第二百八十五弾「 神殺し ―覚醒の序章― その2」の続きです
# 神殺し ―覚醒の序章― その3
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## 第六章 ―孤狼の来歴―
### 一 ―灰になった村―
ミレーヌ・クロスフォードが生まれたのは、
ルパート王国の北東の果て、
山脈の麓に張り付くようにして存在する
小さな村だった。
村の名はハルゴ。地図にすら載っていない、
人口三十に満たない寒村だった。
冬は長く、雪は深く、土地は痩せていた。
豊かとは程遠い暮らしだったが、
村の人々はそれを嘆かなかった。
互いに助け合い、森の恵みを分かち合い、
春になれば子供たちが野を駆け回る、
そういう村だった。
ミレーヌの父、
エイノ・クロスフォードは
村一番の猟師だった。
身長は高くなかったが、体幹が異様に強く、
どんな悪天候でも山を歩き、どんな獲物も仕留めてきた。
弓の腕は村で随一であり、
山の地形を読む目は猛禽のように鋭く、
罠の仕掛け方から足跡の読み方まで、
森で生きるための技術を全て身に宿していた。
ミレーヌはそんな父親に、
幼い頃からべったりとくっついて育った。
母親のセラは優しい女性で、
ミレーヌのことを娘らしく育てようと
花の名前を教えたり、刺繍を教えたりと努力したが、
ミレーヌは三歳の頃には
もう小さな弓を持って父の後を追いかけていた。
「セラ、この子は猟師になるぞ」
とエイノは笑っていた。
「女の子なのに」
とセラは呆れながらも笑っていた。
ミレーヌは父から多くのことを学んだ。
弓の引き方。罠の仕掛け方。足跡の読み方。
風向きの読み方。獲物の習性。森の中での身の隠し方。
危険な獣と対峙したときの距離の取り方。
そして何より、恐怖を飼い慣らすこと。
恐ろしいと思う気持ちを消すのではなく、
それを呼吸に変えて、体の奥に沈めること。
「怖いのは当たり前だ」とエイノはよく言った。
「怖くないのは、鈍いか、馬鹿かのどちらかだ。
怖くても動けるようになること、それが本物の強さだ」
ミレーヌは七歳の頃には一人で罠を仕掛け、
八歳の頃には父と並んで山を歩き、
九歳の頃には弓で兎を仕留めることができた。
村の子供たちの中で、
ミレーヌはいつも少し浮いていた。
他の女の子たちが花冠を作って遊んでいるとき、
ミレーヌは木を削って弓矢を作っていた。
男の子たちが石を投げ合って遊んでいると、
気がつけばその中に混じって、
誰よりも正確に投げていた。
誰かが泣いていたら話を聞く前に
その原因を作った相手の元へ向かっていた。
大人たちは困ったように笑い、
セラは溜め息をついたが、
エイノだけは嬉しそうにしていた。
それがミレーヌにとっての、世界のすべてだった。
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ミレーヌが十一歳の初秋、それは終わった。
盗賊団がハルゴを襲ったのは、
夜明け前のことだった。
二十人以上の武装した男たちが、村を四方から囲んだ。
目的は金品と食料だった。
しかし彼らは最初から、証人を残すつもりはなかった。
ミレーヌが目を覚ましたのは、
隣の家が燃える音と、人の悲鳴だった。
エイノはすでに起きていて、
弓を手にして扉の傍に立っていた。
「ミレーヌ、床下に隠れろ」エイノは静かに言った。
「音を立てるな。出てくるな。俺が来るまで動くな」
「父さんは」
「いいから行け」
ミレーヌは床下の隠し空間に潜り込んだ。
板が上から閉じられる。
暗闇の中で、ミレーヌは膝を抱えた。
足音が聞こえた。
扉が蹴破られる音。
母の悲鳴。
父の怒鳴り声。
弓の弦が鳴る音が一度。
男の呻き声。
それから金属同士がぶつかる音。
何かが倒れる音。
それから、何も聞こえなくなった。
ミレーヌは板を持ち上げて出てきた。
父が倒れていた。
母も倒れていた。
ミレーヌは二人のそばに座り込んだ。
声を出さなかった。
出し方が分からなかった。
ただ、父の手を握った。冷たかった。
外では火が燃えていた。村が燃えていた。
ミレーヌはそのまま、夜明けになっても動かなかった。
体が動かなかった。
頭の中が、真っ白だった。
