令和5年(2023年)10月10日㈫ 

「秋の乗り放題パス」を使用する旅1日目は新山口から山口線に乗り山口に来ました。

661D   新山口1207発 山口行き は終点の山口1230着

*この記事の続きです。
*秋の乗り放題パス 7,850円

全国のJR線の普通・快速列車の普通車自由席が乗り降り自由

発売期間:2023年9月16日(土)~2023年10月20日(金) 

利用期間:2023年10月7日(土)~2023年10月22日(日)のうち連続する3日 ※10月20日(金)利用開始分まで発売 ※利用開始日を指定して購入 

発売箇所:全国のJRの駅の「みどりの窓口」、指定席券売機、JRの旅行センター及び主な旅行会社 

発売額:おとな 7,850円、こども 3,920円 

利用開始日から3日間連続で有効。 (複数名での利用不可)。

全国のJR線の普通・快速列車の普通車自由席 気仙沼線BRT(「柳津~気仙沼」間)、大船渡線BRT(「気仙沼~盛」間)、JR九州バスの日田彦山線BRT(「添田~日田」間) JR西日本宮島フェリー(宮島訪問税[100円]の支払いが別途必要)、 

*JR線へ通過利用する場合に限り利用可、青い森鉄道 青森~八戸、 IRいしかわ鉄道 金沢~津幡 あいの風とやま鉄道 高岡~富山 

新幹線・特急・急行・グリーン車 、JRバス(日田彦山線BRT除く) は乗車不可、特例として、佐世保線早岐佐世保、宮崎空港線 宮崎~宮崎空港 、奥羽本線 新青森~青森、石勝線 新得~新夕張は、特急の普通車自由席に乗車可能
久しぶりに訪れる山口、前回訪れたのはいつであろうか?

もはや個人的備忘録と化した当ブログの過去記事を遡ると

2015年1月、8年前でした. 
 


駅を出て

歩くこと1.5km、山口県立山口博物館へ、有料の本館には入館せず
無料の屋外展示場に保存展示されている


蒸気機関車D60 1
を8年ぶりに撮影
山口県立山口博物館から350m先、山口市歴史民俗資料館へ

山口市歴史民俗資料館には続日本100名城スタンプ
「大内氏館・高嶺城」が設置されています。
山口市歴史民俗資料館

開館時間 9:00~17:00(最終入館は16:30)

 休館日 月曜 (祝日の場合は翌平日) 年末年始(12/29~1/3) 展示替え期間 

観覧料 一般110円 


この日、10月10日㈫の前日、10月9日㈪は「スポーツの日」、毎年10月の第2月曜日に制定された国民の祝日です。よって山口市歴史民俗資料館は休館日ですが

入口前に設置されている続日本100名城スタンプ(大内氏館・高嶺城)は押すことができました。

*山口市歴史民俗資料館 続日本100名城スタンプ(

 設置時間:9時00分~16時30分 

場所:山口市歴史民俗資料館入口自動ドア前     
休館中も通常開館日と同じ場所・時間に設置、押印可能

うまく押せました。
山口市歴史民俗資料館では続日本100名城に選定されている「大内氏館」と「高嶺城」の御城印を販売
、休館日には隣の山口市文化財保護課で販売とのこと

山口市文化財保護課で、名称からしてお硬そうな名称に思えますが

意外と?入りやすい入口でした。御城印2種類を購入。

続日本100名城に設置されている大内氏館・高嶺城とはどのような所?検索してみると

*大内氏館(おおうちしやかた)

山口県山口市大殿大路にあった城館。周防国・長門国を本拠とした大内氏の居館(守護館)である。「大内氏遺跡 附(つけたり)凌雲寺跡」として国の史跡に指定されている。大内氏24代当主の大内弘世が、山口を本拠と定め移り住んだ時に築かれた居館で、京都を模した山口の街に似つかわしく城ではなく館として建てられた。そのため、詰の城として背後に高嶺城がある。正確な建築時期は不明であり、江戸時代に描かれた「山口古図」によると14世紀半ばの1360年頃とされるが、発掘調査によると1400年代半ば第13代大内教弘の建築である可能性が高いとされる。 大内氏の繁栄とともに“西の京都”山口として栄えた。弘治2年(1556年)に毛利元就が侵攻(防長経略)してくると、大内義長は山口を放棄して逃亡。大内氏館もその役目を終えることとなった。

wikipediaより引用

*高嶺城(こうのみねじょう)

