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ウィッツ青山学園高等学校 ★教員ブログ★

教職員が日替わりで学校の様子をお伝えします。

日中は天気も良く夏の陽気といったかんじでしたが、夜になると雨が降ってきました。まだまだ梅雨なんですね。


どうも、理科の古賀ですヽ(゜▽、゜)ノ


昨日の話になりますが、津市にある血液センターで献血ボランティアに参加してきました。


内容は献血を呼びかけるのではなく、七夕にちなんだ血液センターの飾りつけや呼びかけに使う看板の作製などを行いました。


飾り作製中

看板作製中


学校にあるボランティア委員会とその呼びかけに集まってくれた生徒で参加しました。

ボランティア委員会のメンバーは今回で3回目です(・ω・)/


作業自体も手慣れたもので、センターの方にも顔を覚えてもらえてましたwww


作業自体は滞りなく進みましたが、参加していた他の学校の生徒さんとはあまりコミュニケーションをとれていない様子も見受けられました。


このようなイベントに参加する目的の一つは、初対面の人とコミュニケーションをとる練習だと思ってます。

頑張って作業してくれていましたし、周りの子が女の子だったのもありますが、うちの子たちの課題はこういうところかなと思ったりしてしまいます。


次回は冬にクリスマスの飾りつけボランティアが行われます。その次は献血の呼びかけのボランティアに参加する予定です。


参加することは楽しみにしてくれているので、もっともっと初対面の人とお話ができるようになってくれたらいいな~と思いつつ、そうできるようなサポートをしてあげないとな!!

という決意が芽生えた今日この頃でした。


ではでは



いつの間にかホタルの姿を見なくなり、7月に入っていました。

だんだんと月日が経つのが早く感じるようになってきた巨人兵です。


計算問題です。

0×100=?


簡単すぎますね。



じゃあ、やる気○×気持ち100=夢の達成度にして考えてみましょう。



「気持ち」を「なりたいと思う気持ち」にしましょう。みんな夢を持っているはずです。だから誰もが100なはずです。

でも、「やる気」は人それぞれ数字が違うものだと思います。


夢を大きく持つのは、結構なことです。叶えてもらいたいと周りの人は思います。

でも、夢をかなえてくれるのは、周りの人じゃありません。自分自身です。

自分がプラスのやる気を出せば、夢は叶うでしょう。

でもこのやる気を維持にするのが難しいんですけどね、色んな環境や、感情変化などなどあって、マイナスになったり、0になったり、プラスになったり、常に変化をするものなんで・・・。


でも、たまたまやる気がプラスの時に、夢が叶ったとしましょう。それで終わりでしょうか?

次の日になって、やる気がマイナスになったら、「なんでこんなことしてるんだろう?」って、自分の夢に失望してしまいませんか?

偶然叶った夢なんて、長続きしないものですよ。


常にやる気をプラスで維持すること。これが自分の夢を叶える一番の方法なんだと私は思います。


生徒が言います。

「やる気になったら、出来るし。」「その時になったら、やる。」


これって、その時だけ夢が叶えば良いってことですよね?

あなたたちは、その時だけで満足ですか?


こんにちは。アキラです。

全国で天候による被害が相次いでいるようで、いつどこで起きてるかわからない以上、もしもの時のために常に気にかけておかなければならない時代のようです。

自然環境の変化もそうですが、世界における日本の立場もこれから大きく変化していきそうです。昨日は、学制見直しの提言も行われ、いろんな意味で変化を求められている時代なんだと感じるばかりです。

これまでも変化し続けているはずですが、ここ最近感じることが多いのは、今までが鈍感だったのか、少しは大人になって周りが見えるようになったのか、それともいままでに感じたことのない変化なのか・・・。

さて、生徒と話す機会がめっきり減っている立場ですが、
昨日、ある生徒と話す5分ほど話す機会がありました。

高卒資格は意味があるのか?

という問いです。

答えは簡単です。意味あるものにするかどうかは自分次第です。

「高校生活は充実していた」と将来言える人は、おそらく自分自身で何か行動を起こした人です。友だち作り、クラブ活動に入ること、何かで賞を取ったこと、全て自分が行動を起こしているはずです。

高校に限らず、学校と呼ばれる場所は、皆さんが行動を起こすためのキッカケを提供する所であり、それをコーディネートすることが教員の役割でもあります。だから最後は自分次第なのです。

彼いわく、中学から高校への進学時に、先生から中卒と高卒との生涯年収について聞かされ、高校進学を説得されたようです。だから「結局はお金だ」と言い放っていました。高校進学への動機づけ、また高校から大学進学への動機づけに、いつまでお金を持ち出すのでしょう・・・。
皆さまこんばんは!
梅雨らしい天気が続いていますね。

