令和6年(2024年)2月14日㈬
「令和6年2月中旬の旅」1日目は羽田からANAに搭乗し鹿児島へ、
鹿児島空港からは南国交通 鹿児島市内方面のバスに乗車
鹿児島市を訪れるのは2年ぶり
鹿児島市空港915発 市役所前行き は終点の市役所前1003着
*この記事の続きです。
鹿児島市を訪れるのは2年ぶり
*2022年7月の旅
市役所前停留所から徒歩数分、日本100名城に選定されている鹿児島城跡へ
画像は2020年に復元された御楼門
*鹿児島城跡で撮影した画像はコチラ
鹿児島城二ノ丸跡に建つ西郷隆盛像、その横に建つビル1Fには
鹿児島まち歩き観光ステーション
営業時間 9:00~17:30 入場無料
鹿児島城の日本100名城スタンプラリースタンプは
鹿児島県歴史資料センター黎明館及び鹿児島まち歩き観光ステーションに設置。
鹿児島まち歩き観光ステーションにてスタンプを押しました。
鹿児島まち歩き観光ステーションにて購入、鹿児島城の御城印
鹿児島まち歩き観光ステーションにて購入
市電・市バス・シティビュー一日乗車券 600円
鹿児島市内の市電、市バス及びカゴシマシティビューに何回でも乗り放題! 各乗車券を提示すると、観光施設等の割引やタイアップ店のサービスも受けられる。
鹿児島まち歩き観光ステーションを出て鹿児島城跡の前を歩きます。御楼門の前を通り過ぎ
国立病院機構鹿児島医療センターの石堀は西郷隆盛が1874年(明治7年)に設立した私学校の遺構
壁には西南戦争(1878年)の銃弾痕が残っています。
私学校の門
次に向かうのは西郷洞窟、750m先
13年前も歩いた道を辿ります。
*2011年4月に訪れた鹿児島
城山の坂を登って行きます。
*城山
鹿児島市中央部にある山、あるいは丘陵。標高108m, 1877年(明治10年)、西南戦争の最終決戦である城山の戦いが城山付近で勃発し、西郷隆盛ら士族の敗北により終結した。西郷軍司令部の置かれた洞窟(通称「西郷洞窟」)、西郷隆盛終焉の地など西南戦争関連の史跡が残っている。
13年前にも登った坂を登り
西郷隆盛洞窟に到着
13年ぶりに訪れたました。
明治10年(1877年)年2月、西南戦争終盤、鹿児島に戻ってきた薩軍は城山に立て籠こもった。私学校の幹部たちとともに最期の5日間を過ごした洞窟。
再び坂道を下ります。
金網の下はJR九州・鹿児島本線・鹿児島中央〜鹿児島の線路。城山をトンネルで貫いています。
西郷洞窟から600m
「西郷隆盛終焉の地」に到着
住宅地の一角に建つ「南洲翁終焉之地」と刻まれた石碑
鹿児島県鹿児島市城山町にある西郷隆盛(南洲翁)が自刃した場所を示す石碑。「西郷隆盛終焉の地」として鹿児島市の記念物(史跡)に指定されている。
1877年(明治10年)西南戦争の終盤、鹿児島へ戻った西郷隆盛らは、9月1日に鹿児島城の背後にある城山を急襲して立てこもった。 同年9月24日午前4時、城山に立てこもってた西郷隆盛らの軍勢に対して明治政府(大日本帝国陸軍)側からの総攻撃が始まり、西郷隆盛らは立てこもっていた洞窟から岩崎谷に向けて歩を進めた。洞窟を出たのちに西郷隆盛は島津応吉邸付近で腰と大腿部を銃弾で撃ち抜かれ、徒歩が困難となった西郷隆盛は別府晋介に介錯をさせて自刃した。
「南洲翁終焉之地」の石碑は1899年(明治32年)9月に建立された。1974年(昭和49年)3月15日には「西郷隆盛終焉の地」として鹿児島市の記念物(史跡)に指定された。