令和6年(2024年)3月14日㈭


「令和6年3月中旬の旅」2日目の朝は兵庫県姫路市に来ました。久しぶりの姫路城訪問。


*この記事の続きです。

*2022年10月に訪れた姫路城


右は姫路城チケット売り場、左の建物は姫路城管理事務所。姫路城の100名城スタンプは姫路城管理事務所の中、 チケット売り場の左手にあります(ゲートの手前なので姫路城に入らなくても押せます)。

 


姫路城管理事務所に設置されている日本100名城スタンプラリースタンプを押しました。

2023年5月から(個人的に)集め始めた日本100名城スタンプ及び続日本100名城スタンプ、スタンプを押すためにこれまでに訪れた城も再訪しています。

今回の姫路城再訪もスタンプを押すためでした。

スタンプを押した後は有料エリアに入城。

入城料金  大人(18才以上) 1,000円 

開城時間  午前9時00分から午後5時00分まで(閉門は午後4時00分) 

休城日 12月29日・30日 



姫路城入城口裏に設置されているコインロッカーは100円で使用可能、こちらに荷物を預けて城内を巡りました。


大天守内の階段。

今回の姫路城内で撮影した画像は以下から







姫路城内売店にて御城印と城カードを購入


有料エリアを出て姫山公園方面へ

姫路神社にお参り

姫路神社

兵庫県県姫路市に鎮座する藩祖を祀った神社のひとつ。 祭神は、姫路藩の後半を統治した酒井家に縁のある酒井正親と姫路藩酒井家歴代藩主。旧社格は県社。姫路城のある姫山公園に立地し、天守閣からは鬼門である艮の方角に当たる。
明治4年(1871年)の廃藩置県に伴い、10代120年余りに亘って姫路藩を治めてきた酒井家は、東京へ移住することとなった。旧藩臣・旧領民らは酒井家への思慕の念から明治12年(1879年)、酒井家遠祖の新田義貞の裔、酒井正親を祀る神社を創建した。これが姫路神社の起こりである。昭和2年、

姫路城内の官有地であった現在地に鎮座した。







拝殿

御朱印は社務所前の書き置きが箱に置かれた
「セルフ式御朱印」でした。







北勢門跡から姫山公園を出ました。








北勢門跡付近の船場川

清水門跡

説明板によると

清水門跡 

船場川沿いに設けられた城門の一つである。中曲輪西側北方にあり、枡形内に設けられた「鷺の清水」に因んでこの名がつけられた。外門は西向きの脇門付高麗門で、内門は南向きの脇門付櫓門で、外門内に番所が設けられていた。清水門を入って南に向かうと 北勢隠門に着く。
清水門跡から見た大天守


鷺の清水、復元された井戸




説明板によると

鷺の清水 

この石組井戸は、古くから名水として知られた「鷺の清水」である。 宝暦十二年(一七六二年)の地誌『播磨鑑』によれば、「鷺の清水」は、赤松義村(一五二一年没)の時代から、播磨十水の一つに数えられており、風味がよく茶の湯にも利用されていたという。ただこの場所は清水門の外門の内側に位置しており、一般の人は水が汲めないので、船場川に流れ落ちる涌水で茶をたてたといわれている。 井戸の規模は、東西二・八メートル、南北六メートル、深さ二・五メートルで、さらに井戸底面の中央に直系一・三メートル、深さ二・四メートルの木枠の井戸が設けられている。 この遺構は、由来・形状に特徴があり、往時の姿が概ね復元できたことから姫路城跡でも最も重要な遺構の一つである。 

鷺の清水









姫路市立美術館の前に来ました。

赤レンガの外観を眺めるだけ、入場せず

*姫路城の中曲輪内北部の広大な平面幾何学式庭園を囲むように配置する赤レンガ造の美術館の建物群は、姫路陸軍兵器支廠(のち第十師団兵器部)の西倉庫として1905年に建築、1913年に増築されたもので、敗戦後に姫路市役所として利用したのちに美術館として再生利用したものである。12003年には国の登録有形文化財に登録された。

wikipediaより引用
喜斎門跡 

説明板によると

喜斎門は搦手に位置する門で、姫路城の特徴の一つである螺旋状の縄張は、この場所で一回目の旋回が終わり、二回目に移る。 門へ侵入する道は東から来て南に折れている。 門内は東南方を濠で囲われ、西方は二の丸に接し、北方は勢隠に続いている











城見台公園

噴水の前から姫路城が見えるとのこと



噴水の前から見た大天守


城見台公園は武家屋敷跡地