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警察が来たのは翌日の昼だった。
情報を掴んで盗賊団を追ってきた警察の一隊が、
煙の上がるハルゴに辿り着いた。
彼らが見つけたのは、焼け落ちた村と、遺体と、
一人だけ生き残っていた少女だった。
父と母の傍らで、じっと座っていた少女。
目は開いていたが、何も見ていなかった。
警察官の一人が声をかけた。
「大丈夫か」
ミレーヌは答えなかった。
男は膝をついてミレーヌと目を合わせた。
「怪我は?」
首を横に振った。
「名前は言えるか」
少しの間があって、ミレーヌは答えた。
「ミレーヌ・クロスフォード」
「そうか。ミレーヌ、一緒に来られるか。
トノパに連れて行く。安全な場所に行けるぞ」
ミレーヌは父の手を静かに地面に戻し
立ち上がった。
振り返らなかった。
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### 二 ―養護施設の孤高―
トノパの養護施設「聖ラン院」は、
王都の南区にある古い石造りの建物だった。
百年以上前に建てられたその施設には、
常時三十人前後の子供たちが暮らしていた。
孤児、棄て子、親に育てられない事情のある子供。
様々な事情を持つ子供たちが、
同じ屋根の下で生活していた。
ミレーヌはそこに入った。
最初の一週間、ミレーヌは一言も喋らなかった。
食事は取ったが、誰とも目を合わせなかった。
部屋の隅で膝を抱えて、壁を見ていた。
施設の管理人のシスターたちは心配したが、
無理に話しかけることはしなかった。
二週間目に、ミレーヌは施設の中庭に出た。
他の子供たちが遊んでいた。
ミレーヌは遠くから眺めていた。
子供たちの中の何人かが、
興味津々にミレーヌを見ていた。
三週間目に、ミレーヌは走り始めた。
朝、誰かが起き出す前に中庭に出て、ひたすら走った。
理由は分からなかった。
ただ走っていないと、頭の中に暗闇が広がってきた。
走っている間だけ、ハルゴが燃える光景が遠のいた。
それから木を見つけ、木の枝を削り始めた。
弓だった。
弦になるものを探し、矢を作り、
中庭の隅で一人で的を作って練習した。
父から教わったことを、
繰り返し繰り返し、体に叩き込んだ。
忘れまいとして。
施設の子供たちはミレーヌを不思議そうに眺めていた。
話しかける子も少しいたが、
ミレーヌの雰囲気に押されて、すぐに遠ざかっていった。
ミレーヌは孤立していたが、
それを寂しいとは思わなかった。
ハルゴを出てからというもの、
孤独は空気のようなものになっていた。
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施設に来て半年が経った頃、最初の事件が起きた。
王都の南区には、養護施設の子供たちを狙う
ゴロツキたちがいた。
金を持っていないのは知っているから金品目的ではない。
ただ弱い者を傷つけることを楽しむ、
そういう連中だった。
施設の子供たちは彼らの的にされることが多く、
シスターたちが警察に訴えても、
なかなか取り合ってもらえなかった。
その日の夕方、
施設の子供たちの何人かが外で遊んでいると、
ゴロツキが三人やってきた。
ミレーヌはたまたまその場にいた。
ゴロツキの一人が、幼い男の子の胸倉を掴んだ。
男の子が泣き声を上げる。
他の子供たちが怯えて固まる。
ミレーヌは間に割り込んだ。
「離せ」
ゴロツキは笑った。
「なんだ、女か。引っ込んでろ」
ミレーヌは答えなかった。
ゴロツキの腕を両手で掴み、捻り上げた。
エイノに教わったやり方だった。
獲物を締める罠の応用だった。
ゴロツキは驚いて男の子を放した。
「この……!」
ゴロツキが拳を振り上げた。
ミレーヌは身を低くしてそれを躱し、
逆に相手の重心を崩して転ばせた。
転んだゴロツキは頭を石畳に打って、
しばらく起き上がれなかった。
残りの二人が向かってきた。
ミレーヌは正面から迎え撃った。
最終的に三人全員が地面に転がり、
ミレーヌだけが立っていた。
唇が切れていた。
脇腹を蹴られていた。
しかし倒れなかった。
その場にいた子供たちは、
唖然として立ち尽くしていた。
ミレーヌはゴロツキの一人の胸倉を掴んで、
