令和6年(2024年)2月22日㈭


「令和6年2月下旬の旅」2日目の朝は奈良県奈良市から


宿泊した スーパーホテルJR奈良駅前・三条通り の部屋から見たJR奈良駅

昨夜からの雨、夜明けにも降り続けています。
 

この記事の続きです。



朝8時前、ようやく雨も上がりました。

スーパーホテルJR奈良駅前・三条通り

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旧奈良駅舎

約1km先の奈良公園へ向かいます。その途上にある開化天皇陵

2年ぶりのお参り

*2022年2月に訪れた奈良、今回と訪れた場所が一部重なります。

*開化天皇(かいかてんのう、旧字体:開化󠄁天皇、孝元天皇7年 - 開化天皇60年4月9日)

第9代とされる天皇(在位:孝元天皇57年11月12日 - 開化天皇60年4月9日)。『日本書紀』での名は稚日本根子彦大日日天皇。欠史八代の一人で、実在性については諸説ある。
開化天皇陵(みささぎ)の名は春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)。宮内庁により奈良県奈良市油阪町にある遺跡名「念仏寺山古墳」に治定されている。墳丘長約100メートルの前方後円墳。宮内庁上の形式は前方後円。 陵について『日本書紀』では前述のように「春日率川坂本陵(坂上陵)」、『古事記』では「伊邪河之坂上」の所在とあるほか、『延喜式』諸陵寮では「春日率川坂上陵」として兆域は東西5段・南北5段、在京戸10烟を毎年あてる旨とともに遠陵としている[8]。近世には近隣の念仏寺の墓地になったため墳丘は削られたが、幕末に墓地の移転と陵の修補がなされて現在に至っている。 




興福寺の境内脇の道

猿沢池に来ました。

*猿沢池(さるさわいけ、さるさわのいけ)

奈良県奈良市の奈良公園にある周囲360メートルの池。興福寺五重塔が周囲の柳と一緒に水面に映る風景はとても美しく、「猿沢池月」 は南都八景のひとつとなっている。



猿沢池の前、興福寺境内に向かう石段

興福寺で撮影した画像はこちら

興福寺の次に向かうのは東大寺

奈良公園内 奈良国立博物館

重要文化財 旧帝国奈良博物館本館

入館はせず外観のみ撮影

*奈良国立博物館本館は、赤坂離宮(迎賓館)などを手がけた宮廷建築家・片山東熊の設計により1894年(明治27年)竣工したもので、明治期の洋風建築の代表例として重要文化財に指定されている。


博物館の前には鹿さんたちがいます。



奈良国立博物館本館は「なら仏像館」

奈良国立博物館の前から東大寺境内へ

東大寺でも鹿さんのお出迎え

今回、東大寺にて撮影した画像はこちら

*2011年3月9日に訪れた東大寺、東日本大震災発生の2日前でした。 
国宝の東大寺転害門を出て

聖武天皇陵及び光明皇后陵は0.6km先

聖武天皇陵参道に来ました。





参道は二つに分かれて

左が聖武天皇陵、右が光明皇后陵

聖武天皇陵に参拝


*聖武天皇(701 - 756)

第45代天皇(在位:724- 749年)。天平15年(743年)には東大寺盧舎那仏像の造立の詔を出している。天平勝宝元年(749年)、孝謙天皇に譲位し太上天皇となる。天平勝宝4年(752年)、東大寺大仏の開眼法要を行う。
 陵は、宮内庁により奈良県奈良市法蓮町にある佐保山南陵(さほやまのみなみのみささぎ)に治定されている。宮内庁上の形式は山形。遺跡名は「法蓮北畑古墳」。


聖武天皇陵前からみた参道

光明皇后陵へ

光明皇后陵


光明皇后(701− 760)

聖武天皇の皇后で孝謙天皇の生母]。藤原不比等と県犬養橘三千代の子で、聖武の母藤原宮子は異母姉。一般に知られる光明皇后という名前は、在世中に名乗った光明子(こうみょうし)に因んで後世に付けられたもので、『拾遺和歌集』が初出である。
陵は佐保山東陵。


聖武天皇陵から近鉄奈良駅は1.6km

近鉄奈良駅からは


近鉄奈良1145発 急行 難波行き

に乗車



大阪難波方の前4両は

8600系8608F
近鉄奈良方の後ろ2両は 1233系 1239F編成