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ウルトラマン・Hの ひとりごと

音楽について語りたくてたまらないんです。

シーカーズ」は、1964年、オーストラリアで結成された女性1人、男性3人の、混声ポップ・フォーク・グループです。


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メルボルンで活動をしていましたが、チャンスを求めて英国へ渡ります。

そこで、当時、英国の大スターであった、「ダスティ・スプリングフィールド」の兄である、「トム・スプリングフィールド」に見出され、1965年にメジャー・デビューを果たしました。


デビュー曲は、「恋はたったひとつ」という曲で、ロシア民謡をトムがアレンジして作ったものです。

これが英国ヒットチャートの第1位に輝きました。

また、米国でもチャート第4位の大ヒットとなり、一躍ブレイクすることになります。

1965年に続けて発表した、「二人の世界」も、チャート第19位とヒットしました。


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シーカーズ」と云えば、1966年に発表した曲、「ジョージ・ガール」ですよね。

同名の映画のテーマ・ソングとして作られた曲で、トムが作曲しました。


口笛風のイントロを聴くだけで、ウキウキするような気分になります。

女性ボーカルの、「ジュディス・ダーラム」のちょっとハスキーな歌声は、何とも魅力的です。


この曲は、全英チャート第3位、全米チャート第2位と、大ヒットとなり、「シーカーズ」の代名詞になりました。


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1999年、ホンダから発売になった軽自動車ヴァモスのCMソングとして使われていました。

確かこの曲は、日本でもかなりヒットしたと思います。

聴いていると、何となく「サンホセへの道」っていう曲に似てますよね。

(そう思うのは私だけでしょうか。)


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1969年、ボーカルのジュディスが、「あたし、ジャズが唄いたいの」と言いながら脱退していきました。

当然グループは解散です。


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しかし、メンバーであった「キース・ボガード」が中心となって、新しいメンバーを集め、「ニュー・シーカーズ」を結成します。

メンバーは、キース以外はシーカーズとは全く別人で、女性2人、男性3人の混声グループでした。


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1972年、「愛するハーモニー」を発表、たちまち全英チャート第1位に輝きました。

全米チャートでも第7位の大ヒットとなりました。

同年にコカ・コーラのCMソングとして、ブラウン管から流れていましたので、耳にした方も多いと思います。

そのせいか、日本のオリコンチャートでも第1位になっています。


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シーカーズ」のサウンドの特徴は、シンプルなバック演奏と、それにに乗っかってくるジュディスのハイトーン・ボーカル、そして、そのボーカルを支える男性のソフトなコーラスです。


フォーク・サウンドなのですが、まさに癒しのサウンドですよね。


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でも、ジュディスのいない「ニューシーカーズ」は、ちょっと物足りないなあと思っているのは、私だけでしょうねえ。


つづく

ブレッド」というグループは知らなくても、「イフ」という曲は知っているという人が多いかもです。


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ブレッド」は、1968年、ロサンゼルスで結成されたソフトロックのバンドです。

メンバーは、リーダーの「デビッド・ゲイツ」を中心に、「ジェイムス・グリフィン」、「ロブ・ロイヤー」の3人です。


彼らは、結成前は、作詞作曲やアレンジをしたり、スタジオ・ミュージシャンとして活動をしていました。

彼ら3人は、ドラムス以外は何でも出来るマルチ・ミュージシャンでした。


1969年、デビュー・アルバム「ブレッド」を発表しますが、セールスは芳しいものではありませんでした。


1970年、新しくドラマーに「マイク・ボッツ」を加え、セカンド・アルバム「オン・ザ・ウォーターズ」をリリースします。


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この中に収録されていたデビッド・ゲイツの作品、「二人の架け橋」が、全米ヒットチャートの第1位に輝き、一躍世界中で注目されました。


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1971年、サード・アルバム「Manna」をリリース、ゲイツの作品、「If(イフ)」が、チャート第4位を記録する大ヒットとなりました。

イントロのギター・シンセサイザーのボヨヨ~ンという音、ゲイツの透き通るようなボーカルの美しいこの曲は、「ブレッド」の最もポピュラーなナンバーとして有名です。


イフ」は、フランク・シナトラオリビア・ニュートンジョン等数多くのミュージシャンがカバーしています。

日本では、森山良子さん、原田知世さん等がカバーをしています。

カルピスのコマーシャル・ソングとしても知られていますね。


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方向性の相違から、「ロブ・ロイヤー」が脱退しますが、その後任に、キーボード&ベース・プレイヤー、「ラリー・ネクテル」を迎え、1972年にフォース・アルバム「Baby I'm-A Want You」をリリースしました。


