姫路城

兵庫県姫路市 姫路公園

令和6年(2024年)3月14日㈭ 撮影



姫路城有料エリアに来ました。天守を観覧後、西の丸へ。


*これら記事の続きです。








西の丸南門跡



西の丸、ワの櫓が見えてきました。


ワの渡櫓と百間廊下

*西の丸 

西の丸は本多忠政が伊勢桑名から移ってきた時に整備・拡張された曲輪。北端に位置する化粧櫓及び櫓群と、これらを結ぶ渡櫓(長局)が残っている。これら渡櫓は西の丸整備を命じた幕府老中連判状に特に明記されている。 






ワの櫓の脇、カの渡櫓から「百間廊下」に入ります。




*渡櫓(長局) 

渡櫓の城外側は幅1間の廊下が「カの渡櫓」から「レの渡櫓」まで長さ約121間(約240m)に渡って連なっており「百間廊下」と呼ばれている。城外に向けて石落としや狭間、鉄砲の煙出しの窓も付設されている。城内側は侍女達の部屋があり主室と付属室などに区分され長局を構成している[57]。昭和の大修理の際に、草花模様で彩色した痕跡のある柱が発見されている。













約240mの渡櫓、長い!









窓からは外を見ました。












千姫色彩乾漆座像

怖い!


















レの渡櫓から先は化粧櫓、入れませんでした。






レの渡櫓から外に出ました。右は化粧櫓

*化粧櫓 

化粧櫓は、千姫が忠政の嫡男・忠刻に輿入れする際の化粧料10万石で1618年(元和4年)に建てられたものである。外観は二重二階、内部は畳が敷かれた座敷部屋が3室に区分され床の間がある奥御殿になっている。戦前の修理までは、化粧櫓にはその名の通り当時の化粧品の跡が残っていたという。 千姫は西の丸内に設けられた中書丸(天樹院丸)と三の丸脇の武蔵野御殿に住んでいたが、いずれも現在は失われている


化粧櫓の前からみた百間廊下

ぬの櫓、レの渡櫓、化粧櫓


西の丸から見た大天守







出口へ向かいます。

入城口裏のコインロッカーに預けた荷物を受取



姫路城内売店にて御城印と城カードを購入







有料エリアの外に出ました。

三の丸には「官兵衛普請の石垣」






























姫路神社にお参り