み込み角度。
肩の上がり方。
爪の向き。

 それらが組み合わさって、次の動作が見えた。

 見えた、という感覚は正確ではないかもしれない。
予測した、というのも少し違う。
感じた、という言葉が一番近かった。
相手が動こうとする意志の先に、
体の軌跡が透けて見える。
猟師の父から受け継いだその感覚を、
ミレーヌは軍での訓練と実戦の中で
研ぎ澄ませ続けてきた。

 グリズリーの右前脚が上がった。

 ミレーヌはその爪が振り下ろされる軌道を、
動き出す前に捉えていた。

 一歩、左に踏み込んだ。
爪が空気を裂いて地面に叩き込まれた。
ミレーヌがいた場所に深い引っかき傷が刻まれた。
地面が抉れた。

 ミレーヌはその瞬間にはすでに踏み込んでいた。

 グリズリーの首の付け根、
外皮の薄い部分を見極めて、剣を斜めに走らせた。

 一閃。

 グリズリーが呻いた。
よろめいた。
しかし倒れなかった。
体を旋回させて反撃に来た。
尾が薙ぎ払いのように横に来た。

 ミレーヌは低く潜った。

 尾がミレーヌの頭の上を通過した。
その直後、ミレーヌは再び立ち上がりながら
剣を上向きに走らせた。
今度は深く入った。
グリズリーが咆哮した。
大きく後退して、よろめきながら倒れた。

 ミレーヌは着地してすでに次を見ていた。

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 群れの中から二体目が来た。

 ミレーヌはその動き出しを、動く前に捉えていた。

 二体目は一体目より賢かった。
正面からではなく、左から来ながら
右前脚を大きく振り上げていた。
正面から来るふりをして
死角から爪を叩き込む動きだった。

 しかしミレーヌには、その軌道が見えていた。

 踏み込む足の角度が、
正面への突進のそれではなかった。
重心が左に傾いていた。
その傾きが向かう先に、爪の軌道が収束していた。

 ミレーヌは右に動いた。

 爪が左を薙いだ。
ミレーヌはすでに右にいなかった。
グリズリーの体の横に滑り込み、
脇腹に剣を深く差し込んだ。
前に進もうとする体の勢いを利用して、さらに深く。

 グリズリーが地面に沈んだ。

 着地と同時に、三体目が来た。

 今度は真後ろから、音を消して近づいていた。
気配を殺した低速の接近。
一体目と二体目がミレーヌの注意を引いている間に、
背後を取ろうとしていた。

 ミレーヌは振り返らなかった。

 周囲全体を見る目が、後方の気配を捉えていた。
木の根の踏み音の消え方、空気の微細な乱れ、
他の個体の視線の向き。
それらが三体目の位置を告げていた。

 ミレーヌは前に一歩踏み出しながら、
体を右に回転させた。

 三体目の爪がミレーヌの左肩を掠めた。
バリアが反応して衝撃を散らしたが、
それでも着地の際に体が流れた。

 流れた体勢のまま、
ミレーヌは剣を逆手に持ち替えた。

 三体目がのしかかってくる直前に、
剣先を上に向けて待った。

 三体目がその上に落ちてきた。

 重量と速度が剣を押し込んだ。

 三体目は動かなくなった。

 ミレーヌは剣を引き抜いて立ち上がった。
肩に鈍い痛みがあった。
バリアが衝撃を分散しきれなかった分が残っていた。
深刻な傷ではなかったが、無視はできなかった。

 三体、倒した。

 残りのグリズリーは七体。
後方では副官の指揮のもと、
警察官たちが対処に入っていた。
怒号と銃声と、
魔力の炸裂音が混じり合った音が森に響いていた。

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### 四 ―翡翠の砲火―

 エリィは師団員の三分の一に
支援攻撃の命令を出していた。

 残りの三分の二は魔力を温存させた。
グリフォンとの戦いが本命だった。
戦いの序盤で師団の魔力を使い果たせば、
本番で戦力が半減する。
指揮官としての判断は正しかった。

 支援に入った十名が、
各自の得意魔法で警察官を援護していた。
土属性の魔法使いが地面を操作して
グリズリーの足を固め、
風属性の魔法使いが切断の刃を飛ばして外皮を削った。
連携は洗練されていた。
一体のグリズリーを複数の属性で同時に攻撃し、
効率的に削り倒していく戦法だった。

 その中で、エリィだけが違うことをしていた。

 容赦がなかった。

 翡翠色の目が標的を捉えるたびに、
エリィの指先が動いた。
魔力の圧縮と解放が、
常人には追えない速度で繰り返された。

 一体のグリズリーが警察官に向かっていた。
バリアで防ごうとした警察官の足が、
恐怖からか一瞬止まった。

 その瞬間、
グリズリーの前脚がバリアに叩きつけられた。

 しかしグリズリーは吹き飛んでいた。

 エリィの放った風刃が、
グリズリーの側面を打ち抜いた。
消えた、という表現が正確なほどの速度と精度だった。
グリズリーは三メートル横に吹き飛び、
木の幹に激突して落ちた。