目を見据えて言った。
「次に来たら、もっと痛くする」
それ以来、ゴロツキたちはしばらく来なかった。
しかし懲りることなく月日が経つとまた現れた。
そのたびにミレーヌが出ていって返り討ちにした。
ゴロツキは増え、
中には大人の男も混じるようになったが、
ミレーヌは退かなかった。
体が傷つくたびに、ミレーヌは翌朝また走った。
翌朝また木を削った。
父から学んだ技術を磨き、
自分で考えた動きを繰り返した。
体が覚えた。
いつしか南区のゴロツキの間に言葉が広まった。
聖ラン院の女には手を出すな。あそこには鬼がいる。
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### 三 ―ガルドとの出会い―
ミレーヌが十四歳になった夏の夕暮れ、
それは起きた。
施設近くの路地で、
五人のゴロツキがミレーヌを囲んでいた。
今回は以前より手慣れた連中だった。
示し合わせたように四方から来て、
一人が囮になってミレーヌの注意を引き、
後ろから腕を掴もうとした。
それでもミレーヌは二人を倒した。
しかし五人は多かった。
押さえ込まれ、壁に叩きつけられた。
視界が揺れた。
それでも立ち上がった。
立ち上がれる間は諦めない、
それがミレーヌの唯一の信条だった。
三人目を蹴り飛ばしたとき、
路地の入口に人影が現れた。
大柄な男だった。
普段着姿だったが、その立ち方が違った。
軽く腕を組んで路地の奥を見ている、
ただそれだけの姿なのに、
何か圧倒的なものがそこにあった。
山がそこにある、というような。
「やめろ」
男は言った。
大きな声でもなかった。
しかしゴロツキたちの動きが止まった。
男はゆっくりと歩いてきた。
ゴロツキたちは何かを感じ取ったのか、
一人、また一人と退き始め、
最後には全員が路地から消えた。
ミレーヌは壁に手をついて立ちながら、男を見た。
「お前が助けたと思うなよ」とミレーヌは言った。
「今逃がしたのはお前のせいだ」
男は苦笑した。
「怪我は?」
「関係ない」
「唇が切れてる。脇腹も打ってるだろう」
「関係ない」
男はしゃがんで、
路地の石畳に落ちていた何かを拾い上げた。
ミレーヌの自作の弓だった。
一本折れていた。
「これ、自分で作ったか」
「返せ」
「腕がいい」男は言った。
「削りの精度が高い。誰かに習ったのか」
ミレーヌは答えなかった。
男はそれ以上聞かなかった。
折れた弓をミレーヌに渡し、踵を返しかけた。
「待て」
ミレーヌが言った。
自分でも、なぜそう言ったのか分からなかった。
男が振り返った。
「お前は何者だ」
「ガルド」男は答えた。
「軍の人間だ。近所に住んでいる」
「軍人なのか」
「ああ」
ミレーヌは折れた弓を見た。それから男を見た。
「強いか」
「まあ、人並みよりは」
嘘だ、とミレーヌは思った。
この男の立ち方は、人並みの人間のそれではない。
「確かめる」
ミレーヌはそう言って、拳を握った。
ガルドは目を丸くした。それから笑った。
「今から?」
「今から」
ガルドは少しだけ考えて、それから構えた。
ミレーヌは低く踏み込んだ。
父から習った動きに、
半年以上かけて自分なりに磨きをかけた動き。
速かった。
十四歳の少女の動きとは思えない鋭さがあった。
しかしガルドは、
その動きを一度見ただけで対処した。
ミレーヌの手首を、最小限の動きで掴んだ。
引かれる力を利用して重心を崩し、
気がつけばミレーヌは石畳の上に転がっていた。
一秒もかからなかった。
ミレーヌは天を仰いだ。
夕暮れの空が見えた。
悔しかった。
しかしそれよりも強い感情が、胸の中にあった。
これだ、と思った。
これほど強い人間がいるのか。
これほど技術を極めた人間がいるのか。
父が言っていた、
本物の強さというものが、ここにあるのか。
「終わりか」ガルドが上から覗き込んだ。
「終わらない」ミレーヌは立ち上がった。
三回挑んで三回転がされた。
最後にミレーヌはまた立ち上がりながら言った。
「教えてくれ」
ガルドは少し驚いた顔をした。
それから、また笑った。
今度は先ほどより少し柔らかい笑い方だった。
「軍に入れ。そうすれば教える」
「軍に入る年齢になったら必ず入る」
ミレーヌは言った。