収録曲の、「愛の別れ道」、「涙の想い出」がトップ5に入るヒットとなり、アルバムもビルボード第3位の大ヒットとなって、その年のグラミー賞にもノミネーされました。


この年、日本では、ファースト・アルバム「ブレッド」からシングルカットされた曲、「灰色の朝」が何故か大ヒットしました。


同年、5作目となるアルバム「ギター・マン」をリリースしますが、翌年のライヴの中で「解散」を宣言、メンバーはソロ活動へと散っていきました。


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1976年になって唐突に再結成、アルバム「Lost Without Your Love」をリリース、ビルボード第26位まで上昇しましたが、ツアー後に再度解散しています。


2006年、「ブレッド」は、ボーカル・グループとしての名誉の殿堂入りを果たしました。


ブレッド」のヒット曲は、そのほとんどが「デビッド・ゲイツ」の作品です。

彼のメロディ・メーカーとしての抜きん出た才能の素晴らしさを実感させられます。

仕事で疲れた時、落ち込んだ時、「ブレッド」の曲を聴くと、心が癒されますよね。


ちなみに、途中加入の「ラリー・ネクテル」は、「明日に架ける橋」(サイモン&ガーファンクル)の曲の中で、ピアノを弾いていますよ。


「ジェイムス・グリフィン」と「マイク・ボッツ」は、2005年、癌のために他界しているようです。


つづく



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ロバータ・フラック」は、1937年、米国ノースカロライナ州出身のシンガーソングライターです。

父はピアニスト、母はオルガニストという、音楽一家に育ちました。

彼女は、黒人ミュージシャンの中では珍しく、正当な音楽教育を受けています。

幼い頃からピアノに親しみ、大学では何とクラシックを専攻し、オペラの発声法まで学んでいます。


音楽の教師をしながら、ナイトクラブでピアノを弾いてキャリアを積みます。

そして、1969年、スカウトされて、「ファースト・テイク」でデビューを飾りました。

高校の教師から歌手に転身したというわけです。


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1972年、映画「地下室のメロディ」に使われた、「愛は面影の中に」が全米第1位の大ヒットを記録して、一躍有名になりました。

この年のグラミー賞最優秀レコード賞を受賞しています。


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1973年、「やさしく歌って」が、再び全米第1位の大ヒットとなりました。

グラミー賞の最優秀レコード賞、最優秀楽曲、最優秀女性ボーカルの三部門を受賞しました。

ちなみに、最優秀レコード賞を2年連続で受賞したのは、彼女の他には「U2」のみです。


やさしく歌って」は、原題を「Killing Me Softly With His Song」といいます。

ノーマン・ギンベルが作詞、チャールズ・フォックスが作曲して、1972年に発表されました。


女性シンガーの「ロリ・リーバーマン」が、「ドン・マクリーン」(当時はまだ無名)の唄った「Empty Chairs」という曲を聴いて感銘を受け、「Killing Me Softly With His Blues」という詩を書きました。

この詩を基にして、ノーマンとチャールズが曲に仕上げたものです。


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こうして出来た「やさしく歌って」は、1972年、ロリの歌でリリースされましたが、全くヒットしませんでした。

偶然、飛行機の中でBGMでかかっていたこの曲を聴いた「ロバータ・フラック」が一発で気に入り、シングルとしてリリースするや、瞬く間に全米1位になったのでした。

ビルボード誌では、5週間連続で第1位を達成しています。


彼女の代表曲、「やさしく歌って」は、ネスカフェのCMソングとして使われたこともあって、日本でもヒットしましたのは、記憶に新しいところです。


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1970年代は、母校のハワード大学のクラスメイトだった、「ダニー・ハザウェイ」とのデュエット曲を多く残しています。

1978年の「クローザー・アイ・ゲット・トゥ・ユー」がヒットして、話題になりました。


1983年には、「ピーポ・ブライソン」とのデュエット曲、「愛のセレブレイション」がヒットしました。



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彼女は、あの「矢沢永吉」さんの大ファンだったそうで、彼の曲もカバーしているようですね。


それから、知らなかったのですが、秋田犬のブリーダーもしているそうですよ。


つづく


1950年・1960年代に活躍したガールズ・グループといえば、ロネッツ、シレルズ、デキシー・カップス、マーベレッツ、シュープリームス、シャングリラズ等等、たくさん出ています。


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その中で、最高峰のグループといえば、この「シフォンズ」ではないかと思います。

一発屋が多い中で、「シフォン」は、10曲以上のヒット曲を残しています。


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シフォンズ」というと、先ず思い出すのが、「ヒーズ・ソー・ファイン」ではないでしょうか。

この曲、当時マネージャーだったレナルド・マックの作品で、1963年に全米チャート第1位になりました。

実はこの曲、あのジョージ・ハリスンの「マイ・スィート・ロード」の元ネタになった作品です。


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ビートルズのあのジョージが、全米NO・1ヒットを故意に盗作するとはどうしても考えられません。