「大丈夫ですか!」

 エリィが声をかけた。
警察官が頷くのを見て、
すでに次の標的に向かっていた。

 指先に魔力が集まる。
圧縮される。
収束される。
解放される。

 その繰り返しが止まらなかった。

 隣の師団員が目を丸くした。

「師団長、魔力の消耗は」

「大丈夫です」
エリィは答えながら次の魔法を放った。

「まだまだ余裕あります」

 師団員は言葉を失った。

 エリィが放ち続けている魔法の出力は、
師団員の感覚では一般的な魔法使いの
全力行使に相当していた。
それを連続で放ち続けながら、
消耗した様子が微塵もなかった。
呼吸は乱れていない。
体の動きに疲れがない。
魔力の精度が下がっていない。

 師団員には知識として知っていたことが、
改めて実感として重なった。

 エリィ・ヴァルトシュタインの魔力保有量は、
通常の魔法使いとは次元が違う。

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 グリズリーの一体が、エリィに向かってきた。

 他の標的への攻撃で手が空いた個体が、
魔法を放ち続ける小さな少女を脅威と判断したのだろう。

真っすぐ、速く来た。

 エリィはそちらを向いた。

 表情が変わらなかった。

 翡翠色の目が、静かにグリズリーを捉えた。

 指先に集まる魔力の質が、先ほどまでとは異なった。
圧縮の密度が変わった。
周囲の師団員が、その変化を感じ取って一歩下がった。

 エリィが指を向けた。

 放った魔法は小さかった。

 光点ほどの大きさで、音もほとんどなかった。

 しかしグリズリーは一瞬で止まった。

 止まった、ではなかった。固まった。
グリズリーの全身を、
局所的に圧縮された大気が締め上げていた。
魔力の圧による拘束だった。
グリズリーは動けなかった。
呻いていたが、爪一本動かせなかった。

 エリィはそのまま右手を上げた。

「風刃、三番と五番、お願いします」

 師団員の二人が即座に呼応した。
風属性の刃が、
固定されたグリズリーに正確に叩き込まれた。

 グリズリーは倒れた。

「ありがとうございます」
エリィは言って、次の方向を向いた。

 隣の師団員は、
自分たちが「お手伝い」の立場になっていることに
気がついていたが、口には出さなかった。

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### 五 ―森の終わりに―

 グリズリーの最後の一体が倒れたのは、
戦闘開始から十五分後のことだった。

 森に静寂が戻った。

 倒れた魔獣の体が、あちこちに散らばっていた。
木々の幹には爪の跡と魔法の焦げ跡がついていた。
地面は抉れ、踏み荒らされていた。

 ミレーヌは剣の血を拭いながら、全体を確認した。

 警察官の負傷者が多かった。

 軽傷者は十数名。
歩けるが戦闘継続が難しい者が七名。
担架が必要な重傷者が三名。
全体として、戦力の三割近くに何らかの損耗があった。

 ミレーヌ自身の肩の痛みは、
動かせないほどではなかった。
しかし鈍い熱を持っていた。

 エリィが近づいてきた。

「ミレーヌさん、肩」

「問題ない」

「見せてください」
エリィは有無を言わさぬ口調で言った。

 ミレーヌは少し抵抗したが、
エリィに上着をずらされた。
打撲と擦過傷が混じったような傷があった。
エリィが指先に小さな光を灯し、患部にそっと当てた。
温かい感覚が広がり、
鈍い熱が和らいだ。回復魔法だった。

「大きな傷ではありませんでしたが、
放置は良くないです」

「……助かった」

「本番が残っていますから」
エリィは言った。
翡翠色の目が真剣だった。

 ミレーヌは頷いた。
それから副官を呼んで現状を整理した。

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 二人は少し離れた場所で向き合った。

「このまま続けるか、増援を待つか」
ミレーヌは言った。

「増援を要請して、負傷者を後送する」
エリィはすぐに答えた。

「そして私たちは先に進む」

「同意見だ」ミレーヌは言った。

「グリフォンは待ってくれない。
村人がまだ避難しきれていない可能性がある」

「警察側は何名継続できますか」

「三十名は動ける」

「師団側は全員継続できます」エリィは言った。

「魔力も十分あります」

 ミレーヌはエリィを一瞥した。

 先ほどの戦闘で、
エリィがどれだけの魔法を放ち続けたかは見ていた。
それで十分ある、というのは驚異だったが、
エリィが言うなら本当だろうとミレーヌは判断した。

「では増援要請と負傷者後送の手配をして、
三十名で先行する」

「はい」

「グリフォン戦の前提を確認する。
飛行中の相手に対して、
師団は対空魔法を何名出せるか」

 二人の声が小さくなり、
具体的な作戦の確認へと移っていった。

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 増援要請の通信が飛んだ。
負傷者が後送の準備を整えた。

 残った三十名の警察官たちの顔を、
ミレーヌは一人ずつ見た。

 疲れていた。
怖かっただろう。
しかし誰も後退しなかった。

 ミレーヌは短く言った。

「村人がいる。行くぞ」

 三十名が頷いた。

 合同部隊は再び動き始めた。

 森の出口の先に、夕暮れの空が広がっていた。

 その空のどこかから、
低い咆哮のような音が遠く響いてきた。

 グリフォンだった。

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**(第九章・了)**