「その時、お前の教え子にしろ」
「俺がまだ軍にいたらな」
「いろ」
ガルドは呆気に取られたような顔をした。
それから、腹の底から笑った。
路地に笑い声が響いた。
「……なんという娘だ」
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### 四 ―軍への入隊、そして頭角―
ミレーヌは約束を守った。
入隊可能な年齢に達した日の翌週には、
軍の入隊試験を受けていた。
試験官たちは女性の受験者に驚いたが、
試験の結果を見てさらに驚いた。
体力試験、戦闘試験、判断力試験、
すべての項目で、
その期の受験者の中で最上位に位置していた。
配属先を希望する欄に、
ミレーヌはためらいなく書いた。
ガルド・アッシュフォード軍曹の部隊を希望する。
ガルドは書類を見て、苦笑しながらも希望を通した。
訓練が始まった。
ガルドは容赦しなかった。
ミレーヌが女性であることを、
一度たりとも理由にしなかった。
他の新兵と全く同じ訓練を課した。
いや、ミレーヌにはそれ以上を求めた。
ミレーヌが出来るようになれば、
さらに高いものを求めた。
ミレーヌは一度も弱音を吐かなかった。
どれだけきつくても、
翌朝には起き上がって訓練場に立っていた。
倒れることはあっても、
起き上がれなくなることはなかった。
父が教えてくれた「恐怖を呼吸に変えること」を、
ミレーヌは疲労と痛みにも応用した。
痛くて当たり前だ。
きつくて当たり前だ。
それでも動けるようになること。
ガルドはその姿を、多くを言わずに見ていた。
半年後、ミレーヌの実力は部隊の中で群を抜いていた。
一年後、その名は部隊を超えて広まっていた。
若い女性兵士が、
場数を踏んだ男たちを相手に引けを取らない。
それどころか実戦形式の訓練では、
年上の古参兵を次々と倒して見せた。
弓の腕は言うまでもなく、格闘においても、
地形を読む眼においても、ミレーヌは際立っていた。
正式に部隊配備されてからも、その活躍は続いた。
初陣では最初から最後まで冷静に状況を読み、
部隊の危機を一人の判断で切り抜けた。
上官はその報告を聞いて目を丸くした。
二度目の実戦では、孤立した味方を単身で救出した。
三度目には、敵の伏兵をいち早く察知して
部隊全体の損害を最小にした。
入隊から一年も経たないうちに、
ミレーヌ・クロスフォードの名は
軍内の有名人として知れ渡った。
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しかし光が強ければ影も濃くなる。
ミレーヌの実績が積み上がるにつれ、
裏では囁きが広まった。
ガルド軍曹の愛人だという噂。
コネで引き立てられているという陰口。
あれほどの成果は捏造か誇張だという誹謗。
女のくせに生意気だという、
ただの嫉妬を知識で包んだような中傷。
ミレーヌの耳にも入った。
一度だけ、同期の兵士が面と向かって
その言葉を言ってきたことがあった。
酒が入っていたのかもしれない。
ミレーヌは感情的にはならなかった。
ただ静かに言った。
「今から訓練場に来い。実力で答えを出す」
その兵士は来なかった。
以来、ミレーヌに面と向かって
同じことを言う者はいなくなった。
陰では言われ続けたが、
ミレーヌはそちらを向かなかった。
父が言っていた。
森の中で、自分の足元を見ていない者は迷う。
他者の声に惑わされることは、
自分の足元から目を離すことだ、と。
ガルドは一度だけ、ミレーヌにその話をした。
「聞いているか、例の噂」
「聞いています」
「どう思う」
「放っておきます」ミレーヌは言った。
「ガルドさんへの侮辱は腹が立ちますが」
ガルドは苦笑した。
「俺への侮辱は気にするな」
「気にします」
「……相変わらずだな、お前は」
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### 五 ―激怒と別離―
事件は、ミレーヌが軍に入って三年目に起きた。
ガルド率いる部隊に、新たな任務が下された。
辺境に出没する武装集団の掃討作戦。
作戦立案は上位の作戦本部長、
シェイン将軍補佐が行った。
ガルドは作戦書を見て、懸念を申し出た。
想定している敵の規模と、