先日書道と美術の合同の授業に参加して、七夕の短冊作りをしました。
細かく切り絵をしたり、スパッタリング(絵の具をブラシにつけ、目の細かい網にこすって画用紙に絵の具を小さな霧状にして飛ばす方法)で色付けをしたり生徒によって様々な工夫が見られ、賑やかな短冊が並びました。
私も久しぶりに短冊作りをしましたが、初めて切り絵で短冊を作るのに挑戦しました。
時間はかなりかかってしまいましたが、何とか完成することができました。
普段1つのことに無心になって取り組むことはなかなかないですが、時々芸術に関することでも、何か興味があることでも没頭できることがあるのは良いことですね。
皆さんも何か1つでも無心で没頭できるものを見つけられてはいかがでしょうか(^-^)/

母さん先生が油絵にじっくり取り組まれているのに思い切り影響されて(笑)、私も油絵をやってみようと密かに決意したふるちゃんでした。

それではまた。

ミマです。

今更ながら、私は文章を書くのが得意ではありません。


中学校の頃通っていた塾では、絶望され挙句の果てには、これはこれで笑えるとまで言われました。

ですが、私にとって救いだったのは、書くことは不得意でも読むことは好きだったことだと思います。


よく本や新聞を読んでいて全く逆のことが別の本や新聞に載っていたりします。

そんな時、どんな風にその情報を受け止めていますか。


今という時代は、インターネットが生活には必要不可欠な時代です。情報化社会と言われ情報が交錯し何が本当のことなのか分かりにくい時代だと思います。


今日、生徒の1人から「ネットにはいろいろなことが書かれていて何を信じていいか分からない」と言われました。

簡単に情報が手に入る時代です。

情報を選びましょう。必要な情報を見極めましょう。など簡単に言ってしまいますが、間違った情報の方がそれらしく書かれていたりと見極めるのは非常に難しいことです。

最近では、詐欺や犯罪に巻き込まれたりと便利な反面、危険もあることを十分理解してインターネットは利用して欲しいと考えています。


「信じるか、信じないかはあなた次第です」と、よく耳にするように情報は受け取る側に判断が任されているわけですから安易に鵜のみにせず、正しくメディアを活用して欲しいです。


これを機会にメディアの使い方や情報の受け止め方について考えてみませんか。


では、また...おやすみなさい



昨日までの雨模様が嘘のような天気で、草、木にとっても、人間にとっても(?)うれしい1日でしたが、みなさんの地域ではどうでしたでしょうか?


どうも、理科の古賀ですヽ(゜▽、゜)ノ


来週には七夕があるということで本日の美術と書道の時間には短冊作りが行われました!!


毎年何か新しい短冊を作ろうと工夫している赫映先生ですが、今年は紙ではなく竹で短冊を作ることになりました。


竹短冊
生徒が作った竹短冊です。



元ウィッツの先生から竹をいただき、自分たちで短冊の形に切ったり、やすったり、穴をあけたりと工作しながら作りました。


毎年違った何かで生徒が喜んでくれるといいですね。


更に!?

6月のやなせ宿に続き、7月は地域でたくさんのお祭りが行われます。



地域の納涼祭りにもたこ焼きづくりや芸能披露などでお手伝いさせていただこうと思いますので、ご都合がよろしければぜひご来場ください!!


このお祭りの1週間前にも別のお祭りのお手伝いをさせていただく予定です。


7月は学校行事が少ないかわりに、地域のイベントが盛りだくさんですね。


そして8月には意育プロジェクトの中間報告会も行われます。

生徒のみなさんは大忙しですね。


今年もあっという間に夏が過ぎていくことになると思います。

時間を無駄にせずに有意義な夏にしたいところです。


生徒の成長とお祭りの成功を祈りつつ、本日はこのへんで

ではでは

こんばんは。

久しぶりに放課後バスケをしたら、頭から転倒したわっきーです(T_T)


六月も今日で終わり、明日から七月が始まります。



一日の終わりにその日の出来事を振り返り、明日は今日以上によくあろうと考えるように

月の終わりには一か月を振り返り、来月は今月以上によくあろうと考えます。


昔から楽観的な所があり、よく父親に「考えが甘い」と叱られることが多かった学生時代ですが

教師という仕事に就いた今となっては、常になにかを考えています。

考え事をしている時はたいていにやにやしているか、しかめっつらをしています(笑)


いきなりですが、ここで、ひとつ質問をします。

なぜ、歴史を学ぶと思いますか?