山口県山口市上宇野令字高嶺にあった城(山城)。国の史跡に指定されている。大内氏館の詰の城として整えられた標高338mの鴻ノ峰にある山城で、頂上部の主郭を中心に四方に延びる尾根へ郭を配している。主郭を中心に石垣が使用され、また礎石や瓦等も出土している。  
弘治2年(1556年)、戦国大名大内氏最後の当主、戦国大名大内氏最後の当主、大内義長により築城が開始された。 翌年の弘治3年(1557年)に毛利氏が山口に侵攻した際には、大内義長は未完成の高嶺城を放棄して長門国の且山城へと逃れ、その地で自害。大内氏滅亡後、高嶺城の築城は毛利氏によって再開・完成され毛利氏の山口支配の拠点となった。
 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの結果、毛利氏は周防・長門の2か国に減封され、萩城が毛利氏の本拠となった。 元和元年(1615年)の元和一国一城令により、高嶺城は破却されることが決定し、寛永15年(1638年)に廃城となった。

wikipediaより引用


山口市歴史民俗資料館から大内氏館跡は1.4km先、高嶺城跡は3.6km先

残念ながら行程の都合上、どちらも訪れることができず。また次の機会に

スタンプを押して御城印を購入しながら城跡を訪れず、という「インチキ」をしてしまいました。
再び2km先の山口駅へ戻ります。
山口市役所の前を通ります。後ろに見える2本の塔は山口ザビエル記念聖堂

アーケードの山口市中心商店街を通り過ぎ

再び山口駅へ
改札口にはICカード簡易改札機

2023年(令和5年) 4月1日から山口線山口〜新山口ではICカード「ICOCA」の一部サービスが利用可能となりました。
2541D   山口1408発 益田行き

新山口〜益田と山口線全区間を走る普通列車

663D  新山口1250発〜山口1316着として運行、新山口では48分の停車時間、列車番号を663D→2541Dと変えて益田に向かいます、

車両はキハ47×2の2両編成、画像は益田方1両目、キハ47 2016
こちらは新山口方の2両目

キハ47 1062 

山口線は2015年に全線乗車、あれから8月、再び全線乗ります。

 


 




 


3004D  山口1334発 特急スーパーおき4号 鳥取行き 

が先に発車
宮野(1414発)、近距離利用の乗客数人が下車
宮野は山口市街地の端に位置する駅、こから先、益田方面は山の中になる。 新山口方面からの列車の過半数は当駅で折り返す。当駅から山口・新山口方面は1時間に1 - 2本程度あるが、津和野・益田方面は列車本数が大幅に減り、2 - 3時間に1本程度となる。


仁保(1421発)
車窓に見える建物も少なくなり

 仁保と篠目駅の間に25パーミルの急勾配(篠目に向かって登り坂)が連続しているため、「SLやまぐち号」も下り(津和野行)に限り仁保に停車する。
篠目には腕木信号機と給水塔、どちらも「現役」ではなく
 
篠目の構内にはレンガ造りの給水塔。大正6年(1917年)の篠目駅開業時、蒸気機関車への給水のために設置。現在では「SLやまぐち号」も使用せずポンプ機能などは備えていないがフォトスポットになっている。
篠目(1435発)

長門峡(1440発)

長門峡〜渡川 阿武川を渡り
車内はガラガラ
渡川(1444発)

三谷(1448発)
名草(1452発)
地福(1456発)
鍋倉(1500発)
 
徳佐(1500)

徳佐〜船平山の車窓

県境を超えて山口県から島根県に
船平山(1509発)

船平山〜津和野川を渡り
1520着の津和野で下車

津和野は簡易委託駅なので先頭車両運転席後ろのドアから運転士に「秋の乗り放題パス」を提示

津和野駅は2021年12月より終日無人駅化、 2022年(令和4年)8月、津和野町観光協会により簡易委託化。 

8年ぶりの津和野

前回訪れた時は津和野駅前町営駐車場に保存展示されていた蒸気機関車 D51 194 は津和野駅前に移転していました。