令和6年(2024年)3月14日㈭


「令和6年3月中旬の旅」2日目の朝は兵庫県姫路市から

宿泊した姫路駅前の姫路駅前ユニバーサルホテル南口の部屋からは姫路駅を発着する新幹線を眺められました

*この記事の続きです。


8時過ぎに姫路駅前ユニバーサルホテル南口をチェックアウト



姫路駅南口から構内自由通路を通り抜けて

姫路駅姫路城口(北口)へ、大手前通りの先、国宝の姫路城へ向かいます。







姫路駅姫路城口(北口)にはこのような説明板。


姫路城の外壕跡
説明板の文

姫路城の外濠跡

 このあたりは、かって姫路城 の外濠で、ここから内側が城内となります。 外濠の幅は約14m、全長は4232mで、総面積は230㌶で東京ディズニーランドの約4・5倍で、江戸城・小田原城・大阪城 に次ぐ面積を誇ります。

さらに進むとまたもや説明板

説明板には

光源寺跡 

戦前、この場所には本願寺派 の寺、遍照山光源寺があった。光源寺は1491年(延徳3)、本願寺蓮如 の弟子・浄覚 が飾磨津(現在の飾磨区細江)に創建した名刹で、古くは播磨六坊の一つに数えられ、1648年(慶安元)にこの地に移ってきたといいます。戦前のお堂は亀山本徳寺が維新前に大改築した際に移築されたものといわれますが空襲で全焼し、戦後、ここから400mほど西に新築移転されました。 


説明板によると

旧山陽道 西国街道

この東西の道が旧西国街道で江戸時代には大名行列などが行き交うメインストリートでした。またこの場所には大名などが宿泊する国府寺家の本陣がありました。 三代将軍徳川家光公の時代、姫路城主だった本多忠政公が中堀を浚渫した泥土を、ここから西の坂元町に敷いたため旅人が難渋し、それから人々はここ先で左に折れ、俵町(現在は西二階町)から備前門に向かったといいます。
「大手前交差点」では大手前通りと国道2号が交差。直進すれば姫路城公園は近いですが


このあたりは姫路城の石垣が残っています。大手前交差点に残る中ノ門跡






中ノ門跡から先にも土塁と石垣

過去に何度も訪れた姫路城、今回はいつもと違うルートで姫路城公園へ向かいます。

大手前交差点から国道2号線を左に進み
石垣と土塁が長く続きます。

中ノ門跡の説明板









石碑がありました。姫路城に関連したものと思いきや

国道二号建設之碑でした。







中ノ門跡から280m、高い石垣が見えてきました。

鵰門跡 (くまたかもんあと)





またまだ土塁と石垣が続きます。



埋門跡(うずみもんあと)が見えてきました。

どうやら埋門で土塁と石垣は途切れるようです。



埋門から左に曲がり姫路城公園の方向へ

姫路城の遺構がこのように残っているとは!

遠回りしてよかった。









東門石垣





濠ではなく船場川のようです。





まだ桜には早かったようです。

市丿櫓門跡に出ました。右に進むと姫路城公園





千姫の小径












好古園の前を通り過ぎます。


好古園

姫路公園(姫路城)内にある日本庭園。正式名は姫路城西御屋敷跡庭園好古園。「好古園」とは、江戸時代に現在の庭園入口付近に存在した藩校「好古堂」に因むものである。古地図『姫路侍屋敷図』を基に特別史跡地の姫路城西御屋敷跡・旧市之橋で発掘調査で確認された西御屋敷(1618年〈元和4年〉造営)・武家屋敷等の遺構をそのまま生かして作庭された総面積3.5ヘクタールの池泉回遊式庭園群である。開園は姫路市制100周年にあたる1992年(平成2年)4月29日。


入園料 大人 310円 

開園時間 午前9時~午後5時 (入園は午後4時30分まで) 

休園日 12月29日、30日


今回は好古園には入園せず、姫路城へ急ぎます。













桜門橋を渡り

姫路公園入口の大手門

姫路城を訪れるのは2年ぶり