自分の心の中で自問自答してみてください。


各々答えが見つかったと思います。

私の答えはこうです。


人間は長い歴史の中で、失敗と成功を繰り返してきました。

この場で表すことを不可能ですが、歴史には多くの教訓が

詰まっています。私たちは歴史から教訓を学び今に活かし

未来につなげるために学ぶのだと思います。

科学が日々進歩するように我々も進歩していかなければならないと思います。


もちろん、教科書の歴史に限ったことではありません。

私たち個人にも何十年間の歴史があります。

友達と喧嘩したこと、失恋したこと、仕事で失敗したこと

歴史とは過去の出来事ではありますが、私たちが変わるための材料が沢山あります。


歴史(過去)は振り返るものであって、繰り返すものではない。

過去に失敗をした人は今度は成功にできるように、過去に成功出来た人はもっと大きな成功

ができるように歴史を学ぶのだと私は思います。



少し長くなりましたが、みなさんも一日の終わりや月の終わりは自分を振り返ってみてはどうでしょうか。

それでは('-^*)/




こんばんは ミマです。

休日の今日、お母さん先生やふるちゃん先生とスイミングに行ってきました。

久しぶりに水に入りとても気持ちが良かったです。


体を動かしてリフレッシュすると気持ちが良いですね(*´∀`)ノ


さて、早いもので3年生の専門学校に進学予定の生徒の中には、面接を今日受けた生徒や間近に迫った生徒がいます。

私は、6月に進路先が決まってしまうのは早い気もしているのですが、それだけ早くから、やりたい事や進みたい道が決まっているのはいいことだとも思っています。

早く決まって、気を抜くのではなくより一層気を引き締めて残りの学校生活を過ごして欲しいと思います。


ところで、今読んでいる本の中になるほどと思う文が載っていたので紹介したいと思います。

「人に影響を与えられる人....他人への影響力は、自分への影響力に比例します。他人の考えを変えたいと思うならば、まず自分の考え方を変えてみることです。」


生徒の面接練習をしていて、自分の価値観や常識からは考えられない答えや行動が返ってきたりしていました。

その度に自分の考えを押し付けていたような気がします。

「一般的には..」「普通は..」などの言葉で生徒の言葉や行動を自分の常識に近づけようとしていました。しかし、面接とは生徒自信を見せる場であり、どこにでもある様な「一般的」「普通」を作って見せる場でないと今は考えています。

生徒が、自分の考えをもってやったことならば、結果が悪くてもその方が生徒自身も納得がいくのではないか。と、ある先生にも言われました。


もちろん、練習やマナーなどは大切で学んでおくべきだと思っていますが、生徒が自分の行動に意味や自分なりの考えを持てるような関わりができるように私自身の考えを深めていこうと思います。



梅雨らしいお天気でした。


先週に続き、今週も土曜日に宿直&ブログの赫映です、こんばんは。


気付けばサッカーの日本代表は予選リーグ敗退でした。


いつの間にかプロ野球も交流戦が終わって、


オールスターのファン投票結果まで発表されていました。


そのうち、梅雨も明けてくれるのかな?と思っていますが…。


さて、来週からは、7月に入っていきます。


世間の学校は夏休みまでもう少し?ですかね。


ウィッツは8月8日が終業式ですから、期末テストまであと1ヵ月ぐらいです。


7月に入ると、七夕があります。


書道の講習会で木簡・竹簡に字を書くというのに参加してきました。


書道の時間に、竹や木にお願いごとを書いて、今年は飾ろうかと思っています。


ただ、お願い事は、祈るばかりでなく、努力をしないとかなわないということも。


みなさんの願いが叶いますようにニコちゃん



忙しい1週間も今日で終わりになりました。

今週は、福祉・介護体験から始まり、いつもの学校生活とは違う1週間で、生徒はいつも以上に体力的にも精神的にも疲れてしまった1週間だったと思います。


こんばんは。巨人兵です。



質問です。「あなたは、考えてから行動しますか?それとも行動してから考えますか?」


どちらが正しいのでしょうか?


大人や先生は言います。


「考えて行動しなさい。」って。


でも、初めてのことや未体験のことを考えても、「怖い。」「失敗したら・・・。」と考えてしまって、「だから止めとこ。」って思いますよね?

つまり、先に考えてたら、ずっと今のまま進歩なく、新しいことができないってことになりませんか?


そう考えると、自分たちが使っている「考えてから行動しなさい。」って言葉は、子どもの可能性を奪っているのと同じですよね?


何でもある世の中です。食べ物だって、遊ぶものだって。何の不自由も特にありません。

全部、最初からあるのですから。


でも新しいものや、今以上のことを知ることも、経験することもありません。

それでも「考えてから行動しなさい。」って言えますか?