偶然似てしまったのだろうと思いますが、そうはいっても、「マイ・スィート・ロード」も名曲のひとつには違いありません。

過去の名曲が姿を変えて、新しい名曲に生まれ変わった・・・と、そういう事にしておきましょう。

「エリーゼのために」が「キッスは目にして」になったようなもの・・・、違うか(笑)


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さて、「シフォンズ」の曲で忘れてはいけないのが、「ワン・ファイン・デイ」です。

直訳すると、「ある晴れた日に」で、「蝶々夫人」に何か関係あるのでしょうかねえ。


この曲、作ったのは、キャロル・キングジェリー・ゴフィン夫妻で、全米第5位まで上昇するヒットとなりました。

最初は、リトル・エバがリード・ボーカルで、クッキーズがコーラスだったのですが、テープからエバのボーカルを消して、シフォンズの歌とコーラスをこれに載せて焼きなおしたそうです。

イントロから流れる跳ねるようなピアノ、そこに被さってくるシフォンズのコーラス・ハーモニー、


シュビドゥビドゥビ ドゥビドゥ ワッワァ~♪


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心がうきうきしてきますね。

このピアノを弾いているのは、キャロル・キングご本人なのです。

カーペンターズが「ナウ・アンド・ゼン」のアルバムの中で、この曲をカバーしていますが、これも聴いてみる価値ありですね。


シフォンズ」の魅力は、何と言っても、その洗練されたハーモニー・コーラスにあります。

リード・ボーカルのジュディと他のメンバーのコーラスの絡みが実に心地良い。


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ニール・セダカが結成したコーラス・グループ、「トーケンズ」がプロデュースしているからかもですね。

実はこの「シフォンズ」、ツイン・ボーカルでして、シルヴィアがリードを取る事もあるのです。


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メンバーは、写真右から、ジュディ  パトリシア  バーバラ  シルヴィア です。


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ガールズ・グループの最高峰、「シフォンズ」の歌声を聴くには、このアルバムがお勧め。

エンジェルスシレルズのカバーも入っています。

そうそう、レスリー・ゴーアの「涙のバースディ・パーティ」のアレンジも楽しいです。


つづく





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涙の太陽」は、1965年、「エミー・ジャクソン」がデビュー曲として放った英語の歌です。

作詞は、エルビス・プレスリーを日本に始めて紹介した、あの「湯川れい子」さん、作曲は、「中島安敏」さんでした。

この時、湯川さんが自分の名前を直訳して、「Reiko Hot Rivers」の頭文字を取って、「作詞:R.H.R」としたものですから、多くの人は洋楽のカバーだと思っていたそうです。

湯川さんって、ちゃめっけあったのですねえ。


エミー・ジャクソン」は、英国人を祖父に持つ日系2世で、本名はエミー・イートンと云います。

「ジャクソン」という名前は、彼女のアイドルだった「ワンダ・ジャクソン」からいただいたと云われています。


彼女は当時から日本に住んでいて、日本語の字は読めなかったそうですが、英語力を買われて、湯川さんのDJ番組のアシスタントに抜擢されました。

そして、彼女の歌唱力に目を付けた湯川さんが、コロンビアレコードに紹介し、「涙の太陽」でデビューすることになったのです。


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涙の太陽」という曲、アメリカン・グラフィティを彷彿とさせるサウンドで、テケテケテケテケ・・・という、あのヴェンチャーズのエレキ・サウンドが聴けるのが、何とも良いですよね。

そういえば、1965年といえば、ヴェンチャーズが日本を席巻していましたね。


この歌、米国のティーン・エイジャーの切ない恋心を唄っています。


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彼女は、アルバムをたった1枚しか残していません。

涙の太陽~ザ・エミー・ジャクソン・アルバム」と名打ったLPレコードがこれ。

もしも、このLPの現物があったとしたら、大変なプレミアが付くと思いますよ。


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エミー・ジャクソンの日本語盤もあるのですが、青山ミチさんがカバーして、競作になりました。



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1973年には、安西マリアさんがリメイクでカバーして、70万枚をセールスする大ヒットとなりました。

安西マリアさんは、その年のレコード大賞・新人賞を受賞しています。


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この曲をカバーしている歌手は他にもたくさんいて、田中美奈子、山本リンダ、渚ようこ、愛内里菜、三東ルシア、メロン記念日等です。


インストでも、ヴェンチャーズエド山口と東京ベンチャーズ、スプートニクス、寺内タケシ等がカバーしています。


それから、テレサ・テンが日本でデビューする前に、中国語でカバーをしていましたよ。


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これが、唄い出しの、「ギ~ラ ギ~ラ 太陽が・・・♪」のポーズ、懐かしいですねえ。マリアちゃん!!


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Take me take me

take my heart and all

I was born to be yours~♪


つづく