こんにちわー!

昨日はブログでも紹介した「材料
二つのバーグ」を作ってみました。
ネギがたくさんあるので、刻んで
入れたので材料3つ(プラス塩コショウ)
ですが。

レンズ豆は一回茹でこぼししてから
ひたひたの水で茹でました。
茹でるというより、炊くという感じ?
かなりドロドロになり、粒々は残って
以内状態に。(粒々感があったほうが
よかったかな、と後で思いました。)
それにオートミールとネギを足して
形成して(手できれいに丸められ
ます。)焼いただけ。

焼く前

 

 

焼き上がり




トマトソースをかけて、ご飯のおかずに。
ご飯はもち麦もち玄米アマランサス
キヌア、黒インゲン豆。

このバーグとご飯のコラボは炭水化物だらけ(笑)

8割カーボ。
でも栄養価は素晴らしい。
添加油、精製糖、添加物フリー。
超高食物繊維!

レンズ豆は豆の中で最も抗酸化力が
強く、断トツで鉄が多く、マグネシウム
や亜鉛も豊富。
玄米やキヌアなどもミネラル豊富。

こういうメニューは体が喜ばないわけ
がありません。植物のパワーがぎゅっと
濃縮されてるような気がしました。

今日はレンズ豆の粒々感を残してまた作って

みようと思います。

フォークスオーバーナイブスの体験談
はおっちゃんやおばはんが多いけど
若いおねーちゃんの話もあります。
今日は肥満と格闘するアリソンという
お姉ちゃんの話。

読んでて共感しまくりました。
 

私も青春時代が人生最大のデブで
周りの子たちのようなおしゃれも
男女交際(笑)も無縁で、暗い日々でした。
あの頃は若い子向けの大きいサイズの服
なんてなくて、おばはん用のダサい服や
メンズの服ばかり着てました。
 

パンプスは履けず、靴は一年中スニーカー。
階段を1階分登るだけで息切れ。
 

私の家も、両親の仲が悪く、父は毎日酔っぱらって、

暴力をふるう人で、私もアリソンのように、食べる

ことで自分を慰めるしかなかったような。
 

時々取りつかれたようにダイエットして
少し痩せても、気持ちが切れた途端リバウンド。

その繰り返し。
自尊心はいつもボロボロでした。

アリソン、45㎏痩せても日本人の目から
見ればまだまだ巨漢ですが、でも痩せれて
よかった。健康になれてよかった~。

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プラントベース食で2年で45㎏減量

By Allyson Reilly  2018年10月9日

物心ついた時から私は太っていました。
よく「顔がかわいい女の子」と言われてました。
思い起こすと、体重増加はまだとても若い時期

に始まったと思います。
両親は仲が悪く、常に喧嘩と口論が絶えません
でした。
私は食べ物で自分を慰め、幸福感を得ようと
しました。
でもそれはほんのひと時だけです。
 

私の持つ自分自身に対するイメージは鏡の中から

見つめ返す女の子とは一致していませんでした。

●流行りのダイエットに振り回され、
恐れから自分を孤立させる。

若いころから流行りのダイエットに手を
出しはじめました。
糖質量を管理し、十分な蛋白質を摂り、
食べる量を制限して、小食にしました。
この方法で、1,2か月の間はうまく行くのですが、

そのうち前の食習慣に徐々に戻っていってしまう

のでした。
 

結局のところこれら流行のダイエットというのは

持続不可能なのです。
特に、大幅に体重を落とす必要がある人にとっては。
 

私は失敗するたびに自分が落ちこぼれのように
感じ、自尊心が失われました。

20才になった頃、どん底に達しました。
もう絶対に自分の力では体重は減らせないと
感じ、とても惨めでした。


友人たちのような生活が送れていませんでした。
わけのわからない恐れ、人からどう見られるか
という恐れから、自分で行動を制限していました。
 

映画館やレストランで、あの椅子にお尻が入る

かしらとか、私のサイズの素敵な服は見つかる

かしら、といったことも考えなくてはいけませんでした。

糖尿病になりかけの状態だったのでかかりつけ
のドクターを受診し、ドクターは胃の肥満手術
を勧めました。
それで手術の待ちリストに名前を入れてもらい
ました。
その手術が望んでいた奇跡をもたらすなんて
いう希望はほんのわずかしか感じていません

でしたが、しかし4年たって24才になっても、

まだ順番待ちの状態で、手術が受けられる日を
待ち続けていました。
体重は163㎏にまで爆増していました。
 

かがんで靴下を履く、靴紐を結ぶといった
日常動作にさえ支障が出ていました。
 

朝起きるのもだんだんと難しくなり、私の
人生には何の目的もない、と感じていました。

2016年、私はひどい抑うつ状態となりまるまる
ひと夏を自室に引きこもって過ごしました。
もう「普通」の生活を送るという希望すら
諦めていました。
 

その後、全身に発疹が出始めました。
主治医はその痛みを抑えるためにステロイドの
クリームを処方し、抗アレルギー剤も飲みましたが、

まったく効きませんでした。
この謎の発疹は何か月も続きました。

●限界点と出発点

私は文字通りに(そして感情的にも)
社会不適応となり限界点に達しました。
 

「奇跡をもたらす手術」に期待することも
どうでもよくなってきました。
自分で人生をコントロールするべきだ、と
思いましたが、どうしていいかわかりません
でした。
 

そして母が何か別の方法はないかと探し
はじめたのです。
母は何か希望の光はないだろうかと調べ、
プラントベースホールフード食に移行
する援助をしている専門の健康指導の会社
を見つけました。
 

私はそこの人達と会うことに同意しました。
「プラントベース食」なんて、どういうもの
かさえ知りませんでしたが。

2016年10月、私はそこのコーチ達に会いました。
生まれて初めて、減量は可能であり維持して
いくことができると心から信じることができ、

両足を揃えて飛び込みました。
 

マンツーマンの指導を受け始め、プラントベース食の

料理も学びました。
 

ついに私はうまくいく方法を見つけたのです。
お腹いっぱいになるまで食べました。

自分で制限することはしませんでした。
本当に体が喜ぶ食事を作りました。

プラントベース食を始めて2週間後、発疹は
完全に消えました。
体のエネルギーが増え始めました。
良く眠れるようになりました。

体が軽く感じました。

体が変わっていっているのに気が付きました。
 

そのうち、毎日のルーティーンに運動を
入れていくことができるようになりました。
そして、体重が溶けていくように落ち始め、
いくつかの健康問題も一緒に消えていきました。

●前進していく

2017年3月、ついにずっと待っていた電話を

もらいました。肥満手術の順番が回ってきたのです。
 

でもこう言えるぐらい私は強くなっていました。
「私は自分の力で減量できますから、手術は
受けません。」

現在までに、私は体重を首尾よく45㎏以上
落とすことができました。
そして、再び社会に適応できるようになって
います。
 

今は、ランニングと山登りをし、より健康的な生活

を送っています。

他の人を非難するのをやめ、自分の状況を
受け入れるようにしたら、視界が明瞭になり、
自分をコントロールすることができ、自分が
どんな人生を送りたいか、自分の体をどうしたいか、
を自分で選択していけることがわかりました。
奇跡的な治療法などない、というのが真理です。

ホールフードのプラントベース食に移行
することはかなりの努力が要りますし、
ライフスタイル、行動様式、優先順位も
変えていくことになります。
 

しかし、一つだけ私がアドバイスするなら
こう言います;

「先延ばししないで。一気に飛び込んで。
後ろを振り向かないで。絶対後悔しないから。」


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