姫路城

兵庫県姫路市 姫路公園

令和6年(2024年)3月14日㈭ 撮影



姫路城天守を観覧後、備前丸に出ました。


*この記事の続きです。



姫路城を訪れるのは2年ぶり

*2022年10月に訪れた姫路城









*備前丸


城主の居館は当初、天守台の下にある本丸にあって「備前丸」といった。これは池田輝政の所領備前国にちなむ名である。しかし、備前丸も山上で使いづらいため、本多忠政は三の丸に本城と称する館を建てて住んだ。以降の城主は本城、あるいは中曲輪の市の橋門内の西屋敷に居住している。
旧番所







井郭櫓



井郭櫓内の井戸



備前門

備前門から先の石垣は転用石の石棺(せっかん)、奥に見えるのは、りの門 

説明板によると

石棺 

備前門の入口脇にはきれいに加工された直方体の石が縦に積まれています。これは、古墳に埋葬されていた石棺の身で、築城の際に石垣に転用されたものです。その他の石垣にも組合式石棺の側石や底石なども転用されています。こうした古墳の石棺が積石として多く多用されているのが、姫路城の石垣の特徴です。築城によって、姫路近辺にあった古墳がいくつも破壊されたことが想像できます。

りの門





二の丸上山里曲輪

上山里曲輪 ぬの門 - 脇戸付きの鉄板張り二重櫓門。一層目は鉄格子窓、二層目は出格子窓。東側石垣に巨石を置き鏡石としている。 


 「お菊井戸」

 「お菊井戸」と呼ばれる井戸が現存し石碑も建っているが、本来は「釣瓶取(つるべとり)の井戸」と呼ばれていたものである。帯曲輪櫓の「腹切丸」共々、大正時代の姫路城一般公開以後にそう呼ばれるようになったもので、それ以前は中曲輪東北端にある桐の馬場(現・兵庫県立姫路東高等学校や国立病院機構姫路医療センターの東裏手付近)に有った井戸がお菊の井戸だとされていた。






帯曲輪(腹切丸)帯郭櫓

チの櫓、リの一渡櫓、リの二渡櫓


「お菊井戸」と大天守

りの二渡櫓

りの二渡櫓には歴代の鯱が展示。







りの一渡櫓の内部

ぬの門を潜り





ぬの門



をの門跡



菱の門を潜り

西の丸へ



西の丸南門跡



西の丸百間廊下へ