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4月27日(水)

鹿児島市電を市役所前停留所で下車。

この周辺は鹿児島の官公庁が集まるエリア、背後には鹿児島市街を見下ろす標高107mの城山。

雨の中、城を目指して歩きます。

画像は大正14(1925)年築の登録有形文化財、県政記念館(旧鹿児島県庁舎本館)。背後の山は城山。

この撮影直後、雨強くなりバケツをひっくり返したように、

しばらく県政記念館の玄関前で雨宿りをしました。



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ようやく雨足も弱くなってきました。後程に訪れる鶴丸城跡の濠を横目に先に進みます。

鶴丸城後の向かいには、

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私学校跡。
明治7年(1874)年、征韓論に破れ明治政府を去った西郷隆盛が故郷鹿児島に設立した学校。
明治10(1877)年、同校の生徒達による鹿児島鎮台の弾薬庫襲撃を発端として、わが国最後の内戦、西南戦争が起こりました。

「循環器病センター」の敷地となった私学校跡地、現在では石堀のみが残っています。
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「西南戦争の銃弾跡」
西南戦争の終盤、私学校や城山、この辺りは官軍と西郷軍の戦場となりました。

石堀には一世紀を隔てた現在でも銃弾跡が残っています。

それにしても傘を差しながらの撮影はきつい。
背後の建物は先程に雨宿りした県政記念館。
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坂を上り、薩摩義士碑を見ながら城山を目指します。

鹿児島本線鹿児島中央~鹿児島の線路を跨ぐ陸橋を渡ります。

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さらに坂を上がり、住宅地に囲まれた薄暗い一角、「西郷隆盛洞窟」の案内板があります。

明治10(1877)年9月、官軍により城山に追い詰められた西郷隆盛一行は、官軍の降伏勧告を拒否し、この城山の洞窟に隠り最後の数日間を過ごしました。

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雨降る4月末の平日午後、カメラを持ってウロウロしているのは私ひとり。

西郷洞窟の隣にある土産物店から「見ていきませんかー」というお誘いが。

残念ながら経済的事情によりお断りを、ここまで来るのにけっこうカネがかかりました。
※経済的事情により五月は遠くにいきませんでした。

雨の降るなか、西郷が生涯最後に歩いた道、城山の坂を下ります。

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西郷洞窟から300m、坂を下りきった場所にある石碑、ここが西郷隆盛終焉の地。

明治10(1977)年9月24日、洞窟を出て城山を下った西郷は足を狙撃され、この地で別府晋介の介錯により自害しました。

周囲は住宅地、通りかかった地元民らしい年配の方がこの石碑に一礼されていたのが印象的でした。


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「西郷隆盛終焉の地」の目の前は鹿児島本線の線路。車窓からも目にすることができます。

雨の中、再び鶴丸城方面へ向かいます。