実際の現地の地形が合っていない。
この通りに動けば、
特定の地点で部隊が分断される危険がある。
補給線も薄すぎる。修正を進言した。
シェインは聞かなかった。
作戦は予定通り実行された。
ガルドの懸念は的中した。
部隊の右翼を担当していた新兵の一隊が孤立し、
増援が届く前に壊滅した。
若い兵士が六名、帰ってこなかった。
ガルドは残りの部隊を率いて作戦を成功に導いた。
辺境の武装集団は掃討され、地域は安定した。
作戦は結果として成功だった。
そしてその功績を、シェインは自分のものにした。
進言を無視した結果として新兵が死んだことは
報告書には一行で触れられただけで、
シェインの責任として問われることはなかった。
それどころか作戦全体の成功を評価され、
シェインは将軍への昇進が決まった。
ガルドは昇進の辞令式典が行われる直前、
シェインの執務室を訪ねた。
何を言ったのか、
室内にいたのは二人だけだったから詳細は分からない。
しかし廊下まで、ガルドの声が
聞こえたと言う者がいた。
怒鳴り声ではなかった。
しかし刃のような、静かで鋭い声だった。
数日後、ガルドに退役勧告が届いた。
表向きの理由は「上官への不敬行為」だった。
ガルドは退役した。
その事実を後から聞いたミレーヌは、
一日だけ訓練を休んだ。
何も食わず、何も飲まず、部屋に一人でいた。
翌日、ミレーヌは書類を用意した。
転属願いか、除隊届か。
ミレーヌが出した結論は、その両方でもなく、
その両方でもあるような選択だった。
通常の軍の命令系統から外れ、
王家直属として独立した指揮系統を持つ
近衛部隊への転属。
それが認められなければ除隊する、
という意思を添えて。
上官はミレーヌを引き留めようとした。
実績のある人材を手放したくなかった。
ミレーヌは言った。
「私はガルドさんが教えてくれた軍に入りたかった。
あの方がいない軍には、私の居場所はありません」
それだけを言って、書類を置いた。
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### 六 ―孤狼―
近衛部隊の選抜試験は、
軍内外から応募した優秀な人材が受験する、
最難関の試験だった。
ミレーヌは試験を受けるにあたり、
半年間、自分を作り直した。
軍での三年間で積み上げたものを、
さらに高いところに持っていくために。
感情の制御。判断の速度。体の無駄を削ること。
戦いの中で自分が何を見落とすか、
その弱点を徹底的に洗い出した。
ガルドが教えてくれたことの意味を、
改めて深く掘り下げた。
試験当日。
ミレーヌは並み居る受験者たちを、
一人ずつ叩き潰した。
感情的にではなく、冷静に、必要最低限の動きで。
怒っているわけでも、証明したいわけでも、
誰かへの恨みをぶつけているわけでもなかった。
ただ、今できる最高のものを出した。
それだけだった。
合格した。
近衛部隊に配属されてからも、
その評判はすぐに広まった。
実力は本物だった。
近衛部隊の中でも指折りの腕前であることは、
訓練を一度見れば誰にでも分かった。
美貌と実力の組み合わせは人の目を引いた。
近づいてみれば、その寡黙さと鋭さに気圧された。
いつしか彼女には、二つ名がついていた。
孤狼。
一頭で群れを抜け、誰にも従わず、誰にも媚びず、
それでいて誰よりも強い。
そういう意味で、
いつしかそう呼ばれるようになっていた。
ミレーヌ本人は、
その呼び名を特に好んでもいなかったし、
嫌ってもいなかった。
ただ一つ思うことがあるとすれば。
孤狼とは、群れを持たない狼のことではない。
ただ、自分の足で立っている狼のことだ。
父がそうだったように。
ガルドがそうだったように。
それで十分だった。
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そのミレーヌが今、警察署の廊下を歩いている。
独房に向かって。
一人の若者に会いに。
ドルガとブレイズを、数秒で沈めた男に。
孤狼が、初めて底の見えない何かに向かって、
自分から歩いていた。
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**(第六章・了)**